アスマラ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
以前の投稿からだいぶ時間が空いてしまいましたが、今回はエリトリア旅行でのアスマラ観光について書きます。<br />2018年の和平の結果、エチオピア・エリトリア間の航空便が復活しました。これを機にずっと行ってみたかったエリトリアに行こう!と決心し、10月に準備を始め、初アフリカ旅行でエリトリアに行ってきました!<br />初アフリカ故に不安だったので、エリトリア現地の旅行会社Adulis Travelに依頼して、国内移動の足として車とガイドさんを雇いました(一応、エリトリア政府公式の声明では外国人観光客が市民が使う公共交通機関を使うことは禁止されているため)。<br />アディスアベバからの直行便でエリトリアのアスマラに入国し、国内各地を巡ります。悪天候や旅行会社との情報共有不足などによってちょくちょく予定が狂いましたが、治安も良好で(スリすらいない)、美しい国でした。<br />アフリカにいる、という感覚はあまりなく、&quot;イタリア文化が生きている&quot;国でもあるため、「アフリカの中のイタリア」にいるような感覚です。南イタリアに行っているときの感覚に近い感じ。「アフリカの北朝鮮」という不名誉な渾名がありますが、実際に行ってみるとそんな抑圧された雰囲気は感じられませんでした。<br />駐日エリトリア大使館が旅行情報を積極的に公開しているため、旅行の参考になります(ただ、情報は多少古い)。ビザの申請も複雑な書類は特になく、英文推薦書と共に基本事項を記入して提出すれば、約1週間で届きました。<br />今回の旅行記ではエリトリア到着と翌日のアスマラ1日観光を載せます。他の町は次の旅行記で。<br />旅の道のりは以下の通りです。<br /><br />12月11日(水)<br />夕方、エリトリア到着→アスマラ泊<br /><br />12月12日(木)<br />アスマラ1日観光、アスマラ泊<br /><br />12月13日(金)<br />アスマラ(マアカル地方・中央州)→マッサワ(北紅海州)途中下車の旅<br />アスマラ→ネファジット→ギンダ→ドンゴロ→ガフテレイ→マイ・アタル→ドガリ→マッサワ<br />マッサワのビーチで海水浴、その後マッサワ市内観光、マッサワ泊<br /><br />12月14日(土)<br />マッサワ(北紅海州)→ケレン(アンセバ地方)<br />朝のマッサワ散歩、昼ケレン着、ケレン市内観光<br />ケレン(アンセバ地方)→アゴルダト近郊(ガシュ・バルカ地方)→アスマラ(マアカル地方・中央州)<br />夕方アスマラ着 アスマラ泊<br /><br />12月15日(日)<br />エリトリア鉄道乗車予定日→10人以上集まらず観光列車が発車せず<br />アスマラ市内ぶらり旅<br /><br />12月16日(月)<br />午前:アスマラ→エリトリア鉄道・ドゥルフォ通信所見学<br />午後:エリトリア鉄道・アスマラ駅構内車両基地見学<br /><br />12月17日(火)<br />出発までアスマラ市内でお土産ショッピング<br />18時、アスマラ出発→アディスアベバへ<br /><br />12月18日(水)<br />帰国

2019年冬:エリトリア紀行 ―「小さなローマ」、世界遺産の町アスマラをじっくり観光―

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2019/12/11 - 2019/12/13

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Giorgio Bianchi

Giorgio Bianchiさん

この旅行記スケジュールを元に

以前の投稿からだいぶ時間が空いてしまいましたが、今回はエリトリア旅行でのアスマラ観光について書きます。
2018年の和平の結果、エチオピア・エリトリア間の航空便が復活しました。これを機にずっと行ってみたかったエリトリアに行こう!と決心し、10月に準備を始め、初アフリカ旅行でエリトリアに行ってきました!
初アフリカ故に不安だったので、エリトリア現地の旅行会社Adulis Travelに依頼して、国内移動の足として車とガイドさんを雇いました(一応、エリトリア政府公式の声明では外国人観光客が市民が使う公共交通機関を使うことは禁止されているため)。
アディスアベバからの直行便でエリトリアのアスマラに入国し、国内各地を巡ります。悪天候や旅行会社との情報共有不足などによってちょくちょく予定が狂いましたが、治安も良好で(スリすらいない)、美しい国でした。
アフリカにいる、という感覚はあまりなく、"イタリア文化が生きている"国でもあるため、「アフリカの中のイタリア」にいるような感覚です。南イタリアに行っているときの感覚に近い感じ。「アフリカの北朝鮮」という不名誉な渾名がありますが、実際に行ってみるとそんな抑圧された雰囲気は感じられませんでした。
駐日エリトリア大使館が旅行情報を積極的に公開しているため、旅行の参考になります(ただ、情報は多少古い)。ビザの申請も複雑な書類は特になく、英文推薦書と共に基本事項を記入して提出すれば、約1週間で届きました。
今回の旅行記ではエリトリア到着と翌日のアスマラ1日観光を載せます。他の町は次の旅行記で。
旅の道のりは以下の通りです。

12月11日(水)
夕方、エリトリア到着→アスマラ泊

12月12日(木)
アスマラ1日観光、アスマラ泊

12月13日(金)
アスマラ(マアカル地方・中央州)→マッサワ(北紅海州)途中下車の旅
アスマラ→ネファジット→ギンダ→ドンゴロ→ガフテレイ→マイ・アタル→ドガリ→マッサワ
マッサワのビーチで海水浴、その後マッサワ市内観光、マッサワ泊

12月14日(土)
マッサワ(北紅海州)→ケレン(アンセバ地方)
朝のマッサワ散歩、昼ケレン着、ケレン市内観光
ケレン(アンセバ地方)→アゴルダト近郊(ガシュ・バルカ地方)→アスマラ(マアカル地方・中央州)
夕方アスマラ着 アスマラ泊

12月15日(日)
エリトリア鉄道乗車予定日→10人以上集まらず観光列車が発車せず
アスマラ市内ぶらり旅

12月16日(月)
午前:アスマラ→エリトリア鉄道・ドゥルフォ通信所見学
午後:エリトリア鉄道・アスマラ駅構内車両基地見学

12月17日(火)
出発までアスマラ市内でお土産ショッピング
18時、アスマラ出発→アディスアベバへ

12月18日(水)
帰国

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
タクシー 徒歩 飛行機
航空会社
エチオピア航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 前回からの続きで、エチオピアのアディスアベバ空港からエリトリアのアスマラ空港に向かいます。出発時間は15時45分。<br /><br />エチオピア航空とエリトリア航空の共同運航便でした。共同運航便とはいえ、エリトリア航空の便に乗れるなんて中々貴重な体験です!<br />エリトリア航空はエリトリアの国営航空会社で、2018年の和平の結果、エチオピア航空がエリトリア航空の株式の一部を買ったとかなんとか。

