2020/12/09 - 2020/12/10
43位(同エリア233件中)
ひらしまさん
五島の次は佐賀の吉野ケ里遺跡に寄って、それから最後の福岡へ行く。はじめはレンタカーで移動することを考えたけれど、長崎で借りて福岡に乗り捨てとなるとその料金がかなり高くなってしまう。
そこで、吉野ケ里の最寄り駅には特急がとまらず少し時間はかかるけれど、JR九州を利用することにした。結果として、よくも悪くも旅らしさを味わうことができたと思う。旅はやっぱり鉄道が一番だ。
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中通島からのフェリーが佐世保港に着いてから、JR佐世保駅を佐賀方面行きの特急が出るまで21分。時間は短いが駅は近く、スムーズに移動できたので、振り返ってフェリーを写す余裕も、その時はあった。
佐賀までの特急券を券売機で買い、Suicaで改札を通ろうとしたが、通れない。改札はIC乗車券に対応していないのだという。長崎では路面電車でさえSuicaで乗れたので、まさかJRの大きな駅でIC乗車券非対応とは思っていなかった。
すごすごと教えられた窓口に戻って博多までの乗車券を買い、ついでに新鳥栖~博多の新幹線特急券も頼んだ。すると今度は、駅員が乗車券を在来線で計算したといって発券し直しになってしまった。
発車時刻が迫っているので、こちらは気が気ではない。41分発に乗るんですと言っても無言で端末を操作している。乗り遅れはしなかったけれど、初めてのJR九州の印象はよいものではなかった。
しかし、国内旅行はスリルがなくて物足りないと正直思っていたけど、いやいや、乗り継ぎに失敗しそうになったり、言葉が通じないのではないかと思わされたり、国内も実はなかなか楽しめるぞと思い直したのだった。 -
吉野ケ里公園駅に降りて、駅員にコインロッカーの場所を教えてもらうと、わたしの中型スーツケースを見て「それは入らないんじゃないかな」。実際、行ってみると小さなロッカーしかなく、どうやっても入らない。
吉野ケ里歴史公園の入口まで1kmだから引っ張っていくかと思ったが、妻が駅で預かってもらえないかと頼みに戻った。すると、階段下りたところにコミュニティホールがあってそこで預かってくれると教えられたという。だったら最初から教えてくださいよ。
それでコミュニティホールで依頼すると、今度は「5時までに戻ってください」と言われて唖然。その時すでに3時半。5時に帰ってくるには1時間も見学できないことになる。閉園の5時まで公園にいたいんですと粘ると、じゃあ6時には必ず戻ってくださいねとなぜか大幅に刻限が伸びた。
預け料200円は駅ロッカーより安いし、公園への道も親切に教えてくれたりしたんだけど、あの「5時まで」は、さてなんだったんだろう。 -
田んぼの間の道を歩き、公園正門前なのになぜか横断歩道のない国道を突っ切り(歩行者の権利が軽視されてるのは佐賀だけではない。スーツケース持ってたらできないけど)、長いアプローチを通って吉野ケ里歴史公園に入った。
弥生の環濠集落の世界。地面に林立する乱杭がなかなか怖く印象的だ。
しかし、入り口付近の電飾や派手な案内板、拡声器などが雰囲気を壊しているのが惜しい。 -
吉野ケ里といえばこの物見櫓のある景色。
王や支配者層が住んでいたと考えられている南内郭にはいる。 -
ここでは弥生人の生活の展示があり、たぶんボランティアであろうスタッフが熱心に説明してくれる(ただし、押しつけがましく感じられる人もいたが)。
吉野ケ里で発見された織り物の絹糸の紫色は、アカニシ貝の毒液から抽出した貝紫による紫染めとのこと。 -
赤色系の染料として使われた茜。赤い根だからアカネだったのか。
弥生人もおしゃれだったというより、それだけの贅沢をできる階級が生まれていたんだ。 -
周囲を守る柵の内外は黄葉がにぎやかだ。2千年前もこういう景色だったんだろうか。
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北内郭は祭祀のエリアと考えられている。その中心になる大きな主祭殿。
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その3階に上ると祭祀の場が人形で再現されている。といっても、想像の域を出ないと思うが。
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最高司祭者が住んだと考えられている高床住居。しかし、柱の穴だけからそこまで断定できるものだろうか。
