2019/06/28 - 2019/06/29
7位(同エリア108件中)
かっちんさん
青森県、岩手県、宮城県にまたがる三陸海岸は太平洋に面し、北部は「海のアルプス」とも称される豪壮な大断崖、南部は入り組んだ地形が優美なリアス海岸が続きます。
昭和30年(1955)に「陸中海岸国立公園」として指定され、東日本大震災により被災した三陸地域の復興に貢献するため、平成25年に区域を拡張し「三陸復興国立公園」となりました。
宮古から北部の地形は、主に海食崖と段丘面の海成段丘からなり、海食崖は高さ50~200mにも達します。
海食崖、海食洞、海食棚、岩礁など地形変化に富み、海鳥の繁殖地にもなっています。
この旅行記では、岩手県北部の三陸鉄道久慈駅から南下しながら、太平洋に面した九戸郡野田村、下閉伊郡普代村・田野畑村、宮古市を訪ねます。
野田村では、縞模様の断崖「大唐の倉」、のだ塩工房、「えぼし岩」、三陸鉄道「安家川橋梁」を訪ね、国民宿舎「えぼし荘」に泊まります。
普代村では秘境駅ランキング10位の「白井海岸駅」に、宮古市ではホームで野生動物がお出迎えしてくれる「佐羽根駅」に降りてみます。
田野畑村では、景勝地「北山崎」や「机浜番屋群」「サッパ船」「田野畑村ジオサイト」などを訪ねます。
なお、サッパ船、北山崎については、震災前の2010年9月に訪れた内容です。
東日本大震災から8年が経ち、地元の人たちの絶え間ない努力とまわりの支援による復興の姿を見ることができました。
田野畑村明戸海岸には津波によって破壊された防潮堤が、東日本大震災の記憶や自然の脅威を後世に伝える遺産として残されています。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・岩手県「三陸沿岸の概要」
・環境省「三陸復興国立公園」
・三陸鉄道HP「久慈駅」「陸中野田駅」「野田玉川駅」「三陸鉄道の車両」
・さいきの駅舎訪問「陸中野田駅(三陸鉄道)」
・三陸復興国立公園HP
・災害対策研究会「東日本大震災被災地を訪ねて、岩手県野田村」
・みちのく悠々漂雲の記/岩手県「大唐の倉」
・岩手県野田村HP「のんちゃん」「村営バスについて」
・土木ウォッチング「三陸鉄道北リアス線 安家川橋梁(PCトラス橋)」
・土木学会論文報告集「安家川鉄道橋(上路型プレストレストコンクリートトラス橋)の設計・施工」、1977年9月
・野田村通信ブログ「復旧した下安家サケマスふ化場」「えぼしのヤギ社長」「えぼし荘・縁結びの樹」
・野田村観光協会「大唐の倉」「えぼし岩」「のだ塩」「野田ホタテまつり」「南部福来豚」「安家川」
・国民宿舎「えぼし荘」HP
・旅行情報travelinfo「国民宿舎えぼし荘」
・田野畑村観光情報HP「田野畑村のジオサイト」「北山崎断崖クルーズ観光船」
・たのはたジオワールドHP
・田野畑村HP「総合防災ハザードマップ」「タノくんのご紹介」
・探検コム「岩手県の被災地へ行く」
・三陸防災復興プロジェクト2019「田野畑村 震災遺構 明戸海岸防潮堤」
・田野畑村役場「東日本大震災 田野畑村記録書 記憶を未来へ」、2012年7月30日発行
・ウィキペディア「三陸鉄道北リアス線」「陸中野田駅」「田野畑駅」「佐羽根駅」「東北の駅百選」「三陸復興国立公園」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
三陸鉄道「久慈駅」
久慈(くじ)駅は、JR八戸線と三陸鉄道の接続駅です。
三陸鉄道(旧北リアス線)の「北の玄関口」でもあり、「琥珀とやきものと海女の町」です。 -
三陸鉄道の車両(久慈駅)
先頭の茶色のレトロ調車両は、平成17年(2005)に登場した「36-601」形式を改造した「36-R1」。
オールクロスシートの車内は団体客も乗り混みあっています。
