1987/08/06 - 1987/08/06
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tadさん
古い写真アルバムを見直すシリーズを再開したい。一枚一枚アルバムからプリント写真を外して、スキャナーに載せる作業だ。今回の1987年の旅は東ベルリンのベルリン・フンボルト大学で行われた5年に一度の私の分野では最も大きな国際学会に提出した論文が2本とも審査を通過し、準備万端でたくさんの発表資料等も抱えながらの旅で、大型トランクを引きずり歩く旅だった。41才の時だから、可能だったスタイルだろう。当時3度目となる西ドイツのフランクフルトから入国し、なるべく古いものを残している町を選んで訪問したのだが、最初はニュルンベルク、それから古都バンベルク、それから、国際特級列車で西ドイツのバンベルクから西ドイツのベルリンまで移動した。西ベルリンに一泊した後、会議の会場がある東ベルリンに移動し、一週間くらい滞在した。その後、東ベルリンからオランダまで列車で一気に移動し、オランダ、ベルギーを経て、ドーバー海峡をフェリーで渡り、ロンドンに滞在した後、UAEのドバイ空港経由、マレーシア経由で帰国した。(今年の1月にドバイに小旅行した時は、最初のUAE訪問と思い込んでいたが、そうではなかった。)
一枚目はニュルンベルクの画家デューラーの家。左側から二軒目にある。展示品はぱっとしなかった記憶がある。家屋も多くは復元だし仕方ない。それでも、このころまでの3回の西ドイツの旅は気持ちよく人々と接していたし、楽しんだものだが、この2年後のベルリンの壁の崩壊後は、西ドイツの雰囲気が変化し、私は興味を失っていった。
東西ドイツ合体の後は、さらに3回は行っているが、共産圏の独特の「匂い」が濃くなってきた。その意味で、この時の写真は懐かしさが特別に籠っているものだ。東ベルリンと東ドイツの酷い体験を持ったこの時の旅は、共産圏に対する反発心、嫌悪感が植え付けられた旅でもある。メルケルのいる今もその本質的な匂いはますます濃くなっている。。。
- 旅行の満足度
- 4.0
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フランクフルト駅前。この時は3度目のフランクフルトだったので、写真はこの一枚しかない。今、驚いたのはSamsungの広告があること!そういえば、コリアンは、西ドイツにも東ドイツにも当時から多かったようだ。(私の古くからのドイツの友人の一人は、家族が東京にいた日本人と結婚したと言っていたが、写真と名前を見た瞬間、コリアンだとわかった。。)
駅構内で、名物のビールとフランクフルト・ソーセージをこの時も食べたものだ。ただし、駅構内で朝っぱらからビールを立ち飲みする風景は2010年頃フランクフルト駅に降りた時には消失していた。西ドイツらしさが薄れていった!フランクフルト中央駅 駅
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ニュルンベルク到着後、丘のうえにあるニュルンベルク城あたりから見下ろした写真。
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ニュルンベルク城
ニュルンベルク城 (カイザーブルク) 城・宮殿
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確か画家デューラーの家から
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ニュルンベルク城
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ニュルンベルク
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ニュルンベルク
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St. Lorenz Kirche
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St. Lorenz Kirche
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上の教会内にあるシュトースの名作
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ニュルンベルク
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Museumsbrücke
向こうに見えるレストランで、ワインと食事をした。次が入口 -
ワイン・レストラン。
アルバムには、Rheingau,
Frankenの白ワインとます料理を食べたとある。
多分、Heilig-Geist-Spitalという店。
さらに、ニュルンベルク・ソーセージ店にも入ったが、そちらの写真は残らず。ただ、そこで、食べていた電気通信大学の学生が話しかけてきて、その後、しばらく一緒に行動した。 -
これは国立ゲルマン美術館Germanisches Nationalmuseum
で撮影とある。
これはクラナッハがマルティン・ルターを描いた有名な絵。
今もここにあるのかどうか不明。 -
これも上と同じ場所で撮影。この後、クラナッハはドイツ内であちこち見ることになる。(相当多作家だったようで、ロンドンなどにもたくさんある。)
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