2019/07/01 - 2019/07/05
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「黒海地域は,後発的ながら国民国家建設をなんとか成功させた東欧と,言語上・宗教上の特質から,『アラブの春』や『イスラーム国(ISIL)』に見られたように跨境アクターが既存国家を容易に破壊することができる中東との中間にある。現代史を紐解けば,中東の跨境アクターとしてクルド人,マロン派など枚挙に暇がない。これとは対照的に,東欧では,モラヴィア人,カシューブ人,低地リトアニア(ジャマイティ)人の自己主張が,チェコやポーランドやリトアニアの国家建設を脅かすなどということはない。黒海地域はこの両極の中間にあり,跨境アクターが武装しているわけではないが,主権国家システムに容易に揺さぶりをかけるのである。たとえばモルドヴァ人問題はモルドヴァと沿ドニエストルの国家建設に,メグレル人問題はジョージア,アブハジアの国家建設に直接に影響する。モルドヴァでは,モルドヴァ民族(語)とはルーマニア民族(語)に他ならないとする汎ルーマニア主義と,ルーマニア民族(語)から独立したモルドヴァ民族(語)が存在するとするモルドヴァ主義の間の対抗が,ソ連解体期から2009年くらいまでは国内政治の主軸であった。沿ドニエストルの正式の国名は沿ドニエストル・モルドヴァ共和国である。これは,モルドヴァで汎ルーマニア主義が強かったソ連末期から1990年代初頭にかけて,沿ドニエストルがモルドヴァ主義を自分たちの独立の正当化根拠としようとしたことを物語っている。しかし,2000年代に入って,モルドヴァ主義の立場に立つ共産党がモルドヴァの政権を取ると,国家構成三民族(モルドヴァ人,ロシア人,ウクライナ人)を超えた沿ドニエストル愛国主義を国家イデオロギーにすべきという考えが沿ドニエストルで強くなった。」
「2008年に米国とEUがコソヴォ承認の号令をかけたとき,旧東欧の親米政権はすぐにそれに応じた。しかし,ルーマニア,モルドヴァ,ジョージアは,現在(2016年)に至るもコソヴォを承認していない。ルーマニアはトランシルヴァニアのハンガリー人問題を,モルドヴァは沿ドニエストル問題を抱えており,ジョージアは南オセチアとアブハジアを奪回することを諦めていないからである。『ガラスの家に住む者は,他人の家には石を投げられない』のである。東欧諸国で内戦が起こらず,中東では起こりやすいのに対し,環黒海に多い非承認国家は,制度化された内戦なのである。
なぜ黒海地域でトランスナショナリズムが優勢になり,主権国家の手を縛るのか。私は次の理由を挙げたい。(1)自立できないほど規模が小さい多民族国家が多く,それら多民族国家を形成する諸民族がそれぞれ国外同胞を持つ。(2)正教,イスラーム,非カルケドン派キリスト教など宗教勢力が跨境的な活動を展開する。(3)多くの民族が国境を跨いで分布し往来する。(4)非承認国家が政治,経済,宗教,民族関係上の跨境活動を促進する。つまり,ここでは原因が結果となる。トランスナショナリズムが強いからこそ,黒海地域では非承認国家が生き残る。そしてその非承認国家がトランスナショナリズムに有利な環境を提供するのである。」
「‥‥非承認国家は,国家間関係の枠を超えて,トランスナショナルな活動を展開する。その理由は,第一に,1990年代前半の内戦が膨大な数の傷痍者,寡婦,孤児を生み,他方で1990年代を通じてこれら国家の財政は貧しかったため,国際NGOの援助活動が活発になったことである。ロシアにはNGOを使った国外でのソフト・パワーの行使という発想が2000年代半ばまでなかったため,これら非承認国家のNGOはもっぱら欧米の基金に援助を求めることになった。
非承認国家がトランスナショナリズムの触媒となる第二の理由は,非承認国家を構成する諸民族・宗教組織は,しばしば『国外の祖国』を持っているということである。カラバフ・アルメニア人にとってのアルメニア,南オセチア人にとっての北オセチア,アブハジアのメグレル人にとっての西ジョージアなどである。沿ドニエストルに至っては,それを構成する大部分の民族・宗教集団(モルドヴァ人,ロシア人,ウクライナ人,ガガウズ,ブルガリア人,北部に分布するカトリック)が『国外の祖国』(他は記すまでもないが,ガガウズにとってのトルコ,カトリックにとってのポーランド)を持っている。極端に親米的なポーランドを例外として,これら『国外の祖国』は,在外同胞の苦境に無関心ではいられない。
