2021/03/23 - 2021/03/23
8位(同エリア4430件中)
SamShinobuさん
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僕は昔からこの町を目的もなくほっつき歩くのが好きで、何十年も毎月のように通っていた。だから名前もない路地裏まで足が覚えていて、歩き出すと止まらなくなる。ある晴れた春の日に、僕の大好きな神保町の懐かしい風景を追ってみた。今回は過去の画像も交えながら、いつもながらの駄弁を弄してみたいと思う。
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2021年3月23日
半蔵門線神保町駅のホーム。神保町交差点方面の出口へと向かう。 -
西安麺荘秦唐記 神保町店
2017年に上海で初めてビャンビャン麺に出会った時の衝撃は忘れられない。まずこのビャンという漢字が恐ろしく複雑で、なんと58画もあるそうだ。いくら漢字の国とは言え、見ていたら部首の樹海に迷い込んでしまいそうだ。そして出てきた麺を見て、更に驚いた。なんと麺の幅が3〜4センチもあり、何かの冗談としか思えなかった。それでも高温の油をかける汁なし麺は、名前や見た目のインパクトだけでなく、パンチのある辛さと旨味が絶品だった。それから日本でこのビャンビャン麺を探したが、なかなか見つからない。やっと横浜中華街の蘭州牛肉拉麺で再会したのは、昨年のことだ。そして神保町にもビャンビャン麺専門店がオープンしたと知り、こちらもずっと気になっていた。 -
開店と同時に入店したので、一番乗りだ。
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壁にはビャンビャン麺の文字が。
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ビャンビャン麺の定番である、油溌面(ヨウポー麺)という油そばを注文する。麺の太さはビャンビャン麺と、それより更に幅広の褲帯麺(ベルト麺)から選べる。よく見ると、僕が本場で食べたのはベルト麺の方に近かったので、ベルト麺にした。100円のパクチーをトッピングして、計950円。辛さも選べるので、一番辛い「激辛」をチョイス。
麺は注文を受けてから手打ちするので、ガラスごしに厨房を覗くと麺を伸ばす作業を見ることができる。汁なし麺には、麺の茹で汁「面湯」が付く。これは消化を助けてくれる効果があるそうだ。 -
よくかき混ぜて、実食。打ち立てのモチモチの麺に絶妙なタレが絡まって、非常に辛いが旨い!香辛料や香草、酢等の風味が口の中に広がると、一瞬中国にいるのかと錯覚してしまうほどだ。
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今荘(いましょう)
西安麺荘秦唐記から神保町方向に向かって進み、専大前交差点を右折すると、1897年(明治30年)創業の老舗鰻屋が凛として建っている。この建物、いつ見てもいいなあ。 -
1933年(昭和8年)竣工の木造3階建てだが、唐破風の玄関、千鳥破風の屋根、そしてその間に洋風とも言える丸窓を配したデザインはユニークだ。周りを集英社などの近代ビルに囲まれているので、そこだけ昭和な建物が余計に目立つ。
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通りの向こう側に建つ町中華の「成光」が同じく昭和初期の看板建築なので、今荘と共に急激に発展する都市化の波にささやかな抵抗をしているかのようにも思える。
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12~13年前までは1800円で鰻重を食べさせてくれる超激安な鰻屋として有名だった。それがいつの間にか2500円になり、とうとう数年前から3500円まで値上げしてしまう。近年の鰻の高騰から考えれば仕方のないことだが、馬鹿みたいに安かった頃を知っているだけに残念だ。それでも今時東京のど真ん中で、この鰻重を3500円で提供できるのは驚きである。という訳でここはあくまで庶民的な鰻屋であって、その長い歴史や時代を感じさせる店構えに惑わされてはいけない。おばちゃんの気さくな接客こそ味わいがあるが、高級な鰻屋のサービスを求めてはいけない。
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☆店内は2021年3月10日訪問時の画像。
建物は千代田区の景観まちづくり重要物件になっている。
この日は久しぶりの訪問だった。昔馴染みの名店がコロナの影響で次々と閉店に追い込まれている現状において、心ばかりの応援の気持ちもあった。
店のメニューは3500円(税込)の鰻重のみ。これに肝吸いと漬物がつく。松竹梅などと面倒なことは言わないところが、江戸っ子の粋を思わせる。そう、鰻重や鰻丼はもともと江戸の郷土料理なのだ。余談だが、鰻が出てくる江戸落語も多いし、土用の丑の日に鰻を食べるのは、平賀源内の発案だというのは有名な話だ。 -
この日は鰻が焼けるまで、瓶ビールを嗜みながら待った。アサヒスーパードライが身体の隅々に行き渡る頃、お重が運ばれてくる。
