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昨秋、スペインのアビラの旅行記に<br />城壁ファンとおっしゃる4トラのメンバーの方から、<br />コメントをいただいた。<br />その折お返事を書きながら、mistralもずいぶんあちこちの<br />城壁を見て廻って来たことを思い出し、<br />自分自身でも惹かれていたことを実感した。<br /><br />ぐるりと城壁に囲まれている街の姿を<br />想像するだけでワクワクしていたのだと思う。<br />ヨーロッパの古い街のイメージそのものだったから。<br />しかし実際には敵から街を守る為に築かれたものだった。<br /><br />城壁内部にある、かつてのお城の一室に泊まったこともあったし<br />外敵と戦うため城門を締め切り、籠城した悲しい歴史を持つ<br />城塞都市もあった。<br /><br />このコロナウィルスのために、旅立ちたい想いも叶えられず、<br />あちこちの城塞都市の思い出を辿ってみようと思い<br />古い写真を引っ張り出してみました。<br /><br />記録を辿ってみると、結婚後、旅に出られるようになったのは<br />1996年のイタリアから。<br />小学生の子供も夫に任せての旅立ちだった。<br /><br />(旅行時期は、当初実際の旅行時期、2002年~2011年と入れましたが、<br />想定外の期間からか受け入れられず?自動的に設定されてしまいました。<br />その後、アップした日付で変更しました。)<br /><br /><br />

城壁をそなえた街を巡った旅の記憶を、この時期だからこそ辿ってみた。

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2020/06/10 - 2020/06/12

37位(同エリア914件中)

11

45

mistral

mistralさん

昨秋、スペインのアビラの旅行記に
城壁ファンとおっしゃる4トラのメンバーの方から、
コメントをいただいた。
その折お返事を書きながら、mistralもずいぶんあちこちの
城壁を見て廻って来たことを思い出し、
自分自身でも惹かれていたことを実感した。

ぐるりと城壁に囲まれている街の姿を
想像するだけでワクワクしていたのだと思う。
ヨーロッパの古い街のイメージそのものだったから。
しかし実際には敵から街を守る為に築かれたものだった。

城壁内部にある、かつてのお城の一室に泊まったこともあったし
外敵と戦うため城門を締め切り、籠城した悲しい歴史を持つ
城塞都市もあった。

このコロナウィルスのために、旅立ちたい想いも叶えられず、
あちこちの城塞都市の思い出を辿ってみようと思い
古い写真を引っ張り出してみました。

記録を辿ってみると、結婚後、旅に出られるようになったのは
1996年のイタリアから。
小学生の子供も夫に任せての旅立ちだった。

(旅行時期は、当初実際の旅行時期、2002年~2011年と入れましたが、
想定外の期間からか受け入れられず?自動的に設定されてしまいました。
その後、アップした日付で変更しました。)


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  • 2002年5月<br />西安 永寧門 (南門)<br />この後、敦煌まで行ったが、中国への旅はとても珍しい。<br />写真は処分してしまいほとんど残っていない。<br />まだデジカメではなかったのかも?<br /><br />城壁上部までは階段を上がって行く。<br />上部はこれ程までに広い、と驚いたほどで<br />城壁の厚みもそれだけあることになる。<br /><br />西安市内を周囲14kmにわたって囲む城壁で<br />唐の長安を基礎にして、1370年から1378年にかけて<br />レンガを積み重ねて作られたそうだ。<br /><br />城壁は東西に長く南北に短い形となっており、東西南北に門が4つある。<br />西側の安定門は城壁の中で最大の門であり、シルクロードの発着点<br />として栄えていたそうだ。<br /><br />今訪れたら、更に感慨深く見ることが出来るかもしれない。

    2002年5月
    西安 永寧門 (南門)
    この後、敦煌まで行ったが、中国への旅はとても珍しい。
    写真は処分してしまいほとんど残っていない。
    まだデジカメではなかったのかも?

    城壁上部までは階段を上がって行く。
    上部はこれ程までに広い、と驚いたほどで
    城壁の厚みもそれだけあることになる。

    西安市内を周囲14kmにわたって囲む城壁で
    唐の長安を基礎にして、1370年から1378年にかけて
    レンガを積み重ねて作られたそうだ。

    城壁は東西に長く南北に短い形となっており、東西南北に門が4つある。
    西側の安定門は城壁の中で最大の門であり、シルクロードの発着点
    として栄えていたそうだ。

    今訪れたら、更に感慨深く見ることが出来るかもしれない。

  • 2003年12月<br />クリスマス・マーケット巡りのツアーに参加した。<br />厳しい寒さの中、ハイデルベルク、ケルンなどを巡った。<br />中でもローテンブルグの街のキラキラした輝きが<br />思い出深い。<br />(写真は城門の一つ、と思われます。)

    2003年12月
    クリスマス・マーケット巡りのツアーに参加した。
    厳しい寒さの中、ハイデルベルク、ケルンなどを巡った。
    中でもローテンブルグの街のキラキラした輝きが
    思い出深い。
    (写真は城門の一つ、と思われます。)

  • ローテンブルグといえば城壁、だそうだが<br />当時は城壁にまでは関心がいってなかったようだ。<br /><br />この頃にはたまには家族を忘れての旅も必要と、<br />仕事をやりくりしつつ年に1~3回の旅を強行?<br />していたようです。<br />城塞都市を訪れていたにも関わらず<br />関心は別の方に向かっていて<br />今にしたら後悔の多い旅ではありました。<br />デジカメの導入もあり、写真も多く残っていますが<br />肝心の城壁の写真はあまり見受けられず、<br />再訪したいとの思いもあって旅の中でのこの街を選択。

