2019/10/24 - 2019/10/31
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urufeeさん
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10月26日堺観光を終わり、堺08:07→大和八木09:09で移動しました。予約してあるホテルに行って、荷物預かって貰います。最初フロントのオバサンが「予約入ってないし満室です」とのこと。「そんな筈ない」と、楽天トラベルの予約番号を提示したりして粘ります。その内女将らしき方が出てきてくれ、「同姓同名の人が電話してきた時に、本人確認しないでキャンセル扱いにした」と言われる。何とかして欲しいとだいぶ粘ってやっと「一室確保しました」と言われた。危うく野宿するところでした。でも、無事寝場所確保できたので、大和八木→吉野へ近鉄で移動して何とか予定通り吉野山を観光してきました。
この旅行記は奈良県内の、吉野山と、橿原周辺でまとめました。
10月24日 マイル特典旅行で、成田09:45→関空11:20で飛んでホテルに荷物預かって貰い岸和田城へ。
10月25日 阪堺電車一日乗車券購入して、堺市街をブラブラと。
10月26日 堺08:07→大和八木09:09で移動し、ホテルに荷物預かって貰い吉野観光。
10月27日 大和八木→富田林に移動して、富田林から路線バスを使って赤坂城址など散策。
10月28日 徒歩メインで橿原神宮など散策。
10月29日 大和八木10:14→鳥羽14:20で移動して、鳥羽の温泉へ。
10月30日 路線バス使って海の博物館見学。
10月31日 鳥羽から名古屋へ移動し、名古屋から新幹線で帰宅。
写真は如意輪寺の山門です。正成の長男・正行が天皇に今生の別れを告げて四条畷の戦に向かったとのことなので、この山門を通ったかな?
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10月26日、一瞬「野宿かよ」と思いましたが、無事に吉野駅に到着しました。
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まずは駅前で昼食取ってから吉野山の観光に向かいます。
往路は写真右側のロープウェイ駅の有る方へ。
帰路は左側から小川沿いに降りてくるルートを取りました。 -
ロープウェイ駅を横目で見ながら、こんな山道を歩いて登りました。
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吉野と言えば桜ですね。ここら辺は”七曲り下の千本”と言われる場所らしく、昔の”一目千本”という眺めはこの辺りらしいのですが、10月なので桜は無理です。
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黒門に到着。
本来は金峯山寺の総門ですが、吉野一山の総門でもあるらしいです。 -
黒門を抜けると日本最古と言われる銅製鳥居が有ります。東大寺大仏建立の余銅で造ったらしいのですが、1348年の兵乱で焼失、その後も再消失に遭いますが、1711年に再興との記録が残されています。
この鳥居が俗界と浄域の結界で、修行者はここから俗界を離れて修行に向かうらしいのですが、私は俗人のまま観光を継続。 -
金峯山・仁王門に到着。あいにくの改修工事中でした。
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仁王門を抜けると、大塔宮護良親王の陣跡が有ります。
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こちらが金峯山寺の本殿です。1592年に再建されたものです。
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後醍醐天皇が吉野山へ逃れる時、その道筋を照らしたとの伝承が有る「導きの稲荷」。
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導き稲荷から吉水神社へ向かう途中の韋駄天山にチョット寄り道。
仏舎利を夜叉が盗んで逃げた時、俊足の韋駄天が追いかけて取り返したという伝承が残る韋駄天の祠が建ってます。 -
吉水神社はチョットした登坂の先に有ります。
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吉水神社に到着しました。
義経が逃れてきたり、後醍醐天皇の吉野滞在時は皇居になったりしてます。また、秀吉が1594年に花見の宴をした際の本陣の場所でもあります。歴史のイロイロの節目を見てきたんですね。 -
勿論、10月なので今回は紅葉の季節。
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なので写真だけでも花見気分を。
今度は絶対桜の季節に来よう。 -
秀吉が大花見をした時、秀吉自身が基本設計したと伝わる吉水庭園。
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義経に同行していた弁慶が、親指で二本の釘を打ち込んだと伝わる石。弁慶に関する伝承は本当に彼方此方に有るんですね。
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次はもう一人の義経の同行者、静御前の伝承が残る勝手神社です。
義経達と別れた静御前、追っ手に捕まり、この社殿の前で法楽の舞を踊ったそうな。居並ぶ荒法師たちを感嘆させたと伝えられています。 -
こちらが静御前が法楽を舞ったと言われる舞い塚跡。
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でも本殿は2001年に不審火で焼失してしまいました。近くに再建復興寄付のお願い立て看板が建っていました。
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勝手神社の目の前に大日寺が有ったので、階段を降りて参拝します。
この寺は吉野山最古の寺院”日雄寺”の跡と伝承が有るらしいです。 -
本殿の前の藁は何を意味しているのでしょうか?
