2020/06/07 - 2020/06/07
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ドクターキムルさん
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横浜市南区蒔田町にある無量寺は高野山真言宗のお寺で南龍山不動院無量寺という。承元3年(1209年)に鎌倉法師貞暁阿闍梨が創建した。寺のホームページ(http://kouya-muryouji.com/freepage_3_1.html)によると、「貞暁は源頼朝の子として鎌倉に生まれたが、故あって幼少より仏門に入り、紀伊の国高野山で修行に専念した。頼朝の死後、幕府は政権の安定を欠いたが、幕府創業の功臣執権北条時政は貞暁を将軍職として鎌倉に招聘した。貞暁は途上蒔田の宿場に着いたがその夜持仏である不動明王が夢枕に立ち、『汝、鎌倉に入るとも世はすでに北条の天下である。旬日のうちに運命の厄に遇わん、宜しくこの難を避け菩提の道を得られよ』とのお告げを受けた。貞暁は深く時局を洞察して入府を断念し 時政に告げた。時政は上人の清い信心を讃え鎌倉法印の称号と禄を以て遇した。この奇縁によって、蒔田の山麗に御堂を建て不動明王を本尊として安置し、南龍山不動院無量寺と号し、貞暁は当山の開祖となった。以来鎌倉鎮護寺として発展した。」と記載されている。本尊は不動明王立像で、平安末期の代表的仏像であり『鉄縛り不動』として親しまれている。脇侍は二童子である。
寛永10年(1633年)、火災に遭い古記録を全て失った。「横浜市史稿 佛寺編」に、「開基貞暁阿闍梨。榮辨。元祿八年隱居。」とあるのは、中興開基(開山)が元祿8年(1695年)の隠居したということであろう。
関東大震災(大正12年(1923年))で本堂が燒失した。現在の本堂は昭和8年(1933年)に再建されたもので、横浜大空襲の難は免れた。
東国八十八ヵ所霊場55番札所、横浜三十三観世音霊場32番札所、武相不動尊霊場16番札所である。
入口の地蔵堂には大きなお地蔵さまと子育て地蔵が安置されている。
境内に南竜幼児園がある。山号を冠しているが、幼児園としては勇ましい感じの名前である。
境内参道には石橋が架かり、池には2匹の銀ヤンマやシオカラトンボが飛んでいる。
(表紙写真は無量寺本堂)
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無量寺門前。左が南竜幼児園。右に地蔵堂。
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「武相第十六番札所 秘佛霊像 南竜山不動明王」。
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無量寺掲示板。
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地蔵堂。
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大きなお地蔵さま。
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子育て地蔵。
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地蔵堂奉納版。
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無量寺門石柱。
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南竜幼児園園舎。
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南竜幼児園園舎。
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南竜幼児園園舎。
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石橋。
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池。
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池。2匹の銀ヤンマやシオカラトンボが飛んでいる。
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無量寺参道。
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無量寺参道石段。板が敷かれている。園児が上り下りし易いようにしているのだろう。
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蛙の置物。
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無量寺参道。本堂が見える。
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戦死者墓石。
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戦死者墓石。桜の古木が倒れ掛かっている。この桜が染井吉野であるならば切り倒した方が良いだろう。
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無量寺本堂。
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無量寺本堂。
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無量寺本堂に上がる唐獅子の飾り瓦。
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無量寺本堂に上がる唐獅子の飾り瓦。
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無量寺本堂に上がる唐獅子の飾り瓦。
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無量寺本堂に上がる唐獅子の飾り瓦。
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無量寺本堂に掛かる「南龍山」の扁額。戸はアルミサッシになっている。
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無量寺本堂庇に上がる浪の飾り瓦。
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無量寺本堂前に高野槙。
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庫裡。
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庫裡。
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客殿。
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客殿。
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無量寺本堂。
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五重石塔。
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