2021/03/16 - 2021/03/17
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Yasoさん
コロナ禍で自粛モードの中,「県内を歩く」というのを思いつきました。ただ県内を歩くといっても何かテーマが欲しいと思い,街道を歩いてみる事にしました。
まずは木下街道です。現在の木下街道(県道59号線)とはちょっと違う様で,利根川(木下)から江戸川(行徳)を結ぶ旧木下道を出来るだけなぞって歩こうと思います。
ようやく現代の木下街道(県道59号線)に入り,3つ目の宿場である白井宿を目指します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
ラーメン屋を見つけますが,12時頃なので混んでます。この時間じゃダメか・・・?先を歩き続けます。
写真=道脇の緑の中に「赤い庚申塔群」が
珍しくね?とりあえず目立ちますね。血の色なので,下手すると怖いですよね。 -
「印西、白井」辺りで「病魔除けのため」に赤く塗るって説があるそうです。
写真=これなんかタレ具合がモロにホラーです(苦笑) -
神崎川を渡ります。これも一級河川だそう。
-
さて,この写真のメインはどこでしょう?
「神崎川土地改良記念碑」が目立ちます。が違います。意表をついて,後ろのドイツ国旗を思わせる壁?違います。
真ん中の小さい「伊勢宇橋」の石碑がメインです。「だったらこの石碑をアップで撮れよ」って突っ込みが入りそうですが,後でこの石碑に気付きました(苦笑)。
伊勢屋宇兵衛を略して伊勢宇。伊勢屋宇兵衛は「江戸後期の浅草の豪商」で,私財を投じて日本橋から地元江戸崎(茨城県稲敷市)まで約100の石橋を架けたとの事。
石碑に小さく「八十六ヶ所目」とかありますが,ここに86番目の橋があったそうです。 -
写真=いい感じのお宅です
この辺りはもう3つ目の宿場,白井宿に入ってると思われます。 -
この辺ホントに歩道が狭くて,車道も狭いです。木下街道は「現在でも大変交通量の多い道路,渋滞の多い県道として知られている」との事ですが,結構通ります。
と,僕の脇で突然トラックが止まった・・・。
「こんな狭い所歩いてんじゃねぇ!」とか言われるのかと一瞬身構えてしまいましたが,対向車とすれ違うのに苦労している模様。ドライバーさんも大変ですね。 -
写真=本白井郵便局ですが,この辺りが白井宿の中心部だったそうです
-
写真=「秋本寺」です
「秋元勝光という武士が、下総国中山で日蓮の説法を聞き,感銘をうけ建てた法華経堂が寺院化したものが起源」との事です。
写真左に寺で運営しているという「白井保育園」が少し写ってます。
で「毘沙門天安置」とありますが,しろい七福神めぐりの1つにもなっている様です。
更にその表示からやや右に,銀色の小さい焼却炉?とか思ってしまったものがありますが,謎の「銀の丸ポスト」だそう。 -
あ,寄り道する所忘れてた!と少し戻ります(苦笑)。
写真=鳥見神社です
石造鳥居は「正徳3年(1713年)に建てられた」らしく「市内では最も古く,市の歴史を考える上で重要なもの」との事。 -
写真=そろばん博物館です
営業してなくて入れませんでした。10年程前に開館したそうですが,いろんな種類のそろばんがあり,そろばんに特に興味なくても楽しめる様です。
ちなみに丸ポストは現役だそう。 -
写真=国道16号線を渡ります
国道16号線は「東京近郊を環状に結ぶ数少ない道路であり、日本で起点と終点が一致した環状国道は、本道と国道302号のみ」って,え!?16号線が環状線って・・・海があるでしょ?と思ったら「海上区間」という定義だそうです。知らなかった!(ちなみに302号線は名古屋環状2号線との事)
「東京湾を横断する第2の道路として東京湾口道路を建設する構想が」あったそうですが,第1の道路(アクアライン)が赤字出し続けてるから凍結状態だとか。へえ~,全然知らなかった! -
写真=こちらは木下街道です
16号線と違って「全線において片側1車線」だそうで,だから渋滞多いんですね。
所で,13時過ぎてもまだ昼食にありつけない有様です。ひたすら歩いて・・・。 -
ようやく昼飯だ!
