2021/04/03 - 2021/04/03
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Fidelioさん
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この旅行記スケジュールを元に
ありがたいことに、日本に友好的な付き合いをしてくれる国が世界中にいくつも存在します。
例えば、フィンランドやトルコも親日国として挙げられます。
では、この2カ国が親日感情を覚えるに至ったのには、どのような経緯があったのでしょうか。
共通して言えることは、日露戦争における日本海海戦の勝利があった、ということです。
当時、フィンランドとトルコは大国ロシアの脅威にさらされ、国家としての存亡の危機を迎えていました。そんなさなかに飛び込んできたのは、日本海軍がロシアのバルチック艦隊を破ったという寝耳にウォーターなニュース。まさか大国ロシアの艦隊を、たかだか開国して50年しか経っておらず近代化が遅かった日本が打ち破るなんていうことは、世界中の誰しもが想像していなかったことでしょう。
「ウッホオオオwww日本が勝ったwwwww」
「俺たちも頑張っペ!!!」
同じ敵対するロシアから苦しい思いをしていたフィンランドとトルコの人々は心が奮い立ち、日本に強い親近感を覚えるようになりました。
後にフィンランドでは東郷平八郎のラベルが貼られたビールが流行り、人々はそれを「トーゴービール」と呼びました。一方トルコでは、生まれてきた男児に「トーゴー」と命名したほどです。まるで自分の息子に「クワタ」と名付けた元巨人の投手のガリクソンみたいですね(笑)
そんな世界が驚くジャイアントキリングをキメた日本海軍の指揮官は、連合艦隊司令長官・東郷平八郎。彼が旗艦として乗艦していた戦艦三笠は、とても名高く世界三大記念艦の1つに数えられています。
猿島から戻ったあとは、記念艦三笠をじっくり見学します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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-
※猿島編の旅行記はこちらから
→https://4travel.jp/travelogue/11690513
猿島から船で三笠桟橋まで戻ってきました。お次は記念艦三笠を見学しましょう。
この4色のZ旗をカラフルに掲げた売店の外(写真右側)に三笠の券売機があり、船に乗った人は乗船券の提示で100円引きになります。
(ここで割引用の券を購入し、三笠の入口で半券と一緒に見せます。)記念艦三笠売店 お土産屋・直売所・特産品
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ー 戦艦三笠 ー
日本がイギリスのヴィッカース社に発注し、1902年に竣工。
敷島型戦艦の4番艦で、同型艦には「敷島」「初瀬」「朝日」があります。日清戦争後の日本はロシア帝国からの脅威に晒されており、それに対抗するために軍事力を強化する必要に迫られていました。
そこで計画されたのが、戦艦6隻・巡洋艦6隻を戦力の主軸とする「六六艦隊計画」。戦艦三笠は、その主軸の1つとしての役割を担っていました。
日本海海戦では司令長官・東郷平八郎が乗艦し、勝利に導いたことで一躍有名な艦になりました。「三笠」の名前の由来は、奈良の三笠山に由来します。三笠公園 公園・植物園
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戦艦三笠は、自国の独立を守るために大いに貢献した艦として、イギリスのヴィクトリー号、アメリカのコンスティチューション号と並んで世界三大記念艦の1つに数えられています。
それほど日本海海戦での活躍が目覚ましかったことがよく分かりますね~。 -
んじゃ、タラップを登って見学しましょう。
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まずこちらは通信室。
ここで無線を打つわけですね。
三笠が実際に打った打電で最も有名なのが、
「本日天気晴朗ナレド波高シ。」
文語体を口語に直訳すると、
「今日はいいお天気だけど波が高いね~」
ですが、もちろん天下の日本海軍がそんな世間話をいちいち打電するはずがありません(笑) -
■三笠は工事中…
もちろんこの言葉には裏の本当の意味があります。
「天気晴朗(せいろう)」→ 海上の視界は良好、我が軍も準備は万端に整っています。
「波高し」→ 波が高いので機雷戦だと自船を傷つけるリスクがあるので、砲撃戦がメインになりそうです。
これが真の言葉の意味です。
実はこれ、坂の上の雲で有名な秋山真之が付け加えた言葉。短い言葉の中にも大きなメッセージを込めていたわけです。
頭良すぎ…
偏差値いくつあんの? -
■艦尾の副砲と兵士が眠るハンモック
ところで、日本海海戦で劣勢と言われた日本海軍はなぜ勝利を収めることができたのでしょうか?