    前回からの続きで、エチオピアのアディスアベバ空港からエリトリアのアスマラ空港に向かいます。出発時間は15時45分。

    エチオピア航空とエリトリア航空の共同運航便でした。共同運航便とはいえ、エリトリア航空の便に乗れるなんて中々貴重な体験です!
    エリトリア航空はエリトリアの国営航空会社で、2018年の和平の結果、エチオピア航空がエリトリア航空の株式の一部を買ったとかなんとか。

    ボレ国際空港 (ADD) 空港

  • アディスアベバ→アスマラ便は意外にもほぼ満席状態。私以外は基本エチオピア人とエリトリア人ばかりでした。外国人は日本人である私と、同年代の中国人が3人、それとイタリア人が1人いるくらい。<br />まだまだ外国人観光客はそんなに多くありません。

    アディスアベバ→アスマラ便は意外にもほぼ満席状態。私以外は基本エチオピア人とエリトリア人ばかりでした。外国人は日本人である私と、同年代の中国人が3人、それとイタリア人が1人いるくらい。
    まだまだ外国人観光客はそんなに多くありません。

    ボレ国際空港 (ADD) 空港

  • アディスアベバを出発!<br />流石はアフリカでも有数の巨大都市。上空から見るとその広さがよくわかりますね。

    アディスアベバを出発!
    流石はアフリカでも有数の巨大都市。上空から見るとその広さがよくわかりますね。

    ピアッサ (アディスアベバ) 広場・公園

  • 道中のプチ・機内食。<br />美味しい野菜のサンドウィッチです。<br />ズッキーニやニンジンが入ったパニーノ。<br />美味しい!

    道中のプチ・機内食。
    美味しい野菜のサンドウィッチです。
    ズッキーニやニンジンが入ったパニーノ。
    美味しい!

    アクスム 史跡・遺跡

  • エチオピアとエリトリアとの国境地帯付近。<br />両国による和平が結ばれるまでは戦場でした。歴史的にもイタリア軍とエチオピア軍が戦ったり、戦場としての歴史が多い地域です。<br /><br />

    エチオピアとエリトリアとの国境地帯付近。
    両国による和平が結ばれるまでは戦場でした。歴史的にもイタリア軍とエチオピア軍が戦ったり、戦場としての歴史が多い地域です。

    アクスム 史跡・遺跡

  • アスマラ空港に到着ー!入国審査とか何やらですっかり夕方です。<br />空港自体は地方空港って感じでコンパクト。感覚的に離島とかの空港っぽいです。免税店も一応ありました。空港から市街まではそこそこの距離で、歩いて行けなくもないですが、バスやタクシー使った方が楽です。<br /><br />撮影禁止だから撮れないけど、アスマラ空港はエリトリア空軍の軍民共用空港だから空軍機がありました。エリトリアの空港は基本的に撮影が制限されているので、下手に撮らない方がよさそうです。<br /><br />「独裁国家」と聞いてビクビクしていましたが、入国審査は割と簡単。<br />「エリトリアに来るのは初めて?」と聞かれただけで、あとは滞在先のホテルを言うくらいですぐスタンプ押してくれました。<br />問題は荷物が全然出てこなくて時間掛かったこと!<br /><br />空港の到着機案内は英語、ティグリニャ語、アラビア語の三種。イタリア語は無いのかー。残念。<br />ただ、空港内でエリトリア人のおじさんが「Scusa!」と言ったので嬉しくなりました。年配の方ほどイタリア語が通じます。めっちゃ流暢な方も多いですね。アルマーニ着てる人もいたり、結構オシャレ。<br /><br />「アフリカの北朝鮮」と呼ばれますが、空港には軍人さんがいても、町中ではあまり見かけませんでした。警察と市民も仲良さそうだし...<br /><br /><br /><br />

    アスマラ空港に到着ー!入国審査とか何やらですっかり夕方です。
    空港自体は地方空港って感じでコンパクト。感覚的に離島とかの空港っぽいです。免税店も一応ありました。空港から市街まではそこそこの距離で、歩いて行けなくもないですが、バスやタクシー使った方が楽です。

    撮影禁止だから撮れないけど、アスマラ空港はエリトリア空軍の軍民共用空港だから空軍機がありました。エリトリアの空港は基本的に撮影が制限されているので、下手に撮らない方がよさそうです。

    「独裁国家」と聞いてビクビクしていましたが、入国審査は割と簡単。
    「エリトリアに来るのは初めて?」と聞かれただけで、あとは滞在先のホテルを言うくらいですぐスタンプ押してくれました。
    問題は荷物が全然出てこなくて時間掛かったこと!

    空港の到着機案内は英語、ティグリニャ語、アラビア語の三種。イタリア語は無いのかー。残念。
    ただ、空港内でエリトリア人のおじさんが「Scusa!」と言ったので嬉しくなりました。年配の方ほどイタリア語が通じます。めっちゃ流暢な方も多いですね。アルマーニ着てる人もいたり、結構オシャレ。

    「アフリカの北朝鮮」と呼ばれますが、空港には軍人さんがいても、町中ではあまり見かけませんでした。警察と市民も仲良さそうだし...



    アスマラ国際空港 (ASM) 空港

    こぢんまりとした空港 by Giorgio Bianchiさん
  • 空港の入り口でAdulis Travelのガイドのバレハーさんと運転手のロベルさんと合流。荷物を車に乗せて、市内に向かいます。<br />空港から市内までの距離はそこそこの距離。行こうと思えば徒歩でもイケそうな距離でした。車は乗り心地良好のトヨタ。それなりに古い車(といってもせいぜい80, 90年代やそこら)も走っていますが、意外に新しい車も多いです。とりあえず、トヨタが多い。<br /><br />ガイドさんはイタリア語を話せる人をお願いしました(私が英語が不自由のため)。旧イタリア植民地だということもあり、年配の方や若い学生を中心にそこそこイタリア語が通じるのも利点です。<br /><br />まずは軍資金の両替。エリトリアの通貨「ナクファ(Nkf)」は国外では両替出来ないので、入国後に両替します。円でも両替できると言われてますが、一番レートが良いと言われるドルで両替。ドルそのままでも通貨として使えるそうですが、グレーらしいです。<br /><br />その後は色々手続き済ませてとりあえずホテルに向かって一休み。<br />ホテルはハルネット通りの南側に位置する「Crystal Hotel」です。<br />本当はイタリア植民地時代のホテル「Albergo Italia」に泊まろうと思ったんですが、連絡取ったらホテル側の対応がめちゃくちゃ怠慢だったので止めました。<br />「Crystal Hotel」はBooking.comでも予約取れて、市内観光に適した位置にあるのでおススメです。客室にもよりますが、綺麗で設備も整っていました。客は基本的に外国人観光客のようです(イタリア人が多い)