第三に,非承認国家の政治が多元主義的・競争的であったことがあげられる。CISの承認国家,たとえばベラルーシやウズベキスタンでは,対外的な孤立が国内での多元主義や人権を抑圧する口実となっている。ところが非承認国家においては,対外的な緊張にもかかわらず,野党に対する露骨な抑圧は見られず,激しい政争,競争的選挙,政権交代が常態となっている。沿ドニエストルは,独立運動時の指導者がその後20年間権力を握り続けた点で例外であったが,この沿ドニエストルでも2011年には政権が替わった。同時に,周辺国は,非承認国家に対して統一した政策を持っていない。」
松里公孝「宗教とトランスナショナリズム――レニンゴル,沿ドニエストル,クリミアに共通するもの」(六鹿茂夫編『黒海地域の国際関係』(名古屋大学出版会)収録)より
キシナウ逍遥その1
https://4travel.jp/travelogue/11660700
キシナウ逍遥その2
https://4travel.jp/travelogue/11660891
イスタンブル逍遥その1
https://4travel.jp/travelogue/11668952
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 2.5
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
キシナウ滞在中のある日,まずは中央市場の周辺で朝食を物色した。
ここ↑はハンバーガーやホットドッグを売る店。ブルガリアでは(ジャムなどが入った)コルネのことを「キフラ」(元はオーストリアのキッフェルン)と呼んでいたが,ルーマニア・モルドヴァへ至ると,それは丸っこい形のパン一般を指すようになる。だから,バンズにパルジョアラParjoala(=モルドヴァ風ミンチカツPârjoale moldoveneşti)やCrenvușcă(ウインナー)などを挟んだものは「キフラChiflă」の名になっている。
そういえば,ブルガリアの「ピルジョラПържола」は骨付き肉のローストのことだった。それがモルドヴァではミンチカツになるのだから,所変われば品変わるだ。
(1MDL=約6円) -
水っぽいマヨネーズとトマトケチャップらしきものをたくさん振りかけられた。
-
飲みものは今日もクワス(クヴァース)でいこう。小カップは4MDL。
(1MDL=約6円) -
さて,今日はキシナウからマルシュルートカ(ミニバス)に乗って,沿ドニエストル共和国のティラスポリを訪れてみる。
沿ドニエストル共和国(以下,略するときは「沿ドニ」という)。こんな辺境の未承認国家についても,日本語による旅情報をウェブ上にたくさん見つけることができる。それも客観的で丁寧なものばかりだ。どんな辺境の地にも足跡をつける日本の旅人の旺盛さは健在だ。そして,得た情報を,後から来る日本人に無駄なく伝えようとする精神がありがたい。書いて下さっている皆さんに心から感謝する。
おかげで,沿ドニへ行って帰る方法,宿泊さえしなければ「ビザ」や「ビザ料金」は不要であること,「国境」の役人による金品収奪は沈静化していることなどが分かった。安心して日帰り旅行に出発することができる。 -
ティラスポリ行きのマルシュは,キシナウのアウトガラ・チェントララAutogară centrală Chișinău(中央バスターミナル)を発着する。
アウトガラを一周してみると,一箇所だけ行き先が「キリル文字」で表記されているマルシュが客待ちをしているところが見つかると思うので,それがティラスポリ行きの乗り場だ。
すぐ横に,前のコマの画像に写っているような切符売場がある。
なお,沿ドニの通貨である沿ドニ・ルーブル(PRB)との両替は,沿ドニ国内でしかできないと思う。 -
ティラスポリ行きマルシュは頻発していて,10分後の便の切符を買うことができた。運賃は36.5MDL。(1MDL=約6円)
切符の裏に,乗車すべきマルシュの車ナンバーを手書きで控えてくれた。
ティラスポリまでの所要時間は,約2時間を見ておけばよい。途中,ベンデルBender(ティギナTighinaとも呼ばれる)を経由しなければもっと早い。 -
乗り込んだら,まもなく出発になった。ほぼ満席。
-
さて,ここで目的地の沿ドニエストル共和国について一応説明しておこう。
大前提として,沿ドニは国際的にはモルドヴァの版図である。
モルドヴァの一地方であるドニエストル川の下流域には,ソビエト連邦(モルダビア共和国)時代に工業地帯が建設され,多くのロシア人が入植した。
ソビエト連邦が崩壊したあと,モルダビア共和国は現在のモルドヴァとして独立した。モルドヴァはもともと民族的・文化的にルーマニア(ラテン系)であり,独立後はルーマニアに接近する。
