![尾小屋(おごや)鉱山は、江戸初期に発見された鉱山で、銅の他に金・鉛・亜鉛を産出。<br />銅は明治から大正に生産量が増大し、日本有数の産出量を誇り、昭和46年(1971)の閉山まで地域の基幹産業として支えました。<br /><br />「尾小屋鉱山資料館」は、尾小屋鉱山の貴重な産業遺産と文化を後世に伝えるため、昭和59年(1984)に開館。鉱山関係の歴史や資料、道具、尾小屋鉄道などを紹介しています。<br />旧坑道を利用した「尾小屋マインロード」は、全長約600mの坑道内に原寸ジオラマで作業風景を再現しています。<br /><br />大正9年(1920)~昭和52年(1977)まで、尾小屋駅~新小松駅間 16.8kmを走っていた尾小屋鉄道。<br />今はその面影がほとんど残っていません。<br /><br />今日の午後は尾小屋の街を歩く見学会の後、「尾小屋鉱山資料館」と「尾小屋マインロード」、「尾小屋鉄道」廃線跡の一部(尾小屋駅と長原駅)を訪ねます。<br /><br />表紙の写真は尾小屋鉄道を走っていた気動車キハ3。<br /><br />なお、旅行記は下記資料を参考にしました。<br />・尾小屋鉱山資料館・尾小屋マインロード資料<br />・尾小屋鉱山だより「超ロングランアイテム その2 タガネ類 」<br />・倶知安町ミュージアム通信「斧と鉞、サッテと刃広」<br />・光る石資料館、鉱山あれこれ「鉱夫の道具」<br />・小松市、尾小屋鉱山資料館「尾小屋鉱山資料館概要及び歴史」<br />・小松市、ポッポ汽車館「ポッポ汽車とカラミ保存活動写真帳」「尾小屋鉄道について」<br />・尾小屋鉄道ホームページ「尾小屋鉱山について」<br />・歩鉄の達人「廃線探索 尾小屋鉄道」<br />・森林・林業学習館「流路工」<br />・まるごと・こまつ・旅ナビ「観音下石材」<br />・ウィキペディア「島津源蔵 (2代目)」「小松市立ポッポ汽車展示館」「等級 (鉄道車両)」「尾小屋鉄道」「車止め」<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/66/72/650x_11667248.jpg?updated_at=1608863006)
2020/09/19 - 2020/09/19
5位(同エリア244件中)
かっちんさん
尾小屋(おごや)鉱山は、江戸初期に発見された鉱山で、銅の他に金・鉛・亜鉛を産出。
銅は明治から大正に生産量が増大し、日本有数の産出量を誇り、昭和46年(1971)の閉山まで地域の基幹産業として支えました。
「尾小屋鉱山資料館」は、尾小屋鉱山の貴重な産業遺産と文化を後世に伝えるため、昭和59年(1984)に開館。鉱山関係の歴史や資料、道具、尾小屋鉄道などを紹介しています。
旧坑道を利用した「尾小屋マインロード」は、全長約600mの坑道内に原寸ジオラマで作業風景を再現しています。
大正9年(1920)~昭和52年(1977)まで、尾小屋駅~新小松駅間 16.8kmを走っていた尾小屋鉄道。
今はその面影がほとんど残っていません。
今日の午後は尾小屋の街を歩く見学会の後、「尾小屋鉱山資料館」と「尾小屋マインロード」、「尾小屋鉄道」廃線跡の一部(尾小屋駅と長原駅)を訪ねます。
表紙の写真は尾小屋鉄道を走っていた気動車キハ3。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・尾小屋鉱山資料館・尾小屋マインロード資料
・尾小屋鉱山だより「超ロングランアイテム その2 タガネ類 」
・倶知安町ミュージアム通信「斧と鉞、サッテと刃広」
・光る石資料館、鉱山あれこれ「鉱夫の道具」
・小松市、尾小屋鉱山資料館「尾小屋鉱山資料館概要及び歴史」
・小松市、ポッポ汽車館「ポッポ汽車とカラミ保存活動写真帳」「尾小屋鉄道について」
・尾小屋鉄道ホームページ「尾小屋鉱山について」
・歩鉄の達人「廃線探索 尾小屋鉄道」
・森林・林業学習館「流路工」
・まるごと・こまつ・旅ナビ「観音下石材」
・ウィキペディア「島津源蔵 (2代目)」「小松市立ポッポ汽車展示館」「等級 (鉄道車両)」「尾小屋鉄道」「車止め」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