    空港の入り口でAdulis Travelのガイドのバレハーさんと運転手のロベルさんと合流。荷物を車に乗せて、市内に向かいます。
    空港から市内までの距離はそこそこの距離。行こうと思えば徒歩でもイケそうな距離でした。車は乗り心地良好のトヨタ。それなりに古い車(といってもせいぜい80, 90年代やそこら)も走っていますが、意外に新しい車も多いです。とりあえず、トヨタが多い。

    ガイドさんはイタリア語を話せる人をお願いしました(私が英語が不自由のため)。旧イタリア植民地だということもあり、年配の方や若い学生を中心にそこそこイタリア語が通じるのも利点です。

    まずは軍資金の両替。エリトリアの通貨「ナクファ(Nkf)」は国外では両替出来ないので、入国後に両替します。円でも両替できると言われてますが、一番レートが良いと言われるドルで両替。ドルそのままでも通貨として使えるそうですが、グレーらしいです。

    その後は色々手続き済ませてとりあえずホテルに向かって一休み。
    ホテルはハルネット通りの南側に位置する「Crystal Hotel」です。
    本当はイタリア植民地時代のホテル「Albergo Italia」に泊まろうと思ったんですが、連絡取ったらホテル側の対応がめちゃくちゃ怠慢だったので止めました。
    「Crystal Hotel」はBooking.comでも予約取れて、市内観光に適した位置にあるのでおススメです。客室にもよりますが、綺麗で設備も整っていました。客は基本的に外国人観光客のようです(イタリア人が多い)

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • 客室にはミニバーがあります。わざわざ買いに行かなくて良いので便利。<br />左はアスマラの地ビール、「アスマラ・ビール」。元々はイタリア植民地時代にイタリア人入植者が開業した「ビッラ・メロッティ」が前身です。<br />右がコカ・コーラのゲエズ文字仕様。読めませんね。

    客室にはミニバーがあります。わざわざ買いに行かなくて良いので便利。
    左はアスマラの地ビール、「アスマラ・ビール」。元々はイタリア植民地時代にイタリア人入植者が開業した「ビッラ・メロッティ」が前身です。
    右がコカ・コーラのゲエズ文字仕様。読めませんね。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • ウェルカム・フルーツがあります。<br />新鮮で美味しい!エリトリア、フルーツが美味しいんですよね。<br /><br />ホテルの電力・水道事情を心配していましたが、全く問題ありません。<br />よく停電する~って話聞きますけど、少なくとも1週間程エリトリア国内の様々な町にいましたが、一度も停電を経験しませんでした。電力事情が改善したのかな?<br />夜は充電が朝までフルで出来るのでスマホの充電も問題なしです。

    ウェルカム・フルーツがあります。
    新鮮で美味しい!エリトリア、フルーツが美味しいんですよね。

    ホテルの電力・水道事情を心配していましたが、全く問題ありません。
    よく停電する~って話聞きますけど、少なくとも1週間程エリトリア国内の様々な町にいましたが、一度も停電を経験しませんでした。電力事情が改善したのかな?
    夜は充電が朝までフルで出来るのでスマホの充電も問題なしです。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • シャワーとトイレ。<br />アメニティは石鹸くらいです。<br />お湯の出は悪くありません。ちゃんと出ます。<br /><br />あと、回線弱いですけどWi-Fiがあります。iPhoneは通じにくいですが、アンドロイドだと普通に地図見るくらいは出来ました。ただ、SNSとかは重くて難しいですね。一応、町にはネカフェもあるので、本当にネットが必要な場合はそっちを使えば良いかもしれません。<br /><br />基本的に、エリトリアはネットが全然繋がらない!<br />とはいえ、別に情報統制されているわけでもないようで、普通にネット繋がれば日本のサイトも見れますし、テレビでCNNとか外国メディアのニュースもやっています。<br />

    シャワーとトイレ。
    アメニティは石鹸くらいです。
    お湯の出は悪くありません。ちゃんと出ます。

    あと、回線弱いですけどWi-Fiがあります。iPhoneは通じにくいですが、アンドロイドだと普通に地図見るくらいは出来ました。ただ、SNSとかは重くて難しいですね。一応、町にはネカフェもあるので、本当にネットが必要な場合はそっちを使えば良いかもしれません。

    基本的に、エリトリアはネットが全然繋がらない!
    とはいえ、別に情報統制されているわけでもないようで、普通にネット繋がれば日本のサイトも見れますし、テレビでCNNとか外国メディアのニュースもやっています。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • エリトリア着いて初の食事、そして初のディナー。<br />ホテル近くの&quot;Ghibabo Pizzeria &amp; restaurant&quot;に行きました。

    エリトリア着いて初の食事、そして初のディナー。
    ホテル近くの"Ghibabo Pizzeria & restaurant"に行きました。

  • ハルネット通りの南側に位置する、テラス席のイタリアンレストランです。夜はイルミネーションも綺麗でロマンチック!

    ハルネット通りの南側に位置する、テラス席のイタリアンレストランです。夜はイルミネーションも綺麗でロマンチック!

  • 青唐辛子を使ったピリ辛のピッツァ・アスマリーナPizza Asmarina(アスマラ風ピッツァ)は大サイズが170ナクファ。空腹だったので大サイズに。<br />具材はニンニク、オレガノ、トマト、モッツァレッラ、青唐辛子。<br />こんがりパリッとクリスピー生地。<br />ピッツァの大サイズはかなりのボリュームで、空腹の男性でも完食はキツいほど。無理やり腹に押し込みました。美味しいけど、両多過ぎだ...

    青唐辛子を使ったピリ辛のピッツァ・アスマリーナPizza Asmarina(アスマラ風ピッツァ)は大サイズが170ナクファ。空腹だったので大サイズに。
    具材はニンニク、オレガノ、トマト、モッツァレッラ、青唐辛子。
    こんがりパリッとクリスピー生地。
    ピッツァの大サイズはかなりのボリュームで、空腹の男性でも完食はキツいほど。無理やり腹に押し込みました。美味しいけど、両多過ぎだ...

  • ピッツァのオトモはアスマラ・ビール。11ナクファ。<br />ちなみにミネラルウォーターも頼みましたが、大ボトルで30ナクファ。<br />ビールの方が安いのかよ!

    ピッツァのオトモはアスマラ・ビール。11ナクファ。
    ちなみにミネラルウォーターも頼みましたが、大ボトルで30ナクファ。
    ビールの方が安いのかよ!

