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帝釈天 題経寺 彫刻ギャラリーを見学し、邃渓園(すいけいえん)へ。<br />庭園へのは立ち入りはできませんが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から庭園を見ることができます。<br />ところどころに秋の風景を楽しむことができました。<br />帝釈天を後に、参道の川千家で鰻重をいただきました。<br />お土産は、定番の草だんご。高木家で購入しました。<br />鰻と草だんご。柴又に来たら、やはりこれですね。<br /><br />晩秋の柴又①☆山本亭・帝釈天 題経寺 彫刻ギャラリー☆2020/11/20<br />https://4travel.jp/travelogue/11661958

晩秋の柴又②☆帝釈天 題経寺 邃渓園☆川千家☆2020/11/20

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2020/11/20 - 2020/11/20

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

帝釈天 題経寺 彫刻ギャラリーを見学し、邃渓園(すいけいえん)へ。
庭園へのは立ち入りはできませんが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から庭園を見ることができます。
ところどころに秋の風景を楽しむことができました。
帝釈天を後に、参道の川千家で鰻重をいただきました。
お土産は、定番の草だんご。高木家で購入しました。
鰻と草だんご。柴又に来たら、やはりこれですね。

晩秋の柴又①☆山本亭・帝釈天 題経寺 彫刻ギャラリー☆2020/11/20
https://4travel.jp/travelogue/11661958

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車

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  • 彫刻ギャラリーを出て、回廊を戻り、邃渓園へ。

    彫刻ギャラリーを出て、回廊を戻り、邃渓園へ。

  • 1929年に完成した入母屋造瓦葺、平屋建ての建築内には、細長い廊下にいくつかの和室があります。<br />大客殿では、絵画やふすま絵が展示されています。

    1929年に完成した入母屋造瓦葺、平屋建ての建築内には、細長い廊下にいくつかの和室があります。
    大客殿では、絵画やふすま絵が展示されています。

  • 横山大観「群猿遊戯図」(彫刻下絵)

    横山大観「群猿遊戯図」(彫刻下絵)

  • 大客殿の内部を拝観した後は池泉回遊式庭園を見学します。

    大客殿の内部を拝観した後は池泉回遊式庭園を見学します。

  • 1965年に永井楽山の設計によって造園されました。

    1965年に永井楽山の設計によって造園されました。

  • 元は大客殿から景色を眺める庭園でしたが、1984年に回廊が設けられたことにより、庭園内を散策できるようになりました。

    元は大客殿から景色を眺める庭園でしたが、1984年に回廊が設けられたことにより、庭園内を散策できるようになりました。

  • 静寂の庭園を眺めます。

    静寂の庭園を眺めます。

  • 秋もあっという間に過ぎ去ります。

    秋もあっという間に過ぎ去ります。

  • この日は、11月の下旬とは思えないほどの暖かな日となりました。

    この日は、11月の下旬とは思えないほどの暖かな日となりました。

  • 人もあまりいなく、貸し切り状態です。

    人もあまりいなく、貸し切り状態です。

  • 心落ち着く風景。

    心落ち着く風景。

  • 隣が幼稚園なので、時折、園児の声が聞こえます。

    隣が幼稚園なので、時折、園児の声が聞こえます。

  • 御神水が湧き出ています。

    御神水が湧き出ています。

  • 手を清めました。

    手を清めました。

  • 猿の石像があります。<br />帝釈天のお遣いだそうです。

    猿の石像があります。
    帝釈天のお遣いだそうです。

  • 広い庭園を一周しました。

    広い庭園を一周しました。

  • 彫刻ギャラリーが見えます。

    彫刻ギャラリーが見えます。

  • 祖師堂(本堂)です。<br />大曼荼羅が安置されています。

    祖師堂(本堂)です。
    大曼荼羅が安置されています。

  • 釈迦堂です。<br />江戸時代末期に建立された、寺内最古の建築です。<br />奈良時代作という釈迦如来立像と、開山日栄、中興の祖日敬の木像を安置しています。