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継ぎ足しのタレは甘みを抑えた老舗のこだわりが感じられ、一口頬張れば香ばしい鰻のほくほくした歯ごたえに、全身が幸福に満たされる。これなら3500円でも格安である。
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支払いの際に、「久しぶりに食べたけど、味変わってないね。美味しかったよ」と言うと、おかあさんだろうか、「良かった。代替わりしたんで、宜しくお願いします」と、焼き場の4代目を紹介してくれた。因みに屋号の「今荘」は、初代の今津荘松さんからとられたのは想像に難くないが、4代目のお名前が今津荘一さんと伺ってそれを確信した。
たまたまお客さんがいなかったので、お断りして写真を撮らせてもらった。使い込まれたカウンターに立てられたアクリル板が、コロナ禍の哀愁を誘っていた。 -
矢口書店
1918年(大正7年)創業、映画・演劇等の専門古書店。この建物は1928年(昭和3年)の建築だ。 -
ここは映画やテレビドラマのシナリオから映画のパンフレットまで置いてある。学生時代の僕は見た映画のパンフレットは大体買っていたので、当時持っていたパンフレットを見つけると、なぜか胸がきゅっとなる。どうして人は懐かしさに胸が締め付けられるのだろう。また映画のシナリオは、万年金欠のスタッフが小遣いかせぎに売りに来た姿を想像してしまい、いたたまれない気持ちになる。歳を取るにつれて、ここは平常心ではいられない店になってしまった。
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北澤書店
1902年(明治35年)創業の洋古書店。洋古書がなかなか売れない時代に、この店は新しい試みにチャレンジした。Kitazawa display books といって、洋書をモデルルームやCM、テレビ、映画、イベント等に提供しているのだ。 -
そこで美しい洋書が並ぶ店内の撮影もOKとしており、マナーさえ守れば買う買わない関係なく自由に写真を撮らせてくれる。現在はコロナの影響で密にならないよう一人5枚までという制限があるが、こちらも若い4代目が生き残りをかけて様々な取り組みを展開している。
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岩波ホール
1968年(昭和43年)開業、ミニシアターの先駆けとなる。今となっては希少なフィルム上映ができる映画館で、35mm映写機 Kinoton FP30Dを保有。メンテナンスとかどうしているのだろうか。 -
この劇場は日の当たらないアジアの名作を数多く紹介してきたが、やはり最大のヒット作は1998年公開の「宋家の三姉妹」だろう。長女の靄齢は孔祥熙と、次女の慶齢は孫文と、三女の美齢は蒋介石と結婚した中国近代史における伝説の三姉妹の映画だ。
またここは上映前のCMを流さないところも気に入っている。だって高い上映料を払っているのに、延々とCMを見させられると腹が立つよね。 -
セブンヘアー
かつて僕はこの床屋に毎月通っていた。仕事場が変わって足が遠くなるまで、10年近くお世話になっていた。以前はすずらん通りの西端に店を構えていたが、今は神保町交差点の雑居ビル6階に移転している。先日ホームページを見たところ、前は従業員だった吉岡さんが店長になっていた。カットの腕はもちろん確かだが、それ以上に話上手でその人柄も魅力的だった。ここのオリジナルメニューが面白い。例えばシャンプーと氷になるトニックで頭を冷やす「冷やし頭」や、更に冷やしまくる「元祖スーパー冷やし頭」は、使い過ぎてオーバーヒートした頭をクールダウンし、大いにリラックスさせてくれた。他にも「耳とうがらし」や「ムンクの叫び」等、ネーミングセンス抜群なオプションがいろいろとあって、各種メディアにもよく取り上げられていた。久しぶりに懐かしくなり、ちょっと覗いてみようかと思ったが、考えてみると切ってもらう頭髪は僕にはもう無いのでした(泣)。 -
揚子江菜館
セブンヘアーの「元祖スーパー冷やし頭」について書いていたら、元祖冷やし中華の揚子江菜館を思い出した。元々セブンヘアーは揚子江菜館の斜め前にあった。もしかしたら、揚子江菜館の元祖冷やし中華を見て、元祖スーパー冷やし頭を思いついたのかもしれない。 -
1906年創業(明治39年)の揚子江菜館も、4代目店主が頑張っている。1933年(昭和8年)に2代目が開発した五目涼拌麺が、元祖冷やし中華だ。
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神保町には奇跡の路地裏がある。靖国通りとすずらん通りに挟まれて、完全に時代に置いてきぼりにされた狭い小路だ。奇跡というのは、この名前もない通りに東京を代表する名喫茶が3軒も集中しているのだ。どの店も癖が強く、初めての人は一瞬たじろぎそうな外観に、昭和から長年生き抜いてきた老舗の矜持すら感じさせる。
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さぼうる
神保町名喫茶シリーズ①
