2021/04/12 - 2021/04/14
135位(同エリア141件中)
しんちゃんさん
- しんちゃんさんTOP
- 旅行記927冊
- クチコミ19件
- Q&A回答35件
- 3,680,934アクセス
- フォロワー27人
甲(よろい)を着た状態の成人男性と成人女性、幼児2人、合計4人の遺骨が発見された。場所は2012年(平成24年)、群馬県渋川市金井、国道353号金井バイパス(上信自動車道)の道路建設工事現場である。
これらは日本の発掘調査史上、大発見でした。
公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団は
『6世紀初頭の榛名山の噴火 に伴う火砕流で死亡したものである』と発表した。
写真は甲(よろい)を着た古墳人の復元です。
群馬県埋蔵文化財調査センターにレプリカが展示されているので見学した。
渋川市埋蔵文化財センターにもレプリカがありこちらも見学した。
折角なので、発見された金井東裏遺跡にも行ってみた。
噴火する榛名山に向かって祈りをささげようといていたのか?
地域の首長か・長(おさ)か?
当時としては最新鋭の甲(よろい)を2着も持っているのは普通でない!
渋川市には榛名山が噴火して火砕流が村を蔽い、イタリアポンペイの様に火山灰に埋もれた遺跡が点在する。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
-
1番目見学場所「群馬県埋蔵文化財調査センター」
ナビの案内がないと難しい!
群馬県渋川市北橘町(ほっきつまち)下箱田784-2 -
「発掘情報館」
ここの2階にあります。 -
受付_入館無料
-
写真_OK_素晴らしい_大好き!
-
展示室_発見されたの甲(よろい)
説明版からです。
【「甲(よろい)を着た古墳人」は、平成24(2012)年11月19日に発見されました。発見の一報で、 関係者が現地に集まり、古墳人が甲を着たまま火砕流により亡くなっていることを確認しまた。このような発見例は日本で初めてのことで、世界的に見ても貴重なものであることは言うまでもありません。すぐに甲の破片を事業団に持ち帰り、X線写真撮影をした結果、小札甲(こざねよろい)であることがわかりました。】小札甲(こざねよろい)は平成28年に新しく発表された内容で「小札は 骨製でなくニホンジカの角」でした。 -
発見された現場の写真。
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団の平成26年度調査遺跡発表会資料では…【4人の古墳人は、6世紀初頭の榛名山の噴火に伴う火砕流で死亡したものである。興味深いのは、古墳人の被災前の動きが想定できることである。甲を着た古墳人は、小札甲(こざねよろい)を着装し、冑(かぶと)を両手に持つようにして顔の下に置き、ひざをついて溝の中にうずくまるような姿勢で火砕流に襲われたように見える。・・・中略・・・ 甲を着た古墳人の被災状況については、発見当初の見解は修正の必要がありそうである。それは、甲を着た古墳人は「荒ぶる山の神を鎮めるための祈り」の最中に被災したのではない可能性があるということである。その根拠は、小札甲をき ちんと着装していない上に、肩甲などの付属具をフル装備していなかったとみられる点である。およそ威儀を正して祈りを捧げていたようにはみえないのである。また、周辺から発見された小札甲、矛なども、祈りの場に置かれたとみるよりは、避難させようとしていたとみるほうが理解しやすい状況である。】詳しくは「http://www.gunmaibun.org/kanaiura/iseki/iseki002.pdf」 -
ん~
良く判らない_よろいを開いた状態です
鎧(よろい)で無く
甲(よろい)と表現している -
【古墳時代の遺跡で、火山灰の中から当時の人が発見されたことはこれまでに例がなく、まして甲を着た状態で発見されたのは全国でも初めてで、貴重な発見となりました。】金井遺跡群NEW_Vol1より(次の写真URL参照)
-
さらに詳しい資料は金井遺跡群NEW
「http://www.gunmaibun.org/kanaiura/」
たくさんの資料あり。 -
「首飾りの古墳人」
説明版からです。
【身長 143.8cm の 30代の女性です。出土状況からすると、右手を顔面の前にだして顔をかばうようにした状態で、左足を軸に身体を捩じるように倒れたと推定されています。頭蓋骨の形質分析と、歯根のストロンチウム同位体比分析から、在来の関東から東北の古墳人の系統ですが、西からの移住者である可能性が示されました。 首に約 70個のガラス玉と12個の管玉の首飾りをつけていました。左腰に臼玉 21個を入れた小袋を提げていたとみられています。筋付着部の発達から肉体労働に従事していたことが想定され、寛骨に妊娠出産痕がみられたことから、出産経験があるようです。臼玉を入れた袋は日常的に提げていたのか、あるいは何かマツリをするために用意したのか興味深いところです。】 -
「首飾りの古墳人」
群馬県以外の育った!