尾小屋鉱山資料館
「尾小屋鉱山資料館」は、尾小屋鉱山の貴重な産業遺産と文化を後世に伝えるため、昭和59年(1984)に開館。
鉱山関係の資料や道具、尾小屋鉄道の歴史などを紹介しています。
入館料500円、休館日は水曜日と12/1~3/24(冬期)。
今日は尾小屋の街を歩く見学会「カラミの街・尾小屋をめぐる」に参加したので無料です。
では、資料館の展示を紹介します。 -
日本の金属鉱山(資料館)
かつて国内では、金銀、銅、鉄、鉛・亜鉛、マンガン、イオウなどの鉱物を産出していましたが、今はほとんどの金属鉱山が閉山。
銅を産出した「尾小屋鉱山」は北陸の石川県にあります。 -
尾小屋鉱山の全景(資料館)
昭和11年撮影の「岩底谷を望む」の写真。 -
尾小屋の地形図(資料館)
尾小屋鉄道終点の尾小屋駅の先に、鉱山従事者の住宅街、鉱山事務所などが並び、山の中腹に坑口がありました。 -
「ガガガガ・・・」削岩機(資料館)
-
イチオシ
削岩に使う道具(資料館)
ピックは、削岩機の一種。
手掘り発破タガネ(43cm・50cmの2種類)は、発破や坑道の工事一般に使われました。
チンコタガネ(19cm・25cmの2種類)は、小さいタガネの意味で、ベストネーミング。 -
坑道枠を作る道具(資料館)
ガンド(鋸)、刃広(はびろ)、サバヨキ、カスガイなど。
刃広は、鉞(まさかり)より刃が著しく広く、木を繊維に沿って縦に割るのに適しています。
サバヨキは、坑道枠を作る時カサ木を受ける柱の木口にくぼみをつけるヨキで、刃幅の狭いことが特徴。 -
倉谷坑道は迷路(資料館)
尾小屋鉱山の坑道は、全長約160km。
地表と地中を行き来する立坑と、水平の坑道が網の目のように掘られています。
一番深い坑道は海面下210m。
地表近くの切羽(きりは、鉱石を掘る所)では年中温度が18℃、湿度60%。
最も深い切羽では年中温度が28~30℃、湿度80%以上もある厳しい条件の中で採鉱作業が進められました。 -
坑内の照明(資料館)
大正~昭和25年頃までは、「アセチレンランプ」を使用。
炭化カルシウムと水を反応させることで生まれるアセチレンガス(C2H2)を燃料とする灯火具。
かっちんが小さい頃に夜店で灯りに使われていたこと、手塚治虫のマンガに登場する大物悪役キャラクターなどを思い出します。
昭和になると電池式ランプの付いた安全帽に変わります。 -
バッテリーランプ(資料館)
鉱石運搬車の最後尾に取り付けられた電池式ランプ。
明治41年(1905)「GS」商標の日本電池製です。
「GS」とは鉛蓄電池を開発した島津源蔵(Genzo Shinazu)の頭文字です。 -
「雷管鋏」(資料館)
「雷管鋏(らいかんばさみ)」は、大正~昭和初期に導火線の一端を雷管に差し込んだあと、雷管の口を回しながら締め付けるのに用いました。
その後、電気雷管に切り替わります。 -
顔の形をした「発破器」(資料館)
昭和後期のダイナマイトを爆発させるための起爆装置。
電気雷管に導線を接続し、発破器から電流を流して起爆させます。 -
銅精鉱の操業系統図(資料館)
索道・トラック・鉱車で運ばれてきた鉱石を粉砕し、金属の精鉱になるまでの流れを表しています。
精鉱は銅だけでなく、硫化鉄、亜鉛、鉛などにもなります。 -
精錬のながれ(資料館)
「熔鉱炉」は鉱石(銅品位約28%)を上部から投入し、炉底から熱風を吹き込んで鉱石を溶かします。
溶けた銅は流れ落ち、炉の底にある「前床(まえとこ)」にたまります。
銅分を含んだ重い「かわ」は下部に、軽い不要分の「からみ」は上部に分離。
「かわ」は運搬車で「真吹炉(まぶきろ)」へ運ばれ、低圧と高圧の混合空気を湯面に吹き付け、「粗銅(銅品位98~99%)」ができ上ります。 -
「からみ」(資料館)
熔鉱炉で精鉱を溶かし、銅を取ったかすを「からみ」と呼びます。
1個が60~80kgもある「からみ」は六角形をしており、この形は日本で尾小屋だけのもので「亀甲からみ」と名付けられています。
最初は選鉱場横に捨てられ、その後、築壁用として使用されたものが尾小屋の街並みに残されています。
