2020/09/19 - 2020/09/19
4位(同エリア239件中)
かっちんさん
小松市の北東部に位置する「ハニベ巌窟院(がんくついん)」。ここは昔、石材の産地で周辺にはいくつもの石切場が残っています。
「ハニベ巌窟院」はこの石切場跡を利用しており、天井や壁には石工たちの手で刻まれた無数のノミの跡が見られます。
戦後まもない昭和26年(1951)、初代院主「都賀田勇馬」によって開洞され、世界平和と人類繁栄を願い、黙々と仏をつくりました。
長さ約150mの洞窟内には、初代・二代院主がつくった仏像や、地獄の世界を再現した鬼や閻魔大王の像が安置されています。
「ハニベ」とは、「はにわ」など土で彫刻を作る人を土部師(はにべし)と言い、現在の彫塑家のことです。
「遊泉寺(ゆうせんじ)銅山跡」は、「ハニベ巌窟院」からほど近いところにあります。
明治35年(1902)、銅山の本格的経営に乗り出したのが、吉田茂元首相の実兄だった「竹内明太郎」です。
明太郎は、遊泉寺~小松間に「遊泉寺銅山専用鉄道」(後の北陸鉄道小松線)を敷設し、小型溶鉱炉真吹法(まぶきほう)の採用など、近代的な経営を行います。
最盛期の大正期には、従業員とその家族5000人の鉱山町となりました。
そんな中、明太郎は機械工業の重要性にも着目し、大正6年(1917)には鉱山用機械の製作などを目的とした「小松鉄工場」を設立。
ところが、3年後には第一次世界大戦後の不況で遊泉寺銅山は経営危機に直面し、閉山となります。
一方、「小松鉄工所」はその翌年の大正10年(1921)に鉱山経営から分離して「小松製作所」となり、現在の世界的建機メーカー「コマツ」へと発展しました。
遊泉寺銅山にまつわる歴史が、高い技術力と多様な産業が集積する小松の礎を築きました。
現在の遊泉寺銅山跡には、高さ20mもある巨大煙突や竪坑跡、真吹炉跡などが残されており、「遊泉寺銅山ものがたりパーク」として整備されています。
今日の3つ目スポットは、路線バスで「ハニベ巌窟院」と「遊泉寺銅山跡」を訪れます。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・小松市「日本遺産 『珠玉と歩む物語』小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~」
・ハニベ巌窟院HP、資料
・風に誘われて、石仏に会いに行く「ハニベ巌窟院」
・トリップノート「ここは地獄か極楽か?石川県随一のカオスな洞窟寺院・ハニベ巌窟院」
・Hatena Blog「石川県の珍スポット「ハニベ巌窟院」にも狛犬がいた」
・warakuweb「地獄とはどんな場所?落ちたらどうなるの?仏教の地獄を徹底解説」
・ほっと石川旅ねっと「遊泉寺銅山跡」
・環境王国こまつ「遊泉寺銅山ものがたりパーク」
・学びと体験の里・南加賀「遊泉寺銅山跡」
・にーぼーの散歩「遊泉寺銅山跡、一周出来ませんでした」
・広報こまつ2020.5「遊泉寺銅山跡 里山みらい館オープン」
・ウィキペディア「牛頭馬頭」「懸衣翁」「北陸鉄道小松線」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「ハニベ巌窟院」の位置
小松市の北東部に位置する「ハニベ巌窟院」。
アクセスは小松駅から小松バス「ハニベ線」に乗り終点、所要時間22分。
「ハニベ巌窟院」から1.5kmほど離れたところに「遊泉寺銅山跡」があり、徒歩で移動します。 -
日本遺産「ハニベ巌窟院」
石切場を利用し、昭和26年(1951)に彫塑家により開洞。
平成28年度(2016)の日本遺産「『珠玉と歩む物語』小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~」に認定されました。
拝観料は800円。無休。 -
イチオシ
巨大な仏顔(ハニベ釈迦牟尼大仏)
昭和58年(1983)に建立された高さ15mの巨大な仏顔。 -
