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「私もそうですが,正教会の伝統は,多くの人たちにとっては信仰というよりも,ブルガリア人としてのアイデンティティの一つになっているのだと思います。<br /> そのため,現在ブルガリアでは,赤ちゃんに洗礼を受けさせる人が非常に増加しており,家族の大切な行事になっています。洗礼式は教会で行われ,裸になった赤ちゃんを三回水につけてから,清らかさを象徴する白い服で身を包むことによって,豪華な儀式が完成します。<br /> ここで大切な役割を果たすのが,赤ちゃんの『名付け親』または『教父』とも訳されるゴッド・ファザーです。ブルガリアではそれを夫婦で行うことが多いのですが,洗礼を通して,名付け親たちと赤ちゃんの家族の間には精神的な家族関係が結ばれ,名付け親たちは洗礼を受けた赤ちゃんの全人生に関わることになります。」<br />「現在のブルガリアでは,子供の名前を決める時,名付け親たちとも相談しますが,ほとんどの場合では両親両家の誰かの名前かそれに由来する名前を選ぶということになっています。たとえば,私の名前は『カテリナ』ですが,それは母方の祖母の名前で,私がその名を受け継いだことになります。父もその祖父の『キロ』の名前を受け継いでいますし,母も祖父の『ヤンコ』という名前の女性バージョンである『ヤナ』を受け継いでいます。<br /> 子供を授かった若い夫婦は,生まれてくる赤ちゃんの名前選びでわくわくしますが,ブルガリアの場合では選択肢がそれほどないというのが現状です。誰の名前を受け継ぐのかと周りもあれこれ期待しますので,せめて誰かの名前の最初の文字くらいは入れないと,場合によっては縁を切られるほどの問題になってしまいます。そして,我が子に『名前の日』を持たせるために,ブルガリア正教会の聖人の名前にする人も多いのです。<br /> その名前の日,正式にいえば『聖名(祝)日』は,自分と同じ名前を持っている正教会の聖人を祝う日です。たとえば,聖キュリロスとメトディオスの正教会での祭日は5月11日です。その日はキリルとメトディ(キュリロスとメトディオスのブルガリア語の読み方)という名前やそれに近い名前を持っている人たちの名前の日になります。同じ名前を持つ聖人が,その人の守護聖人とされます。<br /> 私の父の場合,キロという名前はキリルに由来しているので,父もキュリロスを祝う5月11日に名前の日を祝い,その守護聖人はキュリロスとなります。もっとも,すでに触れたように父は無神論者なので,ブルガリアでは珍しく,自分の名前の日をほとんど祝ってきませんでした。<br /> 名前の日には,誕生日と同様に,祝う人が家で御馳走を用意する決まりになっています。なお,伝統的に『名前の日の招待はしない』とされます。これは誰もが,名前の日の親族や友人を,その日は招待されなくても自由に訪問ができるということです。小さめの品物をプレゼントするとともに,健康でありますようになどとメッセージを伝えます。」<br />「名前の日は,民族の知恵を表している,とても便利なお祝いの日だと私は思います。知人の誕生日がわからなくても,聖人暦は決まっていますので,何日は誰の名前の日かが容易にわかるのです。皆の誕生日を覚えるのは困難ですが,名前さえわかっていればその人の名前の日もわかりますから,気軽にコミュニケーションを取ることが可能になる素晴らしい伝統だと思います。」<br />「名前の日を家で祝う時は,もちろん手の込んだ料理が必要なのですが,誕生日ほどに豪華でなくても構いません。欠かせないのはラキアですが,料理の品数を少なくし,つまみ類を多くするような傾向があります。<br /> また,正教会と結びついている習慣ですから,日によって料理の決まり事があります。たとえば,聖ニコライを祝う1月6日は,魚料理を必ず用意しなければいけないとされます。その日はニコライ,ニコリナなどの名前を持つ人たちのお祝いの食卓に,必ず魚料理が並び,ほとんどの場合はクルミ詰めのコイ(日本のコイとは多少違う)です。<br /> 私の名前の日は11月24日の聖カテリナの日になりますが,毎回,両親や親族,友達に祝ってもらいました。子供の時の私は,誕生日だけではなく名前の日もあることで,二回もプレゼントがもらえることに大きな喜びを感じていました。その意味では,聖人暦に入っていない名前を持つ人,つまり名前の日がない人は,多少寂しく感じているのではと思ってしまうのです。」