写真=豚肉のピリ辛みそ炒め定食です
普通の定食に,おかわり自由のサラダバー付き!ごはん&みそ汁もおかわり自由でした。これでエネルギー補給はよし! -
写真=白井市役所です
「庁舎整備工事が完了し」2018年に「全面開庁」したそうです。 -
写真=念仏塚停留所辺りに石碑が
石碑に,読みづらいですが「東 白井 木下」「西 鎌ヶ谷 中山」とある様です。道標としても使われていたんでしょう。 -
写真=北総線を渡ります
北総線は「千葉ニュータウン事業の一環として建設された」そうです。ここから最も近いのは白井駅ですが(写真は西白井駅方面です),この辺は「1979年開業」との事。
忘れもしない。子供の頃,友達が千葉ニュータウンに引っ越して,遊びに来た事があったっけなぁ。「暫定的に新京成線に乗り入れ、松戸駅まで相互直通運転を開始」って,そう!確か新京成で乗り換えずに西白井まで行ったような気が!
長くなりそうなのでこの辺で・・・(苦笑)。 -
写真=「競馬学校」入口です(実際の入口は数百m先の様ですが)
「日本中央競馬会の騎手および厩務員の候補生を育成する」施設だそう。1982年に「世界に通用する強い馬づくり、そのために必要な人づくり」をスローガンに設立されたとの事。
「生徒は全て寮に入る全寮制」で「騎手課程は1学年あたり概ね10名強、厩務員課程は約25名で構成される」そうな。
施設はかつて「中山競馬場の白井分場として現役競走馬の調教が行われていた」と。そうなんや。 -
写真=競馬学校入口のすぐ隣に「天神社」がありました
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ここにも庚申塔群が。
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写真=敷地内に「白井新田村造四百年記念」なる石碑が
歴代徳川将軍の名と地元村長(?)の名が時代順に並記されてる様です。興味深いですね。ちゃんと記録が残ってるんだ。
写真だとほとんど分からないですが「後藤」「鈴木」「橋本」「秋本」姓が目立ってました。秋本姓は先程の「秋本寺」関係でしょうか。繋がってますねぇ。 -
この辺から鎌ヶ谷宿まで,特に見どころはなさそうです。
写真=酒井医療白井工場前停留所辺りです -
更地に門だけ無残に残っています・・・。何の跡でしょうか。
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だんだんとお店が増えてきました。
写真=コーラの自販機がたくさん!工場?倉庫?
この辺りから鎌ヶ谷市に入ります。 -
写真=「魚文の句碑」です
「松尾芭蕉の高弟,服部嵐雪」高弟は弟子の中でも特にすぐれた者のことだそうです。「服部嵐雪の直系(3代目?)大島蓼太(りょうた)」で「大島蓼太の高弟」が三級亭魚文との事。句界では芭蕉の存在はとてつもないってのが分かる説明文ですねぇ。
その魚文が,旅の途中で鎌ヶ谷を通過したときに詠んだ句だそうです。
この句碑,結構大変な思いをして撮りました。というのも・・・ -
写真=こんなタイムズスクエア状態の所にあるからです!
なかなか危険と言えば危険です(苦笑)。僕が通った時もそこそこ交通量ありました。
所で,鎌ヶ谷は江戸時代「釜原」といったそうです。
江戸時代の画家,渡辺崋山の「釜原」の図は「鎌ヶ谷宿を通った所にスケッチしたもの」だそうで「鎌ヶ谷市役所市民課前のロビーにタイルで復元されて」いるとか。 -
イチオシ
「大仏」と名のつく店が多くなって来た,と思ったら・・・
写真=「鎌ヶ谷大仏」です!