  • 食事後は夜の町には出ずに、満腹で苦しいのでホテルに戻ります。<br />客室から見えるお月さんがめっちゃ綺麗でした。

    食事後は夜の町には出ずに、満腹で苦しいのでホテルに戻ります。
    客室から見えるお月さんがめっちゃ綺麗でした。

  • 12月12日、朝。ホテルの食堂です。<br />ちなみに、普通のバールとしても運営されているので、宿泊客以外の一般のお客さんも利用します。朝早くは人あまりいません。<br />朝食は7時から利用可ですが、その少し前でも大丈夫みたいです。<br /><br />ホテルの宿泊客には外国人観光客結構いました。<br />イタリア人女性客2人男性客3人、あと英国人、中国人、スイス人2人。<br />イタリア人の男性客らはケレンとマッサワにも行くと言っていました。<br />ただ、ホテルにはいても町中では中々遭遇しないんですよね、他の観光客。

    12月12日、朝。ホテルの食堂です。
    ちなみに、普通のバールとしても運営されているので、宿泊客以外の一般のお客さんも利用します。朝早くは人あまりいません。
    朝食は7時から利用可ですが、その少し前でも大丈夫みたいです。

    ホテルの宿泊客には外国人観光客結構いました。
    イタリア人女性客2人男性客3人、あと英国人、中国人、スイス人2人。
    イタリア人の男性客らはケレンとマッサワにも行くと言っていました。
    ただ、ホテルにはいても町中では中々遭遇しないんですよね、他の観光客。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • 朝食はホテルで出ます。<br />トースト(ジャムとバター)、フルーツ、お好みのフルーツで生絞りフレッシュジュース作ってくれます。

    朝食はホテルで出ます。
    トースト(ジャムとバター)、フルーツ、お好みのフルーツで生絞りフレッシュジュース作ってくれます。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • 卵料理をお好みで作ってくれました。<br />この日はポーチドエッグ。

    卵料理をお好みで作ってくれました。
    この日はポーチドエッグ。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • 食後のエスプレッソ。<br />全部ホテル料金込みなので嬉しいですね。

    食後のエスプレッソ。
    全部ホテル料金込みなので嬉しいですね。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • ホテルの外見。<br />アスマラの観光地図はホテルで買えます。<br />50ナクファ。意外にするなぁ。

    ホテルの外見。
    アスマラの観光地図はホテルで買えます。
    50ナクファ。意外にするなぁ。

    Crystal Hotel Asmara ホテル

    アスマラ市街の観光に丁度良いホテル by Giorgio Bianchiさん
  • 本当はこの日から午前中はアスマラ観光、午後からマッサワに向かうはずでしたがガイドさんの不手際によりアスマラ一日観光に。<br />まぁいいか。とりあえず、イタリア植民地時代の建築巡りをします。<br /><br />アスマラはイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニの時代に「ピッコラ・ローマ(小さなローマ)」と呼ばれるほどの発展を遂げ、現在も町の殆どが1920年代-1930年代ごろのファシスト政権全盛期に作られた合理主義建築(イタリアではモダニズム建築と差別化してこう呼ばれる)や、未来派建築といったイタリア建築で埋め尽くされています。2017年にはその保存状態の良さと、特異な都市構造が評価され、ユネスコ世界遺産に登録されました。<br /><br />こちらは「ハマセン・ホテル」。<br />1919年に完成したイタリア時代のホテルで、第二次世界大戦時に英軍がアスマラを攻略した際は英軍の司令部が設置されていたとか。<br />現在もホテルとして使われており、知り合いはここに泊まったらしいです。

    本当はこの日から午前中はアスマラ観光、午後からマッサワに向かうはずでしたがガイドさんの不手際によりアスマラ一日観光に。
    まぁいいか。とりあえず、イタリア植民地時代の建築巡りをします。

    アスマラはイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニの時代に「ピッコラ・ローマ(小さなローマ)」と呼ばれるほどの発展を遂げ、現在も町の殆どが1920年代-1930年代ごろのファシスト政権全盛期に作られた合理主義建築(イタリアではモダニズム建築と差別化してこう呼ばれる)や、未来派建築といったイタリア建築で埋め尽くされています。2017年にはその保存状態の良さと、特異な都市構造が評価され、ユネスコ世界遺産に登録されました。

    こちらは「ハマセン・ホテル」。
    1919年に完成したイタリア時代のホテルで、第二次世界大戦時に英軍がアスマラを攻略した際は英軍の司令部が設置されていたとか。
    現在もホテルとして使われており、知り合いはここに泊まったらしいです。

  • アフリカ・ペンション。<br />キュビズムを特徴とする邸宅で、現在はペンション。<br />1920年に作られました。<br /><br />この辺りはどうも大使館街らしく、世界遺産の構成資産である「ヴィッラ・ローマ」は現在もイタリア大使公邸のため撮影が禁止になっていました。<br />防犯カメラもあり、ガチガチのセキュリティです。<br />写真を撮影したので削除させられましたが、ちゃんと削除すればそんなに咎められることはありませんでした。まぁ、心臓には悪かったですね。

    アフリカ・ペンション。
    キュビズムを特徴とする邸宅で、現在はペンション。
    1920年に作られました。

    この辺りはどうも大使館街らしく、世界遺産の構成資産である「ヴィッラ・ローマ」は現在もイタリア大使公邸のため撮影が禁止になっていました。
    防犯カメラもあり、ガチガチのセキュリティです。
    写真を撮影したので削除させられましたが、ちゃんと削除すればそんなに咎められることはありませんでした。まぁ、心臓には悪かったですね。

  • こちらは1930年代に完成した旧アスマラ市庁舎。<br />その後スーダン大使館として使われていましたが、現在は大使館ではないため、大使館街にはありますが撮影は許可されていました。

    こちらは1930年代に完成した旧アスマラ市庁舎。
    その後スーダン大使館として使われていましたが、現在は大使館ではないため、大使館街にはありますが撮影は許可されていました。

  • 野犬?いました。<br />南イタリアでのトラウマが蘇るのでやっぱり怖い...

    野犬?いました。
    南イタリアでのトラウマが蘇るのでやっぱり怖い...

