2020/09/22 - 2020/09/24
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西のマーガレットさん
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2泊3日の山陰の旅2日目です。1日目は郡山城と富田城の城跡をめぐり、米子に泊まりました。松江城や出雲大社は何度か訪れたことがあるので、今日は足立美術館をメインに、米子城跡、清水寺、神魂神社、八重垣神社を訪れました。界出雲には15時過ぎにチェックインしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 利用旅行会社
- JTB
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1泊目のANAクラウンプラザホテル米子、スーペリアツイン。シンプルで快適です。
ANAクラウンプラザホテル米子 宿・ホテル
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お茶のセット
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アメニティ
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バスルーム
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朝食会場。米子城跡に行くために一番乗りです。後から来たグループは私たちとはかなり離れて案内されていました。
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セットしてくれた朝食。はじめに飲み物を聞いてくれます。
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部屋の窓から米子城跡が見えました。
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ホテルからは内堀通りを行き、鳥取大学医学部付属病院のそばを通ると登山口に着きます。麓が湊山公園になっていて駐車場が広くトイレもありました。ホテル近くにもう1か所登り口はありますが、こちらの方が途中の眺めがよいと聞き、ここから城跡へ登りました。
米子城跡 (湊山公園) 公園・植物園
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今回の旅、3度目の山登りです。よく整備されているので歩きやすかったです。
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舗装された道です。標識もしっかりありました。
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登るにつれてだんだんと城下が見えてきました。
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立派な石垣が残っています。
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本丸跡に着きました。米子城は標高90mの山頂に位置し、米子市街、日本海、中海、島根半島、中国山地をぐるっと360度見渡すことができます。
米子城跡 (湊山公園) 公園・植物園
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本丸跡。こちらは山側を見たところです
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本丸跡に建つ休憩所からの風景
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休憩所にある説明版。ガイドブックによると、米子城は応仁の乱の頃、山名宗之により砦として築かれたことに始まり、石垣を備えた本格的な城は、戦国時代末期の天正19年(1591)頃、西伯耆の領主となった吉川広家により築城が開始されたと言われています。月山富田城に入った広家は、交通の要衝である米子に着目し、大山を臨み、中海を自然の堀とした湊山に近世的な石垣をもつ城の普請を始めました。関ヶ原の戦い後、吉川広家は主家の毛利氏に従い山口県岩国に転封となり、代わって伯耆18万石の領主として駿河から入った中村一忠が天守閣を築き、慶長7年(1602)頃に完成しました。その後、紆余曲折を経て、明治2年に荒尾氏から藩庁へ引き渡され、士族に払い下げられ、明治6年には米子城の大半は売られて数年後に取り壊されてしまいました。とても残念です。天守閣に上がり360度の眺望を楽しみたかったです。
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本丸からの景色① 曇ってはいましたが、よく見渡せました。
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本丸跡からの景色②
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本丸跡からの景色③
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本丸跡からの景色④ 本丸からは米子の街、日本海、中海、大山など360度の素晴らしい眺望が臨めました。
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幾重もの石垣群
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朝のお散歩のコースにもなっているようで、地元の方ともすれ違いました。
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足立美術館へ行く前に、天台宗の古刹、清水寺を訪れました。私たちは大門側から入りました。仁王門側からも入れます。(パンフレットによると)このお寺は用明天皇2年(587)尊隆上人によって開かれました。当時この山からは一滴の水も出なかったが7日間祈願したところ、聖なる水が湧出し、雨季にも濁らず、乾期にも枯れず、常に清い水を湛えたことから清い水の出る寺、清水寺と名付けられたと伝えられています。
清水寺 名所・史跡
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まっすぐな石の階段は両側から背の高い木々に覆われていました。
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大門です。ここを通り抜けると、松琴館、紅葉館という旅館が現れました。お参りする人たちの宿なのでしょう。精進料理の看板があり、先に足立美術館に行ってここで食べるべきだったねと二人で話しました。
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ここは手水舎がある広場になっています。この石段の上が根本堂です。根本堂の前には千年杉がそびえ立っています。最大のパワースポットだそうです。石垣の手前には高燈篭があります。