その勝因にはいくつか理由があります。
まず1つ目が、ロシアのバルチック艦隊が疲弊していたことが挙げられます。
「日本と目と鼻の先なのに何疲れとんねん」とツッコミが入りそうですが、よくよく考えてみてください。
バルチック艦隊の「バルチック」ですが、これはヨーロッパのバルト海のことを指します。ロシアは横にめちゃくちゃ国土が長い国ですから、当然ここもロシアの領域。
極度ウラジオストクを起点とする太平洋艦隊に加え、バルト海の艦艇もそこに合流させることで日本に戦力的に優位に立とうとしたわけです。
そこでバルチック艦隊が辿ったルートがこちら。
↓ -
(スマホで作った渾身の雑な図をご覧ください(笑))
バルト海を出発してアフリカ大陸の西側、先端の喜望峰を周り、マダガスカルを経由。インド洋から東南アジアを通過して台湾海峡から日本海へ。
・・・遠いわっ!!
見てくださいこれ、もはや世界一周ですよ。こんだけ移動すりゃマイル貯まりまくりですよ。一気に上級会員のステータスゲットですよ。
元々は、スエズ運河を通ってインドの方から来る予定だったのですが、道中イギリスの船を日本軍と見誤って攻撃してしまい先方を怒らせてしまったという粗相をしでかしたこともあり、予定していたイギリスの植民地を通ることができなくなったのです。
そのため、このような世界一周コースを通ることを余儀なくされました。
航海中はロクな補給も望めなかったことから、あらかじめ艦隊には多くの石炭や物資を搭載。さらには船体に付着したフジツボなどの貝殻も落とすことができず、艦隊は機動性を失っていた状態でした。
そんな状況でやっとこさ戦場の日本海に辿り着いても、船も兵員たちも十分に力は発揮できませんよね。
ご苦労なこった…。 -
次に勝因として挙げられるのが、戦術です。
戦艦の数ではバルチック艦隊の方が上回っており、破壊力の大きい主砲ではロシア側の方が勝っていました。しかし、日本艦隊には小回りの効く小型艦が多く、小規模な副砲の数では日本が上回っていました。
写真は副砲を装填する水兵の様子。
主砲は1度打ったら次を打つまでに時間がかかりますが、副砲であれば速射が可能です。
1度の破壊力は大きくないものの、ちりも積もれば山となるの如くで何度も副砲で攻撃を加えることで、敵に大きな打撃を与えることができたのです。 -
艦の側面にあるのが、40口径7,62センチ砲。
三笠には計20門配備されており、毎分15発発射が可能でした。射程距離も長く、速射攻撃においては大いに力を発揮しました。 -
そして何と言っても最大の勝因は、「人」です。
バルチック艦隊がえっちらおっちら苦難の航海をしている間、日本海軍は来たるべき決戦に備えて何度も訓練を重ねていました。その結果、水兵たちの練度も上がり、高い士気を維持できていたのです。
彼らを束ねる指揮官や参謀たちもそうそうたるメンバーが勢揃い。
伊予松山出身で、ガキ大将の頃は見様見真似で花火を作り打ち上げて死ぬほど怒られた、秋山真之。
後に内閣総理大臣を務め激動の日本を守った、頭が良すぎてもう何が何だか分からない加藤友三郎と鈴木貫太郎。
そして、ひょんなことから肉じゃがの生みの親となり日本の家庭の食卓に旋風を巻き起こした、東郷平八郎。
(↑そこw?)