噂は聞いてましたが,大仏にしては小さいです。(台座抜いた)高さ1.8mだそうで。ちなみに奈良の大仏が約14.7mらしいです。うん小さい。
安永5年(1776年),鎌ヶ谷宿の住人である大国屋(福田)文右衛門が「祖先の冥福を祈るため」に江戸神田の鋳物師に鋳造させたとの事。
「明治時代の廃仏毀釈を乗り越え,太平洋戦争中の金属供出も拒否して守られた」そうなので,地元の人々にかなり愛されている大仏さんの様です。
ちなみに大仏は墓地にあります。で,この辺から4つ目の宿場の鎌ヶ谷宿になるそうな。 -
同じ墓地の敷地に,
写真=「官軍兵士の墓」があります
慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際,この辺りでも「『市川・船橋戦争』とよばれる激しい戦闘が行われ」たとか。全然知りませんでした。
鎌ヶ谷でも小戦闘があり「鎌ヶ谷宿に駐屯していた佐土原藩(現宮崎県)兵の蓑毛次右衛門と巳之助の2名が戦死」したそうで,この墓石は明治19年(1886年)に建立されたそうです。 -
写真=鎌ヶ谷大仏駅前通りです,鎌ヶ谷宿跡ですね
-
鎌ヶ谷八幡神社に寄ってみます。
「八幡信仰は九州の宇佐八幡宮に始まり」「東大寺大仏の完成を機に」「都に進出し」たらしいです。ふ~ん。
写真=鎌ヶ谷八幡神社入口の鳥居です -
写真=境内に「百庚申」があります
天保12~13年(1841~42年)にかけて建てられたとの事。「青面金剛像を彫った刻像塔10基と『庚申塔』と文字を彫った文字塔90基で構成」されている,と。
百庚申は江戸時代後期におこり,下総地方を中心に流行したそうです。 -
写真=左の方の「青面金剛王」と彫られているのが「庚申道標」です
読んで字のごとく,庚申塔であり道標も兼ねていた様です。 -
「奈良朝から平安朝にかけて全国的に沢山の山林や原野が拓かれた」そうですが,第53代淳和(じゅんな)天皇の命令で下総国でも拓かれたそうです。この拓かれた所に「官馬を放し飼いする下総小金の五牧が置かれた」との事。
淳和天皇の時代は「823~833年」です。そんな頃から小金牧ってあったんだ?驚きました。というか,いつの頃からとか考えもしてませんでした。
写真=鎌ヶ谷八幡神社の拝殿です
さて,鎌ヶ谷大仏駅から一度帰ります。本日39492歩でした。 -
3月17日
写真=鎌ヶ谷大仏駅からスタートです
新京成電鉄の駅で1949年に開業。「日本で唯一『大仏』と名前がつく駅」で「関東の駅百選」に認定されているそう。 -
写真=「旧旅籠丸屋」です
鎌ケ谷宿には七軒の旅籠屋があったそうですが,丸屋は唯一現存する建物との事。
明治26年(1893年)の大火後,「3~4年かけて再建した」らしいです。 -
写真=延命寺です
寛永年間(1624~1644年)に「中山法華経寺の末寺として建立された」そうです。現在は身延山久遠寺が総本山との事。
この延命寺までが鎌ヶ谷宿だったとか。 -
写真=境内に目立つ楠木がありました
ちなみに鎌ヶ谷大仏があった墓地はこのお寺の飛地墓地だとか。 -
しばらく歩いて・・・
写真=「道標地蔵」です
これも読んで字のごとく,道標であり地蔵である様です。正徳5年(1715年)のもので「道標として市内最古」で「地蔵に道標が刻まれているのは市内唯一」とか。 -
道標地蔵は「清長庵」の敷地にあります。
写真=敷地には他にもいろいろな石碑が -
船橋市に入ります。馬込十字路を渡って少し行くと・・・
写真=煙突を見つけました
最初は銭湯?と思ったのですが,違うようです。建物だけ解体されて煙突だけ残ったのでしょうか。謎です。 -
東武野田線の踏切の直前に,
写真=「馬込天満宮」がありました
ちなみに先程の新京成電鉄も踏切でしたが,木下街道では踏切も「渋滞の要因となっている」そうな。 -
敷地には公園もありました。これって・・・別に珍しくもない?(笑)
階段上ってるので,眺めはいいです。 -
延宝2年(1674年)「藤原正清らがこの辺りを開梱」したそうで,この天満宮もその頃に創建されたとの事。
写真=馬込天満宮の拝殿です -
ちょっと馬込沢駅に寄ってトイレにも行くか,と思いつつ駅を目指しますが,ちょうど通勤中&登校中の人が結構いました。