    ローテンブルグといえば城壁、だそうだが
    当時は城壁にまでは関心がいってなかったようだ。

    この頃にはたまには家族を忘れての旅も必要と、
    仕事をやりくりしつつ年に1~3回の旅を強行?
    していたようです。
    城塞都市を訪れていたにも関わらず
    関心は別の方に向かっていて
    今にしたら後悔の多い旅ではありました。
    デジカメの導入もあり、写真も多く残っていますが
    肝心の城壁の写真はあまり見受けられず、
    再訪したいとの思いもあって旅の中でのこの街を選択。

  • 中に、城壁を撮ったと思われる<br />写真が紛れ込んでいた。<br /><br />北のクリンゲン門から南のシュピタール門の先まで<br />町のほぼ4分の3を網羅、その間、12か所の門や塔で<br />昇り降りができるそう。<br />第二次世界大戦で街の40%を喪失したが、世界中から<br />の寄付によって美しい街並みが蘇ったそうだが<br />その寄付者の名前が城壁に刻まれているそうだ。

    中に、城壁を撮ったと思われる
    写真が紛れ込んでいた。

    北のクリンゲン門から南のシュピタール門の先まで
    町のほぼ4分の3を網羅、その間、12か所の門や塔で
    昇り降りができるそう。
    第二次世界大戦で街の40%を喪失したが、世界中から
    の寄付によって美しい街並みが蘇ったそうだが
    その寄付者の名前が城壁に刻まれているそうだ。

  • そんなことはつゆ知らず<br />当時のもっぱらの関心は<br />白馬二頭が引いていた馬車だったり<br />冬場の薄暗い街並みに灯るあかりだった<br />ような記憶が。

    そんなことはつゆ知らず
    当時のもっぱらの関心は
    白馬二頭が引いていた馬車だったり
    冬場の薄暗い街並みに灯るあかりだった
    ような記憶が。

  • 2004年5月<br />パリ滞在<br />ジベルニーへ行ったり、それなりに充実した滞在だった。<br /><br />パリの古地図に見られる城壁。<br /><br />いつも城壁の存在を心の片隅に抱きながらも<br />その後もパリは何度も訪れていても、<br />今でも途切れ途切れでも残されているという<br />城壁に出会う機会はいまだに巡ってこないでいる。

    2004年5月
    パリ滞在
    ジベルニーへ行ったり、それなりに充実した滞在だった。

    パリの古地図に見られる城壁。

    いつも城壁の存在を心の片隅に抱きながらも
    その後もパリは何度も訪れていても、
    今でも途切れ途切れでも残されているという
    城壁に出会う機会はいまだに巡ってこないでいる。

  • ジベルニー庭園にて

    ジベルニー庭園にて

  • 2004年12月<br />冬の旅は中欧へ。<br />当時は友人と連れ立って、良くツアーを利用していた。<br /><br />最初の訪問地は百塔の街、プラハへ。<br />プラハ旧城は、ヴィシェフラド(高い城)と呼ばれるとおり<br />高い城壁でかこまれた要塞となっている。<br />このような坂道をヴルタヴァ川(モルダウ川)まで下っていった。<br /><br />その後、プラハはもう一度じっくり見たいと再訪。

    2004年12月
    冬の旅は中欧へ。
    当時は友人と連れ立って、良くツアーを利用していた。

    最初の訪問地は百塔の街、プラハへ。
    プラハ旧城は、ヴィシェフラド(高い城)と呼ばれるとおり
    高い城壁でかこまれた要塞となっている。
    このような坂道をヴルタヴァ川(モルダウ川)まで下っていった。

    その後、プラハはもう一度じっくり見たいと再訪。

  • ブダペストではゲッレールト山の展望台から<br />市内を眺めた。<br />ドナウ川にかかる八つの橋、旧王宮など一望にできた。<br /><br />後方にはツィタデッラがあり見学したはずだが<br />記憶にはあまり残っていない。

    ブダペストではゲッレールト山の展望台から
    市内を眺めた。
    ドナウ川にかかる八つの橋、旧王宮など一望にできた。

    後方にはツィタデッラがあり見学したはずだが
    記憶にはあまり残っていない。

  • ツィタデッラ(城塞の意味)の俯瞰写真<br />(wikiよりお借りしました。)<br />1851年、オーストリアのハンガリー占領軍により<br />市民を威圧する為に、市民の強制労働により建造された。<br /><br />1899年、ツィタデッラはブダペストの所轄となり<br />1900年には城壁が取り払われている。<br /><br />1956年、ハンガリー動乱時、ソビエト連邦軍がツィタデッラ<br />を占領。大砲を市内に向けて政権が崩壊するまで浴びせた。

    ツィタデッラ(城塞の意味)の俯瞰写真
    (wikiよりお借りしました。)
    1851年、オーストリアのハンガリー占領軍により
    市民を威圧する為に、市民の強制労働により建造された。