昭和28年頃からは真珠石の代わりにセメント工場に売られるようになりました。 -
イチオシ
「からみ」の利用(資料館)
左から、建物の土台や塀垣の材料に使われた「からみレンガ」、セメントの原料になった「水砕からみ(すいさいからみ)」、六角形をしたからみ煉瓦の「亀甲からみ」。 -
「尾小屋鉄道」路線図(資料館)
尾小屋鉱山の粗銅、鉱石、鉱山用資材などを運ぶために、大正9年(1920)尾小屋駅と新小松駅を結ぶ「尾小屋鉄道」が開通しました。
鉄道は、鉱石輸送だけでなく、沿線の住民の「生活の足」としても大いに利用されました。
鉱山が閉山してから尾小屋の人口は減少の一途をたどり、同時に鉄道利用者も減少し、昭和52年(1977)に廃止となりました。 -
「尾小屋鉄道」のきっぷ(資料館)
硬券乗車券と廃止前の記念きっぷの展示。
国鉄では鉄道車両の3等級制が昭和35年(1960)まで続き、一番下の等級が「3等」でした。後に2等級制・モノクラス制となり「3等」は「普通」になります。
2段目にある「尾小屋から西吉竹ゆき」きっぷが「3等」になっているのは、西吉竹駅が昭和29年(1954)に新設されたのでその当時のきっぷと考えられます。
往復乗車券の有効日数は、一般的に片道乗車券の有効日数の2倍ですが、尾小屋鉄道ではなぜか1日多く「3日」となっています。 -
尾小屋鉄道の「レール車止め」(資料館)
鉄道車両が停止すべき位置を越えて走行してきた時に、停止させるための構造物が「レール車止め」です。 -
新小松駅のジオラマ(資料館)
赤い車両が尾小屋鉄道、手前が国鉄北陸本線のようです。 -
「金平駅」の駅名標(資料館)
駅名案内の下に堀口歯科の広告があります。 -
黄銅鉱の脈と方解石(資料館)
銅が含まれている鉱石です。 -
銅でつくられた製品(資料館)
銅は電線、銅板、皿、メダル、電子部品の回路基板等に使われています。 -
大正13年の「鉱山角力番付表」(資料館)
銅の産出量が多い順位は、東では足尾、小坂、日立、尾花沢。西では別子、佐賀関、直島。
そして尾小屋は8位です。 -
馬車による銅の輸送(資料館)
明治13年~大正8年の輸送は馬車。
馬車道と歩道が分かれています。 -
尾小屋鉄道による銅の輸送(資料館)
大正9年~昭和31年の輸送は鉄道。 -
トラックによる銅の輸送(資料館)
昭和32年~昭和37年の輸送はトラックへと変わります。 -
粗銅生産量と従業員の変動(資料館)
大正9年(1920)に生産量とともに従業員数がピークを迎えます。
鉱山権が横山家から日本鉱業に移籍や、太平洋戦争の乱掘を経て、昭和29年(1954)~昭和36(1961)に最大生産量(人員は機械化により増えず)となり、翌年閉山します。 -
次は「尾小屋マインロード」へ
ここは旧坑道を利用した展示施設のマインロードです。 -
マインロード案内図
全長約600mの坑道内に原寸ジオラマで作業風景を再現しています。 -
坑夫の作業(マインロード)
「手子(てこ)」と呼ばれる坑夫は、掘り出された鉱石を「合砂」という三角形のくわを使ってかき集め、籠(得歩、とくほ)に入れました。
「負夫(おいふ)」と呼ばれた坑夫が、その籠を背負い坑口まで運び出しました。 -
水替えの作業(マインロード)
地下深く坑道を掘り進めると、湧水が多くなり坑内の底に水か溜まります。
坑内から水をくみ出す作業は非常に困難で、鉱山は水との闘いともいわれました。
水のくみ出しは、桶の手渡しや滑車と釣瓶によって、井戸水をくみ揚げるような方法で行われていました。
その後、「箱樋(はこひ)」という手動ポンプが採用されて大変効率が良くなりました。 -
手掘り(マインロード)
鉱石は、「つち(石頭、せっとう)」と「たがね」によって、人の手で掘られていました。
これは、「掘大工」という熟練した専門の坑夫が行いました。
足元が不安定な場所や高いところに鉱脈があるときは、「支柱夫」が足場を組み、「掘大工」の仕事をしやすいようにしました。 -
杭木(マインロード)
鉱床は、下から上に向かって採掘します。
採掘後は、空洞の崩落を防ぐため「杭木(くいぎ)」で補強します。 -
イチオシ
鉱石の運搬(マインロード)
