2020/11/04 - 2020/11/04
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binchanさん
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2月末に短期の仕事が終了してから、外に仕事に行かずず~っと家にいます。遊びに出かけることもないし、外食もほとんどナシ。では何をやっていたのかというと…
3月:家の掃除、模様替え
4月:マスク作り、ロシア語の勉強
5月:庭仕事、ロシア語の勉強
6月:ロシア語の勉強
7月、8月、9月、10月:ロシア語の勉強、台湾で買ってきた本の解読
ステイホーム初期こそ掃除や庭仕事といった作業をともなう活動をしていたものの、6月以降はほぼ動かない生活になってしまいました。長梅雨からの猛暑で買い物に出かけることすら面倒に…。
体力、もう相当やばいんですよ。
また旅行に行けるようになっても、もう歩けないかも…
ということで出かけてみることに。車では運動にならないし、長い時間バスや電車に乗るのも怖いので、地元を探検することにしました(今更かっ!)。
これがけっこう面白い!
※この旅行は10月下旬から11月中旬にかけて歩き回った記録です。旅行記の日付は全体の真ん中くらいの適当な日にちにしてあります。(すべてを一日で歩いたわけではありません)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
地元散策でも旅の準備は重要。歴史散策が好きなので、市のHPから文化財を調べてそれを巡ることに。
図書館で資料も借りてみたりして。
この「東海市の石造物」という調査報告が面白い!市内にある(個人の所有物以外の)石造物ーーー街角のお地蔵さんや寺社の常夜燈・石塔・像、公園の竣工碑、記念碑や道標に至るまでーーーの調査の記録です。場所と大きさ、わかる限りで年代といった簡単な情報だけなんですけど、非常に興味深いです。
歩き回って見つけた石造物を後からこの本で検索したりして、けっこう楽しめました。 -
交通手段は名鉄線と「らんらんバス」。
「らんらんバス」は東海市のコミュニティーバス。本数が少ないしルートが複雑でほとんど使えない(遠回りするのでなかなか目的地に着けない→歩いたほうが早い)けれど、時刻表を調べて乗り継ぎや観光ルートを決めるのは久しぶり。行き先は近くても旅の準備の楽しさは同じなのだ!
写真のバスを利用した際は10:02に名鉄常滑線で名和駅に到着し、10:04駅前発のバスに乗れるという素晴らしい乗り継ぎで利用できました。 -
東海市の北部は名古屋市緑区と接して東から「名和町」「南柴田町」「新宝町」という地域があります。南柴田町と新宝町は近世以降に干拓してできた土地なので、史跡の類は名和町に集中しています。
地域別の旅行記に仕立てるために、まず名和町から書き始めます(散策の順番はバラバラ)。
らんらんバスでやってきた「大廻間池」。左奥の丘の上にある神社へ向かいます。大廻間池は東海市にありますが、神社のある丘は名古屋市緑区。このあたりは東海市と名古屋市が入りくんでいます。 -
地方の神社って入口がわかりくい。ぱっと見は家の入口ですがここから神社へ行けます。
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斎山(いつきやま)稲荷神社。1641年創建だそうです。
お稲荷さんは鳥居が赤くて異空間への入口って感じ。 -
舞台のような拝殿。奥にちらっと本殿が見えます。
誰もいない神社ってちょっと怖い(いろいろな意味で)。誰もいない観光地でちょっと怖くなるのもいつもの旅行と同じ…。 -
奥の院という道標を見つけたので行ってみます。
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奥の院。しっかり見てこなかったのでどんな神様が祀られているのか不明。お参りはしたんですけどね。
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この丘はもとは斎山古墳という古墳だったとのこと。丘の北側は東海市なので市の文化財パンフに載ってるんです。何か看板でもないかとさらに奥へ。鬱蒼とした竹藪だけど周りは住宅街だし、まさか熊は出ないよね、と思いつつ先へ。結局何もなかった。
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住宅街へ下りてきました。神社のある丘(墳丘)を見上げてみる。
こんな場所でこんなことしてると完全に不審者ですよね。
このあたりは「菩薩遺跡」という縄文時代から中世にかけての住居跡がある場所。1982年に発掘調査されたあとは宅地になっています。看板でもないかなと探しましたが見当たらず。 -
次の見どころを目指して歩きます。先ほどの住宅街は東海市だったのですが再び名古屋市へ。
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次の見どころは「寝覚の里」。
どんな場所なのかはこの看板を読んでくださいね。この伝説の時代は海面がずっと高くて、このあたりまで海が入り込んでいたんです。今私が住んでるところとか、海の底だったんだろうな。 -