  • ゲエズ文字の看板。<br />読めないけど多分美容院だということはわかります。

    ゲエズ文字の看板。
    読めないけど多分美容院だということはわかります。

  • エリトリアの国旗(左)と、エリトリアの与党である「民主正義人民戦線」の党旗(右)です。

    エリトリアの国旗(左)と、エリトリアの与党である「民主正義人民戦線」の党旗(右)です。

  • ハルネット通り。<br />ファシスト政権期はムッソリーニ通りと呼ばれていた、アスマラの中央通りです。そういえば、アスマラは見事にゴミが一つも落ちてない!これってアフリカだとかなり珍しい事だとか。気持ちよく観光出来ます。

    ハルネット通り。
    ファシスト政権期はムッソリーニ通りと呼ばれていた、アスマラの中央通りです。そういえば、アスマラは見事にゴミが一つも落ちてない!これってアフリカだとかなり珍しい事だとか。気持ちよく観光出来ます。

  • アスマラのランドマークとも言える、カトリックの大聖堂「ベアータ・ヴェルジネ・デル・ロザーリオ大聖堂(聖マリア大聖堂)」。<br />単純に「カテドラル(大聖堂)」と呼ばれることが多いようです。1922年完成。イタリア式の教会はここがかつて植民地だったことの記憶を呼び起こします。

    アスマラのランドマークとも言える、カトリックの大聖堂「ベアータ・ヴェルジネ・デル・ロザーリオ大聖堂(聖マリア大聖堂)」。
    単純に「カテドラル(大聖堂)」と呼ばれることが多いようです。1922年完成。イタリア式の教会はここがかつて植民地だったことの記憶を呼び起こします。

  • 違う日に撮影した写真ですが、内部の写真。<br />礼拝者は結構多いので撮影は控えめに。

    違う日に撮影した写真ですが、内部の写真。
    礼拝者は結構多いので撮影は控えめに。

  • チネマ・インペロ。<br />これまたアスマラの代表的な名所の一つで、1930年代に造られたイタリア時代の映画館です。アスマラには多くのイタリア時代の映画館があり、しかも建造時期的にまさに『ニューシネマパラダイス』の世界!<br />狭い空間にこれまでか!というくらい映画館があるのも特徴です。多分、日本やイタリアより映画館多そう。<br />

    チネマ・インペロ。
    これまたアスマラの代表的な名所の一つで、1930年代に造られたイタリア時代の映画館です。アスマラには多くのイタリア時代の映画館があり、しかも建造時期的にまさに『ニューシネマパラダイス』の世界!
    狭い空間にこれまでか!というくらい映画館があるのも特徴です。多分、日本やイタリアより映画館多そう。

  • 2019年12月の段階では内部を一部修復工事中でした。<br />この時期、どうも改修中で閉館中の施設も多く、有名なボーリング場も改修工事で閉まっていました。

    2019年12月の段階では内部を一部修復工事中でした。
    この時期、どうも改修中で閉館中の施設も多く、有名なボーリング場も改修工事で閉まっていました。

  • こちらは現在のアスマラ市庁舎。<br />ただ、イタリア植民地時代の建築ではなく、1950年代の建築。<br />かつて英国のエリザベス女王のアスマラ来訪時に訪れた場所だそうです。

    こちらは現在のアスマラ市庁舎。
    ただ、イタリア植民地時代の建築ではなく、1950年代の建築。
    かつて英国のエリザベス女王のアスマラ来訪時に訪れた場所だそうです。

  • 右側はアスマラ中心部にある魚市場、アスマラ中央魚市場。<br />朝に紅海沿岸で水揚げされた新鮮な魚介類が立ち並びます。イタリア植民地時代の建築ですが、写真をちゃんと撮り損ねた!

    右側はアスマラ中心部にある魚市場、アスマラ中央魚市場。
    朝に紅海沿岸で水揚げされた新鮮な魚介類が立ち並びます。イタリア植民地時代の建築ですが、写真をちゃんと撮り損ねた!

  • イタリア植民地時代に植えられたソテツ並木。今でこそビル程の高さですが、イタリア時代はまだ小さかったそうです。

    イタリア植民地時代に植えられたソテツ並木。今でこそビル程の高さですが、イタリア時代はまだ小さかったそうです。

  • グランド・モスク。<br />アスマラ最大のモスクです。キリスト教とイスラームの調和、まさにエリトリアという国を表している建築と言えるでしょう。<br />1938年のイタリア植民地時代に造られたモスク。<br />カトリックの総本山であるイタリアがモスクを?と思う人もいますが、当時のイタリア・ファシスト政権は政治的な意味合い(エチオピア正教会との対立や英国からのムスリム分離狙い等)から、イスラームへの懐柔政策を行い、特にアフリカ植民地ではムスリムへの優遇を行って数々のモスクを作っていました。ムッソリーニ自身、「ムスリムの守護者」を名乗っています。<br />バリッラ少年団(イタリア版ヒトラーユーゲント、とはいえ、こっちの方が先に作られた)の総裁であったレナート・リッチの出身地であるカッラーラの石材(大理石)を使っている辺り、体制色が色濃く出ている建築と言えます。

    グランド・モスク。
    アスマラ最大のモスクです。キリスト教とイスラームの調和、まさにエリトリアという国を表している建築と言えるでしょう。
    1938年のイタリア植民地時代に造られたモスク。
    カトリックの総本山であるイタリアがモスクを?と思う人もいますが、当時のイタリア・ファシスト政権は政治的な意味合い(エチオピア正教会との対立や英国からのムスリム分離狙い等)から、イスラームへの懐柔政策を行い、特にアフリカ植民地ではムスリムへの優遇を行って数々のモスクを作っていました。ムッソリーニ自身、「ムスリムの守護者」を名乗っています。
    バリッラ少年団(イタリア版ヒトラーユーゲント、とはいえ、こっちの方が先に作られた)の総裁であったレナート・リッチの出身地であるカッラーラの石材(大理石)を使っている辺り、体制色が色濃く出ている建築と言えます。

  • モスクのミナレット。

    モスクのミナレット。

  • アスマラは町のあちこちにバール(カフェ)があります。<br />疲れた時はここでエスプレッソを一杯。

    アスマラは町のあちこちにバール(カフェ)があります。
    疲れた時はここでエスプレッソを一杯。

  • エリトリアの書店。<br />イタリア植民地時代の書籍もあったのでありがたく購入しました。<br />ただ、ティグリニャ語読めないので翻訳は知り合いに頼みましたが...

    エリトリアの書店。
    イタリア植民地時代の書籍もあったのでありがたく購入しました。
    ただ、ティグリニャ語読めないので翻訳は知り合いに頼みましたが...