あの物見櫓だって、可能性のある最も高い数値で「再現」したもので、実際はあんなに高くはなかっただろうという歴史学者の意見を読んだことがある。
遺跡というにはあまりににぎやかな建物群を見ていると、まるでテーマパークにいるような気がしてきた。 -
さらに北に進むと、祠堂と立柱(諏訪大社の御柱のようなもの)の向こうに北墳丘墓が見えてきた。
この墳丘は紀元前1世紀につくられたもので、南北40m、東西27m、高さは4.5m以上あったと考えられ、当時としては非常に高度な盛土技法で強固につくられている。その技法は中国から伝来したものと考えられ、日本では他に例を見ないそうだ。 -
その内部は発掘当時のままを、外縁部につくられたギャラリーから見ることができる。
ここには14基の王たちの墓があった。二つの甕(かめ)をつないで墓にした甕棺とよばれるものだ。
ここだけはテーマパークじゃなくて本物なのだ。
そのギャラリーの一番奥まで行ったとき、のどが渇いてペットボトルのふたに手をやった瞬間に「飲食は禁止です!」と遠くから大声が飛んできてびっくりした。
なんたって本物を展示しているのだから万が一を考えて厳しくするのは理解できる。できるけど、なんだか叱られた子どものようにちょっと落ち込んだ。水もダメってことなら、できたらもっと目立つように書いておいてくれるといいな。
それから、閉園時刻近くで客が少ないってこともあるんだろうけど、ここに限らず常に監視されてる感が強くて、吉野ケ里の居心地はあまりよくはなかった。 -
5時が近くなり、出入り口に向かう。実質1時間15分の急ぎ足の見学だった。
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どうも違和感をぬぐえないままに夕暮れの吉野ケ里歴史公園を去る。
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駅への道で見かけたのはサギとコウノトリ?
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新鳥栖駅で乗り換え、九州新幹線に初めて乗った。JR九州はデザインには力を入れてると見える。
博多に6時前に着いた。 -
博多駅は人が多く大都会を感じさせる。タクシーで宿へ。
東急ステイ福岡天神。天神と中洲の間の春吉というエリアにある。
10階なので視界は広く(写真は翌々朝)、30㎡と広さも十分だ。可動式の卓上照明がありがたい。 -
必要なアメニティなどはフロント前から持っていくシステムで合理的だ。そこで洗剤をもらってきて、部屋の洗濯乾燥機(写真はホテルのサイトから借用)に旅の間の洗濯物を放り込んで一掃できた。
受け取ったGoToクーポンを使い、ホテル隣のローソンでカレーやドリアなどを買い込んできて夕食。部屋にはミニキッチンがあり皿なども備わっていてとても便利させてもらった。 -
GoToを経験して気づいたんだけど、このクーポンを含め、GoTo トラベルの仕組みは改善してほしい。
いちばんの問題は、4万円の高級宿に泊まる人には合わせて2万円も戻るのに、4千円の安宿に泊まる人にはたった2000円しか戻らないことだ。
つまり、金持ちほどたくさん得をする金持ち優遇政策になっている。また、高級宿に客を誘導して零細宿は切り捨てるのかという批判も当たっていると思う。
いつかGoTo トラベルを再開するときには、今の片寄ったシステムでなく、たとえばだれにも定額で1万円を(実費額を上限に)戻すような仕組みに改善して、だれもが公平に旅を楽しめ、どの業者さんにも支援が行くようにしてほしいと思う。 -
5日目。東急ステイ福岡天神の朝食は、1階の鉄板焼きの店でベーコンや卵を熱々で出してくれるのがいい。
今日は大宰府へ行く。まずは政庁跡から見ていこうと思う。
西鉄福岡駅のホームで車掌っぽい人に「この急行は都府楼前駅にとまりますか」と尋ねたら、「とまりませんが、これに乗って行って春日原で各駅停車に乗り換えるのが早いです」。さらに「都府楼前の改札は後ろ寄りに乗ると近いですよ」と、かゆいところに手が届く説明。
きのうの某JRとはえらい違いだった。
都府楼前駅に降りるとバスは出たばかり。それで歩き出すとすぐ、大きな石灯篭と石鳥居が現れた。 -
県道沿いにある小学校も中学校も実に豪華な門がある。向かいの住宅街も立派な家が多い。大宰府って豊かな市なんだなあ。
政庁跡に近づくと遊歩道のアプローチになった。 -
大宰府政庁跡。
礎石が残っているだけの広い空間が広がっていた。 -