<br /><br />「クリスマス前夜の24日は,いうまでもなくクリスマス・イブで,(中略)ブルガリアでは家庭で過ごす大切な祭日です。当日は,ブルガリア系ブルガリア人とキリスト教徒のロマ人,合わせて人口の約90パーセントは,家族が家に集まって,お祝いの食卓を囲みます。<br /> 24日は,女性は朝から台所に立ち,一日忙しく手を動かしています。しかし,ブルガリアのイブの食卓には,日本でよく食べられているローストチキンやクリスマスケーキのような食べ物は一切登場しません。<br /> なぜなら,ブルガリアではクリスマス・イブが,クリスマスの40日前から始まる『クリスマス断食期間』の最終日にあたるため,断食期間中で唯一許されている植物性の食べ物しか食卓に並ばないからなのです。<br /> ブルガリアの伝統では,イブの食卓には必ず奇数の品数(一般的に7,9,11種類)の料理を用意することになります。今でも多くの家庭で守られ,イブの食卓には野菜料理が並びます。<br /> そこには必ず,多産のシンボルとされるクルミ(殻付き)やウシャヴ(リンゴ,プラム,ブドウなどの干し果物)が用意されます。そして,メインは豆や野菜料理,パン類などで,たとえばボブ・チョルバ,肉なしのサルミチキ,赤ピーマンの白インゲン詰め焼き,カボチャパイ,ラディッシュと人参の野菜サラダなどです。<br /> ゆったりと家族水入らずで食事を取り,食べ終わってもテーブルに残った料理は片づけないことになっています。これは,食卓が料理で埋め尽くされているという豊かさを残したまま,翌日のクリスマスを迎えるためです。」<br />「クリスマスの朝は,信者たちはもちろん,普段教会に足を運ばない人たちまで教会に行き,クリスマスの豪華なミサに参加します。教会でも皆に『チェスティト・ロジデストヴォ・フリストヴォ!』と挨拶をし,お祝いの言葉を交わします。<br /> クリスマス・イブで断食期間がようやく終了したので,クリスマス当日の25日から12日間は,何の制約もなしに食事を取ることができます。そのためか,その期間中に名前の日があるイヴァン(1月7日),またヴァシル(1月1日)とヨルダン(1月6日)は,ブルガリアでもっとも多い名前だといわれています。<br /> クリスマスのお昼は特に豪華です。伝統的にはポークの焼き物,ミートローフ,干したサラミなど,たくさんの肉料理が登場します。」<br /><br />「共産主義崩壊後,ブルガリアでは正教会の復活とともに,教会で結婚式を挙げる人が非常に増えてきました。しかし,教会で式を挙げるには洗礼証明書が必要とされ,洗礼を受けていない人は教会での結婚式はできません。<br /> それが日本と大きく違う点ではないかと思います。日本では,白いドレスを着て,教会のバージン・ロードを歩き,神父や牧師さんの問いかけに『はい』と答えたい女性も多いと思います。キリスト教徒じゃなくてもキリスト教風の結婚式に憧れる人のために,教会風結婚式場やいわゆる『チャペル』が数多く存在しています。<br /> 初めて日本に来た時,そのような偽教会との出会いは,私にとっては大きなカルチャー・ショックになりました。それは2000年のことでしたが,一年間だけ北海道大学で日本語・日本文化のプログラムを学ぶことになりました。それで,札幌に着いた次の日から,日本の文化をできるだけ体験するために,札幌市内を歩きまわりさまざまな建物を見たり覗いたりしていました。少し歩き疲れた時,大きな純白の教会を見かけました。夕方の五時ごろだったので,ミサを聞きながら少し休もうと考え,教会に入ることにしました。<br /> 大きな扉を開けて教会の中に踏み込むと,紺色の制服姿の女の方に迎えられました。『ミサは何時からですか』と聞くと,『お客様,こちらは結婚式専用の教会です』という返事が返ってきました。思わず口が開いて,しばらく何もいえずにただ呆然と立ち尽くしていました。私の反応に困った女性は,『もう閉場の時間になりますので,どうぞ,そちらから外へお進みください』と,私を外まで見送ったのです。<br /> 結婚式専用の教会……当時はまったくその意味を理解できませんでした。後に,それはキリスト教徒ではなくても結婚式が挙げられるように作られた結婚式場だと知ったのですが,いまだに一つの大きな疑問を感じています。<br />『なぜ,キリスト教徒ではない人たちがキリスト教風に結婚式を挙げるのか?』<br /> おそらく,キリスト教の伝統の国々の人は,その日本人の考えを理解できないと思います。」<br />  マルコバ・カテリナ著「ブルガリアン・ブルー」(バルカン・ブリッジ)より

