2018/08/10 - 2018/08/20
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giantpandaloverさん
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トスカーナの旅を終え、おまけでローマに戻る途中、ドゥオーモの美しいオルビエートと天空の町チヴィタ・ディ・バーニョレージョを訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8/17(金)、午前中にモンテプルチャーノからキウージまでタクシーで移動し、そこからローカル線でオルビエートへ。オルビエートの宿はドゥオモ脇のホテル・ヴィルジリオ(グレーの建物)。
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部屋は黄色。
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部屋からドゥオーモが見える。
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オルビエートのドゥオーモは1290年に当時オルビエートに移住していた法王ニコラス4世が礎石を置いてから苦節3世紀を経て完成。
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ドゥオーモ正面(ファサード)は14世紀の建築家・彫刻家ロレンツォ・マイターニのデザイン。
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最初に目を奪われるのは黄金のモザイクだが、実はモザイクは15~19世紀に何度か補修されているため、さほど古くはない。古いのはオルカーニャ作のバラ窓(14世紀)と下段に並ぶマイターニ作のレリーフ(14世紀)。
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特にマイターニ作のレリーフ(14世紀)は当時のレリーフの傑作と言われている。これは旧約聖書の天地創造の場面。右下はアダムの肋骨からイブが生まれるところ。
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こちらは「最後の審判」。右下が地獄。
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ドゥオーモ内のサン・ブリッツィオ(San Brizio)礼拝堂はフラ・アンジェリコとルカ・シニョレッリというルネサンスの巨匠2人によるフレスコ画で埋め尽くされている。
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礼拝堂の装飾は、1447年にまず天井のフレスコ画をフラ・アンジェリコと当時彼の弟子だったベノツッオ・ゴッツォリが描くところから始まった。ところが、2人が3時の方向の「天使と預言者」、6時の方向の「最後の審判」を描き終わったところで法王ニコラス5世からバチカンの二コリーナ礼拝堂の装飾に召集されてしまったため、礼拝堂の装飾はその後50年近く中断した。
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フラ・アンジェリコとベノツッオ・ゴッツォリによる「天使と預言者」。フラ・アンジェリコらしい優しく神々しい表情。
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フラ・アンジェリコとベノツッオ・ゴッツォリによる「最後の審判」。
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礼拝堂の装飾はその後ペルジーノに依頼されたが、ペルジーノは承諾せず、次いで依頼を受けたルカ・シニョレッリが残りの天井画を描くこととなった。シニョレッリの作品は評判が良かったため、側面のフレスコ画もシニョレッリに依頼されることになった。そのような経緯からシニョレッリは側面に黙示録と最後の審判を1500~1503年にわたり描くことになった。
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「地獄に堕ちた人々」。地獄に落とされた人々の苦悩と絶望の表情が描かれている。
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「地獄に堕ちた人々」(部分)。羽の生えたデーモンに連れ去られる女。
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「肉体の復活」。シニョレッリは様々なポーズの裸体を実際のモデルを使って研究したと言われている。
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「反キリスト者の運命の予見」。これが描かれたのはドミニコ会修道士サボナローラがフィレンツェで1498年に処刑されて間もない頃。シニョレッリはこの画に同時代人を描いている。画面右手に若きラファエロ、ダンテ、ボッカチオ、チェーザレ・ボルジアを描き、左手隅には自分とドミニコ会の修道衣に身を包んだフラ・アンジェリコを描いている。
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フラ・アンジェリコ(右)とルカ・シニョレッリの自画像。トスカーナ州のコルトーナ出身のルカ・シニョレッリ。コルトーナの司教区美術館に沢山シニョレッリの絵が展示してあったが、その時はさして良いとも思わなかった。しかしオルビエートのフレスコ画はシニョレッリの傑作と言える。
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「天国に選ばれし人々」。ルカ・シニョレッリの写実的な肉体描写はミケランジェロにも影響を与えたと言われている
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大聖堂の後陣。3面を覆うフレスコ画は聖母マリアの一生を描いている。1370年にシエナ派のウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオらが10年の歳月を費やして完成させた。
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後陣のステンドグラスはアッシジ出身のガラス職人ジョバンニ・ディ・ボニーノ作。デザインはマイターニと言われている。とても緻密なステンドグラスで製作に1328年から7年懸かったと言われて納得。
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オルビエートの南西10キロにある湖の町ボルセーナで1263年に起こった「ボルセーナの奇跡」(聖体のパンから突然血が滴り、聖体布が血で染まったという奇跡)の聖体布を納める「聖体布の礼拝堂」。
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「ボルセーナの奇跡」の聖体布を入れる聖遺物箱は今はドゥオーモ付属博物館にある。シエナ出身の彫金師ウゴリーノ・ディ・ヴィエーリ作(1337-1338年)。金箔を施した銀製でシエナのドゥオーモのファサードをモデルにしている。表面にはエナメルでボルセーナの奇跡とキリストの受難が描かれている。