その中の子供に突然「これ落としましたよ」と呼び止められました。見ると何らかの「合格証」で,とりあえず僕のじゃない。「子供かなぁ」,いや,でもこれってレベル高そう。子供のものじゃなくね?とか思いました。結局,よく分からないままでした。
駅は中入らないとトイレ無さそうだし・・・。
写真=馬込沢駅です
1923年「法典駅として開業」して翌年に馬込沢駅になった模様。 -
すごいサボテンを見つけました!よくこんなに成長しましたねぇ。
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「藤原神明社」です。
-
写真=左が本殿です。
さて,ここから少し行った所に,何やらずっと奥の方まで続いてる林道があったのですが「私道につき 安川」とかあってビックリしました。え,これって個人宅なの!?安川さんって一体・・・。
どうやら安川家は地元の名士であり,この辺りが藤原新田村と呼ばれていた頃に「安川塾」という寺子屋を開いて「塾長は安川家の当主が代々勤め」ていたそうです。
「昔は安川の土地を出ずに東京まで行けた」という伝説?もある様なので,相当な土地の広さと思われます。 -
写真=「藤原観音堂」です
堂内に安置されている木造観世音菩薩立像は江戸時代前期のものだそうです。
別名「身代観世音」です。「京の都で有名な仏師であった感世が,観世音菩薩像を造った後,盗賊に襲われ刀で切られるも無傷。あら不思議,観音像から血が流れていた」という事で厚く信仰されたとの事。なるほど,こういう話結構好きです(笑)。 -
藤原観音堂はあの宮本武蔵ゆかりの地とも言われるそうです。
「武蔵の隠れ家だった」という説がある様ですが「吉川英治の小説の中だけの話」ってな説もある様で,いまいち微妙な所です。
写真=藤原観音堂の敷地にある「忠魂碑」「法典村記念碑」です
ちなみに法典村は1889年~1937年に存在していた村だそう。
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写真=「七面堂」です
敷地にはお墓や石碑がありました。 -
写真=武蔵野線の船橋法典駅です
1978年に開業で,工事中の仮称は「北船橋駅」だったそうな。へえ~。
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写真=船橋法典郵便局です
形がユニーク,八角形? -
市川市に入りました。北方(ぼっけ)十字路のすぐ近くに
写真=「白幡神社」があります -
中山競馬場のすぐ近くですので,馬繋がりで絵馬の効果も絶大かもしれません。いや,責任は持てませんけど(笑)。
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神社のすぐ後ろに中山競馬場の建物が見えます。
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というわけで寄り道です。
写真=中山競馬場の正門です
「中山競馬場の起源は1907年(明治40年)に千葉県東葛飾郡明(あきら)村岩瀬(現・松戸市岩瀬)につくられた松戸競馬場」だとか?へえ~。
当時,競馬は国が認めたギャンブルで各地に競馬場があったってのは聞いた事があります。大人になってから知りましたが,我が松戸にも隣りの柏にも,かつては競馬場があったんですね。ビックリしました。 -
松戸競馬場は「交通の便がよかったことからも1918年(大正7年)に陸軍に接収されてしま」うそうです。で「東葛飾郡中山村若宮(現・市川市若宮)へ移転し,1920年(大正9年)に(旧)中山競馬場として開設された」との事。
しかし「内部の利権争いから競馬の開催ができない状態が続き」再び移転となるそうです。
次の移転先は「行徳海岸(東葛飾郡行徳町【現・市川市原木】)」ですが・・・
写真=中山競馬場の中央門辺りの屋根です
少し歩いて,信号渡って戻って来ようと思いきや,信号全然ない!とりあえず進みます。 -
なんと!1923年(大正12年)「 関東大震災の大津波で、完成間際の行徳競馬場が壊滅的な打撃を受け」またまた移転!