    1899年、ツィタデッラはブダペストの所轄となり
    1900年には城壁が取り払われている。

    1956年、ハンガリー動乱時、ソビエト連邦軍がツィタデッラ
    を占領。大砲を市内に向けて政権が崩壊するまで浴びせた。

  • ウィーン<br />城壁が築かれていったのは<br />12世紀終わり、バーベンベルク王朝時代<br />レオポルド5世による。<br />その後、オスマントルコの2度のウィーン包囲などに耐えた<br />城壁は<br />19世紀半ば、フランツ・ヨーゼフ1世の時代に取り壊され、<br />リンク道路が建設。<br /><br />トラムの窓から、リンク周囲に立ち並ぶ壮麗な建築物に<br />目を奪われながら巡った記憶が。<br />(写真は市庁舎)

    ウィーン
    城壁が築かれていったのは
    12世紀終わり、バーベンベルク王朝時代
    レオポルド5世による。
    その後、オスマントルコの2度のウィーン包囲などに耐えた
    城壁は
    19世紀半ば、フランツ・ヨーゼフ1世の時代に取り壊され、
    リンク道路が建設。

    トラムの窓から、リンク周囲に立ち並ぶ壮麗な建築物に
    目を奪われながら巡った記憶が。
    (写真は市庁舎)

  • ウィーン古地図をネット上で見つけた。<br />城壁がそのまま描かれている。

    ウィーン古地図をネット上で見つけた。
    城壁がそのまま描かれている。

  • 2006年11月 ベルギーへ。<br />ブルージュにて。<br />旧市街全体がユネスコの世界遺産に指定され、<br />鐘楼やベギン会修道院など2つの世界遺産を持つ街。<br />運河と、更にそれを取り囲むように城壁もあった城壁都市<br />だったとのことだが、あまりその面影は残っていない。<br />こういった城門を見ればなんとなく納得。<br />今では城壁も取り払われ、いくつかの城門が残るのみとなった。<br /><br />旅した当時は、城壁にまで思いが及ばなかった。

    2006年11月 ベルギーへ。
    ブルージュにて。
    旧市街全体がユネスコの世界遺産に指定され、
    鐘楼やベギン会修道院など2つの世界遺産を持つ街。
    運河と、更にそれを取り囲むように城壁もあった城壁都市
    だったとのことだが、あまりその面影は残っていない。
    こういった城門を見ればなんとなく納得。
    今では城壁も取り払われ、いくつかの城門が残るのみとなった。

    旅した当時は、城壁にまで思いが及ばなかった。

  • ベギン会修道院にて

    ベギン会修道院にて

  • 静謐な空間を<br />しんとした気分で歩いた。

    静謐な空間を
    しんとした気分で歩いた。

  • 2007年、1月<br />パリに滞在してモン・サン・ミッシェルへ。<br />この地へは2度目の訪問。<br /><br />遥か遠くの海上に島の姿が見えた時、<br />それはまさに城塞そのものの姿だった。

    2007年、1月
    パリに滞在してモン・サン・ミッシェルへ。
    この地へは2度目の訪問。

    遥か遠くの海上に島の姿が見えた時、
    それはまさに城塞そのものの姿だった。

  • この修道院は本土側に広大な領地を持つ領主の所領であり<br />領主が大修道院長となっていた。<br />領主はその財産を守る為に城塞化していったそうだ。<br />

    この修道院は本土側に広大な領地を持つ領主の所領であり
    領主が大修道院長となっていた。
    領主はその財産を守る為に城塞化していったそうだ。

  • 最初の防護壁は、ベネディクト会修道院を置いた10世紀末には<br />すでに築かれていたそうだが<br />14世紀末ピエール・ル・ロワ大修道院長の時代に更に城塞を<br />強化していった。<br /><br />当時は、流れ込む土砂のため<br />周辺部は浅瀬となってしまっていた。

    最初の防護壁は、ベネディクト会修道院を置いた10世紀末には
    すでに築かれていたそうだが
    14世紀末ピエール・ル・ロワ大修道院長の時代に更に城塞を
    強化していった。

    当時は、流れ込む土砂のため
    周辺部は浅瀬となってしまっていた。

  • 百年戦争の折り、イギリスは10年間この修道院を攻め続けたが<br />難攻不落を誇った。<br /><br />高く聳える修道院に入るには、三つの門をくぐらなくては<br />ならないが、入口までは一本の石段のみで、それも迂回している。<br />おそらく城門にたどり着くまでも困難だったことだろう。<br />

    百年戦争の折り、イギリスは10年間この修道院を攻め続けたが
    難攻不落を誇った。

    高く聳える修道院に入るには、三つの門をくぐらなくては
    ならないが、入口までは一本の石段のみで、それも迂回している。
    おそらく城門にたどり着くまでも困難だったことだろう。

  • 2007年5月<br />イタリア、ボローニャ<br />古地図<br /><br />もちろんローマのセルウィウスの城壁、アウレリアヌスの城壁や<br />フィレンツェ、ミラノなどなど、<br />城壁によってかつては多くの街が取り囲まれていた事が<br />今回、調べてみてわかった。<br /><br />今までは旧市街に残された建造物巡りをしていたが<br />多分忘れ去られた存在の城壁巡りも楽しいことだろうなと<br />思えてきた。

    2007年5月
    イタリア、ボローニャ
    古地図

    もちろんローマのセルウィウスの城壁、アウレリアヌスの城壁や
    フィレンツェ、ミラノなどなど、
    城壁によってかつては多くの街が取り囲まれていた事が
    今回、調べてみてわかった。

