2021/01/18 - 2021/01/20
99位(同エリア354件中)
xiaomaiさん
- xiaomaiさんTOP
- 旅行記406冊
- クチコミ462件
- Q&A回答3件
- 621,993アクセス
- フォロワー59人
日々のストレスから解放され、疲れた心身を癒すため、蘭陽(宜蘭平原一帯)を旅してきた。行ったのは礁溪、宜蘭、頭城。どこも初めて行った場所ではないけれど、それぞれにおもしろさを再発見した。
(2)宜蘭編
南興宮、宜蘭監獄門廳、五穀廟、阿娘給的蒜味肉羹、西郷廳憲徳政碑、文昌宮、昭應宮、城隍廟、感應宮、碧霞宮、孔子廟、阿皃正雄小吃部
PR
-
旅館のオーナーが海で獲ってきた新鮮な食材で作られた、具材たっぷりの海鮮粥。食材の状況により、毎日食せるわけではない。この日はラッキーだったと言える。
メイ ジョウ ホテル (美洲山莊) ホテル
-
テーブルの上のディスプレイ
-
食後、コーヒーを淹れてもらった。
-
この柴がうちの子だったら、何かおやつをあげてしまう。
-
犬との別れを惜しみつつ、9時半に礁溪駅へ向かった。
-
9時47分発の各駅停車に乗車。
-
平日の列車内はガラガラ。
-
10時5分に宜蘭に到着。
宜蘭駅 駅
-
宜蘭の街は十分徒歩で回れる(自己基準)。
-
駅の前にある丟丟○(口+當)森林。絵本から飛び出してきた汽車がぶら下げられている。
-
宜蘭県消防署の前にある、幼児を救い出した消防士の像。危険を顧みず、人々のために尽くす消防士には頭が下がる。
-
第二(南館)公有零售市場。見たことのない魚が並んでいた。
-
南興廟へ行こうと思い、そこへの行き方を買い物客に尋ねたら知らないと言われた。さらに別の人に聞くも同様の回答。市場のビルの屋上にあることは知っていたから、ビルの入り口を探した。そして見つけたのがここ。
-
儂儂商店の左手にあるエレベーターで最上階へ。
-
エレベーターを降りて、右手にある階段を上る。
-
南興宮
-
この廟は市場のビルができる前からここにあったそうで、ビルを建築する際に、屋上に廟を設けることになったようだ。
-
子供の生育を司る註生娘娘が主祭神。
-
註生娘娘は多くの廟で祀られているけれど、主祭神として祀る寺院は珍しい。そして、この廟は子授けを願いに来る人が多いそうだ。実際、夫婦らしき男女が参拝に来ていた。
-
註生娘娘の右手に観音殿。
-
さらにその右に太歳殿。
-
註生娘娘の左手には福徳正神を祀る福徳殿。
-
その左に月下老人を祀る月下殿。
-
註生娘娘の下には虎爺殿。
-
虎爺をお参りした際に下から見えた註生娘娘。
-
ビルの屋上にある金爐。
-
お参りを終え、ベンチに座っていると、黒い犬がやってきた。
-
ルルという名前で、この廟を管理している人の犬のようだった。
-
とても人懐こい犬だった。前日とこの日の朝、ホテルの柴と戯れていたから、体にその子たちの匂いがついていたようで、匂いチェックを受けた。
-
賑やかな市場を抜け、舊城東路へ。
-
だいぶ歴史がありそうな歯科医院。
-
神農路をしばらく行くと、この建物がある。これは舊宜蘭監獄門廳。元々この日には監獄があった。現在は商業施設になり、門廳だけが残されている。
藍屋餐廳 (宜蘭監獄門庁) その他の料理
-
中はレストランになっている。
-
舊宜蘭監獄門廳の向かいにあるのが宜蘭五穀廟。
-
入り口にある牛の像。健康であれば耳、子孫繁栄であれば頭、仕事運であれば角などのように、願い事の内容によって、牛の体を撫でる。
-
宜蘭五穀廟の主祭神は寺院の名称でわかるように、神農大帝。農民が清朝に請願し1812年に創建された。1852年に台風被害を受けて、1858年に再建され、2016年には歴史建築に指定された。2018年に2度目の再建がなされた。
-
植民地時代、憲兵隊がここに置かれ、後に日本人が住職を務めて、観音菩薩が祀られてた。五穀廟に戻ったのは戦後になってから。
宜蘭地区の農業の発展と人々の平安を祈った。 -
神農路を進み、民権新路を右折。しばらく行くと、165年の歴史を有する金六結福徳廟があった。地元の人々を守る土地公が祀られている。