まずは、寂れた魅惑のチキルームのような見た目が楽しい「さぼうる」を紹介しよう。1955年(昭和30年)創業の個性的な店はジャングルの隠れ家のようで、それ故映画やドラマのロケでよく使われている。以前はさぼりサラリーマンの聖地で、暗い店内には煙草の煙が立ち込めていた。1997年に大ヒットした映画「失楽園」でも役所広司がここでサボっていた。だからてっきり僕は、店名も「さぼる」からきているとずっと思い込んでいた。調べてみたら、スペイン語で風味という意味の「SABOR」からとったそうだ。 -
☆店内の画像は過去に撮ったもの
ある時、何を思ったのか色とりどりのクリームソーダをメニューに加えたところ、インスタ映えするとSNSで評判になり、若い女性がどっと押し寄せるようになった。この日も僕の隣の席の女子二人組が、それぞれ赤と黄色のクリームソーダを注文して、写真を撮りまくっていた。今どきは何がバズるか分からない。
因みに現在は、東京都受動喫煙防止条例により全面禁煙になっている。
また、隣の2号店にあたる「さぼうる2」はレストランで、昼どきはよく行列ができているが、残念ながら未だ入ったことはない。 -
ラドリオ
神保町名喫茶シリーズ②
1949年(昭和24年)創業のシャンソン喫茶。店名のラドリオとはスペイン語でレンガという意味だけあって、外装だけでなく内装にもレンガがふんだんに使われている。 -
☆店内の画像は過去に撮ったもの
レトロな赤い椅子が、まだドトールやスタバがなかった時代の純喫茶にいるようで、僕にとっては神保町で一番落ち着く場所だ。こちらも現在は全席禁煙である。思わず長居したくなる店内は、「さぼうる」同様、映画やドラマのロケセットとして重宝されている。2006年公開の映画「ハチミツとクローバー」では櫻井翔と蒼井優が訪れていた。 -
そして何と言っても、ここは元祖ウィンナーコーヒーの店として有名だ。日本で初めてコーヒーに生クリームを乗せたウィンナーコーヒーをメニューに載せ、それが全国に広まった。もちろんアメリカにアメリカンコーヒーが無いように、オーストリアにもウィンナーコーヒーという名前の飲み物は無い。学生時代、近所の喫茶店で初めてこの名を見た時は、ご多分に漏れずウィンナーが乗っているのかと思った。当時のここの店主が名付け親だとしたら、何と紛らわしいことをしでかしたのか、説教ものである。
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ミロンガ
神保町名喫茶シリーズ③
店の看板には、「珈琲&世界のビール タンゴコレクション ミロンガ ヌオーバ」と書かれているが、情報量が多過ぎ。ミロンガとはアルゼンチンタンゴを踊る場所のことだそうで、ここは1953年(昭和28年)創業のタンゴ喫茶だ。創業当時は音楽喫茶が全盛期で、特にタンゴが大流行していた。しかし音楽喫茶もタンゴも廃れた現在まで、同じスタイルで続けているところが凄い。以前は分煙だったが、こちらも現在は東京都受動喫煙防止条例により全面禁煙になっている。 -
☆店内の画像は過去に撮ったもの
この日はチェコビールのピルスナーウルケルを飲んだようだが、既出の3軒の中ではここのコーヒーが一番好きだ。 -
スヰートポーヅ
昨年、新型コロナウィルスによる影響なのか、突如「スヰートポーヅ」がその長い歴史に幕を下ろした。餃子の名店が閉店したことに僕は驚いて、せめてもう一度食べ納めしたかったと悔やんだ。
初代は1936年(昭和11年)、大連の山県通り(現在の人民路)で「スヰートポーヅ」を開き、5年間営業していた。日本人が本場の大連で餃子屋をやるのは、相当な苦労があったと思う。時代は違えど、あの「餃子の王将」ですら大連店は撤退を余儀なくされている。初代は帰国後、「満州」という食堂を開き大いに繁盛したそうだ。そして昭和30年、満を持してここすずらん通りに「スヰートポーヅ」を再開する。
棒状の餃子は珍しく、僕はここでしか食べたことがなかった。「スヰートポーヅ」のポーズは包子(バォズ)のことだと、中国語を勉強し始めた頃にようやく知った。 -
内山書店
ここは内山完造の弟が開いた中国専門図書の店で、僕は神保町に来ると必ず立ち寄っている。内山完造は1929年(昭和4年)に上海の四川北路に内山書店を開き、友人だった魯迅がスパイ容疑で追われるとそれを匿ったり、日本に亡命する郭沫若を支援したりしている。2015年に訪れた紹興の魯迅記念館には内山完造に関する展示も多く、内山書店の常連としてはとても興味深かった。当時中国国民党から魯迅や郭沫若を救うなんて、相当気骨のある人だったんだろうな。
現在、上海の四川北路にある中国工商銀行の2階に、内山書店旧址という展示施設がある。 -
東方書店
こちらも中国関係書籍専門書店で、直接中国や台湾から輸入している。中国本を求めて遠方から買いに来る客も多く、僕は内山書店同様よく立ち読みさせてもらっている。 -
文房堂
1887年(明治20年)創業の画材・文房具店。創業者は福沢諭吉に勧められて画材店を始めたというのだから、まさに歴史を感じる。すずらん通りにあるこの建物は1922年(大正11年)竣工。翌年(1923年)の関東大震災では、当時まだ珍しかった鉄筋コンクリート造りだったため倒壊を免れた。 -
三省堂
靖国通りとすずらん通りの両方に入口がある老舗大型書店。神田神保町1-1に位置する。1881年(明治14年)創業。僕の場合、レアな本を探すならここか八重洲ブックセンターだった。