いや~どうですか。これだけの猛将・智将と完璧に鍛え上げられた兵士たちが意気高らかに「わっしょい!わっしょい!」と待ち構えているわけですから、どう考えても、疲れ切ったバルチック艦隊から見れば「ちょっと勘弁してくださいよ(泣)」となりますよね。 -
■三笠のマスト
戦闘中、東郷平八郎は大きな決断を下しました。
それは「東郷ターン」と呼ばれる、敵艦隊に接近した位置から一気に取舵(左)をきって反転する戦法です。
敵艦隊に接近した状況では、互いに平行になるか、すれ違いになって戦うというのが常套手段でした。
ところが、東郷は右手を高らかに上げ、そのまま腕を左に回して「取舵」の指示を出したのです。
敵の目前で回頭するということは、その分速度が落ち敵に隙を与えるということです。銃を向ける相手に背を向けるようなものですからね。
この決断に、周りの参謀たちは
「え、長官!マジっすかΣ(゚Д゚)!?」と度肝を抜いたことでしょう。
まあ僕だったら普段から割となんでも「はいはい」言ってしまう人間なので、もしこの場にいても「は~い( ´∀`)♪」と何の疑問も覚えず指示に従っちゃいますがね。 -
■艦上からはすぐそこに猿島が見える
当然、一時的に速度を落とした連合艦隊を見て「今がチャンスでぇーす!!」と言わんばかりにバルチック艦隊の砲撃が開始。三笠を始めとする艦隊は被弾します。
しかし、日頃から猛訓練を積んできた連合艦隊。実にスマートに回頭を終え、全艦の主砲・副砲が一斉に火を吹き始めます。砲弾は次々にバルチック艦隊に命中し、兵員たちの訓練の成果が如実に表れました。
結局ものの30分で決着がつき、ロシアの艦船は多くが沈没、残る艦も連合艦隊の迫撃を受けて破壊・拿捕され、蓋を開けてみれば連合艦隊の大勝利で終えました。 -
そうそう、この時三笠のマストに掲げられたのが有名なZ旗。国際信号旗で、アルファベットの「Z」を表します。
「皇國丿興廃、コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ。」
日本海海戦において、このZ旗にはこのような意味が込められていました。
元々は船舶通信の手段としての国際信号にしか過ぎないこのZ旗がなぜこのような意味合いを持ったのでしょうか。 -
「Z」は、26文字あるアルファベットで最後の文字です。
裏を返せば、「もう後がない」ということ。
すなわち、「この戦いに負ければ、日本は終わりだ。我が国の存亡はまさにこの一戦にかかっている。これまで以上に強い覚悟を持って死力を尽くせ。」
という風に解釈(※)できます。
旗艦の三笠にZ旗を掲げることで、全兵員に強い意識付けをさせたのでしょう。
(※あくまでも一説です)
このことが転じ、ここ大一番の勝負に臨む時に「Z旗を掲げる」という慣用句ができました。
みなさんも、大事な試験や商談の前にはスマホの待ち受けをZ旗にしてみてはいかがでしょうか。 -
この日本海海戦における東郷ターンという奇策がもたらした連合艦隊の勝利の知らせは、全世界を驚かせました。
日本を下に見ていた欧米諸国は
「え、、、ウソでしょ………(;´Д`)」
と冷や汗をかき、
ロシアの脅威にさらされていた国やアジア諸国は
「おおおおお、すげぇぇぇぇぇ(^o^)!!」
と心が奮い立つような歓喜に包まれました。
旅行記の概要欄で述べたフィンランドやトルコが、その例です。
それほど、この日本海海戦における勝利が日本のみならず、世界中に強い影響を与えたわけなんですね。 -
■煙突部分
結果的に、日本海海戦が三笠の艦船としての歴史のピークでした。
日露戦争集結直後の1905年と1912年には、それぞれ弾薬庫の爆発により沈没…。
多くの犠牲者を出す大惨事となりました。 -
■発行信号機
修復を経て、その後は日本海の警備活動やシベリア出兵に従事。戦艦から海防艦へと種別が変更され、ワシントン海軍軍縮条約により、三笠の廃艦が決定されました。
三笠は解体される予定でしたが、国民から保存を希望する声が高まり、記念艦として保存されることが決定されました。
保存工事を終え、正式に記念艦としてデビューしたのが、記念式典が行われた1926年(大正15年)のことでした。
うちのじいちゃんはもう生まれてたな。 -
三笠を見学してて思うのが、とにかくオシャレ!