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とても大きくて立派な燈篭です。三重塔を造る木組みの研究のために建てられたそうです。石垣にも圧倒されます。まるでお城の石垣のようです。燈篭の左側に写真では見えませんが、黒田千年堂というお土産物屋さんがあります。そこの女性がとても親切な方で、パンフレットをくださり、高燈篭の説明をはじめ清水寺について詳しく話をしてくださいました。おまけに、清水羊羹とお抹茶をごちそうになりました。聞けば、黒田千年堂の奥様で羊羹の歴史やご主人、跡を継いだ息子さんのことまでも、話が弾みました。清水羊羹がとてもおいしくてお土産に買ったことは言うまでもありません。
黒田千年堂 清水寺境内売店 グルメ・レストラン
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黒田千年堂の清水羊羹。箱の蓋はなく全体が透明なシートで覆ってあります。シンプルな包みでとてもおいしいです。境内には黒田千年堂のほかにも、清水羊羹などを売っている売店があります。
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振り返るとこちらは宝蔵です。
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根本堂です。明徳4年(1393)の建立で国の重要文化財です。清水寺は早くから朝廷や豪族の信仰を受けて栄えました。ご本尊は推古天皇が瑞夢で厄除けの霊験あらたかと感得された厄払いの観音様です。ところが、残念ながら尼子と毛利の戦いに巻き込まれて毛利勢により全山焼かれ、唯一残ったのが根本堂だったのです。その後、毛利家や江戸期の松江藩主歴代の庇護を受け再興されました。
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こちらの清水寺は、京都の清水寺よりずっと古いのだと黒田千年堂さんから教えてもらいました。
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根本堂の隣の毘沙門堂。慶長年間に米子城主から寄進されました。
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向こうに三重塔が見えます。山陰で唯一の多宝塔です。ここの石垣も素晴らしい。
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三重塔を下から見上げたところです。三階まで登れるそうですが、これは大変珍しいことです。どなたもおらず、登ることができませんでした。
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赤い鳥居が続いていて、その先に清水稲荷社があります。
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清水稲荷社から仁王門にまわってみました。こちらが清水寺の正門です。(この情報も黒田千年堂さんから)
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正門に架けられた大草履
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仁王門から根本堂に向けて歩くと、遠くに三重塔が見えました。三重塔から遊歩道を歩くと中海から大山が見渡せる展望台があるようなのですが、先を急ぐので残念ながらまたの機会となりました。
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足立美術館に着きました。昨日登った月山富田城のすぐ近くなので、昨日訪問できればよかったのですが、何しろ昨日は郡山城にも登り、時間切れとなりました。米子でなく、この地のさぎの湯温泉に宿泊すべきでした。そうしたら、訪問客が少ない朝いちの時間に鑑賞できたのでした。ああ、準備不足・・・
足立美術館 美術館・博物館
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私が前回訪れたのはずいぶん前のようです。新館(左手)があったり、お土産館(右手)があったりで、ずいぶん様変わりしていました。
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本館と新館の間に建つ案内板
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足立美術館の正面玄関、入口です。
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美しい庭が見えてきました。
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苔庭です
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苔庭 杉苔を主体とした京風の雅な庭園とあります。
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枯山水庭 自然との調和が美しい足立美術館の主庭ですが、うまく写真が撮れません。
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枯山水庭
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向こうの山を借景にして手前に美しい庭が広がっています。米国の日本庭園専門誌「The Journal of Japanese Gardening」に2003年から連続して日本一に選出されているという庭です。
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イチオシ
生の額絵 窓枠がそのまま額縁になっています。
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少しずつ角度を変えて
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また変えて
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向こうに滝が見えます。
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亀鶴の滝 高さ15mの人工の滝
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池庭 優雅に群泳する鯉がいました。
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生の掛軸 池庭の向かい側には生の掛軸が。(パンフレットによると)床の間の壁をくり抜いてあたかも一幅の山水画がかかっているかのように見える足立美術館の名物のひとつです。掛軸の中を時々人が出入りするのが見えるので写真を撮るのが難しい。
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生の掛軸 以前来た時には畳の上を歩いたような気がしたのですが、、、記憶違いでしょうか。
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白砂青松庭 横山大観の「白沙青松」をイメージして作られた庭園だそうです。本館の2階が横山大観作品の展示室になっています。
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魯山人館