立て看板のほかに石碑もあります。生垣が伸び放題でうまく撮影できない。
この記念碑があるのは名古屋市ですが東海市の文化財パンフにも載っていました。このあたりはヤマトタケル伝説推しです。 -
車通りの激しい道路に面して木製の鳥居が。歩道もないので正面から撮影することもできない。とりあえず入ってみる。
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工場の塀の隙間を通り抜けると、小さな神社が。グーグルマップには載ってますが、入口がわかりにくい。よく気づいたもんだ。
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800年の歴史があるらしいです。石碑が建てられたのは昭和38年ですけどね。
この小さな神社が今回巡った見どころの中で一番北に位置します。 -
続いては「名和古墳群」。
写真がこんな写りに…。下手すぎますね。(そもそもスマホですけど) -
東海市には古墳跡がいくつかありますが、墳丘が残っているのは珍しいです。
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登り口があったので墳丘を登ってみました。
中腹に碑があって、神社の付属地として囲われています。「火上姉子神社(=氷上姉子神社)」はヤマトタケルノミコトゆかりの神社。へえ~、ミコトさまとゆかりのある方の古墳なのかな。 -
こんな風に囲いがされている古墳、他所でも見たことある。
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まあまあ急な階段。自粛生活で弱った足腰に来るわ。登るは登れるけど、つまずいたりしたら踏みとどまれず大けがだね。
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続きまして、「カブト山古墳」。
マンションの前に記念碑とお社があります。 -
説明書き1。
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説明書き2。
ここは小高い丘の中腹で、反対側には弥生時代から古墳時代にかけての住居跡などが出土した「カブト山遺跡」があるそうです。周辺の宅地造成時に発掘され、一部は宅地になったものの、埋め戻された部分が将来史跡公園になるという計画もあるらしいです。楽しみです。 -
郷土資料館(平洲記念館)に出土品についてのパネル展示がありました。
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続きまして、「八幡社貝塚」。
小高い丘には古墳、平地には貝塚、というのが東海市の遺跡のパターン(ってほかの地域でもそうかな)。 -
ちびっこ広場と呼ばれる公園の真ん中にお社。子供のころから見慣れてると違和感ないのかな。貝塚の看板はお社の前にありました。
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県道55号線(通称半田街道)、龍ノ脇交差点からトドメキ交差点にかけての一帯に「トドメキ遺跡(縄文後期~古墳時代)」があるそうです。今は道路や建物が建っていて看板すら見当たらなかったけれど。
ここから東へ700mほどのところに、太平洋戦争時代の高射砲陣地の遺跡が出た「太佐山(だざやま)」があります。10月前半には遺跡が公開されていたのですが、私が散策を始めたころにはもう埋め戻されて見学不可になってました。残念。(戦争遺跡が好きなわけじゃないんですけど…) -
続きまして、「堂ノ前貝塚」。
縄文時代から江戸時代まで延々とここに貝殻を捨て続けてたのかな?よっぽど貝塚に向いた地形だったのか? -
貝塚跡はすっかり普通の住宅地になっていて、案内看板が場違いな感じ。
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続きまして、船津神社。
「船津の地名は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国征伐のおりに伊勢から海を渡ってここに船をつけたことに由来する」という説があり、船を付けた際に松の木に「縄」をかけたことから「名和」の地名が生まれたとか。
東海市の史跡にまつわる人物ではヤマトタケルノミコトがダントツのビッグネーム。(伝説だけど…) -
船津神社の広い境内。
この後はらんらんバス(中ルート4)に乗りそこない、名鉄の聚楽園駅まで歩いくことに。
グーグルマップでルート検索通りに歩いていくと、どう見ても人の家の庭と思われるところを案内します。騙されたと思って引き返そうとすると、すぐ後ろを歩いていたおばさまに「何してるんですか?」と声かけられました。うおっ、やっぱり不審者と思われてる(汗汗。
「向こうに通り抜けられるのかと思ったんですけど、人の家ですよねえ」と説明すると、「通り抜けでできるのよ。公民館につながってるの」と言って先導してくれました。おお~、さすが地元の方。
それにしても、あの道、めっちゃ人の家の庭先感あった。逆に、あの家の人が道路を庭化してたのか?