物々しい軍艦のイメージからはかけ離れ、床や内装、装備品に至るまで気品に満ち溢れているんですよね。
紳士の国イギリスらしく、細かいところまでキチッとしようという心意気が所々に感じられます。
ここは船の中枢である三笠の操舵室。計器や操舵ハンドルが並んでいます。
この三笠の操舵室に関連しまして、先日広島ご在住のトラベラーの方から、「呉市にある本庄水源地の取水塔の内部が三笠の操舵室に似ている」という興味深いお話をいただきました。
それは面白いと思いましたので、一旦三笠の話題から離れて呉市の本庄水源地のことを少しピックアップしたいと思います。 -
[写真引用元]
呉市公式ホームページ・くらしの情報・呉市の文化財/本庄水源地堰堤水道施設 より
https://www.city.kure.lg.jp/site/bunkazai/kunijyubun-6.html
(参照日︰2021年5月29日)
ー本庄水源地堰堤ー
1918年に竣工した、帝国海軍が建設した水源地(ダム)。
海軍施設に安定した上水の供給が求められるようになったことから建設が決定され、後に人口増加と衛生問題解決のために呉市の要請も受けたことから、軍と民間双方に水の供給がされることになりました。
現在も現役で稼働しており、今もなお建設当時の姿を濃く残していることから重要文化財にも指定されています。
僕は行ったことのない場所ですのでインターネットで調べるしか方法がありませんでしたが、運良く取水塔内部の写真を見つけることができました。見てみると本当に三笠の操舵室に似ていてビックリ!
(個人の方のブログ内の写真でしたので、ここでの掲載は割愛させていただきます…)
はっきりと取水塔の設計を三笠に似せたという記録があるわけではありませんが、
1、日本海軍の技術や教育などあらゆる様式がイギリスを模していたため、場所は違えど自ずと設計思想が似たこと。
2、ダムの公共性の高さから迅速な完成が求められ、既存の様式を転用したほうが早かったこと。
3、当時の海軍では三笠をはじめとする敷島型戦艦が主軸となっており、取水塔=全体を管理するという役割から、設計に際し敷島型戦艦の操舵室が1番にイメージされやすかったこと。
もし三笠に似ている理由があるとすれば、こういったものではないかと考えます。
以上、僕の勝手な考察(妄想)でした(笑)
話題を提供して下さったトラベラー様、ありがとうございました! -
では、場面は三笠の艦上へ戻ります。
これは伝声管ですね。「ヤッホー!」と叫べば下の人にもそれが聞こえます。まあ本当にヤッホーと言ったらもれなく「は?」と思われるでしょうね(笑)
日本海海戦で東郷ターンをきった時も、この伝声管を通じて「取舵いっぱい!」と指示を出したわけなのです。 -
上甲板の先端の方。
大きな錨の鎖があります。 -
船の先頭から三笠を眺める。
30.5センチ主砲と艦橋、マストの眺めがなんとも美しいものですね。記念艦 三笠 美術館・博物館
-
こうしてみると左右対称のシンメトリー。
設計の美学が感じられます。 -
救命ボート。
三笠は実戦では沈められませんでしたので、出番はなかったのかな。 -
艦内には日本海海戦のシュミレーションゲームコーナーがありました。
画面の指示(長官の命令)に従ってハンドルを回し、射程距離に入ったらボタンを押してひたすら主砲をぶっぱしてバルチック艦隊を倒すというものです。
結果は…? -
勝ちました!(友人が)
残存兵力は軍艦一隻差で逃げ切りました。
でも味方はほとんど全滅ですね…
歴史が変わってしまったわい(笑) -
参謀長官公室。
いや~さすがに司令官クラスとなると部屋の格も全然違いますね。豪華客船のようでゆっくり過ごせそうです。
でもこの高待遇があるだけ責任も重いということですよね。 -
■艦長公室
第二次世界大戦後、日本はアメリカの占領下に置かれましたが、この時が最も三笠にとって悲劇だったのではないかと思います。 -
