2020/11/02 - 2020/11/03
743位(同エリア3979件中)
愛吉さん
今回の旅行のクライマックス西本願寺に向います。
本願寺は現在東と西に別れていますが、戦国時代迄は一向宗と呼ばれ、民間最大の宗派でした、日本史上にも一向一揆としてしばしば登場、その最大のものが大阪合戦で織田信長との戦でした。
戦いは10年にも及び、しびれを切らした信長が天皇を通じ和議を提案、一向宗が受入れ大阪を退去します。
この時一向宗側で徹底抗戦を唱えたのが、門主の長男でしたが、門主と三男が和議を受入れ決着します。
その後門主の後を継いだのは三男、長男は不遇をかこちます。
時は流れ家康の時代になると、これに目を付けたのが家康、一向宗の力を削ぐ為、長男に寺地を与え改めて本願寺の建立を認めます。
これにより一向宗は分割され、東と西に別れ力は半減します。
三男が西本願寺、長男が東本願寺です。
表紙は西本願寺滴翠園に建つ飛雲閣、国宝です。
京都三閣の一つに数えられます。(金閣、銀閣、飛雲閣)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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西本願寺阿弥陀堂門に到着しました。
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阿弥陀堂の屋根。
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こちらは御影堂。
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阿弥陀堂に入ります、内陣は現在修復中、幕が張られ宮殿部分は見れません。
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本堂の照明
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御影堂に入ります。
現在阿弥陀様はこちらに移され、当然堂内の撮影は禁止です。
お参りを済ませ、広縁に出て来ました。
広縁から御殿に続く渡り廊下に残る、大工の遊び心、嵌め込み絵。
富士山。 -
瓢箪。
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探して歩くと色々あります。
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西本願寺の名物、大銀杏。
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御殿を奥に進むと、書院前に南能舞台。
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白書院、門主との対面の間。
正面が上段の間。天井は格天井。
能が演じられるときはここが見物席となります。 -
上段の間も3段に仕切られ、右端が上上段の間、対面の相手により門主の座る場所が異なります。
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ここでお坊さんの講話を拝聴します。
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渡り廊下を奥に回ると黒書院となります。
白書院は表の顔、黒書院は門主の私的空間となります。 -
黒書院に面して北能舞台があります、現存する日本最古の能舞台です。
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二つの書院を繋ぐ、虎渓の庭。
出口に向かいます。 -
御殿を後にし靴を履いて境内に出て来ました。
境内東南隅、滴翠園の池の中に建つ飛雲閣、三層からなる楼閣建築。
京都三閣の一つに数えられる名建築、軽やかな建物で、今にも雲となって池から飛び立ちそうだと飛雲閣となずけられました。
一時秀吉が京都に建てた聚楽第の一部ではといわれましたが、それは無さそうです。 -
池を跨いで廊下で連なる黄鶴台。
用途はお風呂になります。 -
軽やかな瀟洒な建物を堪能してください。
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2階部分は36歌仙が描かれた歌仙の間。
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見学は限られた時間、門が閉じられます。
これを最後に西本願寺を後にします。 -
最後に来たのが、豊国神社。
言わずと知られた豊臣秀吉を祀る社です。 -
豊国大明神の変額。
1598年8月18日秀吉が死ぬと、遺言により東山阿弥陀ケ峰に葬られ、翌年麓に豊国社が建築されます。
社領1万石、社域30万坪あったといわれますが、豊臣家滅亡後は急速に衰え、家康により廃祀されます。
その後明治に入り、明治天皇のお沙汰により再興が決定、明治13年方広寺大仏殿跡に社殿が完成します。 -
唐門、伏見城遺構と言われます。
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秀吉像と唐門。
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唐門より見た拝殿。
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拝殿
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方広寺梵鐘。
大坂の陣開戦の言掛り、国家安康、君臣豊楽の文字が見えます。 -
アップします。
見えますか。 -
方広寺側から見た豊国社本殿。
これで予定の場所は全て回りました、東京に戻ります。 -
京都駅八条口。
クーポンを使うのに苦労しました。
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