2020/11/15 - 2020/11/15
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ドクターキムルさん
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今日は日差しがあり、晴天ではあるが、北風が少し強い。それでも富士山は雲の中に隠れてしまっている。
お昼に出掛け、行き帰りとも舞岡みなみの橋を渡った。行きに袂の移設された庚申供養塔(元文2年(1737年)銘))(https://4travel.jp/travelogue/10749565、https://4travel.jp/travelogue/11621875)に「前岡村」(まえおかむら)と刻まれているのを確認し、帰りに写真を撮った。これまでは「舞岡村」(まいおかむら)か「前岡村」(まえおかむら)かは大した問題ではないと無視してきた。しかし、Webには庚申供養塔の正面に「前岡村同行七人」と刻まれており、「現在の舞岡(まいおか)が昔「前岡」(まえおか)と呼ばれていたことを裏付ける」(https://www.townnews.co.jp/0108/2011/07/21/111901.html)とするタウンニュース(2011年7月21日号、戸塚版)もある。
この内容には疑問が湧く。建立者の「同行七人」は舞岡村の里人であろう。しかし、他に「舞岡村」ではなく、「前岡村」と刻まれているものがどれだけあるのだろうか?この時代の石碑がこれだけ多く残っている舞岡町内で他に「前岡村」と刻まれているものを知らない。音が近い漢字に替えた(間違えた)のであろう。
また、明治以前の農民の識字率にも及ぼうか?名主などであれば村人でも読み書きはできようが、普通の百姓がどの程度まで読み書きができたのか?「前」(まえ)は読め、「舞」(まい)に近い読みであることは分かっていても、本当は「舞」であることを知らなかった可能性もあろうか?
舞岡八幡宮の社伝(https://4travel.jp/travelogue/11659398)では、舞岡八幡宮は乾元元年(1302年)、この村に起こった源氏の白旗が空に舞うという吉祥を機に創建されたと伝えられている。その際、村の名も腰(越)村から舞岡村に改めたとされる。では、前岡八幡宮などと記載されたことがあったのであろうか?
この庚申供養塔に彫られた三猿は三猿を中心にして多くの猿の群れである。三匹の猿ではなく、猿の群れなのである。舞岡の他で見る三猿とは異なっている。すなわち、三猿は正面に三猿を並べて彫るか、両側面と正面にそれぞれ一猿づつ彫るかである。このように三猿を中心にした猿の群れを彫っている庚申塔は初めてだ。舞岡村の庚申塔の殆どは近くの戸塚宿辺りの石屋で彫られ、この庚申供養塔だけが他の遠い所、例えば藤沢宿以西か程ヶ谷宿以北、で彫られた可能性はないか?
少なくても「前岡村」の2つ目を発見し、三猿を中心にした猿の群れを彫っている庚申塔が他のどの地区に見られるのかを明らかにしないと、新聞の記事にある「前岡村」の名であったことは疑わしい。
(表紙写真は舞岡みなみの橋の袂の庚申塔)
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