■士官室
三笠は、日本の軍事的象徴。連合国側のソ連からして見れば、かつて自分たちの国の艦隊を壊滅に追い込んだ三笠が存在するのは非常に不愉快なわけです。
ソ連側は解体を要求、日本側は保存を要請し、その折衷案としてGHQは「甲板上の構造物をすべて撤去すること」を条件として保存を横須賀市に許可しました。
その結果、三笠の甲板上にはダンスホールや水族館という訳のわからない遊興施設が爆誕。やがて客足が遠のき廃れていき、三笠はロクに手入れもされないまま廃れていきました。 -
■東郷平八郎の遺髪が安置されている
その三笠の惨状を知った、かつて三笠の乗組員と交流のあったイギリス人貿易商のジョン・S・ルービンが「ジャパンタイムズ」という新聞にその事実を寄稿したことかきっかけで、三笠の復元を求める声が高まり、その後三笠保存会が発足、復元工事が行われ、今日のようなかつての栄光ある姿を取り戻すことができたのです。 -
記念艦三笠を訪れるのはこれが2回目で、最初ははとバスツアーに参加したときでしたが、その時の最初のガイドのおじさんの説明が私見丸出しの熱の込もったもので、まるで政治家の演説を聞いているようでした(笑)
「話なげーんだよオヤジ!」と思いつつもそのせいで時間が無くなってしまい、その時はじっくりと見学することが出来ませんでした。
ですので今回はじっくりと隅々まで見ることができて満足しました。
三笠は日本の歴史においてとても重要な局面に対峙したわけで、その存在の意義の大きさは計り知れません。
そう考えると、ここはぜひ一度は訪れる価値が十分にあるものだと思います。 -
では、そろそろ帰りましょう。
横須賀中央駅まで戻り、快特で品川まで。
帰りの電車は2列シートじゃなかった(;´д`)
というわけで、今回の日帰り横須賀旅は終了~
いっぱい歩いたな(笑)
お疲れ様でした。横須賀中央駅 駅
-
帰りにお土産で三笠のティッシュケースを買いました。
さっそく組み立てて、煙突の間からティッシュを取り出すのですが、めちゃくちゃ出しにくい(笑)
実用性の低さからこちらのティッシュケース三笠は最初に入れたティッシュが無くなった時点で廃艦が決定、現在は我が家の和室に「記念艦ティッシュケース三笠」として放置されています。(はえぇーw)
(なお、東郷元帥の像はテレビ台の前に移転しました。)
今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました!
とりあえずTSUTAYAで坂の上の雲を借りてこようと思います(笑)
2021春 神奈川・横須賀お出かけ日記 ー 完 ー
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この旅行記へのコメント (9)
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- ひでじいさんさん 2021/06/09 08:22:37
- お久しぶりです
- いつも訪問していただきありがとうございます、「いいね」もありがとうございます。
私は小田原の人間ですが軍港横須賀には何回か行ってます。猿島だったかなあ船で行きました。近頃は交通の便が悪く行ってません。米軍の空母が入ると見に行ったりしました。少し前まで米軍のイベントがあり軍艦を見学出来たんですが、、、、。
バルチック艦隊を撃破したのは東洋人として嬉しかったんですね、東郷元帥は英雄で「東郷神社」まで日本にはあります。
今や一対一路で陸も海も宇宙も中共が脅威ですね、ロシアも脅威ですが。
武漢ウイルスには注意して出かけてください。私は2回目も接種したので少しは出かけることが出来ます。
ではまた。
- Fidelioさん からの返信 2021/06/09 12:50:20
- Re: お久しぶりです
- ひでじいさん 様
こんにちは!