さて靖国通りにはずらっと書店が並んでいるが、そのいずれも道路の南側にある。北側には山田書店を除いて他に書店はない。日当たりの悪い北向きに店が集中する不思議な現象には、至極まっとうな理由があった。それは店先に並べた本が西日にやられるのを嫌ったためなのだ。 -
書泉グランデ
三省堂書店や東京堂書店と並ぶ神保町の大型書店だが、その2店よりも専門性が高いので、僕はここも頻繁に利用していた。しかし2011年にアニメイトに買収されると、「ここはアニヲタの趣味専門店かっ!」とツッコミたくなるほど専門性が高くなりすぎてしまって、流石に入りづらくなった。 -
東京堂書店
1999年に小学館文庫から出版された周恩来の「十九歳の東京日記」によると、1918年(大正7年)に日本に留学していた周恩来は、東京堂書店に入り浸っていたそうだ。そんな歴史のある東京堂書店は1890年(明治23年)創業。1881創業の三省堂と並び、神保町を代表する老舗大型書店だ。 -
今日はここで昨年出版された「新橋パラダイス駅前名物ビル残日録 村岡俊也著」をお買い上げ。ニュー新橋ビルと新橋駅前ビルについて書かれたルポだ。店内のペーパーバック・カフェでさっと読む。僕はニュー新橋ビルは20年以上通い詰めているので、相当詳しいと自負しているが、そんな僕でもディープだなあと思う記述があった。なかなか緻密な取材をしていて面白いので、にやにやしながら一気に読める。個人的にわがままを言わせて貰えば、「ニュー新」地下一階に十数軒はびこっている、中国人居酒屋の相関図があったらもっとにやけが止まらなかったと思う。それはいつか僕が4トラで書いてもいいか。
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愛全公園
周恩来の行きつけだった東京堂書店の後は、周恩来の足跡を辿って彼が通った東亞高等予備学校の跡地に行ってみよう。東亞高等予備学校とは、中国人留学生が日本の大学受験をするための予備校のようなものだった。神保町界隈に下宿していた周恩来は、予備校生として勉学に励んでいたのだろう。ここは現在、愛全公園という小さな公園になっており、「周恩来ここに学ぶ」と書かれた石碑が立っている。 -
と思って来てみたら、「周恩来ここに学ぶ」の石碑がいつの間にか無くなっていた。おーいー!千代田区に確認したところ、公園整備等に伴って現在多摩市にて保管しており、ここに戻って来るのは令和5年以降とのことだった。
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学士会館
ここは映画のロケで何度か来たことがあった。昭和初期の建築は、開業当時のままの雰囲気を残しているので、映画やドラマのロケには重宝するようだ。元々は旧帝国大学出身者の交流を目的とした施設で、現在でも学士会として活動はしているが、メインは結婚式場やレストラン等を有するホテルだ。 -
1928年(昭和3年)に竣工した旧館は、2階から上の外壁を重厚なスクラッチタイルで覆われている。スクラッチタイルといえば、フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルの外壁に世界で初めて使って、それから一時ブームになったレンガからタイルに変わる過渡期の建材である。この近くでは、定冠様式で有名な九段会館がスクラッチタイルを使用している。スクラッチタイルを撫でてみたかったが、2階以上の壁なので手が届かない。いい大人が壁を見上げて指をくわえている図は、通報レベルなので諦めて入館することにした。
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堂々たる玄関アーチは、学士以外入れないぞと言わんばかりの威圧感だ。まだ大学生の人口が極めて少ない昭和初期において、大卒の学士はエリート中のエリートだったのだ。
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エントランスは古き良き時代を彷彿とさせ、それこそ映画のワンシーンにいざなわれるようだ。
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ホールに入り天井を見上げる。照明の中心飾りは見事な鏝絵細工で、日本の左官の腕の見せ所とばかりに、いい仕事をしている。
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落ち着いた雰囲気の廊下を歩く。
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1階の談話室。誰でも利用できるので、時間つぶしの穴場だ。
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階段の踊り場のステンドグラスも上品な趣がある。
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河合楽器製作所の第7号オルガンと、床のタイルの見事な調和。
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テラゾーという人造石を鋲で止めた柱。
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そしてついに地下に下りる階段の壁にスクラッチタイルを発見!