そのことは,ドニエストル下流域のロシア系住民(スラヴ系)に危機感を覚えさせた。それまではソビエト連邦モルダビア共和国の産業を支える,宗主国出身の一等市民であったところが,ヨーロッパのラテン系民族の国に住む二等市民へと転落するわけである。そんなことはごめんだ。我々はモルドヴァから分離し,ロシアへの帰属を求める。
独立したばかりのモルドヴァには軍隊がなかった。一方,沿ドニの地域にはロシア軍が駐留したままだった。モルドヴァはルーマニアから武器供与を受け,急いで国軍を組織しようとした。しかし,ルーマニアも1989年末のチャウシェスク処刑(ルーマニア革命)が起きてからわずかという時期である。
1992年,武力衝突が起きた。モルドヴァ軍は,ロシア軍にあっけなく蹴散らされ,沿ドニはモルドヴァの実効支配を離れて「独立」した。
沿ドニの「国旗」は,崩壊したソビエト連邦の国旗の中央に緑色のラインを引いたものである。沿ドニは,国際的には「トランスニストリアTransnistria」と呼ばれるが,これはルーマニア語である。沿ドニのロシア系の主張としては,沿ドニと「何の関係もない」ルーマニア語で呼ばれるのは侮辱的であり,「プリドネストロヴィ」とロシア語で呼ぶべきだということになる。画像↑は沿ドニ・ノーボスチ通信のサイトから。
https://novostipmr.com/en/news/19-04-18/president-pmr-term-transnistria-occupational-concept-offensive -
マルシュは,キシナウ市内と空港を結ぶダチア通りを走っていく。
-
空港を通り過ぎ,さらに1時間くらい走ったところにモルドヴァ側の検問所があった。しかし,そこはすぐに通過。
続いて沿ドニ側の国境事務所となる。ここで外国人(沿ドニ住民とモルドヴァ人以外の者)はマルシュを下りて,沿ドニへの入国手続をしなければならない。手続の間,ほかの乗客をみんな待たせることになるのでやや気まずい。
パスポートを提出すると,沿ドニの係官は一応英語で質問してくれた。質問は「観光客か?」と「カメラは持っているか?」。カメラはベストとケーブルで結んであるから,いきなり取り上げられる心配は少ない。カメラ本体を見せると,それで質問は終わった。
係官は端末に何やら入力し,ちょうど24時間後の日付時刻を印字した感熱紙のスリップをパスポートとともに渡してきた。このスリップがビザのような役割を果たすので,出国の時まで失くしてはならない。
滞在期限の日付時刻は24時間後になっているが,事前情報によれば,ビザなしで沿ドニに宿泊することは許されないはずだ。しかし,イミグレでそのことについては何も言われなかった。まあ,だからといって宿泊にトライしてみる気はないが。 -
ベンデルの街を通過し,ドニエストル川を渡る。
道路沿いに鉄道線が現れた。鉄橋はロシア国旗の三色に塗られている。 -
ティラスポリの市内に入ると,マルシュは途中で何度か停車して乗客を下ろしていく。
マルシュの終点はティラスポリの鉄道駅前である。途中で下車せずに終点まで乗って行く。
本当は中心街近くで下りたほうが少し楽なのだが,両替所がどこにあるか分からないので,事前情報で両替所があることが分かっている鉄道駅まで行くのが確実だ。 -
鉄道駅の構内には両替所が2か所あった。
見てのとおり↑,ラテン文字は消失した。すべてキリル文字表記だ。
さっそくここで沿ドニ・ルーブル(PBR)の現金を入手しなければならない。
この日のモルドヴァ・レイとの交換レートは「0.885-0.930」と表示されている。
1PBR=約6.8円ということになるが,まあモルドヴァ・レイと等価くらいと考えておけば楽だろう。 -
ちなみに,沿ドニ・ルーブルの紙幣はこんなの。
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これはロマノフ朝の常勝将軍アレクサンドル・スヴォーロフ。
日露戦争の日本海海戦で撃沈されたバルチック艦隊の旗艦「スワロフ」とは,この大元帥のことである。 -
さて両替を終えて,鉄道駅からレーニン通りを南の方向へ歩く。
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中央に教会があるキーロフ公園を通り過ぎ,
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その先にツーリストインフォメーションがあった。レーニン通りに立看板が出ているのですぐに分かる。
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この立看板,裏側はこんなふうになっている。
つまり,ティラスポリを訪れた外国人旅行者は,帰り道に,強面の赤軍兵士から「ツーリストインフォメーションで沿ドニの土産物を買っていけ!」と恫喝を受けることになるわけだ。