-
さらに歩みを進めて、やってきたのは泰山路にある阿娘給的蒜味肉羹。宜蘭に住んでいる旅館のスタッフが紹介してくれたレストラン
-
11時過ぎの到着だったけれど、既に先客は多かった。地元の人より、外地から車で来ていた人が多そうだった。
-
その後も次から次へと客が来店。
-
蒜味肉羹飯を注文。ニンニクがガッツリ効いたとろみスープに肉が入り、その下に白飯。パンチの効いたグルメ。
-
阿娘給的蒜味肉羹の先に真正香牛肉麵という店もあり、ここがとてもおいしいと紹介してもらっていたんだけれど、11時半に行ってみると、この通り。臨時休業のようだった。
-
金六結路を北東に進み、宜蘭河の堤防へやってきた。
-
堤防に建っている西郷廳憲徳政碑。「西郷」というのは西郷隆盛の次男である西郷菊次郎のこと。西南戦争で右足に被弾して膝から下を失った。後に外務省に入り、米国公使館に勤務。台湾が植民地となると、台北県基隆宜蘭支庁長に就任し、1897年には宜蘭県宜蘭庁長官に任命された。
宜蘭は実り豊かな穀倉地帯となっているが、宜蘭河の度重なる氾濫に人々は困っていた。西郷は亡父隆盛が残した「敬天愛人」の精神により、3万9千円の公費を投じ、74万人を動員して、1年半で高さ1660mの堤防を完成させた。 -
2015年、宜蘭と鹿児島西、双方のロータリークラブが協力して、徳政碑の周りに桜を植樹した。桜の時期にここを再訪してみたい。
-
文昌路を北西に向かって歩き、文昌宮へ。宜蘭の街も廟が多く、その廟名を名称にしている道路がある(文昌路のほか、神農路、城隍街)。
画像は文昌宮の1つ目の門。その下には阿南米粉羹というオープン食堂がある。ここも評判がよいようだけれど、他に行こうと思っていた店があったから、この店では食べなかった。文昌廟 寺院・教会
-
2つ目の門。
-
右側に文昌帝君が、左側に關聖帝君が祀られている。ここにはもともと教育機関である仰山書院があり、植民地時代には宜蘭公学校、女子校学校の臨時校舎にもなった。
-
今も参拝の対象となっているこの馬の像は、もともと宜蘭神社の天照大神の神馬像だった。
-
香爐に隠れてしまっているけれど、腹部に総督府の徽章が刻まれている。
-
馬像の反対側には麒麟。
-
学問の神である文昌帝君。地元の多くの受験生が試験の前にお参りに来る。
-
文昌帝君の右に魁星爺。
-
左には五夫子。
-
文昌帝君の前には受験票をコピーしたものが多く置かれていた。
-
關聖帝君
-
受験生が合格を祈願するために氏名や志望校を書いて供えた木札。
-
合格祈願のために受験生が氏名と志望校を記す大きな冊子。神明は自らを助る者の願いを叶えてくださる。受験まであと半年、みんな頑張れ!
-
合格祈願のために所狭しと置かれた供物。
-
次にやってきたのは1808年創建の昭應宮。
昭応宮 寺院・教会
-
入ると左手に順風耳将軍がおられ、
-
右手に千里眼将軍がおられる。
-
宜蘭でもっとも信仰を集める寺院で、三級古蹟に指定されている。
-
「澤覃海宇」の額は道光帝の手になる。
-
黒面の媽祖
-
観音大士、文昌帝君、關聖帝君
-
註生娘娘、西王金母、婆姐
-
福徳正神
-
大型の神輿
-
水仙尊王、天官、地官、道徳天尊(太上老君)、玄通祖師(媽祖が人間であった頃に道術を授けた道士)、中壇元帥。
-
蘭陽地区の開発に努めた清朝期の三大老(この地域の地方首長であった楊廷理、翟淦、陳燕)。
-
東獄仁聖大帝、廣救真人、天醫真人
-
航海の神である媽祖を祀る廟は基本的に海に面して建てられるけれど、昭應宮は1834年に再建される際、海を背にし山側を向くように建てられた。白沙屯拱天宮も同様に海を背にしている。
-
次にやってきたのは1813年創建の城隍廟。官祀のものでは台湾で11番目に古い。
城隍廟 (宜蘭) 寺院・教会
-
道光18年6月の碑
-
正殿
-
宜蘭城隍爺
-
城隍爺のご子息。左から大少爺、二少爺、三少爺。
-
謝将軍(4尊)と牛将軍
-
范将軍(4尊)と馬将軍
-
武判官、夜遊巡、一番右の神明は不明(千里眼将軍か順風耳将軍?)
-
文判官、日遊巡、後ろにお隠れになっているのは......
