2019/05/07 - 2019/05/08
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2019年GWのジャワ島旅行6日目。
今回の旅も、この日が実質最終日。
最後は、飛行機の時間まで、ソノブドヨ博物館やフレデブルグ要塞博物館など、ジョグジャカルタの博物館巡り。
これまでは人口がやたら多く、雑多な感じがして敬遠していたインドネシアですが、訪れてみると、様々な宗教が織りなす歴史や文化に刺激を受けるとともに、東南アジアらしい、素朴で親切な人々にもたくさん出会うことができ、だいぶ印象が変わったジャワ島の旅となりました。
これをきっかけに、様々な文化を持つインドネシアの、また別の地方を旅してみたいですね。
<旅程表>
2019年
5月2日(木) 成田→デンパサール→ジョグジャカルタ
→ボロブドゥール
5月3日(金) ボロブドゥール→ジョグジャカルタ
5月4日(土) ジョグジャカルタ→プランバナン
→ジョグジャカルタ
5月5日(日) ジョグジャカルタ→スラカルタ(ソロ)
→ジョグジャカルタ
5月6日(月) ジョグジャカルタ→ジョンブラン洞窟
→ジョグジャカルタ
〇5月7日(火) ジョグジャカルタ→ジャカルタ→
〇5月8日(水) →羽田
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ガルーダインドネシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月7日(火)
今回の旅もこの日が実質最終日。
夕方の飛行機の時間まで、ジョグジャカルタの観光名所を見て回ります。
まずは早朝7時30分、ホテルでナシゴレンの朝食。
前日、前々日と、まだ周囲が眠っている時間に宿を発ったため、ホテルでゆっくり朝食をとるのは久しぶり。 -
朝食後の8時、ホテルのフロントに荷物を預けて最後の観光開始。
まずはまだ人通りの少ないマリオボロ通りを、王宮方面に向かって、てくてくと南下していきます。マリオボロ通り 市場
-
8時20分、王宮の手前にある“ソノブドヨ博物館”(Museum Sonobudoyo)に到着。
オランダ植民地時代の1934年に建てられた、ジャワ島を中心とするインドネシアの文化に関する博物館です。
前夜、ジョグジャカルタの伝統芸能である影絵芝居、“ワヤン・クリッ”の鑑賞で訪れたばかりですが、今回は純粋に博物館鑑賞としての訪問です。ソノブドヨ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
受付で入館料10,000ルピア(約80円)を払ってソノブドヨ博物館の鑑賞開始。
最初はジャワ文化の象徴、お決まりのガムランのセットから。 -
続いてはこんな銀器などの容器類。
王宮に伝わる宝物でしょうか。 -
こちらの青銅の鐘には緻密な図柄が施されています。
時代は不明ですが、仏教が隆盛していた8~9世紀頃の作品でしょうか。
中国などからの輸入品かもしれませんが、確かな技術力を感じます。 -
続いてはジャワ島の先史時代の遺跡。
さすがにジャワ原人の時代にまでは遡らないかと思いますが、展示されている何らかの信仰を表した石像の中で目を引いたのは・・・。 -
こちらの明らかに男性の性器を象ったもの。
しかもそれが二重に表現されています。
ヒンドゥー教のリンガ信仰が伝わる前のものと思われますが、世界のあちこちにこういう性器信仰はあるものですね。 -
こちらは銅製の仏陀又は菩薩の頭部。
8~9世紀頃の仏教文化華やかなりし時代のものでしょうか。 -
続いて日本では“ジャワ更紗”とも呼ばれるインドネシア特産の蝋結(ろうけつ)染め生地、“バティック”を用いた伝統衣装。
ワヤン・クリッとともに、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されています。 -
こちらは前回の旅行記で紹介したジョグジャカルタ伝統の影絵芝居、“ワヤン・クリッ”で使われる牛皮で作った操り人形。
影絵となるとはいえ、本体は意外とカラフルなのが特徴です。 -
こちらはユネスコの無形文化遺産の登録証。
中央に“The Wayang puppet theatre”(ワヤン人形劇)の文字が見えますね。 -
こちらは“ワヤン・クリッ”と並ぶ伝統芸能である木製の人形芝居、“ワヤン・ゴレッ”(Wayang golek)で使われる人形たち。
