2020/11/05 - 2020/11/05
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binchanさん
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4トラのエリア設定にも名前が入っていない地味な地元「東海市」。私は地味な観光地専門トラベラーだし、海外旅行とやっていることはほぼ同じなので、これで十分楽しいです。
違うのは言葉や文化が違わないので、テクニカルな部分の予習が不要ということ。コロナ後はそういったことが変わっているだろうな。ついていけるか心配…。
2020年3月、ベラルーシに行こうと計画していました。航空券の手配をモタモタしているうちにコロナ騒ぎになり、なにも予約する前に計画は立ち消えになり、キャンセルの手間も損失もなく済んだのですが。
当時ベラルーシ旅行のために図書館でロシア語の本を数冊借りていていました。それが図書館閉鎖で足かけ5か月借り続けることになってしまったんです。どうせ暇なので文法の本を最初からちゃんと読んでみると、超ムズなんですが面白い。入門・初級の頃って楽しいですよね。文法書を読めば必ず答えがあるし、知らないことだらけなので何を見ても新鮮。
旅行に役立つかもしれないのでロシア語の勉強を細々続けているのですが、当のベラルーシが…。ルカシェンコ大統領には大いに問題があるのでしょうが、8月の大統領選の前までは表面的には政情は落ち着いてたんですよね。だから選挙の前に行っとこうと思っていたんですが…。どうなっちゃうんだろう、とっても心配です。
話を戻して。前回に続いて東海市散策第3弾。中部篇2です。
※この旅行記シリーズは10月下旬から11月中旬にかけて数日にわたって歩き回った記録です。すべてを1日で回ったわけではありません。日付は中ほどの適当な日にちです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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荒尾地区にある神明社へやってきました。
荒尾地区は旧上野村の中心地だっただけに見どころが多い。 -
神明社は伊勢神宮が総本社。
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境内に細井平洲先生を称える碑「旧里碑」があります。
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こちらが旧里碑。「旧里」は故郷という意味。
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こういうことが書かれているようですね。
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平洲先生が赴任(?)先の米沢藩で植えた椿が実は新種だったという話。
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旧里碑の横で大事に育てられていました。(市内のほかの場所にも植えられています。)
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奥の院らしきお社があったのでそちらもお参り。
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ん?その先に道がある。
斎山稲荷神社みたいにどうせ何もないんだろうな。このフェンスのメンテ用の道かな~、と思って進んでいたら… -
あ、何かある。
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「大峰登山先達之碑」と小さな祠堂がありました。
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奈良にある修験道の聖地「大峰山」にお参りした人々が、それを記念して建てたもののようです。大正7年建立。
歩いてみるとこういう発見があって面白い。 -
神明社の隣には東海市郷土資料館である「平洲記念館」があります。
館の前に、移設された古い道具や石造物などが展示されていました。土地開発でどうしても現地に残せなかった品々なんでしょうね。 -
平洲記念館に入ってみます。無料です。
東海市立平洲記念館 郷土資料館 美術館・博物館
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縄文時代の遺物から近代の古民具・資料が展示されています。これまで見てきた遺跡からの出土物もあったので、まじまじと眺めてみました。(写真はそれぞれの遺跡のところで紹介しています)
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「平洲記念館」の愛称の通り、細井平洲先生の展示が半分以上を占めている感じ。
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こんな歌まで作ったのか。知らなかった。
東海市の遺跡、歴史に関する文献も閲覧できるので、その気になれば何時間でも楽しめます。 -
平洲記念館から15分ほど歩いて次の目的地「貴船神社」へ。
ここ、グーグルマップにも載っていないし、看板も一切ないです。コンビニの隣の、どこかの会社の駐車場らしき場所を通り抜けないとたどり着けません。 -
在原業平が京都鞍馬の貴布弥明神(きふねみょうじん)を勧請したものなんだな。
なかなかのビッグネームが出ましたね。北部がヤマトタケルノミコトなら、中部は業平推しです。 -
秘密基地のような小さな神社。妙にありがたい感じがします。
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続きまして、「業平塚」。
すご~くわかりにくい場所にあります。 -
東海市の文化財HPによると「歴史上では、在原業平は元慶4年(880年)に病気のため56歳でなくなったとされていますが、この地には、信仰厚き観音菩薩と貴船大明神の加護により助かり、以後、都との連絡を絶ち、隠とん生活をして、10年の長生きで、寛平元年(889年)ころに富田の屋敷で亡くなったという伝説があります。」とのこと(在原業平位牌の説明から抜粋)。
なるほど、業平は都で亡くなったとされているけれど、実はこっそり東海市に来てたのか。本当だったらすごいロマンあるなあ。 -
一番左の五輪塔が最も古いと言われているもの。
もともとは宝珠寺(このあと行きます)の墓地だったとか(寺はその後移転)。 -
少し歩いて、「七社之社」という神社到着。
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東海市文化財パンフによると、このあたりに在原業平の屋敷があったみたいだけど。そういった看板はなかった。
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隣は富田稲荷社。
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続きまして、「宝珠寺」。
平安時代の創建だとのこと。当初は業平塚の隣にあったものが江戸時代にこに移転したとか。 -
業平が創建したと言われていますが、実際は当時の領主が開いたものらしい。いずれにせよ平安時代とは古い!