この列車で陸中野田へ向かいます。 -
2つ目の「陸中野田駅」に到着
駅の愛称は「ソルトロード」。
野田村はその昔、天然塩をつくり、盛岡や鹿角(かづの)方面に塩を運んで供給する重要な場所でした。
牛の背に塩を載せて運ぶ行商人は「野田ベコ(牛)」の名で親しまれ、運搬ルートは「野田塩ベコの道」と呼ばれていました。
これが「ソルトロード」の由来です。 -
"Thank You"列車のお見送り(陸中野田駅)
後ろの車両は平成26年(2014)に新製した「36-700」形式。
この車両は、クウェート政府が東日本大震災の際に原油を支援として日本政府に提供。
それを換金して日本赤十字社を通し被災3県に配分された支援のお金を岩手ではその一部を三陸鉄道の車両購入に充て新製できた車両です。
車両の前後にクウェートの国章を付け、さらに側面にクウェートの感謝の言葉がアラビア語、英語、日本語で表記されています。 -
塩工房のような駅舎(陸中野田駅)
「のだ塩」の製塩方法である、海水を煮てつくる塩工房の煙突に似ています。
国鉄久慈線(昭和50年開通)の時代は簡素な駅でしたが、昭和59年(1984)三陸鉄道に移管後、「道の駅のだ」も入る駅舎に改築されました。
鉄道だけでなくドライバーも利用する、とっても便利な駅として、東北地方の特徴ある駅「東北の駅100選」に選ばれています。
三陸鉄道の駅は野田村が受託する出札窓口だけある簡易委託駅です。 -
「野田村」の観光案内図(野田村観光パンフレットより)
ここは九戸(くのへ)郡野田村。
海岸線は北リアスの切り立った断崖とゆるやかな砂浜が続きます。
陸中野田駅近くに、縞模様の美しい断崖「大唐の倉(だいとうのくら)」があります。
今日の宿は野田村玉川にある国民宿舎「えぼし荘」。
敷地内に見学可能な「のだ塩工房」、近くの海岸には「えぼし岩」が佇んでいます。 -
カモの整列(野田)
陸中野田駅から1.7km離れた「大唐の倉」へ向かっています。
水田の畔にはカモが行儀よく並んでいます。 -
海岸防潮堤(野田)
野田漁港手前に海岸防潮堤と水門があります。
従来の堤防高は海抜7.8mでしたが、東日本大震災後の新たな復旧堤防高は海抜14mになっています。 -
野田漁港(野田)
防潮堤の陸閘を抜け野田漁港に入ると、「大唐の倉」が見えてきます。 -
縞模様の断崖「大唐の倉」(野田)
これが野田漁港に突き出た、古第三紀凝灰岩の、地層の縞模様が美しい断崖「大唐の倉(だいとうのくら)」。
その昔、平重盛と二人の子と、宋の高僧珊光国師を乗せた船が漂着したと伝えられています。 -
村営バス(陸中野田駅)
陸中野田駅に戻り、14:54発の村営バス(海ルート)に乗り、国民宿舎「えぼし荘」へ向かいます。
地元住民のためのバスなので、料金は無料です。 -
三陸鉄道「安家川橋梁」(バス車窓)
安家川(あっかがわ)河口に架けられた三陸鉄道「安家川橋梁」です。
橋梁はトンネルに挟まれた深い峡谷に架けられ、河床からの高さ約40m、長さ約305m、線路の曲線半径700m、勾配8‰など非常にきびしい立地条件となっています。
元々は日本鉄道建設公団が建設した国鉄久慈線の「安家川橋梁」で、昭和50年(1975)3月に完成しています。
海岸に近いため保守上有利なコンクリート構造の「プレストレストコンクリート(PC)」を用いた「PCトラス橋」。
設計に先立って、1971年から各種実験が実施され、その施行上の問題点を検討する目的で、同形式でやや小型の「 久慈線太田名部橋梁」(1973年完成)を設計・施工し、その結果が「安家川橋梁」に反映されています。
橋梁形式は「上路単純ハウトラス」。現場における施工が比較的容易な「ハウトラス形式」、トラスは施工上の問題点を少なくすることを考えて「上路式」としています。