1927年(昭和2年)「(旧)中山競馬場に隣接する(現)中山競馬場(東葛飾郡葛飾村古作【現・船橋市古作】)へ移転」する事でようやく落ち着いた様です。
いや~こんな歴史があったとは,全然知りませんでした。
写真=中山競馬場の南門辺りです
結局,行く所まで行ってようやく信号渡ります。競馬場過ぎてるし(苦笑)。 -
写真=中山競馬場の「メモリアルゲート」です
「旧正門を復旧したもの」だそうです。 -
写真=北方十字路です
1km程寄り道しましたが,木下街道に戻ります。 -
さて,木下街道を行くぞー!と思ったら
写真=やたら広い駐車場を発見
え,何この広い駐車場?と思いましたが,普通に中山競馬場のでした。
ちょっと北方(ボケ)てました(苦笑)。 -
また寄り道で「美濃輪台遺跡」を探します。
写真=今は美濃輪公園になってる様で
縄文時代早期の遺跡で,炉穴(ファイアーピット)が発見されたそうです。炉穴とは「屋外で火を使って調理するために作られた施設」で「地面を浅く楕円形に堀り、中に入って火を使」うのだとか。
7000年くらい前に多く作られたらしいです。
ちなみに馬込沢駅からまだトイレを探していて,そろそろヤバい状況になってました(苦笑)。
いや~トイレってホントに見つからないもんですねぇ! -
木下街道に戻りしばらく行くと,洋風のしゃれた建物が。
写真=「東山魁夷記念館」です
東山魁夷は「昭和を代表する日本画家の一人で、風景画の分野では国民的画家といわれる」とか。名前は聞いた事ありましたが,それほどの人だったとは!恥ずかしながら知りませんでした。
「戦後まもない1945年から1999年に逝去するまでの、およそ半世紀にわたり市川市に住み」「私の戦後の代表作は、すべて市川の水で描かれています。」と語った程,市川との縁が深いようです。へえ~。
記念館の建物は魁夷が若い頃に留学したドイツを思わせる造りになっているそうな。2005年開館との事。
コロナの影響で休館中でした。 -
イチオシ
次に寄り道で法華経寺に寄ってみます。
大規模なお寺だからすぐ見つかるだろうと思いきや,木下街道から脇道を通ってくると,案内板も全くなく少し迷ってしまいました。参道を通れば迷うなんてありえないでしょうけど。
写真=「法華経寺」の山門(赤門,又は仁王門)です
山門を見た時,そのスケールの大きさに,木下街道で見てきた神社・寺とは「格が違う!」とか思いました。
「昔は高い建物もあまりなかったので、行徳の北の方からも見えた」らしいです。 -
山門の脇に・・・
写真=日本の宗教家の中でも超ビッグネームの一人,日蓮の像です
この像もデカいです。しかも後光が差してます!
・・・はい,太陽をバックに撮っただけです。 -
日蓮宗の総本山は身延山久遠寺で,それに次ぐ大本山が7つある様です。そのうちの1つがこの「法華経寺」です。
なので敷地が広い!
写真=石畳の道をしばらくいきます
石畳の両側は日蓮宗のお寺がいくつも並び,それを抜けるとようやく法華経寺の建物が現れます。 -
ようやくトイレに行けました!さっぱりしたー!
すかさず飲み物(アップルティー)を購入。これで観光に専念できます。
写真=法華経寺の敷地,広々してます -
鎌倉時代中期,建長年間(1249~1255年)の頃「この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ」「下総国守護千葉氏の被官(部下?)である富木常忍(ときじょうにん)と太田乗明(じょうみょう)が館を構えて」いて,彼らは「日蓮に帰依してその有力な檀越(だんおつ=檀家)と」なったそうですが,これが法華経寺の始まるきっかけだそうで。
写真=結構すごい木がありました。ケヤキだそうです。 -
富木・太田両氏の館には「持仏堂が建立され」「のちにそれが寺院となった」らしく,「若宮の富木氏の館は法華寺,中山の太田氏の館は本妙寺」だったそうな。
戦国時代の天文14年(1545年)以後「両寺が合体して法華経寺を名乗る」事になったそうです。
写真=お墓?がたくさん集まってます -
写真=法華経寺妙見堂です
北極星は動かず,そこを中心として星々が動いてる事から神格化された様です。
「妙見とは北極星、こぐま座α星の仏教語」だそうで「妙見信仰」ってのがあったんですね。知りませんでした。 -
写真=法華経寺刹堂です
「十羅刹女,鬼子母神,大黒様が」祀られているそうです。「江戸幕府三代将軍徳川家光公の時代に鎌倉に建てられていた建物を移築したもの」だとか。
「日光東照宮の眠り猫などで有名な名工,左甚五郎の建築とも伝えられ」ているそうですが,実際はどうなのでしょうか? -
写真=重要文化財の法華経寺法華堂です