ヴェリコ・タルノヴォ逍遥(2019年6月ブルガリア)~その2:タルノヴォ旧市街

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2019/06/20 - 2019/06/25

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タヌキを連れた布袋(ほてい)

タヌキを連れた布袋(ほてい)さん

「私もそうですが,正教会の伝統は,多くの人たちにとっては信仰というよりも,ブルガリア人としてのアイデンティティの一つになっているのだと思います。
 そのため,現在ブルガリアでは,赤ちゃんに洗礼を受けさせる人が非常に増加しており,家族の大切な行事になっています。洗礼式は教会で行われ,裸になった赤ちゃんを三回水につけてから,清らかさを象徴する白い服で身を包むことによって,豪華な儀式が完成します。
 ここで大切な役割を果たすのが,赤ちゃんの『名付け親』または『教父』とも訳されるゴッド・ファザーです。ブルガリアではそれを夫婦で行うことが多いのですが,洗礼を通して,名付け親たちと赤ちゃんの家族の間には精神的な家族関係が結ばれ,名付け親たちは洗礼を受けた赤ちゃんの全人生に関わることになります。」
「現在のブルガリアでは,子供の名前を決める時,名付け親たちとも相談しますが,ほとんどの場合では両親両家の誰かの名前かそれに由来する名前を選ぶということになっています。たとえば,私の名前は『カテリナ』ですが,それは母方の祖母の名前で,私がその名を受け継いだことになります。父もその祖父の『キロ』の名前を受け継いでいますし,母も祖父の『ヤンコ』という名前の女性バージョンである『ヤナ』を受け継いでいます。
 子供を授かった若い夫婦は,生まれてくる赤ちゃんの名前選びでわくわくしますが,ブルガリアの場合では選択肢がそれほどないというのが現状です。誰の名前を受け継ぐのかと周りもあれこれ期待しますので,せめて誰かの名前の最初の文字くらいは入れないと,場合によっては縁を切られるほどの問題になってしまいます。そして,我が子に『名前の日』を持たせるために,ブルガリア正教会の聖人の名前にする人も多いのです。
 その名前の日,正式にいえば『聖名(祝)日』は,自分と同じ名前を持っている正教会の聖人を祝う日です。たとえば,聖キュリロスとメトディオスの正教会での祭日は5月11日です。その日はキリルとメトディ(キュリロスとメトディオスのブルガリア語の読み方)という名前やそれに近い名前を持っている人たちの名前の日になります。同じ名前を持つ聖人が,その人の守護聖人とされます。
 私の父の場合,キロという名前はキリルに由来しているので,父もキュリロスを祝う5月11日に名前の日を祝い,その守護聖人はキュリロスとなります。もっとも,すでに触れたように父は無神論者なので,ブルガリアでは珍しく,自分の名前の日をほとんど祝ってきませんでした。
 名前の日には,誕生日と同様に,祝う人が家で御馳走を用意する決まりになっています。なお,伝統的に『名前の日の招待はしない』とされます。これは誰もが,名前の日の親族や友人を,その日は招待されなくても自由に訪問ができるということです。小さめの品物をプレゼントするとともに,健康でありますようになどとメッセージを伝えます。」
「名前の日は,民族の知恵を表している,とても便利なお祝いの日だと私は思います。知人の誕生日がわからなくても,聖人暦は決まっていますので,何日は誰の名前の日かが容易にわかるのです。皆の誕生日を覚えるのは困難ですが,名前さえわかっていればその人の名前の日もわかりますから,気軽にコミュニケーションを取ることが可能になる素晴らしい伝統だと思います。」
「名前の日を家で祝う時は,もちろん手の込んだ料理が必要なのですが,誕生日ほどに豪華でなくても構いません。欠かせないのはラキアですが,料理の品数を少なくし,つまみ類を多くするような傾向があります。
 また,正教会と結びついている習慣ですから,日によって料理の決まり事があります。たとえば,聖ニコライを祝う1月6日は,魚料理を必ず用意しなければいけないとされます。その日はニコライ,ニコリナなどの名前を持つ人たちのお祝いの食卓に,必ず魚料理が並び,ほとんどの場合はクルミ詰めのコイ(日本のコイとは多少違う)です。
 私の名前の日は11月24日の聖カテリナの日になりますが,毎回,両親や親族,友達に祝ってもらいました。子供の時の私は,誕生日だけではなく名前の日もあることで,二回もプレゼントがもらえることに大きな喜びを感じていました。その意味では,聖人暦に入っていない名前を持つ人,つまり名前の日がない人は,多少寂しく感じているのではと思ってしまうのです。」