日本の川本喜八郎の人形みたいですね(笑)。 -
ワヤン・クリッの人形の中には、鼻の高い西洋人を表したものもあります。
よく特徴を表していて、影絵にするのがもったいないくらい(笑)。 -
こちらの“ジャワ・ルーム”では、伝統的なジャワの家のミニチュアと、チーク製の家具が展示されています。
細かな彫刻が施されるとともに、木の質感が伝わってくる家具が素敵ですね。 -
屋外に出て、こちらはバリ島の割れ門。
ジャワ島以外のものまで展示対象となっているのですね。 -
“バリ・ルーム”と名付けられた部屋にあったのは、こんなバリの伝統舞踊の像。
製作年代は比較的新しいものでしょうか、かなり西洋美術の影響が見られますね。 -
最後は再び屋外に出て、こちらは8~10世紀の仏教隆盛時の仏像など。
ボロブドゥールやプランバナンで発掘されたものでしょうか。
今回の旅行で同地を訪れた際に見たものとよく似ています。 -
・・・と、館内と屋外展示すべてを回り、以上でソノブドヨ博物館の見学を終了。
バリ島にまで手を広げるのはいいとしても、まだ研究が進んでいないのか、年代が不明の展示が多かったのが、今後の課題ですかね。
時刻は9時30分、約1時間の見学時間でした。 -
9時40分、次は今もジョグジャカルタを治めるスルタンの住まい、“クラトン”と呼ばれる王宮へ。
実は王宮へはこの3日前に一度訪れているのですが、その際は“北側”の見学のみだったため、今回は“南側”(北側とは入口が別)を見学することにします。クラトン (王宮) 城・宮殿
-
入場料15,000ルピア(約120円)に撮影料1,000ルピア(約8円)を支払って入場。
最初の白い門をくぐる直前にあるのが、ここでもお決まりの“ガムラン”セット。
“地球の歩き方”によると、ここでは毎日午前中、ガムランの演奏やジャワの伝統舞踊などのパフォーマンスが行われるとのことなのですが、ラマダン中のせいか、この日は何も開催される様子がなく、ずっと静かなままでした・・・。 -
白い門をくぐって中に入ると、内部は神社かお寺の境内のような感じ。
まだ朝早いので、観光客の少ない静かな空間となっています。
しかし、多少の厳粛さを感じるこの雰囲気、3日前に見た北側の王宮よりは、“王宮らしい”ですね。 -
王宮の敷地内にはあちこちに風通しのよいあずまや風の建物があり、こんなふうに家具類などの品々が展示されています。
実際のスルタンとしての活動の場面では、会議をしたり接待したりする場所に変わるのでしょうか。 -
敷地内には展示室もあちこちにあります。
こちらは前スルタンのハメンクブウォノ9世(在位:1940-88年)と、彼が身に着けた装身具などでしょうか。 -
別の部屋には彼の写真なども展示されています。
インドネシア独立戦争(1945-49年)に際しては、自分の直轄領を共和国政府に差し出すなど、インドネシア独立に大いに貢献した、本当に尊敬されるスルタンだったのですね。 -
陶磁器などの王室のコレクションの部屋も。
-
こちらは日本の伊万里焼でしょうか。
ハメンクブウォノ9世の父であるハメンクブウォノ8世(在位1880-1939年)時代のものとの説明書きがあります。 -
さて、王宮内にはこんな民族衣装を着た男性があちこちに。
彼らは今も王宮を守る“武士”で、封建関係そのまま、無給でスルタンに仕えているとのこと。
中には各国語でガイドをする方もいらっしゃるとのことですが、ラマダン期間中のせいか、このときはガイドを請け負っている方は一人も見かけませんでした。 -
その彼らの後姿をパチリ。
まさに“現代の武士”さながら、“クリス”という短剣を腰に差しています。 -
王宮の一角を見ると、こんなふうにみなさん固まって座っていらっしゃいます。
しかし、どのかたもお年を召していらっしゃるようで・・・武士の成り手に若い人はいないのか、それとも、俗世間を引退された方が王宮の守護に回るということなのか。 -
こちらの建物は、植え込みや調度品など、見た目からして立派ですが、立入禁止の模様。
どうやらここが、今もジョグジャカルタに君臨するスルタンのお住まいか。 -
さて、以上をもって、王宮南側の見学を終了。
時刻は10時30分、所要時間は1時間弱ほどでした。
北側に比べ、展示室など博物館的な要素が強く、“ゴージャスな王宮”という感じの雰囲気ではなかったですね・・・。