大宰府は、ヤマト政権の大陸に対する外交・軍事の拠点および九州を統括する役所として7世紀につくられ、12世紀まで続いた。
わたしは旅の下調べをするまで大宰府はもっと博多湾に近いのかと思っていたが、実際は直線で10km以上も内陸にはいったところにある。
663年の白村江の戦いで唐・新羅に大敗し朝鮮半島介入政策に挫折したヤマト政権は、両国軍の来襲を恐れ、その防衛に必死になる。
対馬・壱岐・筑紫に防人を配し、それまで博多湾岸にあった出先機関を内陸に移し、それが大宰府となった。
その北側には大規模な水城(みずき:堀のある土塁)を築き、政庁後方に見える四王寺山には大野城を築いた。 -
大宰府は遠の朝廷(とおのみかど)とよばれる格式の高い役所だったそうだが、建物は何も復元されていない。人は、礎石しか残ってない草原に立ち、往時を想像するのみだ。きのう見たテーマパークと違って、この潔さが気持ちいい。
立っている三つの記念碑はみな19世紀以降のもの。日本のナショナリズムが盛り上がった時代か。 -
今は、散歩する人、ジョギングする人、飛行機を飛ばして遊ぶ人と、近くの人たちの憩いの場となっていた。
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「あをによし…」の歌は奈良で詠まれたものとばかり思っていたので、この碑を見て驚いた。なんとこの太宰府で遠い奈良の都をたたえて歌ったものだったんだ。
小野老は当時太宰府ナンバー3の小弐で、トップの帥(そち)である大伴旅人や筑前守だった山上憶良らとの歌会でこの歌は詠まれたという。 -
政庁跡に隣接する大宰府展示館にはいった。修学旅行の中学生と一緒。
政庁に敷かれていた塼(せん:古代の煉瓦)。花模様に見える優雅なデザインが印象的だ。 -
近頃話題の梅花の宴の料理。
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もちろん想像だろうけど、すごいごちそうだ。
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ここは規模は小さくパネル解説の展示が多いけれど、無知なわたしには結構学べた。
たとえば、菅原道真は左遷されたとはいっても権帥だから、大宰府の実質トップとしてそれなりの責任と権限があったんだろうと思っていたけれど、実は仕事どころか出勤も許されない流刑のような状態だったなんて知らなかった。
大宰府展示館を出て、バスで天満宮に向かう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2021/02/03 21:37:57
- 太宰府
- ひらしまさん
こんばんは。
吉野ヶ里、太宰府の旅行記、楽しませていただきました。
まだ未訪問の地ですし、
丁度私も旅行記で、壬申の乱にまつわる歴史を改めて学びましたので、
こうして今、ひらしまさんの旅行記で、
白村江の戦いにまつわる太宰府についての写真やらコメントを
読ませていただきますと、何やら知識が深まるように感じられ
改めてこのフォートラでのつながりに感謝しています。
太宰府の政庁跡、今は礎石だけが残っている地面に立たれてのお写真、
古代の人々の息づかいが聞こえてくるかのようですね。
「あをによし、、、」の歌、私も奈良で詠まれたものと思っていました。
現地に立たれて初めてわかる事がたくさんありますね。
花模様がかすかに残っている、塼、これはとても優雅なものです。
実用のみのデザインではない、このようなちょっとした遊び心が
素敵と思いました。
mistral
- ひらしまさん からの返信 2021/02/04 18:03:01
- Re: 太宰府
- mistralさん、こんにちは。
こんな文句たらたら旅行記でも楽しんだと言ってくださってありがとうございます。
白村江から防人や大宰府につながっているって知らなかったので、この旅でお勉強させていただきました。
若くしてクーデターで最高権力者の蘇我宗家を倒した中大兄も、後の朝鮮半島や超大国唐との外交・戦争の失敗にはさぞ苦悩したことと想像しました。
ようやく大王の地位に就いた後も後継者に迷い悩みながら死に、その後には大動乱が待ち受けている。
ドラマチックですよね。
大宰府政庁跡は、天満宮などよりずっと地味だけれど、歴史に思いを馳せる人にとっては想像をかきたててくれる空間だと思います。
mistralさんに共感していただけてうれしいです。
ひらしま
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