「ハニベ釈迦牟尼大仏」
平和への祈りをこめた大仏づくりは、高さ33mの大仏建立が最終目標です。 -
ハニベ巌窟院の入口
山の斜面の道を上がり、水子堂、阿弥陀堂、隆明殿、洞窟寺院へ向かいます。 -
水子供養の「水子堂」
御本尊は水子延命地蔵尊。 -
ライオン(阿弥陀堂前)
阿弥陀堂前には動物の像が・・・ -
象の像(阿弥陀堂前)
-
巌窟王(阿弥陀堂前)
初代院主の姿です。 -
美しい観世音と招き猫(阿弥陀堂)
洞窟を利用した阿弥陀堂には、他に聖観音像、阿弥陀如来、数々の仏像が安置されています。
左手を上げている招き猫は福を呼びます。 -
仁王像の見守る「洞窟寺院」の入口
次に「隆明殿」の展示物を見ながら通り過ぎると「洞窟寺院」が現れます。
長さ約150mの洞窟内には、仏像、インド彫刻コーナー、地獄を再現した世界があります。
では、洞窟内に入ります。 -
「夢牛」(洞窟)
この牛の彫刻は初代院主がある夜、夢に見た牛を作ったもので「夢牛」と名付けました。
当時、牛を作らせれば右に出る者なしと言われた名人で、90年の存命中、全ての夢が叶えられ満足してこの世を去りました。 -
「大黒天」(洞窟)
-
「在天の菩薩と摩耶夫人の霊夢」(洞窟)
上図は釈迦の前世を現し、下図は摩耶夫人が白象の右脇より入る霊夢により胎したる図です。 -
ヤクシニー像(洞窟)
女神で乳房や腰部の表現はインド古来の官能的特徴をよく伝えています。 -
地獄の門番「牛頭」(洞窟)
「牛頭(ごず)」は牛の頭に体が人身の姿をした鬼で、亡者達を責めさいなむ地獄の門番です。 -
地獄の門番「馬頭」(洞窟)
「馬頭(めず)」は馬の頭に体が人身の姿をした鬼で、「牛頭」とともに地獄の門番です。
門番には将来お世話になるかも知れないので、事前の見学のためと言って入ります。
なお、万一罪を問われても出口が別にあるので、門番に捕まることはありません(笑) -
針の車輪(洞窟)
これは痛そう・・・ -
罪の重さを見定める「懸衣翁」(洞窟)
「懸衣翁(けんえおう)」は、死後の世界の三途の川のほとりにある衣領樹(えりょうじゅ)という木の上、または川辺にいる奪衣婆(だついば)の隣にいるいわれる老人の妖怪。
奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣類を衣領樹にかけ、その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを計ります。
罪の重い亡者は三途の川を渡る際、川の流れが速くて波が高く、深瀬になった場所を渡るように定められているため、衣はずぶ濡れになって重くなり、衣をかけた枝が大きく垂れます。
また亡者が服を着ていない際は、「懸衣翁」は衣の代わりに亡者の生皮を剥ぎ取るといいます。 -
イチオシ
鬼の宴会「お前も一緒に食べるかい」(洞窟)
食卓を覗いてみると、「目玉の串刺し」、「耳と舌の甘煮」、「面皮の青づけ」等が並び、お酒は何と「人血酒」。
「いえいえ、遠慮しておきます。」 -
「食物を粗末にする罪」(洞窟)
鬼が杵で亡者の体をついています。 -
「鬼の調理室」(洞窟)
-
「人をたぶらかした罪」(洞窟)
舌が三寸になるほど引っ張られ、目から赤いものがポタポタ。 -
「血の池」(洞窟)
-
「乱用の罪」(洞窟)
大事な一物が重くて足腰が立ちません。 -
「不動明王」(洞窟)
死後の裁きは、地獄でさまざまな審査が行われます。
死後7日目に不動明王の前で書類審査を受けます。
書類審査では、生前の罪を全て記録した「獄録」というものをもとにして調査されるので、逃れようがありません。 -
「閻魔大王」(洞窟)
死後35日目には閻魔大王の審査。
閻魔大王が死者を大きな鏡の前に立たせると、生前のあらゆる悪業が映し出されます。
これを見ながら、閻魔大王は罪を裁くのですが、嘘つきはこの際に釘抜きで舌を抜かれてしまいます。