なかなかよくできていて,笑ってしまった。 -
さらに南へ進み,
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10月25日通りと交差するあたりで,中心街っぽい雰囲気になる。
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とはいえ,静かなキシナウと較べても,ティラスポリはさらに閑散としている。
このあたりまで,鉄道駅から徒歩20分くらい。 -
交差点にクワスを売る店があったので,
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一杯もらう。
かなり暑く,大カップを一気に飲み干す。8PRB也。(1PRB=約7円)
初めて沿ドニ・ルーブルを使ってみたわけだが,街の閑散ぶりに,せっかく両替したルーブルを使う機会がどれくらいあるのか心配になってきた。 -
そのうち,小さな商店街を見つけた。
小さな雑貨店,花屋,衣料品店などが軒を並べている。
(Orkhideya Market:Google座標「46.834826,29.625100」) -
青果店の店先。品揃えはやや寂しい。
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ロシアのチョコとキャンデー&カフェ。
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シャワルマ(アラブのドネルケバブ)の店もあった。粋な看板である。
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これくらい高層の建物も一応ある。
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これは沿ドニ外務省のオフィス。
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敷地内に,4か国の国旗が掲揚されている。
手前から,沿ドニエストル共和国,アブハジア共和国,アルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)共和国,南オセチア共和国の国旗である。
これらの国は,旧ソビエト連邦内にあり,いずれも国際的にほぼ承認されていない。そこで,この4つの未承認国家が集まって共同体をつくり,相互に国家として承認しあっている。
上記のうち,アルツァフ以外の3か国はロシア軍が後ろ盾になっている(アルツァフはアルメニア軍)。
アブハジアと南オセチアは,上記の未承認国家同士の承認以外に,ロシア,ベネズエラ,シリアなどから国家として承認されているのだが,沿ドニは,ロシアからも承認を受けていない。 -
「シェリフ」という名のスーパーマーケットが何軒かあった。
どうやら沿ドニの流通関係は,この企業が牛耳っているらしい。ティラスポリのサッカーチームやスタジアムには,この「シェリフ」の名が冠されている。 -
駐車場には,真新しい日本車も停まっていた。ナンバープレートはもちろん沿ドニのものだ。
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店に入り,例の野菜ペーストを探して,見つけた。
野菜イクラとアジカが並んでいて,キシナウと同じだ。 -
アリョーンカの板チョコがずらりと並ぶ。これを見ると,ロシア圏に来たな‥‥と実感する。
ファンの人には申し訳ないが,私は「アリョンカちゃん」の顔がたくさん並んでいると,不気味でやや苦手だ。
パルナスのCMのトラウマかもしれない。 -
沿ドニのビールがたくさん並んでいる。
ティラスポリにはクヴィントKVINTという伝統ある酒造会社があり,画像にある「Добровар」も同社の製品である。ビールだけでなく,ワインやブランデーも造っている。ティラスポリみやげにおあつらえ向きと言いたいところだが,そうともいかない。
というのは,このクヴィント社は,沿ドニどころかモルドヴァでナンバーワンの酒造会社なので,クヴィントのブランデーはキシナウの空港の免税店でも売っているのである。そうすると,わざわざティラスポリで買ってキシナウへ持って帰るのも虚しい。 -
空腹なので,スーパーマーケットを出たあとローカル食堂の探索にいそしむが,なかなかうまく見つからない。
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結局,ローカル食堂を見つけることができず,トルコ料理を食べる破目になってしまった。