もともと、スルタンは国民から敬愛されているだけあって、王宮自体、質素な佇まいなのでしょうが。 -
続いて10時50分、王宮を出て、マリオボロ通りに戻るところにある“フレデブルグ要塞博物館”(Benteng Vredeburg)へ。
オランダ植民地時代の1765年に建てられた“フレデブルグ要塞”をもとにした博物館で、そのオランダからの独立戦争をメインとした展示がなされているとのこと。フレデルグ要塞博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
かつての堀の跡は、今では涼やかな公園のようになっていますね。
-
展示室に入る手前にあったこちらの模型は、かつてのフレデブルグ要塞の全景を表したもの。
函館市の五稜郭のような星型要塞になっていたのですね。 -
展示室はこんな感じで、オランダ植民地時代の19世紀から、20世紀の独立後までのジョグジャカルタの歴史が、時代順にジオラマ形式で再現されています(詳細な英語の解説板あり)。
まさに、歴史を勉強する博物館。 -
こちらは1940年3月18日のハメンクブウォノ9世の即位式を描いたジオラマ。
まさに3日前に見学した、王宮の“即位の間”でのワンシーンですね。
【ジャワの休日(3) ジョグジャカルタの王宮の“即位の間”】
https://4travel.jp/travelogue/11628537#photo_link_66418581 -
太平洋戦争が開戦し、1942年3月6日、オランダ領東インド軍を制圧してジョグジャカルタに入る日本軍。
インドネシアの独立に太平洋戦争が大きくかかわっている点も展示されています。 -
こちらは1942年3月から1945年8月にかけての日本統治期の様子。
解説によると、学生が学校で武士道精神を教えられている場面とか。 -
1945年8月15日、日本が連合国に降伏すると、インドネシアの民族主義運動の活動家スカルノとハッタは、ジャカルタで8月17日、独立宣言を発表。
ここにスカルノを首班とするインドネシア共和国政府が発足し、宣言を認めないオランダからの独立戦争が始まることになります。
ジオラマは1945年10月27日、共和国政府の将軍、ウリプ・ソモハルジョ(Oerip Soemohardjo)により、ジョグジャカルタに陸軍士官学校(Military Academy)が設立される場面。
共和国政府はまさに、オランダからの武力による独立を目指したわけですね。 -
こちらは1946年1月4日、オランダや英国など、連合国の攻勢により危険の増したジャカルタを離れ、ジョグジャカルタ・トゥグ駅に降り立つスカルノ大統領。
ジョグジャカルタは共和国の臨時首都となり、独立戦争の中心地となります。 -
こちらは1946年の兵器工場の様子。
こんなところまで再現されているとは細かいですね。 -
こちらは1948年から1949年にかけての村落におけるインドネシアゲリラの様子。
独立戦争の遂行にあたっては、こうした村落でのゲリラ活動が大いに役立ったとのこと。 -
1947年から1948年にかけて、装備に勝るオランダ軍は各地で攻勢を強め、1948年12月23日、共和国政府の臨時首都ジョグジャカルタは遂に陥落、スカルノとハッタも逮捕されてしまいます。
しかし残された閣僚はスマトラ島で臨時政府を樹立。国際社会にも訴えて、オランダへの徹底抗戦を続けることに。
写真は1949年3月1日、オランダに占拠されていたジョグジャカルタのトゥグホテルを襲撃するインドネシア兵やゲリラたち。
オランダ側も国際社会の批判や各地でのゲリラ活動に、引き続き悩まされることとなります。 -
こちらはオランダ兵の対ゲリラの様子でしょうか。
ゲリラ戦のどこから襲ってくるかもしれない恐怖というものは、やはり耐え難いものでしょうね。 -
国際社会の批判とゲリラ活動に悩まされたオランダは、やがて和平の道を模索。
そして1949年5月7日にインドネシア共和国政府とオランダ政府との間で合意がなされ、共和国政府はゲリラ活動を停止するとともに、オランダ軍はジョグジャカルタを撤退することに。
写真は1949年6月末、オランダ軍のいなくなったジョグジャカルタの街に入るゲリラたちの様子を表わしたもの。 -
こちらは1949年7月19日から22日にかけて、ジョグジャカルタのトゥグホテルにて開催された、最初のインドネシア連邦会議の様子。
この頃にはオランダに囚われていたスカルノとハッタも解放され、共和国政府に復帰しています。 -