「クリスマス前夜の24日は,いうまでもなくクリスマス・イブで,(中略)ブルガリアでは家庭で過ごす大切な祭日です。当日は,ブルガリア系ブルガリア人とキリスト教徒のロマ人,合わせて人口の約90パーセントは,家族が家に集まって,お祝いの食卓を囲みます。
 24日は,女性は朝から台所に立ち,一日忙しく手を動かしています。しかし,ブルガリアのイブの食卓には,日本でよく食べられているローストチキンやクリスマスケーキのような食べ物は一切登場しません。
 なぜなら,ブルガリアではクリスマス・イブが,クリスマスの40日前から始まる『クリスマス断食期間』の最終日にあたるため,断食期間中で唯一許されている植物性の食べ物しか食卓に並ばないからなのです。
 ブルガリアの伝統では,イブの食卓には必ず奇数の品数(一般的に7,9,11種類)の料理を用意することになります。今でも多くの家庭で守られ,イブの食卓には野菜料理が並びます。
 そこには必ず,多産のシンボルとされるクルミ(殻付き)やウシャヴ(リンゴ,プラム,ブドウなどの干し果物)が用意されます。そして,メインは豆や野菜料理,パン類などで,たとえばボブ・チョルバ,肉なしのサルミチキ,赤ピーマンの白インゲン詰め焼き,カボチャパイ,ラディッシュと人参の野菜サラダなどです。
 ゆったりと家族水入らずで食事を取り,食べ終わってもテーブルに残った料理は片づけないことになっています。これは,食卓が料理で埋め尽くされているという豊かさを残したまま,翌日のクリスマスを迎えるためです。」
「クリスマスの朝は,信者たちはもちろん,普段教会に足を運ばない人たちまで教会に行き,クリスマスの豪華なミサに参加します。教会でも皆に『チェスティト・ロジデストヴォ・フリストヴォ!』と挨拶をし,お祝いの言葉を交わします。
 クリスマス・イブで断食期間がようやく終了したので,クリスマス当日の25日から12日間は,何の制約もなしに食事を取ることができます。そのためか,その期間中に名前の日があるイヴァン(1月7日),またヴァシル(1月1日)とヨルダン(1月6日)は,ブルガリアでもっとも多い名前だといわれています。
 クリスマスのお昼は特に豪華です。伝統的にはポークの焼き物,ミートローフ,干したサラミなど,たくさんの肉料理が登場します。」

「共産主義崩壊後,ブルガリアでは正教会の復活とともに,教会で結婚式を挙げる人が非常に増えてきました。しかし,教会で式を挙げるには洗礼証明書が必要とされ,洗礼を受けていない人は教会での結婚式はできません。
 それが日本と大きく違う点ではないかと思います。日本では,白いドレスを着て,教会のバージン・ロードを歩き,神父や牧師さんの問いかけに『はい』と答えたい女性も多いと思います。キリスト教徒じゃなくてもキリスト教風の結婚式に憧れる人のために,教会風結婚式場やいわゆる『チャペル』が数多く存在しています。
 初めて日本に来た時,そのような偽教会との出会いは,私にとっては大きなカルチャー・ショックになりました。それは2000年のことでしたが,一年間だけ北海道大学で日本語・日本文化のプログラムを学ぶことになりました。それで,札幌に着いた次の日から,日本の文化をできるだけ体験するために,札幌市内を歩きまわりさまざまな建物を見たり覗いたりしていました。少し歩き疲れた時,大きな純白の教会を見かけました。夕方の五時ごろだったので,ミサを聞きながら少し休もうと考え,教会に入ることにしました。
 大きな扉を開けて教会の中に踏み込むと,紺色の制服姿の女の方に迎えられました。『ミサは何時からですか』と聞くと,『お客様,こちらは結婚式専用の教会です』という返事が返ってきました。思わず口が開いて,しばらく何もいえずにただ呆然と立ち尽くしていました。私の反応に困った女性は,『もう閉場の時間になりますので,どうぞ,そちらから外へお進みください』と,私を外まで見送ったのです。
 結婚式専用の教会……当時はまったくその意味を理解できませんでした。後に,それはキリスト教徒ではなくても結婚式が挙げられるように作られた結婚式場だと知ったのですが,いまだに一つの大きな疑問を感じています。
『なぜ,キリスト教徒ではない人たちがキリスト教風に結婚式を挙げるのか?』
 おそらく,キリスト教の伝統の国々の人は,その日本人の考えを理解できないと思います。」
  マルコバ・カテリナ著「ブルガリアン・ブルー」(バルカン・ブリッジ)より