ティラスポリで地元のものを食べたいと思っている人は,事前にしっかり調べておいたほうがいい。本当に飲食店は少ない。 -
ジャジュック(ヨーグルトの冷製スープ),
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キョフテとフォカッチャのセット(チャイつき),
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Sembusekというトルコ版パンツェロッティ(揚げカルツォーネ)。
しめて73PBR。(1PBR=約7円)
さっきのスーパーでもそうだったが,沿ドニにVAT(付加価値税)はないようだ。 -
そのあとも街を歩きまわり,
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ティラスポリの若者が手作りしたようなカフェに入ってみたりした。
店のデザインやメニューの中に,少しだけ英単語が織り交ぜてあったりする。 -
店番をしていたのは高校生くらいの娘たちだったが,こちらの顔を見るや,精いっぱいの英語を使って応対してくれた。うれしかった。
ただ実際のところ,それは日本の中学生のほうがうまいだろうというほどのものだったことは否めない。
沿ドニの学校では,ロシア語ばかり教え,英語はなおざりになっているのだろうか。それとも,英語が得意な学生は,さっさとモルドヴァ経由でルーマニアあたりの学校へ行ってしまうのだろうか。
ロシア語しかできないと,将来国外で働きたいと考えたとき,行き先はほぼロシアに限定されてしまう。 -
暑さにやられたのか,かなり歩き疲れてきたので,
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鉄道駅まで戻って帰途につく。
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キシナウ行きの切符を買ってから,すべての沿ドニ・ルーブルをモルドヴァ・レイに再両替する。沿ドニ・ルーブルは,沿ドニから一歩外に出ると紙くずになる。
帰途の運賃は一人40PRB弱。(1PRB=約7円) -
帰途のマルシュ。
16時台だったが,この時間帯になるとダイヤは薄くなり,頻発というにはほど遠い。乗客もあまり集まって来ない。 -
帰途のマルシュは,ベンデルを経由した。
道路脇には,偽装網をつけた戦車やらが配置されているのが見える。沿ドニの「平和維持軍」というやつだろう。
もちろんカメラを向けたりはしない。難癖をつけられてマルシュから下ろされたりしたら,今日中にキシナウへ戻ることができなくなる。 -
ベンデルのアウトガラでは,しばらく客待ち停車。
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帰途の沿ドニ側国境事務所では,下車する必要はなく,係官がマルシュに乗り込んできて乗客一人ずつパスポートを確認していった。入国時に渡された感熱紙のスリップはここで必要。
モルドヴァ側の検問所では何もなかった。
16時台にティラスポリを出たマルシュは,18時半頃にキシナウに到着した。
夏なのでまだ明るいが,キシナウでも19時を過ぎると,通りは閑散としてくる。 -
☆沿ドニエストルの旅情報については,ガイドブックはないが,ウェブ上に良質な情報(日本語)がいくつもあるのでそれらを参照されたい。コロナ禍以後,沿ドニエストルへの入域が不可能になっているという情報もあるので注意。
☆ティラスポリの実態は,辺境国モルドヴァの地方都市にほかならない。見どころは乏しく,特にすることはない。
☆レストランは少ないが,大型のスーパーマーケットはいくつかある。ローカルな食べ物を楽しむには,事前にレストラン情報などの下調べが必須。
☆ティラスポリの日帰り旅行で,ある程度長い時間の滞在を考えている場合は,ティラスポリからベンデル城塞を訪れる方法も下調べしておいたほうがいい。たぶんティラスポリだけでは時間をもて余すと思う。
☆モルドヴァ=ウクライナ間をバスで移動する際には,沿ドニを経由しないルートの便にするのが通常である。沿ドニ経由だとモルドヴァの出入国記録に欠缺が生じ(入国記録だけがあって出国記録がない,あるいはその逆),それが後に問題となる可能性がある。
キシナウ逍遥その1
https://4travel.jp/travelogue/11660700
キシナウ逍遥その2
https://4travel.jp/travelogue/11660891
イスタンブル逍遥その1
https://4travel.jp/travelogue/11668952
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