こちらは1949年12月17日、ジョグジャカルタの王宮(クラトン)でのスカルノの大統領就任式。
同年8月から11月まで行われていた、オランダの首都デン・ハーグでの独立に向けた交渉(ハーグ円卓会議)の成功を受けて、スカルノ大統領の正式な就任式が開催されることとなりました。
この後、12月27日にはインドネシアの主権がオランダからインドネシア連邦共和国(*)に正式に移譲。
翌28日に、スカルノは本来の首都であるジャカルタに移動することになります。
以上、“ジョグジャカルタはインドネシア独立の中心地であった”ということの展示でした。
*1年8か月後の1951年8月15日、連邦を構成する16の国・自治地域が合流して連邦共和国は解散し、単一のインドネシア共和国が発足 -
独立後も少々展示は続きます。
こちらは1961年12月19日、西イリアン(ニューギニア島の西半分、現パプア州及び西パプア州)のオランダからの解放を掲げるスカルノ大統領。
1949年のハーグ円卓会議では、同地の帰属はオランダ領のまま将来の解決に委ねるとされましたが、1952年、オランダは同地におけるパプア人の自治権を認め、独立準備を進めたため、領有権を主張するインドネシアとの対立が深刻になります。
その後、1961年にオランダが西パプア共和国の独立を認めると、インドネシアは同地に侵攻(パプア紛争)。
時の米国大統領ケネディの調停により、同地は国際連合による統治を経て、1963年にインドネシアに引き渡されますが、以来、パプアの地はインドネシア人によって搾取され、自由を求めるパプア人への弾圧は、今も続いているという・・・。
パプア人への弾圧まではさすがにこの解説板には書かれていませんでしたが、そんな国際的非難を浴びていることを、この展示を見ているインドネシア人はどう考えているのでしょうか・・・。 -
最後は、1965年10月21日の共産党狩りの場面を描いたジオラマ。
東西冷戦下で毛沢東の中華人民共和国への接近を図るスカルノの下、インドネシア共産党(PKI)は勢力を伸ばしていきますが、一方で、共産主義の伸長や国際的孤立を懸念する国軍との間で緊張が高まります。
そんな中、1965年9月30日に事件は発生(9月30日事件)。
首都ジャカルタにおいて、大統領親衛隊のウントゥン中佐率いる部隊が、国軍首脳の6将軍を拉致、殺害するなどしたクーデターで、この6将軍の殺害を受け、一時的に陸軍最高位となったスハルトがクーデターを鎮圧。
スハルトは首謀者のウントゥン中佐だけでなく、“事件に関与した”とのかどで、共産主義者や華僑をも弾圧していくこととなります。
これがいわゆる“9月30日運動”で、1965年10月から翌3月頃まで、インドネシア各地で共産主義者たちの大虐殺の嵐が吹き荒れることに(犠牲者数は数万人とも数百万人とも)。
この事件により、建国以来インドネシア共和国を牽引してきた初代大統領スカルノは失脚。
親米、反共、近隣協調路線のスハルト体制がスタートすることとなります。
・・・以上で屋内展示は終了。
この博物館、インドネシアの輝かしい独立の歴史だけでなく、パプア紛争や9月30日運動など、“負”とも言える歴史も扱っているところが興味を惹くところです。 -
展示室を出ると、博物館の中庭にはこんなインドネシア兵とともに・・・。
-
オランダ兵や・・・。
-
日本兵も仲良く(?)並んでいます。
こういうところも客観的に展示されていますね。 -
12時15分、以上をもってフレデブルグ要塞博物館の見学を終了。
所要時間は急ぎ足で見て1時間20分程度。
じっくり歴史の勉強をするのであれば、2時間超は見ておくのがよいかもしれません。 -
さて、お腹も空いたので、どこかで昼食をとることに。
いつもの外国人向けの店(LEGIAN)に入るのも何なので、どこかほかのお店を探していると・・・。マリオボロ通り 市場
-
マリオボロ通りでいちばんのショッピングセンター、マリオボロ・モールにも飲食店があったことを思い出し、涼みを兼ねて入ってみることに。
時刻は12時台ですが、この日は平日ということや、ラマダン期間中ということもあって、客の数はそれほど多くない感じです。マリオボロ モール ショッピングセンター
-
12時40分、上階の端の方にあった飲食店コーナー(客はラマダン中なのでガラガラ)で、麺とお茶のセットメニュー(36,000ルピア=約290円)を注文。