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おいおい、こんなところにいたのか。頬ずりこそしなかったが、そっと撫でてみた。
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オーラのあるシックな佇まいのロビー。
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THE SEVEN'S HOUSEというカフェで休憩しよう。
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かなり歩いたので、ホッと一息。先ほど購入した「新橋パラダイス」を読了。
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隣の席では作家と編集者が打ち合わせしていた。小学館や集英社が間近にあるので、このクラシカルな空間を便利に使っているんだろうな。
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天婦羅はちまき
再びすずらん通りに戻って来た。ここは1931年(昭和6年)創業の老舗天麩羅屋だが、あくまで大衆店なので値段もリーズナブルで入りやすい。 -
☆店内の画像は過去に撮ったもの
先月訪れた時は、穴子海老天丼(1500円税込)を注文した。ここでは何と言っても、肉厚でほくほくの穴子がマストだ。ご覧の通り、穴子のサイズが半端ない。なんでも常連だった江戸川乱歩が、穴子天も一緒に乗せちゃってくれよとリクエストしたことがきっかけで、人気メニューになったらしい。毎朝築地で仕入れた江戸前の穴子を使っているため素材の良さは間違いないし、継ぎ足しのタレも絶品だ。 -
東京作家クラブの会合「二十七会」の写真が壁にかかっており、江戸川乱歩のほか海音寺潮五郎や、何故か俳優の佐野周二が写っている。日付は昭和27年2月と記されている。昭和27年(1952年)には、佐野周二は既に二枚目スターとして松竹を背負う看板俳優だった。
佐野周二といえば、孫の関口知宏もタレントをしている。僕はNHKの「中国鉄道大紀行 最長片道ルート36,000kmをゆく」(2007年)という番組が大好きで、関口知宏が中国全土を巡る姿を見て、こんな旅がしたいと思っていた。未だに中国に思いが募るのは、この番組の影響が少なからずあると思う。ところで佐野周二は、1941年に李香蘭主演の「蘇州の夜」で、上海から蘇州にかけてロケを敢行している。中国を隈なく旅した関口知宏は、かつて自分の祖父が中国で映画を撮ったことを知っているのだろうか。 -
さて、はちまきの外観を写真に収めようと、少し離れて全体を見たら驚いた。はちまきの2階部分の外壁がスクラッチタイルだったのだ。今まで数え切れないほど店の前を歩いたが、全く気付かなかった。これからは下ばかり見ていないで、上を向いて歩こう。
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山の上ホテル
三省堂書店ある交差点を御茶ノ水方向に少し上がり、明治大学の間の細い坂を登ると、小さなホテルが見えてくる。 -
1954年(昭和29年)創業のクラシックな山の上ホテルだ。
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鉱物の結晶のような塔屋はアールデコの真骨頂で、その瀟洒なホテルロゴ同様、惚れ惚れしてしまう。
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しかし実はこの建物、1936年(昭和11年)の建設時はホテルではなかった。佐藤慶太郎という実業家が、生活習慣を改善する社会運動を志して、その研修施設「佐藤新興生活館」を作ったのだ。まあ、言ってみれば金持ちの高尚な道楽みたいなものだろうか。その頃、日本で教会を次々に設計していたウィリアム・メレル・ヴォーリズに設計を依頼。1936年に完成するものの、すぐに戦争が始まり軍に徴用され、終戦後はGHQに接収されてしまう。それから時が流れ、創業者の吉田俊男が、西洋の小さなホテルと日本の旅籠を組み合わせた西洋旅籠を目指し、日本の心でホテルをやろうと決意。その心地よさと出版社や書店街が近いこともあって、多くの作家に愛されるホテルとなっていった。
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☆ホテル内の画像は過去に撮ったもの。
2019年に当時の意匠を復元した大改築を行ったため、まさに竣工時のモダンな空間への時間旅行を堪能できる。 -
この建物の特徴として、まず階段の段差をわざと低く作っている。そして天井も低い。多分ヴォーリズは日本人のサイズ感に合った建物を作ろうとしたのではないか。だから我が家にいるような落ち着きが得られるホテルになっている。
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この日はコーヒーパーラーヒルトップで珈琲を飲もうと思ったが、4組待っていると言う。30分以上かかるかもしれませんとのことだったので、名前を告げてロビーで待たせてもらった。ソファにゆっくり座り、山の上ホテル独特の時間の流れに身体を慣らしていく。
