2001/12/01 - 2001/12/07
60位(同エリア226件中)
まさとしさん
パプアニューギニア旅行。
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ケアンズからポートモレスビーまでは1時間半。
写真はニューギニア航空の航空機。パイロットはオーストラリア人だった。 -
ポートモレスビーに着陸態勢に入った。眼下にはいよいよパプアニューギニアが見えてきた。
到着後、入国審査のカウンターでビザを取得し荷物は国内線のトランジットカウンターへ預けることにした。マダンへの出発は夕方なのでそれまで市内に出ることができる。空港のターミナルビルから少し離れたバス乗り場までホテルのシャトルバスに便乗させてもらい、市内のバスに乗ることにした。ニューギニア人は僕にどこへ行くのか心配そうに聞いてくれ、目的のバスを親切に教えてくれる。ちょっとしつこいがみんな親切だ。 -
ポートモレスビーの中心部「タウン」に向かう途中の雰囲気は露天が並びアフリカ的な騒然とした雰囲気だ。
タウンに到着。近代的なビルが中途半端に建っている。ショッピングセンターやファーストフードなどもあるがいまいちパッとしない。タウン脇のビーチは人がたくさんくつろいでいてフレンドリーな人が多い。ここでは僕は子供たちの注目の的だ。みんな無邪気だ。そんなわけでつかの間のポートモレスビー滞在を終え空港へ戻ることにした。
ポートモレスビーの国内線ターミナルは国際線とは一変して現地人が溢れ座るところもない。さすがにこの国には地方へ行く際、道路がないところが多いので空路を使わないと話にならないのだろう。超満員でマダンへ向けて飛び立った。
マダンは雨。地元の人に市内へ向かうバス乗り場を教えてもらいスムーズに市内に入ることができた。バスの運転手にルター派ゲストハウスに行きたいというとバスは他にも客が乗っているにもかかわらず、遠回りしてくれゲストハウスの前まで連れてきてもらった。バスなのにタクシー感覚だ。運転手や他の乗客に感謝。マダンの宿は安くはないが家庭的で快適。夜は外に出ることができない(出ても何もない)ので宿で食事を取ることになる。
マダンに来た理由、それは旧日本軍の飛行場跡地に行くことだ。自力で行くことも可能だが、安全を考えマダンリゾートに立ち寄ってツアーがあるか確認してみた。午後に人数が集まるので飛行場といくつかの村をまわるものがあるらしいので参加の申し込みをすることにした。 -
とりあえず午前中はボートでマダンのラグーンにある島へ行く事にした。何カ所か行ってみたかったがアメリカ軍の爆撃機の残骸が残っているシア島に行く事にした。定期船などなどないのでボートをチャーターすることにした。
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飛行機の残骸は椰子の木の下敷きになっていて海水による浸食が激しく、まったく原形をとどめていない。ただの鉄の塊になっていた。ちょっとわかりにくいが探してください。
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島の子供たち
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帰りはビリアウ島に沈む、旧日本軍の貨物船を見学にむかった。途中の島々は波も穏やかで透き通るような美しさだ。
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ビリアウ島に沈む、旧日本軍の貨物船。こちらも海に沈んで半世紀がたち船の形をしているが、無惨な姿へと形を変えている。
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帰りはビリアウ島に沈む旧日本軍の貨物船の続き。
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午後スーパーマーケットへ行き食事を済ませ、午後2時前マダンリゾートへ向かった。今日は午後も天気が良さそうだ。しかしツアーに参加する予定だった他の外国人3人はキャンセルしたらしい。そりゃないだろう。一人でも参加できなくはないが高くつく。基本的に日本軍の飛行場跡地以外興味ないので自力で挑戦してみよう。目的地はマダンの数キロ北にあるアムロンという場所だ。
バスでノースコーストに空港への入り口に到着した。しかしブッシュロードの中を入っていくのはずいぶん勇気がいる。この藪の中を30分も歩かなくてはならない。強盗はいないだろうが変な動物がいると怖いし一人だと助けを呼ぶの不可能だ。 -
その時椰子の木を採って生計を立てている現地人に出くわした。彼が飛行機の残骸まで案内してくれることになった。6キナ(234円)で彼と交渉が成立した。この男を信用できるのかどうかは分からないが、とりあえず殺されることはないだろう。ここまで来て街に戻ってしまったら一生後悔しそうだ。
写真は案内してくれた男。 -
歩くこと30分。一人だと不安でとても歩くことはできないような道を延々と進んだ。こんなところ一人で来るのは不可能だ。入ったはいいが元の道路に戻れなくなるのは確実だ。滑走路だったと思われる道をひたすら奥へ向かった。
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その奥には旧日本軍の軽飛行機の残骸が原形をとどめていた。しかし半世紀もの間ここで風雨にさらされ損傷の激しさが痛々しい。
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帰りはバスがなかなか捕まらず、結果としてヒッチハイクでマダンへ戻ることになった。日本人は目立つうえ、ここは親日国家なのでヒッチハイク天国だ。この国で車に乗っている人はエンジニアが多く信用しても問題なさそうだ。そんなわけで宿の前まで送ってもらいビールまでもらった。
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日はマダンの街を散策することにした。しかし何もない。マーケットへ行ってみた。スイカと山芋が目立つ。あと海草のような物もよく売っているが、どうやって調理するのだろうか。マダンに到着したとき雨でこの先思いやられそうだと思っていたが、その後晴天続きでさわやかな日が続いて良かった。と思っていたら日が暮れてから大雨になり激しく雷が鳴り出した。少し寝苦しい。