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吉野山最後の目的地”如意輪寺”へ向かいます。
この道は後醍醐天皇が歩かれた道との標識が建ってました。 -
こちらが如意輪寺の本殿です。
1342年、楠木正行が四条畷の決戦に向かう折、天皇と今生の別れを告げた場所です。鏃で扉に辞世の句を残しており、現在は宝物殿に保管されているそうです。 -
境内の奥に、後醍醐天皇塔尾陵が有ります。
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如意輪寺へ行く時にも、戻る時にも見掛けたお墓。
こんな山奥だとお墓参りも大変ですね。 -
帰りは往路とは別の小川沿いの道を降りました。
途中、沢蟹がいたのでカメラ向けたら、メイッパイ鋏広げて威嚇してきた。「早く逃げた方が良いよ」と教えてあげた。 -
吉野駅が見えてきました。また近鉄に乗って大和八木のホテルへ戻りました。
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10月28日は大和八木駅から二駅の畝傍御陵前駅まで電車で移動して、後は徒歩見学です。
最初に行ったのは本薬師寺跡。 -
そして木殿神社にチョット立ち寄って、藤原京跡を目指します。
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藤原京の西面に到着。
ここは西面大垣の跡で、当時は高さ5.5m、土壁の厚さ20cmで、瓦葺きの立派な大垣だったみたいです。現在は長閑な田園風景ですね。 -
そして藤原京の中心地に到着。
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更に進んで醍醐池側から藤原京跡の内部に入ります。
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大極殿院閤門の柱らしき物が再現されている程度でしたが。
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でもコスモスはチョウド見頃らしく、結構写真撮りに来られている人がいました。
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今回はnet上でダウンロードした、徒歩散策モデルコースをベースにしています。でも朱雀大路跡から天岩戸神社を目指したのですが、結局見つけられず飛鳥水落遺跡まで来ちゃいました。
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橿原神宮周辺には沢山の古墳が残ってます。
これは菖蒲池古墳の近くですが、MAP上の古墳も見つけられないのが多かったです。 -
ナカナカ見つからない古墳を諦めて、橿原神宮駅の近くで昼食を取ってから、橿原神宮に到着。
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二の鳥居は回収工事中で迂回して進みます。
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南神門です。
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南神門に入る手前に有る祓所。
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これが内拝殿・回廊の門。
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回廊の内部へは入れないので、本殿を遠くから記念撮影。
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北神門を出たところ。
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北神門を出て更に進むと、戦没者慰霊の若桜友苑が有ります。
この一角に航空母艦・瑞鶴の戦没者慰霊で錨が有ります。 -
そして瑞鶴の慰霊碑です。
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橿原神宮参拝を終えて、近鉄の踏切を渡って久米寺へ。
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聖徳太子の弟が眼病を患った時、ここの薬師如来の願力を頼りに直したという伝承が有るらしいです。
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橿原神宮周辺には歴代天皇陵が散在しています。久米寺を出て最初に見たのは懿徳天皇陵。
懿徳天皇というのは初めて知った名前なので、netで調べたら第四代天皇でした。 -
こちらは第三代・安寧天皇陵です。
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神武天皇陵に向かう道筋に、畝火山口神社が有ったのでチョット立ち寄り。
1575年の古図には、山頂に社殿が描かれていました。しかし皇紀2、600年祭の、1940年に「橿原神宮・神武天皇陵」を見下ろしているとして、麓に下したのだそうです。
参拝者としては山登りしないで楽になりましたが、806年から記録に残っているような神社を移すまでするかと驚いてしまいますね。 -
そして神武天皇陵に到着。
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神武天皇陵はやはり別格で近くまで行けません。
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夕方になってしまいましたが、今井街並みを少し見学。
ここから大和八木駅まで1.5km程。もう少し頑張って歩いて、駅前で夕食取ってからホテルに戻りました。 -
10月29日、大和八木10:14発の近鉄で鳥羽へ向かいます。途中伊勢市駅で昼食して、鳥羽駅には14:20到着。
折角の国内旅行なので、最後は湯快リゾートグループの鳥羽彩朝楽で温泉を楽しんでいきます。部屋から鳥羽湾を望みながらノンビリしました。 -
鳥羽彩朝楽はホテル内で昼食取れないので、昼食がてら外出して路線バスで海の博物館へ行ってきました。
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海女さん関連など海に関する展示物が豊富で結構楽しめます。
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レジ袋も有料化されましたが、やはり海洋汚染に対する啓発は重要です。
あとは温泉でノンビリして、10月31日に名古屋経由で帰宅しました。
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