インドネシアの物価にしては少々高め・・・やはりこのショッピングセンター、それなりの所得の方が利用するのでしょうかね。
肝心の味の方はというと、うーん、外国人向けレストランのLEGIANの方がよかったかな・・・。
お茶の方は氷が入っていて、飲むかどうか躊躇しましたが、喉の渇きに耐えられず、できるだけ氷を飲まないようにしてぐびり。
幸いなことに、帰国後もお腹は何ともありませんでした。 -
昼食後は冷房の効いたマリオボロ・モールで、そのままお土産を物色。
その後はというと、飛行機の出発時間は夜の20時過ぎだったものの、暑くて疲れていたし、もう何もすることがなくなったので、早めに空港に向かうことにします。
15時、宿に戻って荷物をピックアップし、マリオボロ通りからアジスチプト国際空港行きのトランスジョグジャに乗車(3,500ルピア=約30円)。
乗車中、にわかに雲行きが怪しくなり、叩きつけるような大雨が。
この雨ではいずれにしても観光は中断だったかな・・・。 -
15時30分、マリオボロ通りから30分ほどでアジスチプト国際空港に到着。
往路では気付きませんでしたが、空港の正面入口を入ったところには、ジョグジャカルタ伝統の影絵芝居、“ワヤン・クリッ”の壁絵が。アジスチプト国際空港 (JOG) 空港
-
その脇にもこんなたくさんの影絵が飾られていますね。
-
さて、20時25分発のジャカルタ行きガルーダインドネシア航空GA217便に早々とチェックインしようとしたところ、女性係員から、その前の18時20分発の便に変更可能との案内が。
変更無料とのことなので、早速変更させてもらうことに。
これでジャカルタの空港では多少ゆっくり過ごせるかな。
そして18時20分、ジャカルタ行きガルーダインドネシア航空GA215便は、定刻通りアジスチプト国際空港を離陸。
そういえば出発ゲート付近で日本人の団体客を見かけましたが、今回の旅行では、街なかや観光地ではまったく日本人に遭遇しませんでしたね・・・。 -
19時50分、ガルーダ機はジャカルタのスカルノ・ハッタ国際航空に無事到着。
さて、飛行機を早い時間に到着のものに変えてもらって、ジャカルタで過ごす時間に余裕があったので、空港内を探索。
空港内は、うどんやすき焼きなど日本食の店が多数で、ここインドネシアでも日本食の人気ぶりがうかがえます。ジャカルタ スカルノ ハッタ国際空港 (CGK) 空港
-
そこで、物は試しと、日本でもお馴染みの“丸亀製麺”(MARUGAME UDON)で、現地メニューの“TORI BAITAN”を注文(58,000ルピア=約460円)。
これがなかなか美味で、バイタンスープにうどんはなかなか合うなと感心しました。
日本と違ってトッピングのネギやお茶がタダでないのは残念でしたが・・・。
ちなみに、どんぶりの三日月柄も、狙ってか狙わでか、イスラムの国っぽくてなかなか。 -
食後もあちこち探検したり、売店で残ったインドネシアルピアを使い切ったりして時間をつぶします。
ちなみに空港の中心部には、“RAMADHAN MUBARAK”(よいラマダンを)と書かれたこんな飾りも。
こんなかわいらしい飾り、中東では見かけないなあ・・・。
こんなことができるのは、インドネシアが日本などの東アジアや西洋の文化も受け入れている、“ソフトイスラム”の国だからでしょうか。 -
そして真夜中の23時40分、日本の羽田空港行きガルーダインドネシア航空GA874便は、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港を離陸。
-
翌5月8日(水)8時50分、羽田空港に無事到着して、今回の旅が終わりました。
これまでは人口がやたら多く、雑多な感じがして敬遠していたインドネシア。
訪れてみると、様々な宗教が織りなす歴史や文化に刺激を受けるとともに、東南アジアらしい、素朴で親切な人々にもたくさん出会うことができ、だいぶ印象が変わったジャワ島の旅となりました。
いくつも分かれた島々にたくさんのルーツを持つ民族が暮らすだけに、パプア紛争など深刻な民族問題も抱えているところですが、今回の旅をきっかけにして、様々な文化を持つインドネシアの、また別の地方を旅してみたいものですね。
(ジャワの休日~終わり~) -
(おまけ)
最後にマリオボロ・モールで買った、ジョグジャカルタのお土産をご紹介。
インドネシアといえば、トラジャなど、世界第3位の生産量を誇るコーヒーが有名ですが、実はお茶の生産量も世界第7位。