    今までは旧市街に残された建造物巡りをしていたが
    多分忘れ去られた存在の城壁巡りも楽しいことだろうなと
    思えてきた。

  • ボローニャ<br />サラゴッツァ門から聖ルカ教会まで続く<br />ポルティコが見える。

    ボローニャ
    サラゴッツァ門から聖ルカ教会まで続く
    ポルティコが見える。

  • 古代ローマ時代の<br />円形闘技場。<br />イヴェントに向けての準備中だった。

    古代ローマ時代の
    円形闘技場。
    イヴェントに向けての準備中だった。

  • 2008年1月 トルコ<br />イスタンブールにて<br /><br />トプカプ宮殿の展望台から<br />遥か遠くにガラタ塔が見渡せた。<br />

    2008年1月 トルコ
    イスタンブールにて

    トプカプ宮殿の展望台から
    遥か遠くにガラタ塔が見渡せた。

  • ビザンティン時代の地下貯水場だけれど<br />その素晴らしさから<br />地下宮殿と呼ばれる。

    ビザンティン時代の地下貯水場だけれど
    その素晴らしさから
    地下宮殿と呼ばれる。

  • 当時、塩野七生氏の<br />「コンスタンチノープルの陥落」を読み<br />関連の遺跡に出会うことを<br />楽しみにしていた。<br />ドルマバフチェ宮殿で見た<br />陥落後、白馬にまたがり入場する<br />メフメット2世の絵。

    当時、塩野七生氏の
    「コンスタンチノープルの陥落」を読み
    関連の遺跡に出会うことを
    楽しみにしていた。
    ドルマバフチェ宮殿で見た
    陥落後、白馬にまたがり入場する
    メフメット2世の絵。

  • コンスタンチノープル攻略の為<br />メフメット2世が築いた<br />ルメリヒサールの要塞が<br />ボスポラス海峡クルーズの際見渡せた。<br /><br />バスに乗りながら城壁を見たが<br />間近では見ることが叶わず<br />後にイスタンブールまでのフライトを予約、<br />その折には諸事情からキャンセルし<br />再び城壁のそばに立てたのは<br />2015年5月だった。

    コンスタンチノープル攻略の為
    メフメット2世が築いた
    ルメリヒサールの要塞が
    ボスポラス海峡クルーズの際見渡せた。

    バスに乗りながら城壁を見たが
    間近では見ることが叶わず
    後にイスタンブールまでのフライトを予約、
    その折には諸事情からキャンセルし
    再び城壁のそばに立てたのは
    2015年5月だった。

  • 2008年5月<br />エディンバラへ。<br /><br />スコットランド王国だった当時<br />キャッスルロックという岩山に、<br />聳えるようなエディンバラ城が築城された。<br />今でもお城は街のどこからでも眺めることが出来る。

    2008年5月
    エディンバラへ。

    スコットランド王国だった当時
    キャッスルロックという岩山に、
    聳えるようなエディンバラ城が築城された。
    今でもお城は街のどこからでも眺めることが出来る。

  • 裏側へまわると<br />岩山に建造されたお城の城壁が見事だそう。

    裏側へまわると
    岩山に建造されたお城の城壁が見事だそう。

  • クローズという路地の写真が残っていた。<br />エジンバラには〇〇クローズとのプレートが付けられた<br />路地が多く存在している。<br />何故かそこで撮った写真はピンボケばかりだったため<br />ネット上からお借りしました。<br />更にクローズにまつわる恐ろしい話も。

    クローズという路地の写真が残っていた。
    エジンバラには〇〇クローズとのプレートが付けられた
    路地が多く存在している。
    何故かそこで撮った写真はピンボケばかりだったため
    ネット上からお借りしました。
    更にクローズにまつわる恐ろしい話も。

  • ベネツィアのカーニヴァルなどで<br />クチバシの長い仮面を被った扮装の人を見かけるが、<br />ペストが流行った当時の医師の姿だそうだ。<br />クチバシの形をしたマスクの中には薬草が詰まっていて、香りで空気を<br />浄化させ、更にマントにも香料が塗り込められていたそう。<br /><br />17世期、ペストが蔓延していたエジンバラ<br />高所には上流階級が、低い地ほど貧困層が暮らしていた。<br />上下水道は未整備で、生ゴミ、汚水などはクローズに捨てられ<br />垂れ流し状態のような衛生環境でのペストの流行だった。<br />そこで低層地域全体を、住民ごと埋め立てる事にしたそうだ。<br /><br />そんな忘れ去られていた歴史が明らかになったのは1980年代、<br />今では葬り去られていた地下となった街並みを発掘し、<br />そこを巡るツアーも開催されているそうだ。<br /><br />駆け足での街歩きでは、知り得ない街の歴史が<br />mistralのなかでも発掘されていく。<br />

    ベネツィアのカーニヴァルなどで
    クチバシの長い仮面を被った扮装の人を見かけるが、
    ペストが流行った当時の医師の姿だそうだ。
    クチバシの形をしたマスクの中には薬草が詰まっていて、香りで空気を
    浄化させ、更にマントにも香料が塗り込められていたそう。

    17世期、ペストが蔓延していたエジンバラ
    高所には上流階級が、低い地ほど貧困層が暮らしていた。
    上下水道は未整備で、生ゴミ、汚水などはクローズに捨てられ
    垂れ流し状態のような衛生環境でのペストの流行だった。
    そこで低層地域全体を、住民ごと埋め立てる事にしたそうだ。