※技術的説明は、土木学会論文報告集「安家川鉄道橋(上路型プレストレストコンクリートトラス橋)の設計・施工」、1977年9月を参照しています -
太平洋が一望できる国民宿舎「えぼし荘」
バスはまもなく到着。
海岸を望む高台にある国民宿舎の開業は古く、昭和48年(1973)。平成12年に(2000)に改装しています。 -
「野田荒海ホタテ」のお出迎え(えぼし荘)
野田村のホタテは、潮通しがよく、水質がきれいな、よどみのない荒れた外海の海流に揉まれて育ちます。
貝柱はぷりぷりとして生臭みがなくクリアな味と定評があります。
バスから一緒に降りた地元の人たちは、ここのお風呂に日帰りで入ります。
私たちはチェックイン後、宿の周辺の散歩に出かけます。 -
南部曲家(えぼし荘敷地内)
旧南部藩内に多く存在した、岩手県の伝統的家屋です。
約150年前に建てられた農家の家屋を移築しています。
草も生えている茅葺屋根は、夏が涼しく、冬が暖かいという特徴があります。 -
イチオシ
「何しに来たメェ~?」とこちらを見つめるヤギ(えぼし荘敷地内)
宿の前の小さな丘「えぼし園」に、ヤギのマリンとローズがいます。
「えぼし園」ではマリンが社長、ローズが専務と任命されています。
このヤギさん、どちらかな? -
「のだ塩工房」(えぼし荘敷地内)
日本有数の砂鉄の産地である野田村では、古くから海水を煮詰める「直煮(じきに)製造」が行われてきました。
塩を煮る鉄釜が手に入りやすいことに加え、十府ヶ浦(とふがうら)には作業場としても適した約3.5kmもの砂浜が広がっているなど、製塩はこの地の環境が育んだ歴史でもあります。
昭和24年に専売制度となり塩の生産や流通が政府の管理下に置かれるようになると、野田の塩の歴史は幕を閉じます。
近年、村の青年たちの熱意と努力により伝統の「直煮製造法」による塩づくりがここで復活しました。 -
塩を煮る鉄釜(のだ塩工房)
野田港より自然ろ過された地下海水を鉄釜で煮て、蒸発したら継ぎ足すことを繰り返し、4日間煮詰めて塩をつくります。 -
煮沸の燃料は薪(のだ塩工房)
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イチオシ
湯釜からすくう「のだ塩」(のだ塩工房)
「のだ塩」は、海水のミネラル分がたっぷりで、ピリピリとした塩辛さは控えめ、素材のおいしさを引き出すまろやかな風味が特徴です。 -
標識「のんちゃん」(国道45号)
国民宿舎から坂道を下り、国道に出たところの標識は、野田村のイメージキャラクター「のんちゃん」。
サケの稚魚をモチーフにしています。
ここから国道を野田玉川方面へ300mほど行くと、路上から「えぼし岩」が見られます。
案内板がありませんが、目印は2台ほど縦列駐車できる道幅が広くなったところ。 -
イチオシ
「えぼし岩」(国道45号)
奇岩の多い三陸海岸の玉川海岸に浮かぶ烏帽子(えぼし)の形をした「えぼし岩」。
国民宿舎「えぼし荘」の名前の由来にもなっています。 -
「縁結びの木」(えぼし荘周辺)
次は「えぼし荘」から裏手の高台に5分ほど歩いたところの「縁結びの木」。
白ブナとハリギリの木が寄り添うように仲良く生えています。
この近くから真下に三陸鉄道の安家川橋梁が見えるので、翌朝鉄道写真を撮りに行くことにします。 -
夕食「せきれい膳」(えぼし荘)
三陸の新鮮な海の幸が並びます。
前菜はムール貝パッチョ・海老黄身酢掛け・トマトパインサラダ。
先付け、酢の物、天婦羅、茶碗蒸し。
お造りは野田村産荒海ホタテ・牡丹海老・野田村産鮃・野田村産ワラサ。
煮物は野田村産鱒唐揚げ・ズッキーニ・人参。
焼物は野田村産ワラサ照焼き。 -
陶板焼き「南部福来豚」(夕食)
「南部福来豚(なんぶふくぶた)」は野田村特産のブランドポークです。
柔らかく、コクがあります。 -
山菜釜飯(夕食)