鉱石を積み込んだ鉱車を、機関車で引っ張り、坑外あるいは立坑まで鉱石を運び出します。
機関車は、バッテリー(蓄電池)を動力としています。 -
「サバ合掌」(マインロード)
「サバ合掌」は、通常の合掌枠よりも岩が軟らかく、周囲からの力(地圧)も大きい場合に用いる方法です。 -
見張り場(マインロード)
拝殿所で1日の安全を祈った人たちは、見張り場で判座(出退勤カード)を出します。
大勢の人たちが坑内に入りますので、この判座で出勤と入坑の確認をとります。
ここでその日の作業や安全の指示を受け、打ち合わせを行い、各自の作業現場に行き、作業にとりかかります。
1日の作業が終わって帰る時は、ここで判座を受け取り、退勤、出坑を確認します。 -
イチオシ
尾小屋鉄道の気動車「キハ3」(ポッポ汽車展示館)
資料館とマインロードの見学を終え、ポッポ汽車展示館に来ています。
今日は「キハ3」特別公開の日で屋外に出ています。
もとは遠州鉄道奥山線で活躍していた気動車で、同線閉業後の昭和39年(1964)に尾小屋鉄道に導入されました。
昭和29年(1954)汽車会社で製造した気動車です。 -
尾小屋バス停付近
帰りの小松駅行きバスまで1時間半ほどあるので、尾小屋鉄道の廃線跡を少したどってみます。 -
「尾小屋駅へ通じる廃線跡」
国道416号の尾小屋鉱山入口付近に、尾小屋駅へ通じる廃線跡があります。 -
広い敷地の「尾小屋駅構内」
-
今も残る線路(尾小屋駅跡)
-
草に覆われる線路(尾小屋駅跡)
駅舎と転車台などがあったのですが、草が茂りよくわかりません。 -
長原バス停
尾小屋駅の隣の駅があった「長原駅」近くまで歩いてきました。
廃線跡は国道より東側を通っています。 -
「長原駅跡」(長原バス停付近)
現在、民家が建てられ、長原駅の面影は見当たりません。 -
これは何だろう(長原バス停付近)
同じものが尾小屋バス停近くの民家前にもありました。
後日、尾小屋鉱山資料館に問い合わせし、教えてもらいました。
『赤いものは消火栓です。
赤いカバーを外すと、ホースをつなぐ口があります。』
雪国に最適な消火栓とわかりました。 -
白山神社(長原バス停付近)
尾小屋町には白山神社がいくつかあり、その一つです。 -
笑ってるような狛犬(白山神社)
-
長原~倉谷口間の廃線跡
長原駅を過ぎると廃線跡は郷谷川(ごうたにがわ)を渡り東側に移ります。
近くに大谷橋があったので渡ってみると、それらしき廃線跡があります。
この先を歩いて行けるのか心配なので、国道へ戻ります。 -
倉谷口駅跡
国道の二ツ屋バス停を過ぎると、白山市へ通じる県道109号が分岐し少し入ったところに「倉谷口駅跡」があります。 -
イチオシ
短い橋(倉谷口駅跡付近)
尾小屋鉄道の橋だと思います。 -
尾小屋トンネル
再び国道へ戻り、その先に「尾小屋トンネル」があります。 -
あばら骨のような「流路工」(郷谷川)
トンネルを抜けると郷谷川が近くに見えます。
川の流れにより岸や川底が削り取られないように階段状の「流路工」が設置されています。 -
すれ違う「尾小屋行き」バス
このバスが尾小屋まで行き、折り返してくるバスに乗る予定です。 -
イチオシ
観音下の石切り場
加賀地方の家々でよく見かける黄色い石でできた塀や蔵は、「観音下石(かながそいし)」、別名日華石を使っています。
「観音下石」は白山の火山灰が堆積してできた凝灰岩で、石質が軟らかく、多孔質で火に強いことが大きな特徴です。
有名なところでは、東京都駒場公園内の旧前田侯爵邸洋館や、国会議事堂などに使われています。
観音下駅跡は近くなのですが、帰りのバスがまもなく来るので駅へ行くのをあきらめます。 -
広大な石切り場(観音下)
「観音下石」は、明治時代から切り出され、最盛期には30人以上の石職人が働いていたといいます。
今は規模を縮小して石材業を続けています。
この後、ハニベ巌窟院、遊泉寺銅山跡へ向かいます。
尾小屋鉱山資料館、尾小屋マインロードでは、鉱山と尾小屋の歴史を学ぶことができました。
尾小屋鉄道の廃線跡は、別の機会にじっくり時間をとり歩いてみたいと思います。
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