こちらこそ、いつも投票やコメントを下さり、ありがとうございますm(_ _)m
私もこの日は猿島を訪れてから三笠を見学しました。東京湾にあんな自然豊かな島があるとは驚きですね。
以前横須賀軍港めぐりで船に乗った際に、米海軍空母のジョージ・ワシントンが停泊していました。ガイドの方によると空母が停泊しているのは珍しいとのことで、とてもラッキーでしたね。今の日本に空母はありませんから、初めて見たときはその大きさに驚かせられました。
最近はコロナの影響で軒並みイベントが中止になっているので、また自衛隊や米軍関連のイベントが再開されることを願うばかりです…
原宿自体にほとんど行かないので、東郷神社も行ったことがないんですよね。今度機会があれば意識してお参りしようかと思います!
ひでじいさんさんの静岡旅行記、空が快晴でとてもいいお天気だったようですね。海鮮も美味しそうですし、何よりきかんしゃトーマスは私が幼少の頃は人生そのものでしたので、懐かしかったです。
国防面においては隣国が脅威であることには変わりませんが、今はコロナが最大の敵ですね…
一応大量接種も進んでいるようですので、なんとか前倒しで早く打ってもらいたいと願うばかりです。
引き続き、感染対策を施しながら頑張っていきましょう!
Fidelio
- ひでじいさんさん からの返信 2021/06/12 08:59:04
- またまた、お邪魔します
- 以前は座間キャンプの花火大会、厚木基地の航空ショーなど毎年子供を連れて行きました。少しばかりアメリカンを味わえるので。おまけに刺激がありました。
数年前に横浜港に大型客船が3隻同時に入った時は見に行きました。まあ見るだけなのですが。
2回接種したので出かけたいですがイベントがすっかり減り行く所が無くなりました。
5月に計画立てた群馬の旅を再検討にします。
新型コロナ=武漢ウイルス →中共はコウモりからと 昨日のネットではまたまた中共はコウモリ説を公表しました。昔から中国はコウモリ食べていて今更コウモリ説はでっち上げ、オリンピックは参加させない制裁はどうでしょう。
後半は愚痴になりすみません。ではまた。
-
- マジェッドさん 2021/05/31 00:05:32
- 呉市の本庄水源地をご紹介いただき、ありがとうございました。
- Fidelio様
マジェッドです。
この度は、当市の本庄水源地(取水塔)をご紹介いただき、ありがとうございました。
三笠の操舵室の写真と、Fidelioさんの考察、拝見いたしました。
確かに似てますね。
実は、先輩職員が、同水源地の設計者に、英国人水道技師(パーマーとかバルトン)の名前がないか資料をあたってみたけど、辿りつけなかった――
という話もあって、私自身も半信半疑だったのですが、Fidelioさんの考察のとおり、(名もない)日本人海軍技師が、習得している知識を活用して設計した――
そのあたりに正解があるのではないかと、そう思い始めました。
これは見に行く価値がありますね。
コロナ禍が治まったら考えてみたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
まずはお礼まで
マジェッド
- Fidelioさん からの返信 2021/05/31 22:34:45
- Re: 呉市の本庄水源地をご紹介いただき、ありがとうございました。
- マジェッド 様
こんばんは、Fidelioです。
こちらこそ、大変興味深いお話をしていただき、ありがとうございました!
私も少し深堀りして調べてみました。
本庄水源地の設計者である海軍技師、吉村長策は工部大学校(今の東大工学部)の出で、本庄水源地の前には神戸の布引ダムの建設にも携わっています。ここで初めて知ったのですが、布引ダムの建築案を出したのがマジェッドさんの言われたバルトン(工部大学校の講師も務めた)というイギリス人技師でした。
工部大学校の教授たちはお雇い外国人のイギリス人がほとんどで、政府は日本の工業技術をイギリスから模倣しようとしたこと、そしてそこで学んだ吉村の工業の設計思想はイギリス仕込のものと言えるでしょう。
本庄水源地の取水塔と三笠の操舵室とが似てると言わしめる最も大きな要因は、取水塔の開閉バルブと三笠の速力指示器(エンジンテレグラフ)だと思います。両方に共通して言えるのは、「上から下へと動力を伝える」ということ。この部分の設計においては、同じイギリス流の技術が用いられたと言えそうですね。外観についても、布引ダムをはじめ当時の日本各地に作られた水源地がイギリス風の建築様式であり、その流れに沿って本庄水源地もイギリス風の構造物になったのでしょう。
このように考えると、本庄水源地の取水塔がイギリスで造られた三笠に似るのは必然だったのかもしれませんね。
長々と私見を述べてしまい恐縮でした(^_^;)
神奈川県東部は、横須賀のある三浦半島をはじめ、少し移動すれば古都鎌倉や江の島、横浜の中華街やおしゃれなみなとみらいなど見どころは多いのでおすすめです!