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のだ塩プリン(夕食)
プリンの風味に、のだ塩のまろやかな塩気がアクセントになります。 -
イチオシ
安家川橋梁を渡る三陸鉄道(えぼし荘周辺)
翌朝、7:09に安家川橋梁を渡る久慈行きの2両編成です。 -
「おはよう」と声を掛けると振り向くヤギ(えぼし荘敷地内)
「なによ~」、草をムシャムシャ食べてる朝食中でした。 -
三陸鉄道「野田玉川駅」
宿の車で最寄り駅の「野田玉川駅」まで送ってもらいました。
駅の愛称は「西行の庵」
西行法師は玉川海岸の景色の美しさにひかれ、しばし草庵を結んだと伝えられています。 -
久慈行きの列車(野田玉川駅)
三陸鉄道開業時(1984年4月)から活躍している車両「36-200」形式。
三陸鉄道を応援する阪急交通社のヘッドマークを付けています。 -
玉川海岸の断崖(野田玉川)
駅から玉川海岸に下りてみました。
この後、宮古・盛行きの列車に乗り南下します。 -
安家川橋梁(車窓)
野田玉川駅を出発し、まもなく眺望のいい「安家川橋梁」で一時停車してくれるので両側の景色を見ます。 -
山側の景色(安家川橋梁から)
現在建設中の「三陸沿岸道路(三陸縦貫道)」、その下に安家川と鮭のふ化場が見えます。
安家川は原始河川の面影を残す清流で、イワナ、アユなどの渓流釣りのメッカとしても知られています。
きれいな水にしか棲息しない、氷河期の生き残りとも言われている「カワシンジュガイ」も見られます。 -
海側の景色(安家川橋梁から)
カラフルな浮き玉が置いてある「下安家漁港」です。 -
まもなく普代駅(車窓)
国鉄久慈線時代に終着駅だった「普代駅(ふだいえき)」です。 -
しばらく山の中を走ります(車窓)
普代から田野畑まで、海岸線から離れ内陸部を走ります。
海岸線には断崖絶壁が続く名勝「北山崎」があります。 -
山深い駅で下車(佐羽根駅)
「田老駅(たろうえき)」を過ぎ、野生動物が出て来そうな「佐羽根駅(さばねえき)」で列車を降ります。
ここは宮古市です。 -
まわりを見渡すと・・・(佐羽根駅)
ウサギとタヌキのお出迎えです。 -
出た~クマが(佐羽根駅)
でも、大丈夫。
働き好きのクマがペンキで「熊出没注意」と書いてます。 -
イチオシ
野生のサルも(佐羽根駅)
この駅で野生動物(置物)の雰囲気を十分味わいました。
次に反対方向の列車で田野畑(たのはた)へ向かいます。 -
田野畑駅の改札口
ここは下閉伊郡(しもへいぐん)田野畑村。
田野畑村が受託する簡易委託駅です。
のどかな環境に佇む心休まる和風の駅舎として、「東北の駅百選」に選ばれています。
NHKの平成25年(2013)度上半期連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地となり、北三陸鉄道リアス線「畑野駅」として登場しました。 -
「たのはたマップ」(田野畑村観光ガイドより)
三陸復興国立公園を代表する景勝地「北山崎」や「机浜番屋群」「サッパ船」「田野畑村ジオサイト」などがあります。
今回は「机浜番屋群」までタクシーで移動し、帰りは歩いて弁天崎、震災遺構、ひらなめ海岸、ハイペ海岸をまわり、田野畑駅に戻って来ます。
「北山崎」と「サッパ船」は、2010年10月に訪れた内容を紹介します。 -
「机浜番屋群」(田野畑)
机浜(つくえはま)には断崖に囲まれた小さな漁港と、昭和期の漁村風景を思わせる25棟の木造番屋が残されていました。
しかし、平成23年(2011)3月11日午後、東日本大震災の大津波が三陸沿岸全域を襲い、机浜番屋群も一瞬にして呑みこまれました。幸いにこの場所での人災はありませんでした。
震災後は、村の水産と観光の復興シンボルとして、かつてあった番屋群の姿で、平成26年(2014)に復元されました。 -