安置されている業平の位牌は市の文化財。 -
「宝珠寺観音堂」も東海市指定の文化財。江戸時代中期の建築とのことなので、移転当初のものかな。
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このお寺は融通念仏宗の開祖である良忍上人の生誕地でもあります。
お寺を実際に創建した領主の藤原道武(秦道武とも)の子です。良忍上人は若いうちに比叡山へ行かれてしまったため、この地では活躍されてないんですよね。このお寺も融通念仏宗ではないし。 -
境内の外にも大きな記念碑が。お寺にまつわるものかと思ったら、公民館や生産組合会館の建設記念碑だった。こんなことして歩いてると石碑が気になっちゃって…。
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続きまして、良忍上人の一族である藤原秦氏の墓所「正法塚」。
かつては隣接してお寺があったのですが、現在お寺はなく墓所だけが住宅街に残されています。結構わかりにくい場所です。 -
良忍上人の御廟とのこと。でも京都大原にも御廟(お墓)ありますよね?分骨みたいなこと?
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正法塚全体。きれいに手入れされています。
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「藤原秦氏先祖御塋域」の碑。「塋」はエイと読み、お墓という意味。
藤原秦氏って何なのか、どうしてこの地を治めることになったのか、気になるけど、調べだすと時間がかかるのでとりあえずスルー。 -
一番右の丸い窓のある石造物の中に、古い塔が安置されています。
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こんな感じで。
東海市の文化財HPには4つの塔が並んでいる写真があるけれど、もう一つはどこへ行ったんでしょう。HPの説明書きには「かつては十数基の塔があったといわれていますが、現在は3基です。」とある。
ここから次の目的地へは15分ほど歩きます。ちょっと疲れて来たぞ。 -
若干道に迷いつつ歩いていたら、マークしてなかった道標発見。だんだん発見感度が高まってるよ。
明治43年(1910年)に建てられたもので、「右 弘法大師 ○○」「左 千代山 三丁余 (大日本帝國〇社遙拝所」とある。
この先にある玄猷寺(げんにゅうじ)のHPにこの道標の古い写真が出ていました。当時とは場所が異なるかも、とのこと。道標が指し示す千代山がどこを示すのか不明。弘法大師の方は玄猷寺?(知多四国巡りの札所なので) -
こちらがその玄猷寺。
寺社巡りをするとものすごく時間がかかってしまうので外観だけ。 -
2013年開眼供養された涅槃仏。門の外からの撮影です。
玄猷寺 寺・神社・教会
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玄猷寺の南の住宅街のある「古墓標」。
これも東海市の文化財パンフに記載されていました。それによると「風化によって刻まれた文字を読み取ることはできませんが。古い形式を示しています。この墓標は、桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の家臣が落ち延びてきて息絶えたのをここで供養したものとか、女の旅人がここで産気づき難産で死んだ供養塔とか言われています。」とのこと。 -
つまるところ「古いものなのは確かだが何なのかは不明」ということ。
たしかに近づいて見ても何も読み取れません。花が供えられてます。地域の方が今でもちゃんと供養されてるんですね。
この日は長益塚から2時間半ほど歩いてここまで来ました。さらに市役所前まで歩いて、らんらんバスで南部にある見どころまで移動する予定でしたが、バスを乗り間違え断念。バス停まで走ったのに!結局そのまま家に帰りました。
バスを乗り間違えるとは…、旅のカンもかなり鈍ってる?地元だからと慢心していたのかも。 -
さてここからは別の日に歩いたところです。
まずは「運得寺」。 -