ということで、パックになっていたお茶を購入。
ひとつのパッケージに25バッグが入っていて、それぞれ18,000ルピア(約150円)とお手軽価格だったのですが、肝心の味の方は薄くていまいち・・・。
ティーバッグの包装も安っぽい感じがして、お土産には適さないかも・・・。
以下の記事にもあるように、インドネシアのお茶ビジネスはいろいろ課題があるようです。
【インドネシアで茶の輸入急増、16年間で50倍 輸出世界7位も加工分野に課題(2016年12月14日SankeiBiz)】
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/161214/mcb1612140500004-n1.htm
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この旅行記へのコメント (2)
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- 川岸 町子さん 2020/08/24 22:43:02
- ジャワの休日
- エンリケさん、おばんでした☆
ジャワ島の旅、いつか訪れたいと思っている私が知らない情報が多く、とても参考になりました。
恥ずかしいのですが、ジョグジャカルタとボロブドゥール遺跡程度しか知識がありませんでした。
数年前の6月に、小学校時代の友人とバリへ行く予定でしたが、お子さんが出産のために延期。友人は親御さんが4人ご健在で、次第に行けない状況になり、そのままです。私くらいの世代になると、やっかいです(+_+) バリはどうしても、その友人と行きたいので、ジャワ島だけ一人で訪れようかと思ったら、コロナでがっかり(*_*;
仰るように、インドネシアは多くの島々からなり、宗教や歴史や文化が異なり、興味は尽きませんね。
拝見した中で、素朴な笑顔の人々や民族衣装、自然が織りなす光の帯なども印象的でした。
今回の旅行記では、知られていないインドネシアの歴史を分りやすくお伝えくださり、さすが博物館通のエンリケさんです!(^^)!
先日NHKでアウシュビッツの番組を見ると、私が今まで知らなかった内容を放送していました。
その時「そういえばエンリケさんのポーランド旅行記を拝見したな」と思い出しました。
旅は財産だなと、感じます。
お疲れさまでした!次回の旅行記も楽しませて頂きます~(*^▽^*)
町子
- エンリケさん からの返信 2020/08/29 19:32:28
- 最後まで読んでいただきありがとうございます。
- 川岸 町子さん
こんばんは。ジャワ島旅行記、最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回はジョグジャカルタ周辺しか行けませんでしたが、インドネシアは13,000以上ものたくさんの島々から成る国。地域によって異なる様々な文化が魅力で、また別の地方へ行ってみたいと思いました。
> バリはどうしても、その友人と行きたいので、ジャワ島だけ一人で訪れようかと思ったら、コロナでがっかり(*_*;
本当に、このコロナ騒ぎ、厚労省では感染症としての危険レベルの引き下げも検討とのことですが、いつまで続くやらです。
早くマスクなしで世界中を旅することができる世の中に戻ってほしいものです。
> 先日NHKでアウシュビッツの番組を見ると、私が今まで知らなかった内容を放送していました。
> その時「そういえばエンリケさんのポーランド旅行記を拝見したな」と思い出しました。
わたしもその番組、見ました。
同志の死体処理をさせられるユダヤ人のゾンダーコマンドとか、現地の解説にはなかった(わたしが聞き逃しただけ?)ことも放映されていて、たいへん興味深かったです。
現地の解説になかったのは、まだ研究が浅いためか、それとも、ユダヤ人がナチスの強制絶滅収容所の運営に関わっていたことを大っぴらにしたくない政治的事情か・・・。
やはり物事はひとつのところからだけでなく、多面的に見ることが大事ですね。
> お疲れさまでした!次回の旅行記も楽しませて頂きます〜
コロナ禍で新規の旅行はできないので、当分は過去の旅行記が続きそうです・・・。
そんなものでよろしければ、また覗きにきてください!
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