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礼拝堂のフレスコ画は聖体祭儀の奇跡について描かれている。描いたのは後陣のフレスコ画と同じくシエナ派のウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオらで、後陣のフレスコ画に先立つ1357~1363年作。
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礼拝堂のニッチにあるシエナ出身リッポ・メンミの「慈悲の聖母」。メンミはシエナ派の巨匠シモーネ・マルティーニの義弟。
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教会を出て旧市街へ。老舗カフェのモンタヌッチ。
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今日の昼食はカウンターでアランチーニ。
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午後、タクシーでチヴィタ・ディ・バーニョレージョへ。
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チヴィタ・ディ・バーニョレージョは2500年前にエトルリア人が最初に作った町。エトルリア人は峻険な場所に町を作りたがる。
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2012年に映画「ホタルノヒカリ」で綾瀬はるかがこの細い陸橋をウェディング・ドレス姿で激走していたのを見て以来、一度来てみたかった。
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この橋、高所恐怖症の人にはなかなか厳しいです。
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チヴィタの町にあるサン・ドナート教会。
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教会内部。
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教会内部の聖母子像。
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チヴィタの町を映画を思い出しながら、ぶらぶら。
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夏の日は長い。チヴィタからオルビエートに戻ってドゥオーモ付属博物館へ。
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ドゥオーモを飾ったラ・マエスタのオリジナル。
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聖体布の聖遺物箱を展示している部屋は「アルベリの図書館」と呼ばれる場所。ドゥオーモの元大司教で、後の法王ピウス3世の家庭教師でもあった司教アントニオ・アルベリの蔵書を納める図書館として1499年に建てられたもの。
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周囲を飾るフレスコの中で特に目を惹くのが、窓枠に描かれた眼鏡を掛け読書する猿。開かれた本には、Legere et non intelligere est negligere (読書しても理解しないのは読書しないのと同じ)と書かれている。論語の「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし」に似ているが、論語の方が深い。
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ルカ・シニョレッリの自画像(左)。この自画像はパネルの裏側が有名。
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パネル裏の文書の冒頭にLUCAS SIGNORELIUS NATIONE YTALYとあるが、1500年当時に自らを「イタリア人」と名乗るのは珍しいとのこと。
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ルカ・シニョレッリの「マグダラのマリア」。
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シエナ派の巨匠シモーネ・マルティーニの「聖母子」。
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シモーネ・マルティーニ「聖母子」(1320年)。
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夕食はトラットリア・デル・モーロ。
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野菜のグリル。ズッキーニとナスとピーマン。
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夏トリュフのウンブリケッリ
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ウンブリケッリのアマトリチャーナ風
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トリッパのトマトソース煮。
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ステーキの夏トリュフ載せ。
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食事を終えてピアッツァに出ると既に明かりの灯る頃。
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オルビエートのドゥオーモもライトアップ。
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8/18(土)ホテルの朝食。普通のパンよりケーキの方が前面に出ている(笑)。
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法王宮。13世紀、当時の政治的事情から5人の法王がローマを離れてオルビエートに住まわれた。
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オルビエートの旧市街の端っこにあるサン・ジョベナーレ(San Giovenale)教会。創建は1004年と古い。ロマネスク様式の教会。
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内部には12・13世紀のフレスコ画が残されている。
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内部のフレスコ画。
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内部のフレスコ画。最後の晩餐の場面。
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ケーブル・カーでオルビエートの丘を後にする。
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11時にオルビエート駅から電車でローマへ移動。今年の旅も最終盤です。(4)に続く。
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