法華堂は法華経寺の本堂だそうです。
「富木常忍が若宮の館に建立し,後にこの中山に移されたと伝えられ」
「現在の法華堂は様式から室町時代後期に再建されたもの」と思われるとか。
-
法華堂の前には
写真=やはり重要文化財の法華経寺四足門があります
四足門は「鎌倉の愛染堂にあったものをこの地に移したと伝えられて」いるとの事。法華経寺では「本院の玄関門」だった所「明治になって法華堂前」に移されたそう。
建築年代は法華堂と同じく室町時代後期と思われるらしいです。ただ,昭和10年に解体修理が行われ「大部分の部材が新しいものと取り替えられ」た様です。
今は門として利用されてない状態ですね。 -
イチオシ
写真=法華経寺宝殿門です
四足門は門としてすら使われてませんでしたが,こちらは門だけでなく「回廊」としても使われている様で。
脇から通路が繋がっている,この造りいいですね。門としてユニークだと思います。個人的に気に入りました。 -
写真=重要文化財の法華経寺祖師堂です
祖師は仏教で「一つの宗派を開いた人」の事だそうで,祖師堂は日蓮を祀る堂だとか。
鎌倉時代の正中2年(1325年)に創建され,「当時は柱と柱の間が5つある五間堂という造り」だったと。その後「焼失などのため幾度か再建があり」現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝6年(1678年)に建立されたものとの事。
堂の造りは七間堂で,横から見ると・・・ -
イチオシ
写真=屋根を2つ並べた様な特徴的な造りです
この造りを「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」というそうで,この造りの屋根は「全国的にも大変珍しく,他には岡山県にある国宝の吉備津神社本殿だけ」だそうです。
全国に2つって事ですね。それは珍しい。 -
イチオシ
写真=重要文化財の法華経寺五重塔です
「日本刀の研磨を生業とした一族」である本阿弥家。現代も続いている様ですが,その一族の「本阿弥光室が両親の菩提を弔うために,加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したもの」だそうです。
建築年代は元和(げんな)8年(1622年)。塔の高さは約30mで「近世の五重塔としては標準的な規模」だとか。 -
写真=法華経寺の大仏です
通称「中山大仏」と呼ばれているらしいです。
享保4年(1719年)に鋳造されたそう。像の高さは約3.4mらしく,鎌ヶ谷大仏よりは高いですね。 -
写真=法華経寺大荒行堂です
毎年100日間の日蓮宗大荒行がこの堂で行われるそうです。
荒行ってよく聞きますが「苦行のなかでももっとも過酷な肉体的苦痛を課すもので、ときには死を覚悟して行われる」もので,それが今でも行われてるのはちょっと驚きです。
しかもここの荒行は「世界三大荒行」の1つだそうです!ちなみに2つは日本の荒行だそうで,誰が選んだのか分かりませんが。
日蓮宗大荒行の詳細は「早朝2時に起床し、朝3時、一番の水から午後11時まで一日7回、寒水に身を清める『水行』」「お堂の中でひたすらお経の読誦と写経を続け」「足袋をはくことは許されず、常に素足で修行(11月から2月という季節です)」「朝夕2回、梅干し一個の白粥の食事」「家族や友人と連絡を取ることも許されず」とこんな感じです。
「寒さと飢えと睡魔に耐えながら、外界から完全に遮断された環境で、ひたすら修行を続ける」とか。いや~純粋にすごいと思います。 -
いろいろ見所の多い法華経寺でしたが,最後に個人的に面白いと思ったネタを。
法華経寺には日蓮の書いた2つの国宝「立正安国論」「観心本尊抄」をはじめとして,多数の仏典が保管されているそうですが,日蓮の書いたものの裏から鎌倉時代の古文書が発見されているとか。
富木常忍が提供した千葉氏関係の事務書類を,当時は紙が高価だったというのもあり,日蓮が裏返して使用した結果,偶然残されたとの事。
やりましたよ,僕も子供の頃。チラシやテストの裏に落書き(笑)。
「歴史に残りにくい人身売買や借金の実態など,当時の東国社会の生々しい現実を知る貴重な資料」となっている様です。
「おーこれは日蓮の書いたものだ!」パッと裏をみたら「お,こっちは鎌倉時代の事務書類!」1枚で2度おいしい,みたいな。
こういうのを「紙背文書」というとか。ちゃんと名前もついてるんですね。知りませんでした。
写真=法華経寺本院です -
写真=法華経寺銅製多宝塔です
さて長居しましたが,法華経寺を出て木下街道に戻ります。
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