  • 中央郵便局。<br />1890年完成と、アスマラのイタリア建築の中でも古めの建築。<br />この辺りは当時のイタリア軍基地に近く、アスマラの都市計画において重要な役割を果たした場所なんだとか。

    中央郵便局。
    1890年完成と、アスマラのイタリア建築の中でも古めの建築。
    この辺りは当時のイタリア軍基地に近く、アスマラの都市計画において重要な役割を果たした場所なんだとか。

  • いかにもイタリア建築らしい、エリトリア銀行の本社。<br />1895年完成。元々はイタリア銀行(バンカ・ディターリア)の建物でしたが、第二次世界大戦後にエチオピアが占領統治していた頃は警察署として使われていました。ヴェネツィアとかにありそうな見た目ですね。

    いかにもイタリア建築らしい、エリトリア銀行の本社。
    1895年完成。元々はイタリア銀行(バンカ・ディターリア)の建物でしたが、第二次世界大戦後にエチオピアが占領統治していた頃は警察署として使われていました。ヴェネツィアとかにありそうな見た目ですね。

  • エリトリア商業銀行。<br />1910年代に建てられた建築で、ローマ銀行(バンコ・ディ・ローマ)が置かれていました。ファシスト政権期には党の所有物として使われていたとか。

    エリトリア商業銀行。
    1910年代に建てられた建築で、ローマ銀行(バンコ・ディ・ローマ)が置かれていました。ファシスト政権期には党の所有物として使われていたとか。

  • 当初、泊まろうと思っていた「Albergo Italia」。<br />ハルネット通りの北側に位置する高級ホテルで、イタリア植民地時代の1899年に作られたアスマラ最古のホテルであり、アスマラで最も古い年代の石造建築の一つ。<br />公式サイトから予約が可能(イタリア語・英語)ですが、スタッフの対応がめちゃくちゃ怠慢でクッソ遅いです。なんとか改善してくれ!

    当初、泊まろうと思っていた「Albergo Italia」。
    ハルネット通りの北側に位置する高級ホテルで、イタリア植民地時代の1899年に作られたアスマラ最古のホテルであり、アスマラで最も古い年代の石造建築の一つ。
    公式サイトから予約が可能(イタリア語・英語)ですが、スタッフの対応がめちゃくちゃ怠慢でクッソ遅いです。なんとか改善してくれ!

  • アスマラの町に富士フィルム。

    アスマラの町に富士フィルム。

  • イタリア植民地時代の総督官邸、現在の大統領官邸の近くにある「シティ・パーク」。総督官邸は当然ながら大統領官邸のため警備が厳しく、撮影は勿論禁止です。「シティ・パーク」では色んな屋台があって外食を楽しめます。

    イタリア植民地時代の総督官邸、現在の大統領官邸の近くにある「シティ・パーク」。総督官邸は当然ながら大統領官邸のため警備が厳しく、撮影は勿論禁止です。「シティ・パーク」では色んな屋台があって外食を楽しめます。

  • テアトロ・アスマラ。要するに、アスマラ劇場。<br />1920年に完成したオペラ・ハウスです。アスマラ初の劇場。

    テアトロ・アスマラ。要するに、アスマラ劇場。
    1920年に完成したオペラ・ハウスです。アスマラ初の劇場。

  • テアトロのロビー。<br />現在も劇場として使われていますが、2019年12月の段階では客席の壁の塗り替え工事中で非公開になっていました。めちゃペンキ臭い。残念。

    テアトロのロビー。
    現在も劇場として使われていますが、2019年12月の段階では客席の壁の塗り替え工事中で非公開になっていました。めちゃペンキ臭い。残念。

  • アスマラの外れ、鉄道駅の先にあるエリトリア人の富裕層の墓地。<br />高台にあるため、登るとアスマラ全体を見渡せる展望台になっています。

    アスマラの外れ、鉄道駅の先にあるエリトリア人の富裕層の墓地。
    高台にあるため、登るとアスマラ全体を見渡せる展望台になっています。

  • 結構登るのしんどいです。

    結構登るのしんどいです。

  • 1930年に完成した正教会のキダネ・ミハレット大聖堂が見えます。

    1930年に完成した正教会のキダネ・ミハレット大聖堂が見えます。

  • アスマラの名所、リサイクル工房(メデレベル)。<br />聖マリア・コプト教会近くにある、廃材を利用して様々な金属製品を作る工房と、それらを販売する市場です。

    アスマラの名所、リサイクル工房(メデレベル)。
    聖マリア・コプト教会近くにある、廃材を利用して様々な金属製品を作る工房と、それらを販売する市場です。

  • 金属製品以外にもスパイスなどを売る店もあり、良い香りが漂います。

    金属製品以外にもスパイスなどを売る店もあり、良い香りが漂います。

  • アスマラのランドマークの一つ、聖マリア・コプト教会。<br />またの名前を「ンダ・マリアム」。1913年に完成した正教会建築で、正面の印象的なモザイク画はイタリア人画家による作品です。

    アスマラのランドマークの一つ、聖マリア・コプト教会。
    またの名前を「ンダ・マリアム」。1913年に完成した正教会建築で、正面の印象的なモザイク画はイタリア人画家による作品です。

  • これは聖マリア・コプト教会前にある「石の鐘」!<br />叩くと見た目からは想像できない美しい音色が響きます。

    これは聖マリア・コプト教会前にある「石の鐘」!
    叩くと見た目からは想像できない美しい音色が響きます。

  • アスマラの映画館の一つ、チネマ・ローマ。<br />1937年完成。ファザードには豪華な大理石を大胆に用いています。

    アスマラの映画館の一つ、チネマ・ローマ。
    1937年完成。ファザードには豪華な大理石を大胆に用いています。

  • 映画館のロビーには現役を退いた古いイタリア製の映写機が展示されています。まさに「ニューシネマパラダイス」のやつ!

    映画館のロビーには現役を退いた古いイタリア製の映写機が展示されています。まさに「ニューシネマパラダイス」のやつ!

  • 映画館の客席。雰囲気はまんまニューシネマパラダイス!<br />イタリア映画好きは必見の場所です。イタリアでもこの時代の映画館が残っている例って中々無いんじゃないかな...

    映画館の客席。雰囲気はまんまニューシネマパラダイス!
    イタリア映画好きは必見の場所です。イタリアでもこの時代の映画館が残っている例って中々無いんじゃないかな...

  • アルベルト・ソルディ!

    アルベルト・ソルディ!

  • ポスターがイイ味出してます。

    ポスターがイイ味出してます。

  • 映画館内にはカフェも併設。多くの人でにぎわいます。

    映画館内にはカフェも併設。多くの人でにぎわいます。

  • エスプレッソも美味しい!<br />オシャレな雰囲気を楽しみながら休憩出来るのでおススメ。

    エスプレッソも美味しい!
    オシャレな雰囲気を楽しみながら休憩出来るのでおススメ。

  • 天気が悪くなってきました。<br />めっちゃ晴れていてもいきなり天候が悪くなるのがアスマラの特徴。<br /><br />雨宿りも兼ねて昼食をいただきます。<br />ハルネット通り、テアトロの向かい側にあるイタリアンレストラン「Spaghetti &amp; Pizza House」へ。<br />エリトリアはイタリア植民地だっただけあり、イタリアンが豊富です。

    天気が悪くなってきました。
    めっちゃ晴れていてもいきなり天候が悪くなるのがアスマラの特徴。

    雨宿りも兼ねて昼食をいただきます。
    ハルネット通り、テアトロの向かい側にあるイタリアンレストラン「Spaghetti & Pizza House」へ。
    エリトリアはイタリア植民地だっただけあり、イタリアンが豊富です。

  • なんかどっかで見たことある看板だぞ...