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
3.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
その他
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 前回からの続き。<br /><br />この殉国碑↑が見えてきたら,そのあたりから旧市街エリア(冒頭の地図の「旧市街Ⅰ」)だ。

    前回からの続き。

    この殉国碑↑が見えてきたら,そのあたりから旧市街エリア(冒頭の地図の「旧市街Ⅰ」)だ。

  • ネザヴィシモスト通り~殉国碑~ステファン・スタンボロフ通り~サモヴォドスカ・チャルシャの界隈は,ヴェリコ・タルノヴォでもっともツーリスティックな場所だ。<br />観光客向けのレストランで食事をしたり,おみやげ品を物色したりするならこのエリアだが,街歩きには不向きである。<br /><br />このエリアで街を散策するなら,↑の地図のうちステファン・スタンボロフ通りの北側がおすすめ。

    ネザヴィシモスト通り~殉国碑~ステファン・スタンボロフ通り~サモヴォドスカ・チャルシャの界隈は,ヴェリコ・タルノヴォでもっともツーリスティックな場所だ。
    観光客向けのレストランで食事をしたり,おみやげ品を物色したりするならこのエリアだが,街歩きには不向きである。

    このエリアで街を散策するなら,↑の地図のうちステファン・スタンボロフ通りの北側がおすすめ。

  • ステファン・スタンボロフ通りから北方向へ坂を上っていくと,

    ステファン・スタンボロフ通りから北方向へ坂を上っていくと,

  • すぐに生活感のある住宅地になる。

    すぐに生活感のある住宅地になる。

  • 民家の前栽(せんざい)にはバラが咲き,

    民家の前栽(せんざい)にはバラが咲き,

  • 可愛らしいのがあちこちに寝転がっている。

    可愛らしいのがあちこちに寝転がっている。

  • ふと見上げると,教会の鐘楼があった。<br /><br />聖キリル=メトディ教会。民族復興期の建築家コリュ・フィチェトКолю Фичето(またはニコラ・フィチェフ)の手による。

    ふと見上げると,教会の鐘楼があった。

    聖キリル=メトディ教会。民族復興期の建築家コリュ・フィチェトКолю Фичето(またはニコラ・フィチェフ)の手による。

  • さらにぶらぶら歩いていると,

    さらにぶらぶら歩いていると,

  • 再び,よく似た鐘楼に行きあたった。

    再び,よく似た鐘楼に行きあたった。

  • これは聖ニコライ教会。ここも若き日のコリュ・フィチェトが建設に参加している。<br /><br />コリュ・フィチェトはこの他に,ヴェリコ・タルノヴォの<br /><br />*大聖堂(ヴェリコ・タルノヴォ生神女誕生大聖堂Катедрален храм &#8222;Рождество Богородично“)<br />*旧コナク(現・民族復興期博物館Музей &#8222;Възраждане и Учредително събрание”)<br />*聖コンスタンティン・エレナ聖堂Св. св. Константин и Елена (Велико Търново) ※修復工事中<br />*「猿のいる家」Къщата с маймунката(聖ニコライ教会のすぐ近く)<br /><br />などを手がけている。