    釈迦堂です。
    江戸時代末期に建立された、寺内最古の建築です。
    奈良時代作という釈迦如来立像と、開山日栄、中興の祖日敬の木像を安置しています。

  • 下山仏。<br />釈迦堂脇の仏様。富士山で祀られていた仏像で、神仏分離令で下されてこちらに来られたようです。

    下山仏。
    釈迦堂脇の仏様。富士山で祀られていた仏像で、神仏分離令で下されてこちらに来られたようです。

  • 銀杏の葉が広がる境内。

    銀杏の葉が広がる境内。

  • 人生劇場 青春立志の碑<br />遺す言葉<br /> 死生命ありだ。くよくよすることは一つもない。お前も父の血をうけついでいるのだから、心は弱く、涙にもろいかも知れぬが、人生に対する抵抗力だけは持っているだろう。あとは、千変万化だ。運命の神様はときどき妙な、いたずらをする。しかし、そこで、くじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ。よしんば、中道にして倒れたところで、いいではないか。永生は人間にゆるされてはいない。父は地獄へゆくか極楽へゆくか知らぬが、見ろよ、高い山から谷底見れば瓜やなすびの花ざかりだ。父は爛々たる目を輝かして、大地の底から、お前の前途を見まもっていてやるぞ。<br />  尾崎士郎

    人生劇場 青春立志の碑
    遺す言葉
     死生命ありだ。くよくよすることは一つもない。お前も父の血をうけついでいるのだから、心は弱く、涙にもろいかも知れぬが、人生に対する抵抗力だけは持っているだろう。あとは、千変万化だ。運命の神様はときどき妙な、いたずらをする。しかし、そこで、くじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ。よしんば、中道にして倒れたところで、いいではないか。永生は人間にゆるされてはいない。父は地獄へゆくか極楽へゆくか知らぬが、見ろよ、高い山から谷底見れば瓜やなすびの花ざかりだ。父は爛々たる目を輝かして、大地の底から、お前の前途を見まもっていてやるぞ。
      尾崎士郎

  • 帝釈天を出て、参道を歩きます。

    帝釈天を出て、参道を歩きます。

  • 川千家に入ります。

    川千家に入ります。

  • 昼時ですが、店内は1組の客しかいませんでした。

    昼時ですが、店内は1組の客しかいませんでした。

  • お座敷でいただきます。<br /><br />川千家の始まりは、安永年間(1770年代)。<br />安永7年(1778)庚申の日に題経寺で帝釈天王の板本尊(日蓮上人が帝釈天を板に彫った拓本)が発見されて参拝客が増えるにつれ、 茶店がなく不便な柴又では農夫婦達が副業で川魚料理の茶店を開き、川千家もその一つだったそうです。

    お座敷でいただきます。

    川千家の始まりは、安永年間(1770年代)。
    安永7年(1778)庚申の日に題経寺で帝釈天王の板本尊(日蓮上人が帝釈天を板に彫った拓本)が発見されて参拝客が増えるにつれ、 茶店がなく不便な柴又では農夫婦達が副業で川魚料理の茶店を開き、川千家もその一つだったそうです。