    なんかどっかで見たことある看板だぞ...

  • エビとニンニクのレモンパスタを注文!130ナクファ。<br />スパゲッティかペンネか選べましたが、やはり王道のスパゲッティで。<br />オリーヴオイルとレモンが効いて、さっぱりと美味しい!エビもプリップリで新鮮です。アスマラのイタリアン、結構レヴェル高いです。<br />これにクリームスープとパンが付きました。<br /><br />ワインはイタリア産や南アフリカ産などの他、エリトリアの地ワインも置いてありました。あまり数は多くないですが、作っているようです。

    エビとニンニクのレモンパスタを注文!130ナクファ。
    スパゲッティかペンネか選べましたが、やはり王道のスパゲッティで。
    オリーヴオイルとレモンが効いて、さっぱりと美味しい!エビもプリップリで新鮮です。アスマラのイタリアン、結構レヴェル高いです。
    これにクリームスープとパンが付きました。

    ワインはイタリア産や南アフリカ産などの他、エリトリアの地ワインも置いてありました。あまり数は多くないですが、作っているようです。

  • ガイドさんはラザーニャを注文。<br />こっちも味見しましたが中々イケました。<br />ピッツァ用のデカい窯もあったので、ピッツァも美味しいかも。<br />あとドルチェも安くて、ティラミスは40ナクファ(頼んでませんが)<br /><br />スタッフさんの印象も良く良いお店でしたので、後日また行きました。

    ガイドさんはラザーニャを注文。
    こっちも味見しましたが中々イケました。
    ピッツァ用のデカい窯もあったので、ピッツァも美味しいかも。
    あとドルチェも安くて、ティラミスは40ナクファ(頼んでませんが)

    スタッフさんの印象も良く良いお店でしたので、後日また行きました。

  • 雨が止んで晴れてきた!<br />と言うわけで観光再開です。

    雨が止んで晴れてきた!
    と言うわけで観光再開です。

  • 昼食後、雨が止んだ後は町から2km程離れた「戦車の墓場(戦車の墓地)」へ。<br />アスマラの名所の一つとして知られている、廃棄された兵器が置かれている場所です。見学には観光庁にて事前の申請が必要で、敷地内に入る際に観光庁で発行された書類を見せてから入ります。<br />

    昼食後、雨が止んだ後は町から2km程離れた「戦車の墓場(戦車の墓地)」へ。
    アスマラの名所の一つとして知られている、廃棄された兵器が置かれている場所です。見学には観光庁にて事前の申請が必要で、敷地内に入る際に観光庁で発行された書類を見せてから入ります。

  • 基本的には独立戦争期にエチオピア軍が放棄していった兵器を中心に堆積しています。

    基本的には独立戦争期にエチオピア軍が放棄していった兵器を中心に堆積しています。

  • 当時、エチオピアはソ連の同盟国であったため、戦車やミグ戦闘機をはじめ、ソ連製の兵器が至る所にあります。ロシア語、書いてありますね。

    当時、エチオピアはソ連の同盟国であったため、戦車やミグ戦闘機をはじめ、ソ連製の兵器が至る所にあります。ロシア語、書いてありますね。

  • エチオピア軍の兵器ばかりだけでなく、イタリア植民地時代の廃棄された鉄道なんかもありました。

    エチオピア軍の兵器ばかりだけでなく、イタリア植民地時代の廃棄された鉄道なんかもありました。

  • 結構広いうえに、サボテンが結構危ないです。<br />足滑らせて思いっきり刺さりました。クソ痛い。<br />なお、この辺りの廃棄品はさっきのリサイクル工房で作られる製品の材料として使われています。それ故、盗難を防ぐために入るには事前許可が必要なわけですね。

    結構広いうえに、サボテンが結構危ないです。
    足滑らせて思いっきり刺さりました。クソ痛い。
    なお、この辺りの廃棄品はさっきのリサイクル工房で作られる製品の材料として使われています。それ故、盗難を防ぐために入るには事前許可が必要なわけですね。

  • アスマラ市街に戻る道中にはイタリア人墓地があります。<br />この地にかつて多くのイタリア人入植者がいたことがよくわかります。<br />イタリア人の他、エリトリア人アスカリ兵(イタリア軍の現地人部隊)の墓地もありました。

    アスマラ市街に戻る道中にはイタリア人墓地があります。
    この地にかつて多くのイタリア人入植者がいたことがよくわかります。
    イタリア人の他、エリトリア人アスカリ兵(イタリア軍の現地人部隊)の墓地もありました。

  • 結構豪華な見た目のお墓もありました。<br /><br />墓地近くの教会ではデカいお葬式に遭遇。なんとガイドさんが葬儀に参加しに行ってしまい、30分くらい戻ってきませんでした。<br />有名な人じゃなくても町が狭いので知り合いが多く、多くの人が参列するんだとか。葬儀後は参列者のクルマで大渋滞。<br />面白い文化ですが、お仕事を優先して欲しい...

    結構豪華な見た目のお墓もありました。

    墓地近くの教会ではデカいお葬式に遭遇。なんとガイドさんが葬儀に参加しに行ってしまい、30分くらい戻ってきませんでした。
    有名な人じゃなくても町が狭いので知り合いが多く、多くの人が参列するんだとか。葬儀後は参列者のクルマで大渋滞。
    面白い文化ですが、お仕事を優先して欲しい...

  • 町に戻ってきました。<br />アスマラのランドマーク、未来派のガソリンスタンド「フィアット・タリィエロ」です。日本語だと「フィアット・ティグリロ」って書かれてたりする(大使館の資料でもそう)けれど、イタリア語的にFIAT TAGLIEROはそうは読みません。何でそういう表記があるんだろう?誤表記?<br /><br />アスマラで最も見たかった建築です。1938年完成のガソリンスタンドで、その見た目は飛行機をイメージしたもの。30mにもなる片持ち梁式の翼には支柱が全く無いという設計で、よく何十年も経つのに崩れないなぁ、とイタリアの建築能力の高さがよくわかる建築の一つです。<br />設計者のジュゼッペ・ペッタッツィが作業員に支柱を外させた際に銃を突きつけたエピソードでも有名。

    町に戻ってきました。
    アスマラのランドマーク、未来派のガソリンスタンド「フィアット・タリィエロ」です。日本語だと「フィアット・ティグリロ」って書かれてたりする(大使館の資料でもそう)けれど、イタリア語的にFIAT TAGLIEROはそうは読みません。何でそういう表記があるんだろう?誤表記?