川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、松本清張などの文豪が常宿として利用していた。池波正太郎など、いちいち支払いが面倒だと100万円入った貯金通帳をホテルに預けていたというのだから、呑気な時代だ。そんなことを考えながらホテルマンの丁寧な接客を眺めていたら、あっという間に30分が過ぎた。まもなく名前が呼ばれ、地下のカフェまで素敵な階段を下りていく。 -
階段の踊り場の壁に掛かる階数表示もアールデコ。もはやここまでくると、僕がただアールデコと言いたいだけみたいになってくる。
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古い映画のワンシーンを思わせるシックな廊下を曲がると、コーヒーパーラーが現れた。地下のはずなのに店内には自然光が回っていてとても明るい。そうか、地下と言ってもホテルが斜面に建っているようで、こちら側は窓から初春の日差しが差し込んでくるのだ。
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この日は12時間以上かけて抽出する名物のストロングコーヒー(水出しコーヒー)を注文。こんなホテルが東京のど真ん中に残っている奇跡に感謝しながら、身も心もほっこりするひと時を過ごした。
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馬子禄牛肉面
蘭州市で100年以上営業している蘭州牛肉麺の「馬子禄」が、神保町に出店したと聞いて急いで訪れた記憶がある。2017年秋のことだ。牛肉麺は中国で何度か食べたことがあるが、どこもせいぜい10元(レートにもよるが大体150円程度)だったので、オープン当初880円と聞いて少々抵抗感を覚えた。現在は950円に値上げしているようだ。 -
☆店内の画像は2017年11月訪問時に撮影したもの
麺は様々な太さを選ぶことが出来て、注文が入ってから中国人料理人が麺を打つ。2本が4本、4本が8本、8本が16本とどんどん細くなっていく手打ち麺の職人技を見ていると、楽しくなってくる。
そしてここはハラル認証店なので、イスラム教の戒律に従って一切の豚肉やアルコールを使用していない。だから焼豚ではなく牛肉が乗っているのだ。ラーメンにはやっぱりチャーシューでしょうという輩は来なくてよろしい。 -
一口食すれば、舌が記憶している中国の味の懐かしさに顔が綻んでしまう。日本ではなかなか出会えない牛肉薬膳スープの旨味と、本場仕込みの麺打ちショーを堪能できるなら、950円も高くないか。
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一誠堂書店
1903年(明治36年)創業。1931(昭和6年)に竣工したこの建築もさることながら、店内のクラシックな雰囲気に目眩すら覚える。親柱にランプがある階段を上ると、現代とは思えないようなタイムレスな空間に迷い込んでしまう。 -
ビアホール ランチョン
さて、そろそろ旨い生ビールを補給する頃合いだ。
ここは1909年(明治42年)創業のビアホールを兼ねた洋食屋。神保町のお店は4代目が多いが、こちらの店主も4代目。明治時代から続く老舗のオンパレード、それが神保町だ。 -
以前はここでよくランチを食べたが、今日は誰に気兼ねなくビールを味わおう。100年以上もビアホールをやっているだけあって、ビールへのこだわりは尋常ではない。例えば食後にコーヒーを飲みたいと思っても、ビールの香りを損なうからという理由で置いていないのだ。かつての僕のように平日のランチ利用客が多いにもかかわらず、あくまでもうちはビアホールだというこの頑固さ。好きだ。
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もちろんビールそのものへのこだわりも凄い。長年アサヒビールをメインでやっているが、なんと今時スーパードライではないのだ。スーパードライが生まれるずっと前からある、通称マルエフという伝統的なビールで勝負している。今では希少なビールで、これが飲める店はほとんどない。また、「注ぎ方のこだわり」「毎日変えるビール温度のこだわり」など、ビールへのこだわりを挙げたらきりがないと言える。これで旨くない訳がない。
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健さん、下戸なのにビールのCMに出てた。
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僕のテーブルは窓際だったので、靖国通りが見渡せた。
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ビールサーバーの後ろの絵がいいので、断って撮らせてもらった。
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漢陽楼
今日は一日よく歩いた。神保町巡りの締め括りは、漢陽楼と決めていた。 -
1911年(明治44年)開業の漢陽楼は、周恩来や孫文、魯迅も通った中国ゆかりの店だ。特に留学生だった周恩来は、漢陽楼に足繁く通ったと「周恩来19才の東京日記」に書いている。
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周恩来は清燉獅子頭という豚の挽き肉を丸めてスープに入れたものがお気に入りだったが、それはまさに周恩来の郷里である江蘇省の家庭料理だそうだ。まだ19歳だった周恩来は遠い異国の地でホームシックになっていたのかもしれない。