    そんな忘れ去られていた歴史が明らかになったのは1980年代、
    今では葬り去られていた地下となった街並みを発掘し、
    そこを巡るツアーも開催されているそうだ。

    駆け足での街歩きでは、知り得ない街の歴史が
    mistralのなかでも発掘されていく。

  • これ迄、飛ばしながら<br />城壁に関連ありそうな街を取り上げてきました。<br />行っていたのに、その時には気づかずにいたとの<br />残念な想いもあってのことです。<br /><br />2010年、クロアチアの旅<br />この辺りから、城壁を歩く、、、など具体的な目的を<br />もって旅立つようになってきたのでした。<br /><br />クロアチアはドブロブニク、シベニク、トロギール<br />など数々の魅力的な街がありました。<br /><br />写真はドブロブニクの街を見下ろせる高台にて。<br />クロアチアを代表する「アドリア海の真珠」と称される<br />街並みが眼下に見渡せたときの感激。<br />

    これ迄、飛ばしながら
    城壁に関連ありそうな街を取り上げてきました。
    行っていたのに、その時には気づかずにいたとの
    残念な想いもあってのことです。

    2010年、クロアチアの旅
    この辺りから、城壁を歩く、、、など具体的な目的を
    もって旅立つようになってきたのでした。

    クロアチアはドブロブニク、シベニク、トロギール
    など数々の魅力的な街がありました。

    写真はドブロブニクの街を見下ろせる高台にて。
    クロアチアを代表する「アドリア海の真珠」と称される
    街並みが眼下に見渡せたときの感激。

  • ドブロブニクは細長い形のクロアチア本土とは繋がっておらず<br />飛び地となっている。<br />バスで入る際には、間にあるボスニア・ヘルツェゴビナの街を<br />通過していく。<br /><br />街は海に面した側は天然の岩壁で囲まれた城塞のような地形であり<br />14~15世紀に旧市街を取り囲むように造られた城壁、岩壁の上にまで、<br />によって「自由と自治」が守られてきた。<br />「ラグーサ共和国」として市民福祉、水道施設などの整備、奴隷制度の<br />廃止などから自由国として繁栄していたが、ナポレオン軍隊の<br />包囲により1806年その歴史を閉じ、その後はイタリア、フランス、<br />オーストリア、ハンガリーに次々と支配されながらも<br />都市国家としての地位を維持し続けた。<br />その後の、ユーゴスラビアで起こった内戦により、紛争は長期化し<br />ドブロブニクの街は壊滅的な打撃を被った。<br /><br />短い文章で書いてしまうにはあまりに多くの複雑な歴史を持つ地域。<br /><br />当日の城壁歩きは<br />多分プロチェ門近くの入り口から入り<br />ピレ門辺りまで山側の半周を歩いたと思われる。

    ドブロブニクは細長い形のクロアチア本土とは繋がっておらず
    飛び地となっている。
    バスで入る際には、間にあるボスニア・ヘルツェゴビナの街を
    通過していく。

    街は海に面した側は天然の岩壁で囲まれた城塞のような地形であり
    14~15世紀に旧市街を取り囲むように造られた城壁、岩壁の上にまで、
    によって「自由と自治」が守られてきた。
    「ラグーサ共和国」として市民福祉、水道施設などの整備、奴隷制度の
    廃止などから自由国として繁栄していたが、ナポレオン軍隊の
    包囲により1806年その歴史を閉じ、その後はイタリア、フランス、
    オーストリア、ハンガリーに次々と支配されながらも
    都市国家としての地位を維持し続けた。
    その後の、ユーゴスラビアで起こった内戦により、紛争は長期化し
    ドブロブニクの街は壊滅的な打撃を被った。

    短い文章で書いてしまうにはあまりに多くの複雑な歴史を持つ地域。

    当日の城壁歩きは
    多分プロチェ門近くの入り口から入り
    ピレ門辺りまで山側の半周を歩いたと思われる。

  • 城壁から見渡すと<br />オレンジ色の屋根瓦の家々が連なり<br />背後に見えるアドリア海の青とのコントラストが<br />目に眩しかった。

    城壁から見渡すと
    オレンジ色の屋根瓦の家々が連なり
    背後に見えるアドリア海の青とのコントラストが
    目に眩しかった。

  • 現在目にする街並みは、千年以上前の姿とほとんど<br />変わっていないそうだ。<br />しかし実際にはそのほとんどが過去数十年以内に修復された<br />ものだということを知り、改めて驚いた。<br /><br />自らの手で街を守るという精神から、<br />街には復元用に年代別、建築様式地図などの資料が<br />揃っているそうで、路地の隅々に至るまで詳細に<br />記録されているそうだ。<br />

    現在目にする街並みは、千年以上前の姿とほとんど
    変わっていないそうだ。
    しかし実際にはそのほとんどが過去数十年以内に修復された
    ものだということを知り、改めて驚いた。

    自らの手で街を守るという精神から、
    街には復元用に年代別、建築様式地図などの資料が
    揃っているそうで、路地の隅々に至るまで詳細に
    記録されているそうだ。

  • ユーゴスラビア紛争によって壊滅的なまでに打撃を<br />受け、危機遺産登録されながらも<br />市民に加えて世界から集まったボランティアたちによって<br />残骸から拾い出した建築材料によって街なみが修復されて<br />いったそうだ。<br /><br />復旧作業の過程は、建物にかけられた掲示板に説明されて<br />いるそうだが、機会があったら訪問して、じっくりと読んで<br />見たいと思う。