    アスマラで最も見たかった建築です。1938年完成のガソリンスタンドで、その見た目は飛行機をイメージしたもの。30mにもなる片持ち梁式の翼には支柱が全く無いという設計で、よく何十年も経つのに崩れないなぁ、とイタリアの建築能力の高さがよくわかる建築の一つです。
    設計者のジュゼッペ・ペッタッツィが作業員に支柱を外させた際に銃を突きつけたエピソードでも有名。

  • この辺、FIAT以外にも自動車関係の施設が結構あります。

    この辺、FIAT以外にも自動車関係の施設が結構あります。

  • 午前中に丘の上から見たキダネ・ミハレット大聖堂。<br />フィレンツェのドゥオーモを連想させる立派なクーポラ(ドーム型の円天井)が特徴的ですが、近くからではデカ過ぎて見れません。丘の上に登って正解でした。1930年完成の正教会の大聖堂。

    午前中に丘の上から見たキダネ・ミハレット大聖堂。
    フィレンツェのドゥオーモを連想させる立派なクーポラ(ドーム型の円天井)が特徴的ですが、近くからではデカ過ぎて見れません。丘の上に登って正解でした。1930年完成の正教会の大聖堂。

  • アスマラのシナゴーグ。1905年に作られました。<br />かつては500人近くユダヤ人がいたそうですが、現在は僅か1名しかアスマラにはユダヤ教徒がいないそうです。事実上、その人専用のシナゴーグなんだとか。その人が亡くなったらどうするんだろう...<br /><br />イタリアのファシスト政権と言うとユダヤ人弾圧を行ったことでも知られていますが、ファシストが反ユダヤ主義に染まったのはナチへの接近のせいで、それ以前は人種主義傾向は帯びていませんでした(実際、ファシスト幹部や軍幹部にもユダヤ系イタリア人派はいました)。<br />反ユダヤ法案が成立した後も、イタリアではその反ユダヤ傾向は緩やかなものであったため(イタリア社会共和国時代はナチの直接支配を受けたためユダヤ人の虐殺が行われた)、このシナゴーグも攻撃を受けずに済んだのでしょう。

    アスマラのシナゴーグ。1905年に作られました。
    かつては500人近くユダヤ人がいたそうですが、現在は僅か1名しかアスマラにはユダヤ教徒がいないそうです。事実上、その人専用のシナゴーグなんだとか。その人が亡くなったらどうするんだろう...

    イタリアのファシスト政権と言うとユダヤ人弾圧を行ったことでも知られていますが、ファシストが反ユダヤ主義に染まったのはナチへの接近のせいで、それ以前は人種主義傾向は帯びていませんでした(実際、ファシスト幹部や軍幹部にもユダヤ系イタリア人派はいました)。
    反ユダヤ法案が成立した後も、イタリアではその反ユダヤ傾向は緩やかなものであったため(イタリア社会共和国時代はナチの直接支配を受けたためユダヤ人の虐殺が行われた)、このシナゴーグも攻撃を受けずに済んだのでしょう。

  • さて、町をじっくり観光したのでショッピング。<br />ハルネット通りにある「Dolce Vita」の旗艦店です。<br />「Dolce Vita」はイタリア人が創設したファッション・ブランドで、現在はエリトリアのトップブランドとして知られています。<br />値段は張るけれど、イタリアンスタイルのファッションはオシャレで質が良い。ご当地Tシャツは350ナクファで売っています。<br />エリトリアは中々お土産らしいお土産が無いのでおススメ。

    さて、町をじっくり観光したのでショッピング。
    ハルネット通りにある「Dolce Vita」の旗艦店です。
    「Dolce Vita」はイタリア人が創設したファッション・ブランドで、現在はエリトリアのトップブランドとして知られています。
    値段は張るけれど、イタリアンスタイルのファッションはオシャレで質が良い。ご当地Tシャツは350ナクファで売っています。
    エリトリアは中々お土産らしいお土産が無いのでおススメ。

  • アスマラNo.1と市民が推す人気店、「Pasticceria Giardino」。<br />ハルネット通り南側にあるイタリアン・ドルチェの老舗です。

    アスマラNo.1と市民が推す人気店、「Pasticceria Giardino」。
    ハルネット通り南側にあるイタリアン・ドルチェの老舗です。

  • こぢんまりとした店内。シュークリームが美味しかったです。

    こぢんまりとした店内。シュークリームが美味しかったです。

  • ゲザ・バンダ地区にあるジェラテリア「Da Fortuna Gelato Italiano」。<br />アフリカでイタリア流のジェラートが食べれるとは!<br /><br />ゲザ・バンダ地区は1930年代のアスマラのイタリア人入植者の増加に伴い、新たに建設された居住地区です。

    ゲザ・バンダ地区にあるジェラテリア「Da Fortuna Gelato Italiano」。
    アフリカでイタリア流のジェラートが食べれるとは!

    ゲザ・バンダ地区は1930年代のアスマラのイタリア人入植者の増加に伴い、新たに建設された居住地区です。

  • ジェラートの種類は結構豊富!<br />コーンかカップか選べます。

    ジェラートの種類は結構豊富!
    コーンかカップか選べます。

  • フレーバーはチョッコラートとフラーゴラ(イチゴ)をチョイス。<br />ジェラート2種コーンで40ナクファでした。

    フレーバーはチョッコラートとフラーゴラ(イチゴ)をチョイス。
    ジェラート2種コーンで40ナクファでした。

  • マイ・ジャー・ジャー。<br />ゲザ・バンダ地区の入り口にある階段状の噴水。<br />1938年に完成したアスマラ市民の憩いの場です。<br />ここでジェラート食べてましたが、夕方頃になると冷えてきます。<br /><br />夕食代を浮かすため、夜はホテルに戻ってカロリーメイトを食べてました。

    マイ・ジャー・ジャー。
    ゲザ・バンダ地区の入り口にある階段状の噴水。
    1938年に完成したアスマラ市民の憩いの場です。
    ここでジェラート食べてましたが、夕方頃になると冷えてきます。

    夕食代を浮かすため、夜はホテルに戻ってカロリーメイトを食べてました。

  • 翌日、12月13日。<br />アスマラを出発し、紅海の港町マッサワに向かいます!<br />マッサワは次の旅行記で。

    翌日、12月13日。
    アスマラを出発し、紅海の港町マッサワに向かいます!
    マッサワは次の旅行記で。

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