Fidelio
-
- mistralさん 2021/05/30 19:40:52
- 三笠
- Fidelioさん
こんばんは。
日本海海戦にまつわる戦艦三笠の旅行記
興味深く読ませていただきました。
いつもながら、歴史の一瞬に起こる出来事を詳しく、しかもわかりやすく
解説くださって、戦記物?に疎い私でも良く理解できました。
お若い男子(失礼!)ですのに、解説は丁寧にされていて素晴らしいです。
バルチック艦隊が何故破れたのか?
解説にありますようにはるばる地球を半周もしてたどり着いたのなら
息切れしたのも当然の事だったんですね。
お土産に購入された三笠のティシュケース
実用には不向きだったようで、残念な事でした。
mistral
- Fidelioさん からの返信 2021/05/30 21:49:48
- Re: 三笠
- mistral 様
こんばんは。
いつも旅行記への投票、コメントを下さり、ありがとうございます!
今回は少し長めの文章が続きましたが、お読み下さってありがとうございました!
そのように仰っていただけると私としてもとても嬉しく思います(^o^)
元々調べ物をすることや歴史が好きな性分であること、とりわけ近代日本の軍事史には強い関心がありますので、今回はいつにも増して気合を入れて書かせていただきました(笑)
ちなみにバルチック艦隊の経路について、なぜ最短かつ確実なロシア沿岸を通らなかったのか、ということですが、理由はとても単純で、北極に近いため港が凍ってしまい、通りたくても通れなかったためです。
そのため、ロシアのような寒い国では不凍港と呼ばれる1年を通して港が使える場所が重宝されるそうです。
三笠のティッシュケース、取り口が狭くティッシュを取ろうとすると途中で破れてしまうんですよね(^_^;)
「ティッシュケース」としてではなく、ティッシュケースにもなるペーパークラフトと考えれば少しはお得な感じはするでしょうか…
650円と高くはなかったので、まあお土産としては悪くないかなという感じです(笑)
Fidelio
-
- 横浜臨海公園さん 2021/05/30 13:04:39
- 日本海海戦の日
- Fidelioさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
過日5月27日は日本海海戦の日で、戦艦三笠を筆頭にロシア艦隊が撃滅した記念日です。
毎年恒例になっておりますが、当日は記念艦三笠艦上に於いて式典が開催され、開会式時に海上自衛隊横須賀音楽隊の生演奏で君が代斉唱がございます。
潮風に吹かれながら君が代を歌うと、一年間のストレスが発散する想いが致します。
その後は、各国在日海軍武官も招待され歓談の場となりますが、昨年今年と中止となり残念に思っております。
横浜臨海公園
- Fidelioさん からの返信 2021/05/30 15:19:46
- Re: 日本海海戦の日
- 横浜臨海公園 様
こんにちは、Fidelioです。
当旅行記をご覧いただき、ありがとうございました!
また、いつも私の旅行記に投票下さり、ありがとうございます。
5月27日ですと、ちょうど3日前ですね。
仕事が忙しく、この旅行記をボチボチ書きながらも全く意識しておりませんでした(^_^;)
三笠の艦上で式典が開かれることは小耳に挟んだことはありますが、横須賀音楽隊が演奏するのですね。君が代のメロディーは非常に日本的で旋律が美しく、私も聴いているだけでどこか体が軽くなるような感覚を覚えます。それが三笠で演奏されるとなると、その雰囲気もひとしおでしょうね。
今もなおコロナの影響が続きますが、早く状況が改善し自衛隊主催の式典や行事が例年通り行われるようになることを願うばかりです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
Fidelio
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