2021/03/06 - 2021/03/06
195位(同エリア934件中)
ぼっちおじさんさん
- ぼっちおじさんさんTOP
- 旅行記30冊
- クチコミ1件
- Q&A回答2件
- 25,897アクセス
- フォロワー8人
旧街道を巡るって、やっぱロマンを感じるのだ!
かつてはここにて大勢の旅人が往来し、色々な人情劇があったのだろう
立看板には先人の知恵や苦悩やらの人生劇が載っている
前週にちゃりで巡った旧東海道(水口~関宿)が良かったので、その弐を計画。
関宿まで電車で行ってそこから行けるだけ東へ行き、また電車で帰るという事を考えたが
前回巡った時にちょっと気になる焼肉店を発見したので、全工程を終えてそこでうまい焼肉でスタミナ回復をしたい。
そのためには関宿を終点にする必要がある。
出発は名古屋の宮宿が望ましいが、夕方までに関宿へたどり着けるか心配だったので、桑名駅から出発する事にしたのだった。
前回の教訓を生かし、パンクしてもセルフで修理できるように予備チューブと小型の空気入れを持参した。
週刊予報では6日土曜日は雨予報で、旧東海道巡りも諦めていたが、あれよあれよという間に好転した。午前中曇り午後から晴れ 北東の風2~4m/s
これはありがたや~
今回は余裕綽々の巡りになると思っていたが、実はそうでも無かった。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
PR
-
始発電車に乗り、JR琵琶湖線、JR草津線、JR関西本線、と
乗り継いで朝8時過ぎにJR桑名に到着!
実は家を出るときまだ雨が降っていたが、いい感じに晴れてきた!
よし! いいぞ -
まず七里の渡しへやってきた。
江戸時代では、宮宿(名古屋)から渡し舟に乗って
ここまでやってくるのが一般的であったらしい。七里の渡跡 名所・史跡
-
ここは渡し舟の停留所?になるのかな?
なんで船なん??と思ったが
江戸時代には川を渡るという事が、大変だったのみたい
それなら、木曽三川と言われる三本の川を船に乗って一気に越えてしまえ~という事なのだろう。
天守閣みたいな建物は桑名城 蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら) -
この鳥居は伊勢神宮の式年遷宮のタイミングで(20年毎だったか?)建て替えられるらしい
つまりここから伊勢国の始まりなんだな。 -
走り出して5分もせんうちに、神社を見つけ立ち寄り
ここは桑名宗社桑名宗社 寺・神社・教会
-
御朱印ゲット!
自転車をみて~どこから~と聴かれ~
滋賀から~と答えると~
ご苦労様ですと頭を下げられた
桑名まで電車できましたと
言い出せなかった。 -
伊勢両宮常夜灯
この辺は蛤やさんが多い。昼時なら食したいが9時ではどこも開いてない
「その手は桑名の焼き蛤」って言葉が有名だね。 -
朝日町集落に入った
ふむふむ。なるほど~
江戸時代にはたいそう賑わっていたのだろうな伊勢朝日駅 駅
-
茂福町の地蔵
旧東海道を巡っていると、お寺や神社が本当に多い。
こう見えてもパワースポット好きなので、寄りたくなるが
一カ寺ごと寄っていたらとても先へ進めない。 -
看板によると
「明治35年(1902)頃より大字茂福地内の耕地整理事業が行われ、十四川の改修工事に伴い茂福町へ流れる水路が無くなり、東茂福町の水田に水が入らなくなりました。そこで此の碑より北西に十四川の中間より(7町)760mの暗渠による水路を通し各家々の敷地内に(マンボ)を設置して、明治37年(1904)8月完成より、大正・昭和中期まで、生活用水・防火用水として利用をしていました。
しかし、東茂福の水田地帯に国道1号線の開通に伴い水田は埋め立てられ、その後昭和34年(1959)伊勢湾台風の水害により暗渠に土砂が流れ込み、 また水源地の十四川の環境悪化のため、此の用水道は消滅しました。」
らしい。 -
四日市宿に入った模様
このアーケード商店街が旧東海道なのだ!表参道スワマエ 市場・商店街
-
ちょこっと脇へそれると
怪しい感じに~ -
諏訪神社
七五三参りの参拝者さんが多かった。 -
御朱印げっと!
-
昼飯はここ 四日市飯店にした。
玉袋筋太郎が喜びそうな店構え。四日市飯店 グルメ・レストラン
-
オーダーしたのは台湾ラーメン ¥800
大の辛いもの好きなので、これを頼んだ
結構辛い! -
日永の追分
ここは東海道をと伊勢神宮へ通ずる街道との別れだったらしい。日永の追分 名所・史跡
-
ふむふむ。
-
日永の追分の敷地内にて
湧き水が出ているみたい
何か入れ物があれば汲んで道中の飲料にしようかと思ったが入れ物がないので諦めた
地元の人が汲みに来ていたので名水なんだろう きっと。 -
杖衝坂
杖が要る位きつい坂道ってことなんだろうか?
