2020/10/13 - 2020/10/18
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softail さん
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新聞に旧島松駅逓所で夜間のライトアップが行われているという記事があったので行ってみた。
国道36号線を走っていて案内板があるのは知っていた。
まさかこんなところに国の史跡があって、クラークが「青年よ、大志を抱け」という言葉を残した場所だとは知らなかった。
北広島市のカントリーサインがクラークだった訳がわかった。
後日、日中に訪れガイドさんの話を聞いた。
「時間があれば説明します」と言われた。
正直、そんなに時間は無かったが、お願いしてみた。
中山久蔵、聞いたことのない人だった。
この人がいなければマツコ・デラックスが「ゆめぴりか」のCMをやっていなかったかもしれない。
また、「青年よ、大志を抱け」に続く言葉があったとは。
大久保利通の最後の褒状、畳の高麗縁など「何でここにあるの?」
というものが見られる場所だとガイドさんは言っていた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
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函館 - 札幌間の札幌本道が開通、1873年(明治6年)に設置された駅逓所。
駅逓所とは、交通不便の地に、宿泊・人馬継立・郵便などの業務を行うため設置されたもの。
駅逓の逓は郵便のことだった。 -
木造平屋、柾葺(まさぶき)で、建坪は101坪。
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紅葉のライトアップ。
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クラーク博士記念碑と寒地稲作発祥の碑。
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クラーク博士記念碑。
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寒地稲作発祥の碑。
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蓮池。
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星が綺麗なところだった。
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再び、島松駅逓所へ。
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1884年(明治17年)札幌県より中山久蔵が駅逓取扱人に命じられる。
中山宅が正式に駅逓所となった。 -
7年間をかけて建物の修理復元工事が実施された。
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白っぽい材料は、修復時に使用された新材、宮大工のクサビによる接合で釘は使用されていない。
本州からの宮大工は冬季間の作業を行わなかったため修復に長い年月がかかった。 -
札幌本道出来絵図。
島松川から左側が札幌郡月寒村島松、右側が千歳郡島松。今は両岸とも北広島市。 -
現在の島松川。
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絵図下側の上流方向。
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橋名は久蔵橋。
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札幌を出発し島松で昼食、千歳泊。千歳~苫小牧~白老泊、白老~幌別~室蘭泊、室蘭から船で森まで、森~峠下~函館まで4泊5日ほどかかったらしい。
峠下って七飯町あたりかな。 -
建物は中山久蔵の居室・台所、客室、行在所に分かれている。
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台所。
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居室。
当時はストーブが無く火鉢で暖をとってたらしい。炭の品質が悪く煙が多く出たため室内は黒くなっている。 -
水田址と赤下種見本田。
1873年(明治6年)、札幌郡月寒村島松で道南より北では初となる寒冷地米の「赤毛種」を栽培することに成功し石狩、空知、上川地方の開拓移民に種もみを無償で配布した。
ゆめぴりかは赤毛種の子孫。 -
島松川から引いた水をためて温める暖水路。
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1877年(明治10年)の第1回内国産業博覧会に出品した稲は高い評価を得た。
大久保利通から贈られた褒状。
翌年、大久保利通は暗殺されたため、現存する最後の褒状らしい。 -
帰りにもらった「赤毛種」。
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広縁を介して各室に通る構造。
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裏側の広縁にあったタンス。
ハロウィンみたいな飾りは何だろう? -
各室。宿泊料は一泊で現在の1万円ほど。
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火鉢の煙で黒ずんだ客室。
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北海道巡幸中の明治天皇が昼食の休憩をとるための行在所を増築。
増築費用は現在の2千万円ほど。
奥が明治天皇の部屋、手前が有栖川左大臣と誰だか忘れてしまった人の部屋。 -
高麗縁。京都御所と島松駅逓所にしかないらしいく、この畳を見に本州から来る人もいるそうだ。
実際は当時、北海道には畳が無く布団にゴザを敷いてた。高麗縁の畳は改修時に敷かれたもの。 -
北海道巡幸中の資料。
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明治天皇用のトイレ。
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明治天皇用のトイレ。
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家来が手洗い用の桶を持って待機している場所。
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御前水の井戸。
北海道巡幸中に使用した井戸。 -
中山久蔵が島松に入って以来使用している北広島で最古の井戸の一つ。
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軟石造門鉄扉。
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今の蓮池の所にあったのかな。
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石造庫品庫。
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明治天皇行在所標柱。
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1890年(明治23年)中山久蔵が建立した「駐蹕處」の碑。
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蓮池(見本栽培)。
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1917年(大正6年)建立「中山久蔵翁頌徳碑」。
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1877年(明治10年)4月16日に札幌農学校を出発したクラーク博士は、この駅逓所付近で学生や職員たちと別れる際、Boys,be ambitiousという名言を残した。
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「島松の別離」クラーク博士が指を差しているのは中山久蔵。
「Boys, be ambitious like this old man」この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれと言った説もある。 -
クラーク博士帰国の朝、開拓使旧本陣前で撮られて記念写真。
手前が創成川、奥が現在の二条市場なので狸小路から撮影されたものらしい。 -
1950年(昭和25年)クラーク碑建立当時の写真。
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紅葉。
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青もみじ。
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札幌本道(旧国道36号線)の紅葉。
ガイドさんの話はとても為になった。帰り際に「歴史は好きですか」と聞かれた。
「最近、ちょっとハマってます」と答えると「歴史好きの人にはこれをあげる」と言って北海道の歴史の小冊子を2冊くれた。
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