    ユーゴスラビア紛争によって壊滅的なまでに打撃を
    受け、危機遺産登録されながらも
    市民に加えて世界から集まったボランティアたちによって
    残骸から拾い出した建築材料によって街なみが修復されて
    いったそうだ。

    復旧作業の過程は、建物にかけられた掲示板に説明されて
    いるそうだが、機会があったら訪問して、じっくりと読んで
    見たいと思う。

  • 城壁歩きは、ピレ門近くにあるこんな石段を下りて終了した。<br />すぐそばにあるフランシスコ会修道院、<br />14世紀建造のロマネスク様式の回廊を<br />持つ修道院だそうだが(その折の記憶は??)<br />併設されているマラ・ブラーチャ薬局が有名。<br />1317年創業、クロアチアでは最も古く<br />現在営業している薬局としても、世界で3番目に古いそうだ。

    城壁歩きは、ピレ門近くにあるこんな石段を下りて終了した。
    すぐそばにあるフランシスコ会修道院、
    14世紀建造のロマネスク様式の回廊を
    持つ修道院だそうだが(その折の記憶は??)
    併設されているマラ・ブラーチャ薬局が有名。
    1317年創業、クロアチアでは最も古く
    現在営業している薬局としても、世界で3番目に古いそうだ。

  • ローズウォーターなど買ったのは<br />懐かしい思い出。<br />ここのコスメは中世から受け継がれているレシピに<br />基づいて作られているそう。

    ローズウォーターなど買ったのは
    懐かしい思い出。
    ここのコスメは中世から受け継がれているレシピに
    基づいて作られているそう。

  • 2011年10月<br />ポルトガルへ。<br />ポルトからリスボンへ、バスでオビドスへやってきた。<br /><br />「谷間の真珠」と称され中世の面影を残すオビドスは<br />1228年デニス王からイザベラ王妃にプレゼントされた街。<br />19世期まで王妃の直轄地として栄えたそう。<br />

    2011年10月
    ポルトガルへ。
    ポルトからリスボンへ、バスでオビドスへやってきた。

    「谷間の真珠」と称され中世の面影を残すオビドスは
    1228年デニス王からイザベラ王妃にプレゼントされた街。
    19世期まで王妃の直轄地として栄えたそう。

  • まちは周囲を城壁に囲まれていて<br />その一番奥にお城が聳えている。<br />写真は背面から撮影。<br />そのお城はいまでは国営ホテル、ポサーダとして<br />宿泊ができる。<br />中でも2部屋はかつての塔に設えられているとのことで、

    まちは周囲を城壁に囲まれていて
    その一番奥にお城が聳えている。
    写真は背面から撮影。
    そのお城はいまでは国営ホテル、ポサーダとして
    宿泊ができる。
    中でも2部屋はかつての塔に設えられているとのことで、

  • 物珍しさもあって<br />塔の中の部屋を予約した。<br />写真はもう一方の側にある塔。

    物珍しさもあって
    塔の中の部屋を予約した。
    写真はもう一方の側にある塔。

  • ポサーダのテラスから<br />平原が見渡せた。<br />夜、ポサーダのレストランでいただいた<br />食事が秀逸!

    ポサーダのテラスから
    平原が見渡せた。
    夜、ポサーダのレストランでいただいた
    食事が秀逸!

  • もちろん城壁歩きも楽しんだ。<br />奥に見えるのがポサーダ。<br /><br />

    もちろん城壁歩きも楽しんだ。
    奥に見えるのがポサーダ。

  • 写真のように城壁歩きの歩道は巾が狭く、<br />すれ違う際には壁際に出来るだけ<br />寄らなくてはならなかった。

    写真のように城壁歩きの歩道は巾が狭く、
    すれ違う際には壁際に出来るだけ
    寄らなくてはならなかった。

  • 半周歩いたが<br />遥か遠くには水道橋も見えていた。<br /><br />(その折の拙い旅行記です。<br />https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10616415/)<br /><br />もう少し、さくさくと進めるつもりでいたのに<br />思いがけず長くなりそうですので、この辺でいったん<br />お終いにして、続編へと続きます。

    半周歩いたが
    遥か遠くには水道橋も見えていた。

    (その折の拙い旅行記です。
    https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10616415/)

    もう少し、さくさくと進めるつもりでいたのに
    思いがけず長くなりそうですので、この辺でいったん
    お終いにして、続編へと続きます。

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この旅行記へのコメント (11)

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  • 川岸 町子さん 2020/06/15 01:12:19
    いつか
    mistralさん、おばんでした(^-^)

    素敵な旅行記を見せて頂き、ありがとうございます。
    自分の旅と重ねたり、訪れたことない地へ思いを馳せたりしました。

    街により、様々な風土や歴史が事なり、興味深いです。
    これ程の城壁を造らなければならなかった理由も。
    mistralさんは現地てドライブなさるので、より一層その街の造りがお分かりではないでしょうか。
    いつかクロアチアの城壁の上からの町並みや海の風景を眺めてみたいです。
    続編を楽しみにしています(^_-)
    町子

    mistral

    mistralさん からの返信 2020/06/15 09:17:44
    Re: いつか
    町子さん

    おはようございます。
    緊急自粛は解除されたとはいえ、いつ再び
    再突入?!するやもわからない状況の日々。
    ご出勤にも用心しつつ、ストレスフルな毎日と思います。