このお寺には知多半島最古の宝篋印塔(お経を納めた石塔。供養のためのもの?)があります。応永4年(1406年)のものらしいです。室町時代の中頃ですね。
残念ながら最古のものはお堂の中にあるらしく見つけることはできませんでした。 -
墓地にも3基の古い宝篋印塔があります。
こちらはすぐ見つかりました。これらも室町中期のものとされています。 -
運得寺は宝篋印塔らしきものがた~くさん並んでいます。お地蔵さんなどの石造仏も多い。
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お隣の神社。
このあたりは高台で標高が34.4mもあります。高潮や洪水といった水の被害の多い昨今。こういった場所に介護施設とかできたらいいのに。お寺が幼稚園やってたりするけど、それの介護施設版とかダメなのかな。もしかしたら、やってるところある? -
北部篇の「県道248号線の拡幅記念碑」へと移動途中で地蔵堂発見。
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「東海市の石造物」という資料によると、この地蔵堂は「別出シ地蔵堂」で、真ん中のお地蔵様は昭和27(1952年)造立。
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中学校の中にも何やら石碑を発見。石碑が気になってしょうがない。
不審者になりたくないので遠くから撮影。校歌の歌碑らしいです。
というわけで、このあと北部篇の「県道248号線の拡幅記念碑」のところへとつながるわけです。 -
これまた別の日です。
東海市の中心地である太田川駅周辺は20数年にわたって再開発が進んでいて、駅が新しくなったり大学が移転してきたり、もう以前の姿が思い出せないくらいに新しく便利になっています。
この界隈も再開発エリアなのですが、工事が終わる様子が全く見られないんですよね。道路や住宅ができつつあるとはいえ、なぜこんなに開発スピードが遅いのか疑問に思っていました。今回、いろいろ調べていて理由が判明。
遺跡があるんですよ。しかもかなり大規模な。 -
畑間・東畑遺跡(はたま・ひがしはたいせき)は平成8年(1996年)から発掘が続いていて、この場所はまさに最新の調査(2018年度)が行われていた場所です。
図書館で借りた調査報告書によると、調査年ごとに小さなブロックを発掘エリアに設定してコツコツと調査、調査が済んだところは埋め戻して開発、という地道な努力が続いている模様。なるほどなるほど。そりゃ長引くわけだ。 -
調査が済んだ(と思われる)場所は新しい道路になったりしています。
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郷土資料館(平洲記念館)に出土物が展示されています。
畑間・東畑遺跡は縄文海進時は海の中だったため、海水面が後退した縄文後期以降の土器が最も古いらしい。東海市で最も古い遺跡は、この東側の丘陵にある高ノ御前遺跡で、縄文初期の土器が出たそうです。 -
遺跡は、縄文・弥生から近世(18世紀ごろ)に至るまのものが、層になっているのだそうです
平成28年度(2016年度)の調査で見つかった「大量出土銭」が展示されていました。中世(15世紀後半とみられる)に甕に入れて埋められた古銭で、祭祀に用いられた可能性が高いとのこと。当時中国から輸入されていたという古銭。この大量出土銭の中で最も古いものは唐の至道元寶(621年)、最も多いのが北宋の皇宋通寶(1039年)、新しいものが明の永楽通寶(1408年)。その数合わせて4,196枚。こんなところでそんなものが発掘されたのか~。身近なところにすごいものが埋まってたんですねえ。 -
遺跡近くにあったお寺、長源寺。
立派な門だったのでとりあえず撮影。長源寺 寺・神社・教会
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近くのスシローでテイクアウトをピックアップ。デリバリーとテイクアウトの日々が続きますね。
土手の萩が盛りだったけど、気づいたらもう12月。月日の流れるのが早い…。
南部篇へ続く。
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