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壁には周恩来の漢詩が掛かっている。
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メニューに添付されていた新聞記事によると、壁の達筆な文字は周恩来自筆の漢詩とある。さすがに信憑性が低いと思われたので、お店の方に尋ねてみた。するとやはり新聞記事が間違いで、なんでも中国の有名な書家の字らしい。
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そしてわざわざ周恩来の直筆が載った本を持ってきてくれた。
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字が上手いかどうかは置いておいて、19歳の周恩来が日本留学に際して詠った情熱溢れる決意表明に好感が持てる。
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民国元年(1912年)創業当時の写真。
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「周恩来19才の東京日記」の原文もある。ここに漢陽楼についての記述があり、それを読んだ周恩来の姪や甥が、おじさんの足跡を訪ねて2012年に来店したとのこと。
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まずは紹興酒で喉を潤す。
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それでは清燉獅子頭(1470円税別)を頂こう。
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二つに割ってみる。以前昼に来たことがあったが、ランチタイムに清燉獅子頭はやっていなかった。そこで今回初めて食べてみたが、中華料理にしてはあっさりしていて、なんだか懐かしい味だ。スープも素材の優しい味が溶け込んでいて、身も心もほっこりした。そして周恩来が大好物だったこの料理には、紹興酒が大変よく合った。
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小籠包も絶品だったなあ。
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素敵な時間を過ごさせて貰い大満足で外に出ると、すっかり暗くなっていた。
身近過ぎてあえて目を凝らして見ることがなかったこの街を、今回あらためて一日歩き回ってみた。神保町には200軒近い本屋があり、その8割以上が古書店という世界でも類を見ない一大書店街だ。元々ここは大名屋敷の街だったが、明治になってその跡地に多くの大学が作られた。その学生のための本屋が出来て、また学生が読み終えた本を売るための古書店も増えていったそうだ。
そして日清・日露戦争後には、日本に学べとばかりに中国人留学生が大挙して来日する。そしてこのあたりに下宿する者が多かったために、終戦まですずらん通りやさくら通りは中華街の様相を呈していたそうだ。一世紀も前のことだが、その残像は決して消えることなく町の至るところに存在していた。コロナで中国に行けない日々が続いている。その代わりと言ってはなんだが、今日のように中国の記憶をとどめた町を覗き見することで、今しばらく辛抱するしかなさそうだ。
さて、今夜はもう少し飲み屋をパトロールして帰るとするか。
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この旅行記へのコメント (9)
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- 横浜臨海公園さん 2022/06/07 09:56:03
- 神保町
- SAmShinobuさま、はじめてメッセージを差し上げます。
神保町とは高校生の頃から通い続けており、かれこれ50年ほどになります。
い、今荘は相続の際に土地を物納し所は取り壊され駐車場となってしまいましたが、それでも現在残っているのは奇跡的です。
矢口書店の隣、古賀書店は先代時代からお世話になっております。
神保町の街は地下鉄三田線開業の頃から変わりましてが、未だ未だ探せば古き時代が見つかります。
横浜臨海公園
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- クマさん 2022/02/06 21:45:44
- 神保町が楽しそうです。
- SamShinobuさま
はじめまして。
楽しく拝見させていただきました。
いままで神保町を特に意識した事がありませんでたが、この記事を見て神保町の事がとても興味がわいてきました。
この記事、写真を参考にしてすぐにでも麺、鰻、喫茶店を巡って見たくなりました。
まずはどこに行こうか。もう一度読んで計画立てたいと思います。
クマ
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- Reinheitsgebotさん 2021/07/31 06:02:01
- 痒い所に手が届く!