なにやら、この上に弘法大使が見つけた井戸があるらしい。ひがし川 グルメ・レストラン
-
東海道中でも最も急な坂で・・・・とあるが
そこまで無でもかったような
松尾芭蕉がこの坂で馬から落ちたと書いてある -
またまた寄り道
大木神社 -
石薬師寺に参拝
-
良い感じのお堂
ここは参拝者が数組居た -
御朱印げっと
-
石薬師一里塚
一里塚って
目印であり、休憩所であり、待ち合わせ所だったらしい。 -
石薬師を過ぎるとルートはこんな景色に変わる
これはこれで良い。 -
庄野宿に到着!
庄野宿資料館を訪問
撮影禁止なので、写真は無いが本物の高札や着物や傘や
名前忘れたけれど、ご当地お菓子などを展示してあった
係のご婦人がずっと付きっ切りで説明解説して下さった。
料金は無料!
なんか申し訳ない気分に・・・・庄野宿資料館 美術館・博物館
-
浮世絵
この浮世絵は世界的にも評価が高いらしい。
そういえば、庄野真夜っていうシンガーのレコードをもってたわ
このシンガーの知っている人はご同輩ですなぁ。 -
女人堤防碑
これは何の碑か?は次のコメント参照 -
ふむふむ。つまりようやくすると、
この辺りは二川が合流し水害が絶えなかったそうな。そこで藩主に堤防整備を願うが、これを行うと対岸の城下町が被災する恐れが生ずることから、禁堤防整備との事であった。そこで、処刑覚悟で村の女衆200人程で夜間堤防整備を行い6年の歳月をかけて完成させた。
なぜ女衆だけでやったのかは、男が処刑されると村の存続が危ぶまれる事らしい。
そして、藩主の命令により処刑されることとなったが、寸前に恩赦となり褒美までもらえた。これには家老松野清邦の嘆願によるもの
という事である。
実際の史実より多少美談化されているのだろうけど、改めて女性の命を懸けてでも生活を守る思い強い思いに感服した。 -
亀山宿 和田一里塚
庄野を過ぎたあたりから、風が強くなり、しかも正面から吹くようになってきた。しかもここからはだらだらと登りが始まる。
坂道と向かい風により、一番軽いギヤでクルクルクルクルペダルを漕ぐが歩いてる速度と変わらない。
予報では北東の風とあったが、実際は北西の風5~8m/s
あかんやん!!全然前にすすまん! -
亀山城跡
この辺りから、もう巡るというより
早く関のびっくりやで焼肉喰いたい~
と思うようになってきた!
時刻は15:30頃 -
野村一里塚
この木はデカかった。野村一里塚 名所・史跡
-
県道と関西本線を跨ぐ高架で小休止
この後も鈴鹿川沿いに関までだらだらっと登っていくのだが
折からの向かい風でとうとう歩くことにした。
はやくびっくりやたらいう食堂で名物焼肉を喰いたい
味と人気は食べログで事前に調査済だ! -
関宿に入り、相変わらずのだら登りと向かい風に苦しみ
ようやくびっくりやに到着したが
駐車台数を観て、嫌な予感的中
店内外に結構な人数の町が出来ていた。
時刻は16:00頃
折角ここまで来たのに~
泣く泣く関駅から空腹を堪えて帰路についたのでした。びっくりや グルメ・レストラン
-
仕方なく前回行った中華料理屋さん味神館とか言ったかな!
に行くも5時かららしい
泣く泣く空腹堪えて帰路についたのでした。 -
関駅の売店で買ったお菓子「関の戸」
私は甘いものをあまり食べないのであるが、急に甘いものが欲しくなりこれと板チョコを
電車で板チョコを食べて、これは細君への土産に
細君曰く和三盆がたいそううまいって言っていた。
私の折り畳み自転車には距離計がついてないので正確には判りませんが
おおよそ50~60㎞程を走ったのではなかろうか?
しかし~後半の向かい風ときたら~マジ辛かった。
次回は桑名以東となると思うが今度は風も考慮して計画を組みたい。
旧東海道巡りって、やっぱ楽しい
かつてはここにて大勢の旅人が往来し、色々な人情劇があったに違いない。
だんだんと自宅から遠くなっていくので、費用と時間が嵩んでくるが、焦らずゆっくりまた続編を計画したい。
最後までお読み頂きありがとうございました。亀山市観光協会 名所・史跡
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
桑名・長島(三重) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38