2020/08/29 - 2020/08/29
344位(同エリア462件中)
xiaomaiさん
- xiaomaiさんTOP
- 旅行記406冊
- クチコミ459件
- Q&A回答3件
- 619,201アクセス
- フォロワー59人
基隆で毎年行われる雞籠(基隆の旧名)中元祭は、非常に有名で、多くの人が訪れる。政府から「台灣十二大地方慶節」に指定され、さらに2008年には無形文化財となった。もっとも人出の多い旧暦7月14日の前に基隆を訪れ、街の様子を見てきた。
この旅行記以前の基隆旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11504738(2019/6)
https://4travel.jp/travelogue/11506307(2019/6)
https://4travel.jp/travelogue/11548088(2019/9)
https://4travel.jp/travelogue/11642919(2020/8)
PR
-
基隆駅を出ると、各姓のぼんぼりに迎えられる。中元祭普渡の主普(まとめ役)は毎年異なる姓の代表が務める。2020年は童氏と白氏。
-
海洋広場の飾り付け
-
中央にあるのは、今年の干支であるネズミ。そして、今年主普を務める白氏と童氏の字が最上部と中央部に書かれているぼんぼり。
-
基隆市民広場
-
左側に龍。
-
右には干支。夜は明かりが灯される。中華社会では、干支に猪はなく、豚がそれに代わる。獅子舞の獅子の中に入っている豚のが画像一番手前にある。
-
信一路に沿って流れる田寮河。
-
1920年に台北州基隆郡の「基隆街役場」として建てられ、1924年に基隆市役所となって、現在も基隆市政府(市役所)として使われている建物。市役所にしては、小さいと感じた。
-
信二路にある周家葱油餅店。基隆に住む友人によると、一般的に葱油餅は油っぽいけれど、この店のはそうでもないらしい。個人的には油のギトギトさが嫌いで、好きではない食べ物。
-
周家葱油餅店の斜向かいに中正公園へ向かう階段がある。
-
それを登り詰めると、忠烈祀があるけれど、工事のためか、入れなくなっていた。
-
迂回すると中央獅子楽園。子供用遊戯物の多い公園。
-
佛光山極樂寺の裏門。佛光山というのは、規模が非常に大きな台湾仏教の一派。
-
石の滑り台
-
寿山路
-
主普壇の入り口にある中元祭の飾り付け。
-
主普壇に向かって右側にある豎燈篙(天燈)。神様に好兄弟(死者)を中元普渡(もてなし)することをお伝えするのが目的でこれを立てる。笹は途中で切っていない完全なもので、尻(上部)に葉があるものが使用される。始めと終わりがあり、最後がよい終わり方になることを願って、このようにする。
-
主普壇に向かって左側にある豎燈篙(地燈)。好兄弟(死者)に中元普渡(もてなし)をすることを告げるためにこれを立てる。高さは天燈の方が地燈より高い(神を敬う意味が込められている)。笹の高さは多くの好兄弟に来てもらいたいことを示しているが、高さの割にもてなしの質が悪いと、好兄弟から反感を買うから、高ければ高いほどよいというものではない。
-
中元祭仕立ての主普壇。普段はこのような煌びやかな飾り付けはされていない。
-
中元普渡は基隆市で1年に1度行われる最重要の祭典で、主普壇は主要な場所の1つ。早期は新石街や草尾店街に建てられていたけれど、のちに現在の場所に移った。毎年、旧暦7月13日に点灯式が行われ、夜間は華々しくなる。
-
向かって右側にある、媽祖、千里眼、順風耳の飾り付け。
-
中央階段
-
行った日は中に入れなかった。いつもそうなのか、あるいは入れる時があるのかどうかは不明。
-
向かって左側にあったのは、何の話を題材にしたものかは不明。友人は関公(関羽)ではないかと言っていたけれど、それでは両脇の女性が説明しにくい。
以前は大士壇というものが設けられていた。中央に大士爺(好兄弟が悪さをしないよう見張っている)が祀られ、その周りに好兄弟をもてなすための男女別の浴室や閲覧室(死者に学がある場合は翰林院、なければ同帰所)、男女別の休憩室などが紙で作られ設置される。また、好兄弟を監督する三界壇なども置かれる。しかし、行った日(旧暦7月11日)にはこれらがなかった。 -
主普壇空の景観。すぐ前にあるのは慈安宮で、中壇元帥(三太子)、關公、媽祖、還二体の肉身菩薩金身を祀る。
-
慈安宮へ行こうと思い、来た道とは反対側を進んだ。
-
階段を降りていくものの、慈安宮への道は見つからず。
-
高度はどんどん下がり......
-
おそらく慈安宮よりも低い高度に。
-
寝ている猫に「あんた何してんの?」という冷めた表情で見られ......
-
だいぶ下ってきて、大萍(日本語名ボタンウキクサ)が育てられているのを発見。
-
鑑賞するだけでなく、豚の飼料にしたり、排水処理に利用したり(金属成分を吸収する)、薬として服用したり(発汗を抑える、排尿を促す、解毒するなど)するようだ。
-
振り返り、下りてきた階段を眺める。結局、慈安宮へは行けなかった。
-
義二路商店街。日本時代は義重町といい、日本人が多く住み、基隆銀座とも呼ばれたエリアだった。画像に写る建物には、日本人経営の高級呉服店や西洋レストランがあった。日本時代に雇われていた詹という姓の台湾人調理師が、戦後2階で「小上海酒家」を経営。その店は『悲情城市』という映画に出てくる。
-
田寮河にかかる橋
-
姓の書かれたぼんぼりが無数かけられている。夜には明かりが灯される。
-
11時前であったけれど、廟口夜市へ。この時間では営業している店はまだ少なく、人通りもご覧の通り。
-
過去に何度か利用しているこの店へ。
-
店先にてんこ盛りにされている油飯。
-
油飯と旗魚羹。食事中に雨が降り出し、だんだん本降りになってきた。
-
最後に訪れたのは、海洋広場のすぐ前にある基隆城隍廟。画像は雨が降る前に撮影したもの。
-
人通りの多い忠一路にあり、わざわざ立ち止まって参拝する人が高齢者を中心にたくさんいらした。
-
神様の輿。
-
城隍廟の前にこんなものがあった。中元祭で使われるのだろうか?形は胡椒餅に似ている。
-
本降りの雨はやむことなく、ずっと続いた。画像は駅から海洋広場方面を見た景色。
-
激しい雨はやみそうになく、11時40分の各駅停車で台北へ戻った。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
基隆(台湾) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
46