震災前の「机浜番屋群」(2010年9月11日訪問)
昭和30年代までは塩づくり、50年代頃までは海産物の保管や漁具の収納場所として、また浜作業や寝泊まりの場として盛んに使われました。
平成18年には水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれ、漁村の風景を残し、観光客と漁師の体験交流の場として親しまれていました。 -
石置き屋根と机浜(田野畑)
現在の机浜の風景です。 -
美しい机浜海岸(田野畑)
-
サッパ船アドベンチャーズ(2010年9月11日乗船)
ここから2010年に訪れた旅の紹介。
ウニやアワビなど磯場の漁に使う小型の磯舟「サッパ船」を使っての北山崎クルージング。
定期観光船では通過できない海蝕洞窟をくぐります。
でも、この日は海が荒れていてくぐれませんでした。
机浜から出発し所要時間は60分、前日までに予約、料金3,500円/人(2人~)。 -
イチオシ
迫力満点!海から眺める「北山崎」(2010年9月11日のサッパ船)
断崖絶壁の海食洞を「北山崎ブルー」の海から見上げることができます。 -
海霧のかかる「北山崎」(2010年9月11日訪問)
机浜からバスで北山崎展望台へ移動。
高さ200mの断崖に、奇岩怪石、大小さまざまな海食洞窟などダイナミックな海岸線。
海にせり出す展望台からの眺望は、息を呑む素晴らしさ。 -
「弁天島」(弁天崎付近)
今回の旅に戻ります。
机浜から海に突き出た「弁天崎」を目指したのですが、山道が急峻すぎ足を滑らせると崖から落ちてしまうので途中であきらめ、県道44号の弁天トンネルを通ります。
トンネルの先に抜けるとここからも「弁天崎」へ行く道があり、すぐに「弁天島」が見えたのでこれ以上行くのをやめます。 -
「ひらなめ海岸」(弁天崎付近)
田野畑の地形は長年の地殻変動による隆起海岸であり、標高約200mの台地が波打ち際に迫る海岸段丘となっています。
この一帯が「ひらなめ海岸」と呼ばれています。
10階建ての白い建物は観光客の拠点となっていた「ホテル羅賀荘(らがそう)」。東日本大震災による津波はホテルの3階部分まで浸水し、津波の恐ろしさに驚きます。
一番手前の入り江はこれから行く「明戸海岸(明戸浜、あけどはま)」で、津波による震災遺構が残されています。 -
明戸海岸(県道44号)
藩政時代によれば、江戸時代の明戸浜の南側に巨大な塩釜があったとされ、当時は製塩業が盛んだったと伺えます。
東日本大震災の前は、海岸に面して広い砂浜と、昭和初期に植林されたクロマツの防潮林が広がる海岸でした。
周辺にはキャンプ場やマレットゴルフ場、野球場、海産物販売所なとが並び、多くの人が訪れるレジャースポットでした。 -
イチオシ
震災遺構「防潮堤」(明戸海岸)
このエリア一帯を津波から守るため、昭和44年(1969)に竣工したのが、総延長378m、高さ9mの明戸海岸防潮堤です。
東日本大震災の発生時刻は14時46分。津波の第一波が襲ったのは39分後の15時25分。
第一波は簡単に防潮堤を乗り越え一帯を呑み込んだ後、引き波となって防潮堤を破壊していきました。
この時の津波高は17.1mだったと推測されています。 -
無残な姿の防潮堤(明戸海岸)
津波によって破壊された防潮堤は、東日本大震災の記憶や自然の脅威を後世に伝える遺産として残されています。 -
ひらなめ海岸の岩礁(県道44号)
明戸地区から羅賀(らが)地区へ向かって歩いています。
海岸線に露出している前期白亜紀の地層は「宮古層群」と呼ばれています。 -
ひらなめ海岸(羅賀から)
羅賀地区に到着し、歩いてきた道を振り返っています。 -
ひらなめ海岸の「宮古層群」(羅賀から)
-
震災から復旧した「ホテル羅賀荘」(羅賀)
-
羅賀海岸の地層(羅賀)
宮古層群の明戸層・平井賀層が露頭しています。