    古い旅、こんな事も知らなかった!
    ここにも城壁があった!
    などなど書き連ねたつぎはぎ旅行記で失礼しました。
    それでも今までの旅を振り返り
    そして新たな旅の原動力にはなりました。

    町子さんからのコメントで
    確かに車で旅をすると、旧市街に突入していく際には、
    突入という言葉のとおり、城門をくぐる折には
    ここからは狭い路地になるから用心!用心!と
    アラートが発信されますので、
    城門の存在は気がかりなことだった、と思いました。

    今回、クロアチアも再訪したい国リストに
    追加されました (笑)

    お送りいただいた沢山のファイル、全部拝見しました。
    旅の想定時期から検討していくと
    今頃から多分諸々の予約に入る?ことを考えますと
    来年早々は難しいように思われますが、いかがでしょう。

    mistral

  • frau.himmelさん 2020/06/13 22:43:20
    久しぶりのご旅行記・・・
    mistralさん、こんばんは。

    昼間、新旅行記を書きながら頭が疲れてしまって、ふと4トラを覗いたらmistralさんの新作が。

    世界城壁歩き・・・、素敵ですね。
    それに世界中いろんなところに行ってらっしゃるのですね。
    やはりmistralさんの旅行記は素晴らしいです。

    旅行記最後のお言葉。
    >もう少しさくさく進めるつもりでいたのに・・・。

    いえ、拝見しながら随分時間がかかっただろうな~と思いました。
    古い写真を隅から隅まで引っ張り出して、その折の記録ノート(私の場合は)・資料を探したり、関連する地図などネットで探したり・・・。

    長い間、mistralさんがお休みしていらっしゃった理由がわかりました。
    あれほどの旅行記は一朝一夕でできるものではないと、保証(笑)いたします。
    mistralさんのお姿もチラリと拝見いたしましたし、ご主人さまも。

    さて、次はどこの城壁でしょうか。
    このコロナ禍だからこそ、目にすることができた貴重な旅行記、
    また楽しませてください。

    himmel

    mistral

    mistralさん からの返信 2020/06/13 23:50:08
    Re: 久しぶりのご旅行記・・・
    himmelさん

    こんばんは。
    コメントをありがとうございます。

    旅行記の作成で頑張っておられるhimmelさんを見ながら
    (って変ですが) 羨ましく思っておりました。
    旅立てない以上、ブログネタもないわけですから (笑)

    そんな折に、4トラの方の「旅の記憶」シリーズを拝見して
    私も!と思った次第です。
    思っては見たけれど、実行するまでには時間がかかりました。
    長期のお休みで、怠け癖もついていましたし。

    この旅行記は大して時間もかけずに、仕上げました。
    古い写真はhimmelさんはどのように整理されていますか?
    私はデジカメになってからは最初の頃はCDに保存、
    途中からはUSBに移し替えし保存します。
    まだ4トラに旅行記をアップする以前の旅の写真が
    厄介でしたね。メモも当然無くなっていましたので。
    ですので詳細な説明は省いてしまいました。

    今回、古い旅を掘り返してみたら、新たにこんな事が
    わかった!という内容ばかりで、お恥ずかしいです。

    もう一編ぐらいは城壁歩きシリーズが出来そうです。
    どうぞ宜しくお願い致します。

    mistral
  • yunさん 2020/06/13 22:03:02
    旅を繋ぐ 想いを繋ぐ
    mistralさん こんばんは♪

    旅に恋する我らにとって、何とも鬱々の日々。
    仕方ないと判ってはいるけれど…。

    そんな折、素敵なアイデアの旅行記拝見。ある意味で旅再開!
    欧州を旅すると「城壁」に巡り会うこと多しですね。
    『行っていたのに その時には気づかずに…』って、あるあるです。
    帰国後にえっ~と何度思ったことでしょう。

    プラハの坂道、同じ場所に立った記憶が蘇りました。
    オビドスの城壁歩きはスリル満点でしたね。yunはそこにポサーダが在ることを認知しておりませんでした。ディナーが秀逸ですか!お魚逃がしてしまいました~

    旅立つ日は、まだまだ先になりそうな気配にて
    この時を利用して、次なる旅の充実をスタンバイすれば良いのでしょうね。
    とはいっても、既に2計画が潰れ、9月イスタンブールも風前の灯火で
    旅立ちたい気持ちばかり空回りしてます。

    mistralさんも実行できなかった予定があることでしょう。
    にっくきコロナ!です。

    自粛期間中、TVで懐かしい旅番組の再放送がたくさんありました。
    未だ知らぬところ、憧れの場所、再訪したいところいっぱい。
    機上の人になる事諦めずに、想いを温めてまいりましょう。

    続編お待ちしてます。
    yun

    mistral

    mistralさん からの返信 2020/06/13 23:26:40
    Re: 旅を繋ぐ 想いを繋ぐ
    yunさん

    お久しぶりでした。
    お元気でお過ごしだったご様子ですね。
    コメントをありがとうございました。

    旅行記ネタとなる旅には出られず
    そうは言っても旅の事を考えていたい損な性分に
    過去の旅を辿る、というテーマ、はまりました。
    旅の記憶もこの辺でデトックスして、身辺整理です。