長野県伊那谷あたりで育った! -
甲(よろい)を着た古墳人がいつ亡くなったかの説明。
-
甲(よろい)を着た古墳人がいつ亡くなったかの説明。
-
甲(よろい)を着た古墳人がいつ亡くなったかの写真
つまり、説明版抜粋では
【「S1・S2は降下火山灰で、遺跡では火山灰が降った後、人や馬が火山灰の上を歩いて、避難している。
S3, は火砕流堆積物で熱雲・熱風状のものだったといわれています。遺跡では人が亡くなり、建物が倒壊しました。】
2014年群馬大学の発表では、第一回目の噴火は6世紀前半よりやや古く,5世紀末の 497年前後、二回目は 522年前後らしい。「https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/9916/1/05_HAYAKAWA.pdf」 -
「赤玉」??
-
「ベンガラ」??
【日本では、江戸時代にインドのベンガル地方産のものを輸入したために[1](天竺国であるベンガルの地名が起源)「べんがら」と名づけられた。天然に産するもの・赤鉄鉱もあるが、現在市販されているベンガラ・弁柄は合成されたもので工業用ベンガラである。】Wikipediaより -
金井東裏遺跡ではベンガラを製作・販売していたらしい。
陶器や漆器、また防虫、 防腐効果があり、家屋にも塗られたようです。
【首里城 - 復元時に建物をベンガラ色に塗った。】Wikipediaより -
その他の展示物
-
「胸に手を当てる女性」
-
「胸に手を当てる女性」説明
-
「太刀を腰にさげる男性」
-
「太刀を腰にさげる男性」説明
-
-
「御明(みあ)かし」
縄文時代中期の吊り手形土器。集落の限られた家にだけ置かれた。縄文人は何を畏(おそ)れ、祈ったのだろうか。 -
墓の守り神
小八木志志貝戸(こやぎししかいと)遺跡の人形土器。 弥生時代後期中頃(2世紀ころ)のもので、 墓地と考えられる場所から出土した。 -
墓の守り神
-
2つの孔が開いた壺
-
2つの孔が開いた壺説明版
-
所狭しと展示物
-
凄い量の展示物
-
2番目見学場所「渋川市埋蔵文化財センター」
群馬県渋川市北橘町真壁2372番地1 -
ま・展示内容は「群馬県埋蔵文化財調査センター」とほぼ同じ
“こじんまり”していた。 -
金井東裏遺跡
甲(よろい)を着た古墳人が発見された場所の鳥瞰図 -
金井東裏遺跡
一回目の噴火で避難した足跡らしい!
古墳人の足跡、指先まではっきりしているそうです。
馬蹄跡もあります。 -
赤玉・ベンガラの塊
商売繁盛していたらしい。 -
浅田遺跡および周辺遺跡
宇津野・有瀬遺跡、黒井峰遺跡、浅田遺跡、金井諏訪古墳群 -
3番目見学場所「金井東裏遺跡」
群馬県渋川市金井1842
「金井本陣児童公園」
を東に600mほど、上信自動車道の高架下 -
残念ながら、発掘の跡形もない。
-
こんな標識しかない。
-
ま・無いよりましか!
-
上信自動車道の高架橋
-
金井東裏遺跡の看板があった。
-
金井東裏遺跡の看板
-
金井東裏遺跡の看板
-
金井東裏遺跡の看板
-
金井東裏遺跡の看板
遺骨から復元した古墳人 -
せめて発見した状況を埋めないで欲しかった!!
-
貴重な発見場所
-
淋しい遺跡
-
淋しい遺跡
-
1号墳跡
-
何もない貴重な遺跡跡
-
東側は吾妻線と吾妻川の崖
ーーー以上遺跡見学終了ーーー
(誤字脱字ご了承下さい、追々訂正します)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
しんちゃんさんの関連旅行記
渋川(群馬) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
53