-
こちら。いずれの神明かは不明(千里眼将軍か順風耳将軍か)。
-
馬使爺
-
城隍夫人
-
城隍爺の大小姐と二小姐。城隍爺の御令嬢の神将は初めて目にした。
画像には収めなかったけれど、正殿の両脇の通路には六部司(吏、戸、禮、兵、刑、工)も祀られている。 -
佛祖殿
-
城隍廟のすぐ左にあるのは感應宮。すぐ隣というより、内部は繋がっている。
-
1826年の創建で、孚佑帝君(呂洞賓)を主祭神としている。
-
虎爺
-
岳武穆王(岳飛)を祀る碧霞宮
碧霞宮 寺院・教会
-
華人なら誰もが知る「岳母教忠」。
-
母が岳飛の背に「盡忠報國」と掘り込み、国に忠義を果たすことの大切さを説いた。無念にも国復興を果たせずに39歳の若さで時の宰相秦檜に謀殺されてしまった岳飛は、関羽とともに義理堅い武将として今でも崇められている。
-
創建されたのは植民地となって間もない1899年。日本は台湾を接収したのち、台湾の人々に、中国に引き揚げるか、台湾に残って日本人となるかを選択させた。当時、宜蘭の人々は日本人となることに反感を抱き、中国へ引き揚げることを考えるも、多くが既に台湾に生活基盤を築いており、判断に困って、神明に伺いを立てた。その結果、「宣揚忠孝、感化人心、勸人向善為要、不必回應」との回答を得て残留した。実際に、中国へ戻ったのは全体の0.25%に過ぎなかったとされる(宜蘭地区は神明のお告げにより0)。
-
1897年、進士(科挙合格者)であった楊士芳が呼び掛け人となり、地元紳士たちは国家復興に尽力した岳武穆王を主祭神とする廟を創建することを決め、廟名を碧霞宮とした。これは「碧血丹心望曉霞」から取った名で、「我が山河を取り戻す」ことを意味する。
-
主祭神の岳武穆王。本来は将軍だけれど、道教においては神となったため、皇帝の服飾を身につけている。この廟には、帥、王、帝の3種のお姿をされた岳武穆王がおられる。
-
道教の始祖である太上老君(老子)も祀られている。
-
太上老君の下に虎爺
-
後殿である岳聖母殿
-
岳飛の母姚太夫人を祀る。
-
宜蘭で最後に訪れたのは孔子廟。台湾に10ある孔子廟で訪れていないのは桃園と屏東だけになった。
-
「萬仞宮牆」と記された高い壁も泮池もあるのだけれど......
-
禮門の前は草ぼうぼう。これまで観てきた孔子廟の中でもっとも管理がなされていないと感じた。
-
禮門
-
大成殿
-
孔夫子の位牌
-
先聖、先賢、先儒の父祖の位牌が祀られている崇聖祀。
-
ホテルのスタッフに紹介してもらった「阿皃正雄小吃部」。昼ごろは混んでいたから、13時半過ぎに入店。
-
店内。自分以外にはいなかったけれど、後から数組入店。
-
米粉炒。台湾の他の地域では炒米粉と呼ばれるけれど、宜蘭では米粉炒。他所と異なり極細ではなく、甘いタレをかけて食べる。多くの人が勧める料理だけれど、自分には味が濃過ぎた。
-
粉腸。これは主に2種類ある。1つは豚の小腸を意味し、それ自体のみを食べるもの(台湾北部の一般的な食し方)。おいしい小腸を得るためには、屠殺する前、豚を空腹状態にする必要があるらしい。もう1種は豚の大腸で、その中に肉などを澱粉で固めたものを詰め、表面が赤い(南部の食し方)。宜蘭のは南部のものに近いけれど、画像のように赤くない。また、名産のネギが入る。これにも米粉炒と同じ甘いタレがかけられる。
-
食後はすぐにホテルへ戻り、柴と遊ぶこともできたんだけど、以前愛犬と訪ねた頭城を再訪することにした。
(続)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- sanhaoさん 2023/01/14 09:03:37
- 還島の旅
- 3月に1ヶ月くらい掛けて還島を計画しています。台北から時計回りで一周しようと思っています。最初の宿泊地を迷っていますが、旅行記を拝見して宜蘭が良いかなと考えています。
- xiaomaiさん からの返信 2023/01/14 12:12:17
- Re: 還島の旅
- sanhao さん
コメント、ありがとうございます。
台北市内では外国人旅行者の姿を見かけるようになりました。しかし、台湾でも感染拡大はまだ続いています。政府は屋外ではマスクを着用しなくてもよいとしていますが、ほとんどの人はまだ着用している状態です。3月には状況がもう少しよくなっているとよいのですが......。
どうぞ楽しい旅をなさってください。
xiaomai☆
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったグルメ・レストラン
宜蘭(台湾) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
113