    それにしてもずいぶん旅も溜まっていました。
    しかしながら、切り口が城壁としたので、ボツとなったり
    ちっとも気がつかないのに、城壁に囲まれていた!
    とわかったり。

    9月のイスタンブールですか!
    微妙なところでしょうか。
    イスラム国への快進撃が続きますね。
    なんとか飛び立てると良いですね。

    私は、5月にルピュイの道の一部を歩くツアーに参加
    しようか、と迷っている最中に
    コロナウィルス騒動が始まり、あっさりと諦めました。

    こんな世の中ですのに
    今年の我が家のアーカンサスは7本、花穂が立ち
    今真っ盛りです。

    mistral

    yun

    yunさん からの返信 2020/06/14 23:37:07
    RE: Re: 旅を繋ぐ 想いを繋ぐ
    mistralさん

    我が家のアーカンサスも今が盛りです。

    50余日に及んだ自宅待機中にグングンと成長し
    触ると痛いほどの大きな葉を従えて、4本の花穂がてっぺんまで開花中。

    ウジウジしていては駄目よ!と威張られております…うふふっ
    yun

  • たらよろさん 2020/06/13 12:43:31
    素晴らしい城壁の数々
    こんにちは、mistralさん

    ヨーロッパの古城。
    本当に映画の世界のような、そのままタイムスリップできそうな
    素晴らしい空間ですね。
    色が無いのが良いというか、
    ここにカラフルな色付けがされていたら、
    きっと興ざめなんだろうなぁ~

    ヨーロッパは、このような建築遺産をしっかりと未来にまで残していくのが素晴らしいことですよね。
    そう思うとわが日本は勿体ないなぁ。

      たらよろ

    mistral

    mistralさん からの返信 2020/06/13 16:45:36
    Re: 素晴らしい城壁の数々
    たらよろさん

    ご無沙汰しておりました。
    コメントまで、ありがとうございました。
    このコロナウィルス騒動の中での、自粛生活もそろそろ
    飽きてきましたね。
    いかがお過ごしでしたか?

    ブログネタもなくなり、なんとなく今まで
    旅から帰ると、旅行記の作成に追われていた生活が
    懐かしくなり
    こんな旅行記を作ってみました。
    それはそれで大変!でした。
    旅の切り口を城壁にしてみたけれど、
    いまでこそ意識していても、以前はそんなことには
    お構いなしの旅でしたので。
    それでも、あの街はどうだったかしら?と調べてみると
    意外にも城壁に囲まれていたことがわかったり、
    新しい発見もありました。

    いずれは旅立てる日もやってくる事でしょう。
    その日にそなえて。

    mistral


  • マリアンヌさん 2020/06/13 12:09:50
    旅の記憶
    mistralさん こんにちは。

    旅の記憶シリーズ、作成されたんですね。こんな時期ですから振り返ってみるというのも乙な感じですよね。
    西欧の都市や街といえば必ずといっていいほど城壁に囲まれていたわけで、城壁に視点をおくとまた違った顔が見えてきますね。

    ハイデルベルクは30年以上前に初めて西欧旅行に出かけた折に立ち寄りました、懐かしい!ローテンブルクもその時に立ち寄り、ツアーゆえに宿泊するも滞在時間が短くて城壁に上ることはできませんでした。ただ閉店間際の楽器店でブロックフレーテ(リコーダー)を買えて嬉しかった。

    パリの城壁はかねがねチェックしたいと思っている場所です。歴史がミルフィーユのように重なってますからね。wizさんの旅行記はいつの日かのバイブルです。
    デジカメ以前に訪れたプラハ、ブダペスト、ウィーン、ブルージュetc.懐かしく拝見しました。

    コンスタンティノープル、まだ行けてないのですよ。塩野七生・ヴェネツィアファンとしては必見の地ですよね。政情不安で二の足を踏み続けています。
    エジンバラやオビドスもまだ行ったことがないなぁ。
    ドブロブニクは内戦の消炎が残る時期に訪れ、撤去しきれてない地雷があったころに旅行したので複雑な想いを感じました。薬局でアンチエイジングクリームを購入したんですけど効能は?

    ポサーダ、歴史を感じながら旅の疲れを癒す、いいですよね。
    ヴィアナドカステロでしか泊まったことはないけれど印象深い思い出です。
    続編、楽しみにしています。

    マリアンヌ

    mistral

    mistralさん からの返信 2020/06/13 16:32:38
    Re: 旅の記憶
    マリアンヌさん

    梅雨入りとなりましたが、コロナウィルスは何処に?

    コメントまで、ありがとうございました。
    この時期の旅の記憶巡り、
    思いのほかあちこち行っていた旅の整理が大変でした。
    切り口を城壁にしてみたものの、あの街はどうだったかしら?と。
    当時は城壁なんて気にせず旅していましたから。
    当てずっぽで調べてみたら、実は城壁に囲まれていたことが
    わかったり。
    城壁は無さそう?で不採用となったり。
    マリアンヌさんとも旅の記憶、ずいぶん重なっていましたね。
    ドブロブニクの薬局で購入されたというアンチエイジング
    クリーム、効果はいかに?
    今までは、好きな時に旅立てていた、その事が
    アンチエイジングに効果を発揮していたように思います。

    今は、いつから旅が再開できるのかわからない状況
    ですが、心も身体も鍛えておかないと、ですね。

    講座でお会いしますのを楽しみにしています。

    mistral

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