    これは聖ニコライ教会。ここも若き日のコリュ・フィチェトが建設に参加している。

    コリュ・フィチェトはこの他に,ヴェリコ・タルノヴォの

    *大聖堂(ヴェリコ・タルノヴォ生神女誕生大聖堂Катедрален храм „Рождество Богородично“)
    *旧コナク(現・民族復興期博物館Музей „Възраждане и Учредително събрание”)
    *聖コンスタンティン・エレナ聖堂Св. св. Константин и Елена (Велико Търново) ※修復工事中
    *「猿のいる家」Къщата с маймунката(聖ニコライ教会のすぐ近く)

    などを手がけている。

  • 散策に満足して,サモヴォドスカ・チャルシャのほうへ坂を下っていく。

    散策に満足して,サモヴォドスカ・チャルシャのほうへ坂を下っていく。

  • 坂を下りきると,左手にサモヴォドスカ・チャルシャの入口(西)が見える。

    坂を下りきると,左手にサモヴォドスカ・チャルシャの入口(西)が見える。

  • サモヴォドスカ・チャルシャは,こんな感じのおみやげ店が立ち並ぶ。<br /><br />「職人工房」っぽいものはあまり期待しないほうがよい。

    サモヴォドスカ・チャルシャは,こんな感じのおみやげ店が立ち並ぶ。

    「職人工房」っぽいものはあまり期待しないほうがよい。

  • この猫と葡萄酒のイラスト(入り絵ハガキ)はなかなか気に入った。<br /><br />東欧の人は,動物を擬人化した絵を描くことにとても長けている。

    この猫と葡萄酒のイラスト(入り絵ハガキ)はなかなか気に入った。

    東欧の人は,動物を擬人化した絵を描くことにとても長けている。

  • サモヴォドスカ・チャルシャの東の端は,グランドHヤントラ前の広場になる。<br /><br />広場には,1835年の対オスマン帝国蜂起未遂事件の記念碑と壁画(右手奥)がある。<br /><br />ちょうどこの広場の下あたりに鉄道と国道のトンネルが走っている。<br /><br />ここから東は,冒頭の地図でいえば「旧市街Ⅱ」のエリアとなる。

    サモヴォドスカ・チャルシャの東の端は,グランドHヤントラ前の広場になる。

    広場には,1835年の対オスマン帝国蜂起未遂事件の記念碑と壁画(右手奥)がある。

    ちょうどこの広場の下あたりに鉄道と国道のトンネルが走っている。

    ここから東は,冒頭の地図でいえば「旧市街Ⅱ」のエリアとなる。

  • 「旧市街Ⅱ」の中心は大聖堂Катедрален храм &#8222;Рождество Богородично“(ヴェリコ・タルノヴォ生神女誕生大聖堂=4トラでは「聖サン マリ生誕教会」で登録)である。<br /><br />この周辺に博物館が集中している。

    「旧市街Ⅱ」の中心は大聖堂Катедрален храм „Рождество Богородично“(ヴェリコ・タルノヴォ生神女誕生大聖堂=4トラでは「聖サン マリ生誕教会」で登録)である。

    この周辺に博物館が集中している。

  • このあたりから,北側にトラペジッツァの城砦跡がよく見えてくる。

    このあたりから,北側にトラペジッツァの城砦跡がよく見えてくる。

  • 修復されたトラペジッツァの城壁。

    修復されたトラペジッツァの城壁。

  • そして道のずっと先には,ツァレヴェッツの城砦跡などが見えている。

    そして道のずっと先には,ツァレヴェッツの城砦跡などが見えている。

  • 国道はこの先,アセノフ地区を通り,アルバナシへ至る。

    国道はこの先,アセノフ地区を通り,アルバナシへ至る。

  • このエリア(旧市街Ⅱ)の主要道はニコラ・ピコロ通り。<br /><br />ステファン・スタンボロフ通りなどの界隈(旧市街Ⅰ)と違って,観光客向けの店舗はぐっと少なくなる。

    このエリア(旧市街Ⅱ)の主要道はニコラ・ピコロ通り。

    ステファン・スタンボロフ通りなどの界隈(旧市街Ⅰ)と違って,観光客向けの店舗はぐっと少なくなる。

  • 「日本文化センター」という看板を掲げた不動産屋は,どうやら潰れてしまったようだ。

    「日本文化センター」という看板を掲げた不動産屋は,どうやら潰れてしまったようだ。

  • 一方,こちらが潰れることは,当分ないのであろう。<br /><br /><br />(つづく)

    一方,こちらが潰れることは,当分ないのであろう。


    (つづく)

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