  • 鰻重の登場。<br />柔らかな鰻、タレもほどよい濃さ。<br />蓋を開けると湯気が出ました。出来立て、ほかほかです。

    鰻重の登場。
    柔らかな鰻、タレもほどよい濃さ。
    蓋を開けると湯気が出ました。出来立て、ほかほかです。

  • 肝吸いも熱々です。<br />奈良漬が付きます。<br /><br />いつ食べても、鰻は美味しいですね。

    肝吸いも熱々です。
    奈良漬が付きます。

    いつ食べても、鰻は美味しいですね。

  • 川千家を出て、柴又駅まで来ました。

    川千家を出て、柴又駅まで来ました。

  • 旅に出る寅さん

    旅に出る寅さん

  • 寅さんを見送る妹さくら

    寅さんを見送る妹さくら

  • おりつ地蔵尊<br /><br />おりつ地蔵尊の由来<br /><br />昭和七年当町で、肉親のために尊き生命を絶たれた<br />とゆう悲惨事があった、其れは或る貧困の家庭に<br />五人の子供があり、その三女律子を他家へ養女として<br />出したものの、五才の時故あって実家に戻されたが<br />何故か両親は何の罪科もない律子を虐待し<br />果ては実父がなぐり殺して、その死体を床下に埋めたが<br />約一ヶ年余の後に父親の胸に、頑是ない少女の浄き魂が<br />よみがへり、良心の呵責に堪えかねて、亀有警察署に<br />自首した。同じ人の子と生まれながら肉親の慈愛にも<br />恵まれず、反って憎しみの的となり責苦の果て<br />はかなく世を去った律子を隣り近所の人々の同情は<br />世の中の大なる声となり、涙と共に涌き出でて<br />遂に有志相寄りおりつ地蔵尊を建立する<br />事となった。これに詣でて吾子の無事を祈る人々に<br />御利益が授けられた。これが現在のおりつ地蔵尊<br />であります。<br />                        合掌<br /><br />有志一同               土地所有者 川甚<br />                          天宮一輝

    おりつ地蔵尊

    おりつ地蔵尊の由来

    昭和七年当町で、肉親のために尊き生命を絶たれた
    とゆう悲惨事があった、其れは或る貧困の家庭に
    五人の子供があり、その三女律子を他家へ養女として
    出したものの、五才の時故あって実家に戻されたが
    何故か両親は何の罪科もない律子を虐待し
    果ては実父がなぐり殺して、その死体を床下に埋めたが
    約一ヶ年余の後に父親の胸に、頑是ない少女の浄き魂が
    よみがへり、良心の呵責に堪えかねて、亀有警察署に
    自首した。同じ人の子と生まれながら肉親の慈愛にも
    恵まれず、反って憎しみの的となり責苦の果て
    はかなく世を去った律子を隣り近所の人々の同情は
    世の中の大なる声となり、涙と共に涌き出でて
    遂に有志相寄りおりつ地蔵尊を建立する
    事となった。これに詣でて吾子の無事を祈る人々に
    御利益が授けられた。これが現在のおりつ地蔵尊
    であります。
                            合掌

    有志一同               土地所有者 川甚
                              天宮一輝

  • 柴又駅から参道を戻ります。

    柴又駅から参道を戻ります。

  • 寅さん

    寅さん

  • 柴又ハイカラ横丁

    柴又ハイカラ横丁

  • 参道入口

    参道入口

  • 渥美清寄贈の常夜灯

    渥美清寄贈の常夜灯

  • 帝釈天王安置の石碑

    帝釈天王安置の石碑

  • 山田洋次筆の石碑

    山田洋次筆の石碑

  • 高木屋老舗<br />参道をはさんで両側に建つ木造瓦ぶきの建物は、明治と大正時代に建てられました。

    高木屋老舗
    参道をはさんで両側に建つ木造瓦ぶきの建物は、明治と大正時代に建てられました。

  • 草だんごを購入しました。<br /><br />草だんごをお土産に、帰宅しました。

    草だんごを購入しました。

    草だんごをお土産に、帰宅しました。

  • 高木屋の草だんご。<br /><br />米は特選の「コシヒカリ」を、毎日使う量だけ粉をひき、もち草は筑波山麓の澄んだ空気のもとに育んだ「よもぎ」のやわらかい新芽をつみ、あんは北海道産の一級の小豆を使い、上品な甘さに仕上げているそうです。<br /><br />美味しくいただきました。

    高木屋の草だんご。

    米は特選の「コシヒカリ」を、毎日使う量だけ粉をひき、もち草は筑波山麓の澄んだ空気のもとに育んだ「よもぎ」のやわらかい新芽をつみ、あんは北海道産の一級の小豆を使い、上品な甘さに仕上げているそうです。

    美味しくいただきました。

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