2020/05/27 - 2020/05/27
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ドクターキムルさん
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横浜市港南区上大岡西3に鎮座する上大岡鹿嶋神社の創建年代は不詳ながら、元禄15年12月(1703年1月17日以降)銘の棟札に「建久二年、応永十四年、寛永十二年、天和二年」等の年号が記されており、建久2年(1191年)の創建ではないかと考えられている。元禄15年12月14日(703年1月30日)はあの赤穂浪士の討ち入りの日である。
明治維新(1868年)前までは、大岡山真光寺が別当職であった。
明治6年(1873年)村社に列し、明治41年(1908年)村内にあった無格社の弁天社、白幡明神社などの三社を合祀したという。祭神は建御雷命(たけみかずちのみこと)であり、相殿には、岐之宮(きのみや)、来名戸神(くなどのかみ)、賽神 ( さいのかみ )、杵島姫神(きしまひめのかみ)が祀られている。
現在の社殿は文化7年(1810年)の再建である。平成18年(2006年)、屋根、外壁、内装等の大改修を行った。
境内には「平和の礎」碑(平成17年(2005年)再建)が建立されている。
境内社かと思ったのだが、拝殿横には石段を上った先の庚申堂の中に庚申塔(文政2年(1819年)銘)が安置されている。
また、下の鳥居横の池の脇には出羽三山供養塔(文政7年11月吉日(1824年12月20日以降)銘)が建っている。西暦では1824年末なのか1825年初めなのか?
横には「坂東三十三箇所 西国三十三箇所 秩父三十四箇所」(寛政8年(1796年)銘)が建っている。
(表紙写真は上大岡鹿島神社拝殿)
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階段。
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鹿嶋神社の裏参道。
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女坂。
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女坂。
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社務所。
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石段(男坂)。
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女坂。
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手水舎。
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手水鉢。
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手水口は龍だ。
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神楽殿?
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「平和の礎」碑(平成17年(2005年)再建)。
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裏に碑文。
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御札納所。
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上大岡鹿嶋神社掲示板。
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「奉祝 天皇陛下御即位 御大典記念樹」。さすがに若木だ。
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石段の上に庚申堂。
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庚申塔(文政2年(1819年)銘)。
港南区のホームページ「歴史の散歩道 1-3」(https://www.city.yokohama.lg.jp/konan/shokai/rekishi/sanpodo/fdk-03.html)には「文政二年建立の区内では珍しい刻像の堅牢地神塔」と記載されている。確かに三猿がなく、庚申塔ではないのかも知れない。もし、堅牢地神塔だとすると、これまでに紹介してきた横浜市の27基のうち、建立年が判明している25基の中では最も古い建立年になる。ちなみに、次に古いものは熊野神社(川上町)(https://4travel.jp/travelogue/10557009)の道標(左ハ大山道/右ハ二股川道)を兼ねた地神塔(文政3年(1820年)銘)になる。 -
「文政二卯二月吉日」。
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狛犬と上大岡鹿嶋神社拝殿。
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狛犬。
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狛犬。
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綬札所。
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上大岡鹿嶋神社拝殿。
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上大岡鹿嶋神社拝殿に掛かる「鹿嶋大神宮」の扁額。
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上大岡鹿嶋神社拝殿。
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上大岡鹿嶋神社本殿。
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上大岡鹿嶋神社の石段。
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池と社。
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池。弁天池か。
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社。杵島姫神を祀る弁天社か。
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「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」(文政7年11月吉日(1824年12月20日以降)銘)が建っている。西暦では1824年末なのか1825年初めなのか?
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「文政七歳次甲申 久十有一月吉日 當村講中 世話人 …」。
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「坂東三十三箇所 西国三十三箇所 秩父三十四箇所」(寛政8年(1796年)銘)。
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「寛政八丙辰年」。
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「十月吉祥日 世話人 …」。
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上大岡鹿嶋神社の石鳥居。
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上大岡鹿嶋神社の石鳥居に掛かる「鹿嶋神社」の扁額。
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女坂。
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「上大岡総鎮守 鹿嶋神社」社号標石。
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上大岡鹿嶋神社の石鳥居と社号標石。
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「上大岡第三町内会」掲示板。
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