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昨日の豪雨で今日の天気は心配したが、天気は一転快晴だ。朝食を済ませ3日間世話になった、ルター派ゲストハウスをあとにした。そしてマーケット近くのバスターミナルでレイへ向かうバスを探した。バスといってもこの国ではワゴン車しかない。大型バスは一度も見なかった気がする。
バス(ワゴン車)はすぐに見つかったが、満員になるまで40分ぐらいかかり、その後少し休憩をとったりで本格的にマダンを出発したのは9時になってからだった。 -
途中ジェットコースターのようなアップダウンの激しい道を猛スピードで走り、橋のない川の浅瀬を渡り、水にストックしそうな凸凹道をなんとか走り抜けた。
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ジャングルの中の裸族のマーケット。バラエティー豊かなアドベンチャー旅行だ。でもこの楽しい移動も最初の2時間ぐらいで終わり、その後レイまで乗り心地のいい平坦な道を走り続けた。レイに到着したのは7時間後の午後4時半だった。時間はかかったがそんな大変な移動ではなかった。
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レイの宿が高くて困る。サルベーションアーミーが安いがそれでも90キナ(3510円)もする。サルベーションアーミーの部屋に戻った。部屋はコンドミニアムで生活に必要な物はすべて付いているが、キッチンはお湯を沸かすくらいしか使わない。しかも夕方停電になった。エアコンもファンも止まり汗ダラダラだ。1時間ほどで電気は復旧したが、レイも治安が悪いので夜間は外出不可能だ。
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サルベーションアーミー
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近くに学校があるため午前中はにぎやかだ。この日はポートモレスビーへの移動だ。10時過ぎ子供たちの見送りを受けて徒歩でミニバス乗り場へ向かった。
一度メインマーケットへ出て空港行きのバスに乗り換えた。 -
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ポートモレスビーに到着。1週間ぶりに戻ってきた。
バスでボロコ地区へ向かった。ここにはロンプラにも載っていない安宿がある。名前は「ドブ・ゲストハウス」1泊20キナ(780円)で泊まれるらしいがずいぶん外観は立派だ。旅行代理店がレセプションで部屋の鍵を渡された。どうやらシングルルームのようだ。と思いつつ階段を上がり部屋の扉を開けた。部屋を見て一瞬自分の目を疑った。部屋は広々としていてキッチン、冷蔵庫、ソファー、そしてホットシャワーに清潔なトイレ。日本語の唯一のガイドブック「ニューガイド」の編集者に感謝。
ボロコ地区にはスーパーマーケットが何軒かあって食べ物屋も多い。しかし治安が悪い。泥棒やひったくりなど3時間の間に2回も見てしまった。おとといはレイのスーパーマーケットの前で泥棒と警官がもみ合っていたし、この国は予想以上に危険が身近に感じられる。 -
クキの水上集落とマーケットを見学に向かった。遠目にはのどかだが近づくとゴミが多く異臭が満ちている。
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コキからタウン地区に向かおうとバスに乗り込み、座ろうとしたら後ろにいた男がバスの車掌から小銭袋をひったくって逃げようとした。結局住民に捕まり袋にされてしまったが、おそらく周囲の全員が日本人である僕に注目していたスキに起こった犯罪で僕が犯人にきっかけを与えてしまったようだ。困ったものだ。
タウンに行き民芸品の店に入ってみた。コテカ(チ▲コケース)が小さい物で15キナ(585円)、立派な物だと44キナから55キナとそれほど高くない。しかし持って帰るのが大変だし、オーストラリアの検疫を無事に通過できるのかが心配だ。 -
ポートモレスビーのタウン地区はいつも人でごった返している。
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タウン地区に日本食レストラン「一膳」が先月オープンしたらしい。さっそく入ってみた。高級店のため車でしか人が来ないのか駐車場側の裏口が主面玄関になっていた。オーナーは中国系フィリピン人でメニューに日本語はあるが、みそ汁にレンゲがついてくるところが未熟だ。日本人経営のレストラン「大黒」から移ってきたスタッフが数人いて片言の日本語が分かるらしい。「大黒」という日本食レストランは南太平洋の国々にチェーンを持っている有名な店だ。
パプアニューギニアは貧乏旅行の日本人にとってスリランカ、バングラデシュとともに世界三大VIP待遇国家だ。大変居心地がいい。
宿に戻り、荷物を受け取ってタクシーで空港へ向かった。
定刻より少し遅れて、19時にポートモレスビーを出発。機内食は酒も出て本格的だ。
オーストラリアのケアンズに到着し、入国時検疫でニューギニアの土が付いているとかで靴を消毒させられた。相変わらず神経質な国だ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- まさとしさん 2021/01/08 18:44:00
- コメントありがとうございます。
- 最近は日本からの直行便もあったようです。オーストラリアからだと国内線感覚でポートモレスビーへ移動できます。早く旅行できる日が来るといいのですが。
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- マリオットさん 2021/01/08 10:03:02
- ここまで旧日本軍が行ったとは。
- はじめまして、本日のお題がパプアニューギニアだったので旅行記を今頃読みました。
オーストラリアまで行ったら、ポートモレスビーまで簡単に行けるのですね。グレートバリアリーフを潜りたい気持ちだけで行き、航空便を探す発想がありませんでした。
ほとんど観光化されていないような旧飛行場や残骸を見に行くのは面白そうで、勇気がいりそうです。海外旅行に行けるようになったら、訪れて見たくなりました。
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