海岸線は歩けないので、羅賀トンネルを通り平井賀水門へ向かいます。 -
デザインマンホール(羅賀)
田野畑村のマスコットキャラクター「タノくん」。
勇敢でしっかり者で、鹿おどりの真似が特技。
チャームポイントはりりしい角と包容力のある胸板。 -
おやっ「三陸鉄道の列車」が取り残されている(平井賀)
震災前からある三陸鉄道の列車をかたどった平井賀水門の管理棟です。
東日本大震災の大津波によって数軒の家屋を除いたすべてががれきと化した平井賀地区。
震災当時を「水門の管理棟だけがまるで地震の爪痕を憂うかのように寂しげに佇んていた」と田野畑村記録書で回想しています。 -
山の中を走る「三陸鉄道宮古行き」(平井賀)
さきほどの水門の管理棟ですが・・・ -
ハイペ海岸の地層(平井賀)
平井賀から南へ行くトンネルを抜けると「ハイペ海岸」に出ます。
ここでは、4つの地層が積み重なっている様子がハイペ北岸の断崖で観察できます。
下から順に、基盤の地層、宮古層群の羅賀層、田野畑層、平井賀層です。 -
スカシユリとアサツキ(ハイペ海岸)
-
4つの地層が積み重なる北岸(ハイペ海岸)
地層を見分けるのはちょっと難しいですが・・・ -
イチオシ
「かぼちゃ」みたいな岩(ハイペ海岸)
この岩は宮古地層の崖から海に落ち、海底にあったもの。
東日本大震災による津波で砂浜に打ち上げられた巨大な「津波石」です。
宮古層群からは、アンモナイトをはじめ種々の化石が発見されています。
一生懸命探してみましたが見つかりません。 -
洋上を進む「北山崎断崖クルーズ観光船」(ハイペ海岸)
隣の集落の島越港から北山崎まで往復約50分でまわる観光船が見えます。
船についてくるウミネコたちに餌付けしながら、太平洋のクルージングを楽しめるそうです。 -
秘境駅の「白井海岸駅」
田野畑駅に戻り、三陸鉄道で「白井海岸駅」へ移動します。
ここは牛山氏の分析した秘境駅ランキング2020年度版で10位の駅。 -
トンネルとトンネルに挟まれた橋上駅(白井海岸駅)
ここは下閉伊郡普代村です。
駅周辺には民家らしきものがありません。 -
「白井漁港」(白井海岸駅付近)
駅から坂道を下り海岸へ出ると「白井漁港」があるので、どこかに民家があるはずです。
後日、地図を見て探してみると、「白井海岸駅」より山を上がったところに集落がありました。
通常の生活は「白井海岸駅」を利用せず、集落を通る国道45号で普代へ出ているのでしょう。
これで三陸海岸北部の旅を終え、今晩の宿のある宮古へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- fuzzさん 2020/07/08 13:53:59
- よぐ、おでって下さいますた
- かっちんさん、こんにちは。
岩手は自然以外に、まんず何もない所でがんすが、よぐおでって下さいますた。
人っ子も、これまた「ぶっきらぼう」で素敵なおもてなしもなかったかとは思います。
しょうすがり(恥ずかしがり)な岩手県人は、自慢をする事やアピールが下手です。
せっかく大自然に囲まれていても、それの良さも旨く表現できないのが岩手県人です。
お、次は宮古でがんすね。
オラが出身地です。楽しみにしておりやんす。
fuzz
- かっちんさん からの返信 2020/07/08 18:49:26
- RE: よぐ、おでって下さいますた
- しょうすがりな fuzzさん こんにちは。
自然がいっぱいの岩手にお邪魔しました。
コロナの感染者が出ていないのもそのせいでしょうね??
三陸海岸の北部と南部で景色が異なっていることを実感しています。
fuzzさんは宮古出身なんですね。
美味しい海の幸に恵まれ、うらやましいです。
かっちん
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