この日は帰る前に別のエリア(中部篇)へ寄り道して帰宅。4時間くらいは歩いた。ちょっとはリハビリになってるかな。 -
ここからは別の日に訪れた場所。中部篇のエリアから移動してきました(中部篇も書きます!)。
「県道248号線の拡幅記念碑」。 -
こんな場所にあります。手前を左右に横切っているのが県道248号線。
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続きまして、「南寺廻間ちびっこ広場」。
前掲の「東海市の石造物」に55もの石造物が掲載されており、その多くが仏像。ちびっこ広場になぜそんなにたくさん仏像があるのか、子供たちは仏像に取り囲まれて遊んでいるのだろうか。どうしても気になったので見に来ました。 -
なるほど、こんな感じでしたか。
もっとシュールな立ち並びかたを想像していたの拍子抜け。近隣に散在していたものを集めたのかな? -
ちびっこ広場という名前ですが、子供の姿なし。
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続きまして、「早川三郎記念碑」。
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明治~大正時代の名和の名士。氏の古希を記念して1926年に建てられたものだそうです。東海市の文化財パンフに載っていたので見に来ました。
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さらに歩いて名和町浅山地区へやってきました。
踏切の近くにお社や常夜燈のある区画が。「東海市の石造物」で調べてもこの住所では掲載されてないので、調査された2012年以降にどこかから移設されてきたのかな? -
浅山新田公園へやってきました。
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公園の竣工碑に「浅山新田」の由来が書かれています。
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現在の東海市の海岸線はほぼすべて干拓や埋め立てでできていて、そのほとんどが工業地。しかし、古い干拓地は当然田畑にするために開発されたのです。
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駅への道を歩いていると。堤防にこんなプレート発見。
伊勢湾台風の後の高潮対策で作られたんでしょうね。このプレートが「起点」で… -
ちょこっと先に「終点」。やけに短いですけど、決壊部分を補修したってこと?(プレートに16mと書いてあるし…)
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その堤防がこれ。真ん中あたりにあるのが「終点」のプレートで、カーブの直前に「起点」がある。
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堤防があるのは「土留木川」河口付近。
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水門。
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下流方面。
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名鉄常滑線。このあたりは地面を走ってます。
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共同墓地の六地蔵。
市内には共同墓地がたくさんあって、そのほとんどに六地蔵様がいらっしゃいます。詳しいことはわかりませんがお地蔵様の真ん中には阿弥陀様が置かれていることが多いですね。 -
この阿弥陀様には「宝永」の文字が。「東海市の石造物」によると宝永3年(1706年)のものとのこと。浅山新田干拓(1741年)より古い!
浅山新田より北側は1698年(元禄8年)に干拓されている(浅山新田堤防発掘調査報告書より)ので、ここにその時代のお地蔵さんがあっても不思議はないのです。
これにて北部篇は終了、「中部篇1・2」「南部篇1・2」へと続きます。
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旅行記グループ
地元「東海市」を歩いてみた
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