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正面入口のそばを通り、地下通路を経て新館に向かいます。
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順路に沿って歩くと、
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地下通路に続きます。
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新館入口 お庭は写真撮影ができますが、絵画などの作品は撮れません。
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鑑賞を終え、美術館を出てすぐそばのお店「竹葉」で昼食をとりました。
さぎの湯温泉 竹葉 宿・ホテル
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店内
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天ぷらそば
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山菜とろろそば
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次は神魂(かもす)神社へ 杉の大木で覆われていて古い神社です。
神魂神社(大庭の大宮) 寺・神社・教会
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自然石を積み上げた階段を上がっても
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階段左手の緩やかな坂を上って大回りしても本殿に行けます。こちらの坂は女坂と名付けられていました。
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主祭神は伊弉冊(イザナミ)大神、伊弉諾(イザナギ)大神が配祀されています。
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出雲国造の大祖と言われる天穂日命(あめのほひのみこと)がこの地に天下り、出雲の守護神として神社を創建し、以来その子孫が25代まで奉仕したと伝えられているようです。
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本殿は現存する最古の大社造で国宝です。右側が拝殿。
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裏に回ってみました。本殿は昭和23年の修理の際に柱から正平元年(1346)の墨書が見つかったが、現在の社殿は天正11年(1583)の再建と考えられているそうです。
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本殿の後ろにはいくつもの社殿がありました。
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その中の一つ、貴布祢稲荷両神社 天正11年建立の重要文化財 二間社流造は珍しいそうです。
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石燈籠
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神魂神社の近くにある八重垣神社に向かいました。
八重垣神社 寺・神社・教会
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鳥居前の道路を挟んで反対側には夫婦椿があります。二本の木の幹が途中から一本になっています。八重垣神社の境内には全部で3本の夫婦椿があります。
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境内全体図 広い神社です。
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八重垣神社は古い歴史があり、縁結び神社として知られています。ご祭神は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で有名な素戔嗚尊(スサノオノミコト)と稲田姫(櫛稲田姫とも)です。八岐大蛇伝説とは…高天原から出雲国の肥の川(斐伊川)の上流に降り立った素戔嗚尊は嘆き悲しんでいる老夫婦に出会いました。彼らには8人の娘がいましたが、毎年やってくる8つの頭と尾をもつ大蛇に娘を次々に食べられ、今年はついに末娘の稲田姫の番になってしまったのでした。そこで素戔嗚尊は八岐大蛇退治をすることになりました。
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素戔嗚尊は、境内奥にある佐久佐女の森(さくさめのもり)の大杉を中心に八重垣を造って稲田姫の身を隠しました。そして、強い酒が入った8つの桶を用意し、八岐大蛇が8つの頭を突っ込んで酒をあおり酩酊したところを退治しました。そして2人はめでたく夫婦となりました。それで八重垣神社なのですね。
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本殿は大社造
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素戔嗚尊が大蛇を退治して詠んだと言われる日本最古の和歌の碑 「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」この歌は出雲の国名の由来ともなっているそうです。
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夫婦椿2本目
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佐久佐女の森
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夫婦椿3本目。
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鏡の池に向かいます。
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鏡の池です。この池は稲田姫が八岐大蛇から身を隠しているときに鏡代わりに姿を映したと伝えられています。ここでは良縁占いができます。池の上に硬貨を載せた半紙を浮かべ、それがどのように沈むかで占うというものです。
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その説明版
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池の上のお社
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2日目の予定をすべてクリアして、15時10分に今回の目的地、星野リゾート界出雲に到着しました。これは駐車場からの写真です。
界 玉造 宿・ホテル
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