ちなみに、この裁きの日に親族や縁者が追善供養をするとその善行も鏡に映し出され、徳の深さによって、人間界や天上界に送られることもあります。 -
「風神雷神」(洞窟)
-
「天女」(洞窟)
-
「釈迦牟尼仏」(洞窟)
-
「愛染明王」(洞窟)
「愛染明王」は、縁結びのご利益があります。 -
次は「遊泉寺銅山跡」へ
「ハニベ巌窟院」から1.5km離れた「遊泉寺銅山跡」へ向かいます。 -
遊泉寺銅山跡の記念碑
「遊泉寺銅山跡」入口に到着。
明治35年(1902)、銅山の本格的経営に乗り出した吉田茂元首相の実兄だった「竹内明太郎」の記念碑があります。
明太郎は、遊泉寺~小松間に「遊泉寺銅山専用鉄道」(後の北陸鉄道小松線)を敷設し、小型溶鉱炉真吹法(まぶきほう)の採用など、近代的な経営を行います。
最盛期の大正期には、従業員とその家族5000人の鉱山町となりました。
大正9年(1920)に閉山となりましたが、明太郎は鉱山機械製造の「小松鉄工所」を経て、翌年に「小松製作所(現コマツ)」を立ち上げました。 -
「遊泉寺銅山ものがたりパーク」(遊泉寺銅山跡)
入口付近には「里山みらい館」があり、往時の写真や解説パネルなど、歴史を深堀りする様々な展示が楽しめます。
入口から鉱山街跡を通り、さくらの広場、巨大煙突、竪坑跡まで約1.3kmを往復します。 -
「鉱山街跡」(遊泉寺銅山跡)
昔の面影はありません。 -
鉱山街の様子(遊泉寺銅山跡)
明治末期から大正初め頃には千人近くが銅山で働き、鉱山街として賑わっていました。
魚屋や呉服屋などの商店が軒を並べたと伝えられており、銅山専用鉄道の駅の東側には小学校や医局(病院)がありました。 -
イチオシ
煉瓦造りの「真吹炉跡」(遊泉寺銅山跡)
銅鉱質の分析として使われていました。 -
水辺にある「睡蓮の花」(遊泉寺銅山跡)
-
さくらの広場(遊泉寺銅山跡)
小松駅と遊泉寺銅山を結ぶ「遊泉寺銅山専用鉄道」の駅があったところ。 -
砂山口(遊泉寺銅山跡)
かつて大きな砂山があった所。
ここから先の道が二手に分かれますが、右側の道に巨大煙突があります。
熊除けの鐘があるので、カンカンカンと鳴らして進みます。 -
イチオシ
煉瓦積みの「巨大煙突」(遊泉寺銅山跡)
精錬所跡にある高さ20m、直径2.5mの巨大煙突が一本残っています。 -
巨大煙突の煙道窓(遊泉寺銅山跡)
-
鍛冶屋の炉跡(遊泉寺銅山跡)
-
竪坑跡(遊泉寺銅山跡)
遊泉寺銅山では地下深くに竪坑が掘られ、そこから横方向に坑道を掘り進めて採掘していました。
竪坑の深さは約250m、坑道は上から1番坑から6番坑まであり、さらに6番坑の途中から約50m掘り下げて7番坑があったといわれています。 -
竪坑跡の穴(遊泉寺銅山跡)
穴から石を投げてみると、250m下の底に着くまで時間がかかり、かすかに落ちた音が聞こえてきます。 -
美しい地層(遊泉寺銅山跡)
竪坑跡から戻る途中、道端で複雑な地層の重なりを見つけました。 -
夕暮れ(遊泉寺銅山跡)
時刻は17:38。
入口まで戻ってきたのですが、「ハニベ」バス停まで戻る気力がなく、タクシーを呼び待っています。 -
雲の輪郭が輝く夕暮れ(遊泉寺銅山跡)
-
真っ赤に染まる夕焼け(小松市内)
日は沈み、夕焼け空になっています。
この後、小松駅から次の目的地の敦賀へ移動します。 -
イチオシ
「コマツ」の大型ダンプ
北陸本線小松駅前にある「こまつの杜」には、世界最大級ダンプトラック「930E」が展示されています。
ハニベでは地獄の恐ろしさを体験し、普段の行動を気を付けるようにしたいなと思いました。
遊泉寺銅山跡は昔の面影がほとんど残っていませんが、現在のコマツの原動力がここにあったことを知りました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
かっちんさんの関連旅行記
小松(石川) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
50