- はじめまして。丁寧な神保町紹介を拝読いたしました。
2015年9月に定年退職するまで37年半……職場は数か所移りましたが、神保町を中心に仕事をしておりました。今は、会社OB会の手伝いで月一か二の神保町通いですが、行けば行ったで、かつて知ったる町内徘徊を楽しんでいます。
それにしても、通った店の少なさです。新規開拓は消極的で、気に入った店ばかり出入りしていました。記憶をたどれば、さぼうるにも入ったかどうか怪しかったりします。いつでも行けると思うと、意外と足が向かないのかも。
足繁く通った居酒屋もなくなっていって、このところはランチョンと、白山通りの餃子の三幸園と、お財布に優しいあたりで満足しています。
高速道路をくぐれば、大手町、丸の内、日比谷というオフィス街がありますが、あのエリアに比べれば、路地裏のバリエーションは圧倒的だなあと感じます。尾瀬で知り合った“近くて遠山の金さん”とも、ランチョンの後は、路地裏ばかりほっつき歩いていました。
改めて、膨大な情報をありがとうございました。
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- mistralさん 2021/07/25 14:04:27
- 上質な街歩き。
- SamShinobuさん
はじめまして。
先日は東京下町、勝運商店街の旅行記にご投票いただきまして有難うございました。
先程SamShinobuさんの旅行記「我が愛しの神保町、、、」にお邪魔しました。
歩き込まれたという神保町、足が覚えていて、歩き出すと止まらなくなるいう街
での1日。
渋い街並みのお写真、端正な文章、に惹き込まれ
最後まで一気に読み終えました。
上質な街歩きのエッセイに出会った気分でした。
今に残る看板建築の老舗鰻屋、
北澤書店という洋古書店などなどずっとお馴染みのお店のご紹介には愛が溢れて
いました。
建物が同じであっても、代が変わりつつ、創業以来の心意気はきっと受け継がれて
いくのでしょう。
学士会館の内部のお写真、オルガンに見事なまでに調和している床タイルとか
スクラッチタイルに手を当てられる(嬉しそうなご様子の?)SamShinobuさん、
照明器具の中心飾りの鏝絵とか
いいな、いいな、と共感する箇所、多数ありました。
山の上ホテルの階数表示の「アールデコ」
み~つけた、という気分、良くわかります。
そんな楽しい気分を味合わせていただきました。
フォローさせていただきますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
mistral
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- rairaiさん 2021/06/09 20:44:51
- 神保町の魅力
- SamShinobuさま 初めまして。
引き込まれるように読ませて頂きました。
私も歴史を感じる神保町の街並みが好きで、休日時間があるとふらふらしています。
三省堂を覗き、その後東京堂書店を覗き、疲れたらすずらん通りのパン屋さんのカフェでお茶をして、東方書店へ寄り終了というおきまりコースです。先日初めて内山書店の存在を知り、東方書店より立ち読みしやすいな、、、とお気に入りに加えようと思ったところです。
SamShinobuさまの旅行記を拝見し、今まで通り過ぎていた色々な店の歴史を知ることが出来、改めて神保町の奥深い魅力を感じました。
中国人留学生が多かったから中国関係の書店も充実しているのですね。気になっていた古くて素敵なお店が鰻屋だったとは。学士会館の館内も魅力的ですね。
次回神保町を訪れるときは、前方だけではなく左右、上も見つつゆっくりじっくり歩いてみようと思います。
神保町のカフェやレストランは有名店も多く、一人で入るには勇気がいるのですが、SamShinobuさまの旅行記を読み返しつつ一つ一つチャレンジ(笑)してみますね。
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- フィーコさん 2021/04/03 22:59:24
- 神保町
- SamShinobuさん こんばんは。
初めまして。
神保町は夫が20年前まで仕事で通った町。
毎日お昼ご飯を外食していましたので知っているお店があるかも?
明日、見せてみたいと思います。
神保町の鰻屋さん、印旛の卸屋と同じ値段とは(@_@)
いい仕事していますね!
コロナが落ち着いたら神保町を歩いてみたいと思いました。
フィーコ
- SamShinobuさん からの返信 2021/04/06 13:57:15
- RE: 神保町
- フィーコさん
グランドサークル、レンタカーの旅楽しく拝見しました。
僕もシカゴで車を運転した時は、交差点を曲がる度にワイパーを動かしてました笑。
神保町は歴史ある庶民の町なので、気安く歩けると思います。是非いつか街歩きをお楽しみ下さい。
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- yuriさん 2021/03/28 18:25:53
- ビャンビャン麺
- SamShinobuさん、こんばんは。
いつも日記への訪問をありがとうございます。
海外旅行ができなくなり
海外への思いを封じながら過ごしておりますが
ビャンビャン麺を一度食べてみたいことを
SamShinobuさんの日記を拝見して思い出しました。
太さが選べるのですね。
面白そうです。
神保町の雰囲気がよく伝わる日記で
まるで自分が歩いているかのように読ませていただきました。
さぼうるも久しく行っていないなあと思いました。
ミロンガも素敵ですね(^^)
いつか行ってみたいです。
yuri
- SamShinobuさん からの返信 2021/04/01 07:56:50
- Re: ビャンビャン麺
- yuriさん
コメントありがとうございます。
ビャンビャン麺、是非一度お試し下さい。敦煌や香港、上海、台湾とアジアを駆け巡るyuriさんなら、きっと懐かしい味がするのではないかと思います。
yuriさんの「海外への思いを封じながら過ごす」というのは、よく分かります。本当にいつまで続くのか、出口の見えないトンネルのようですね。
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