2020/02/20 - 2020/02/20
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lion3さん
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この旅行記のスケジュール
2020/02/20
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プラート・デッラ・ヴァッレ
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フルッタ広場
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スクロヴェニー礼拝堂
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この旅行記スケジュールを元に
パトヴァはベネチアの西40キロにある小さな街です。
またイタリアでも歴史あるパドヴァ大学がある街でもあります。
観光スポットは聖アントニオの遺物がある聖アントニオ聖堂や
ジョットの絵画で有名なスクロヴェニー礼拝堂などがあります。
街自体は小さな街なので、歩いてまわれます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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パドヴァはベネチアから西に40キロほど西にある小さな街です。
パドヴァは13世紀からコムーネ(自由都市)として発展し、
15世紀後半から19世紀末のナポレオンの
ベネチア共和国滅亡まで、ベネチアの支配下に入っています。 -
パドヴァの旧市街の有名な観光スポットは
市街地の南に聖アントニオ聖堂があり、
北側にスクロヴェニー礼拝堂があります。
このあいだは1キロほどです。
歩いて両方を移動します。 -
まず、南側にあるプラート・ディラ・ヴァッレです。
19世紀に造られた公園です。
公園の中心部には聖人、偉人の像があります。
パドヴァ大学でも教鞭をとったガリレオ・ガリレイの像もあります。 -
公園の大きさとしてはイタリア有数の大きさです。
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広場の一角にはサンタジェスティーナ教会があります。
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南側にあるプラトデッラヴァッレから歩いて行きます。
この公園は19世紀に造られた大きなフランス式の庭園です。
中央部には噴水があり、水を噴き上げていました。 -
サンタジェスティーナ教会
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近くの聖アントニオ教会へと行きます。
酒屋があったのでワインを見て、それから歩いて行きます。 -
パドヴァの旧市街の中心部を南北に結ぶローマ通りです。
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サンタントニオ聖堂です。
13世紀にアッシジで始まった聖フランシスコ会の
創始者の聖フランチェスコの弟子にあたり、
パドヴァで布教活動を行っています。 -
サンアントニオ聖堂は
ビザンチン様式の8つのクーポラ(円蓋)と
イスラムのミナレット(尖塔)のような鐘楼をもつ壮大な建物です。 -
聖堂内は撮影禁止でした。
聖堂礼拝堂には聖遺物箱には聖アントニオの舌、あご、のどぼとけが
遺されています。説教するには口が必要だからです。
聖堂の主祭壇には聖母子と諸聖人をあらわす
ドナテッロのブロンズ像が並んでいます。
ドナテッロは初期ルネサンスの最大の彫刻家といわれています。
後期の彫刻家はもちろんミケランジェロです。 -
聖堂の広場の前にはサンタントニオ信者会があります。
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その隣にはサンジョルジョ礼拝堂があります。
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聖アントニオ聖堂の横の回廊です。
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回廊は明るく自然が感じられます。
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聖アントニオ聖堂の前にはガッタメラータ(狡猾な猫)の
騎馬像があります。
ベネチア共和国の傭兵隊長のエラズモ・ダ・ナルニの像です。
猫のように狡猾で巧妙な策略を弄する人だということで、
このようなあだ名が付けられています。
ベネチアでは軍人が自由に軍を動かし
実権を持つことがないように
軍の指揮は他国人に任せていました。
ところでシェークスピアのオセロの主人公は
ベネチアの傭兵隊長です。 -
サンアントニオ聖堂です。
聖アントニオは師匠の聖フランチエスコと同様に
いろいろの奇跡(死者復活、動物との会話)を起こしています。
そのためもあり、多くの信者が病気回復、苦悩の解消などで
参拝に訪れてきています。
聖堂内には多くの参拝者、観光客がいました。
撮影禁止は残念でした。 -
街の中の通りにはボローニャと同じように
ポルティオ(柱廊)が多くあります。
歩道の上の2階以上に住居があります。
居住スペースを増やすという大学の街の特色のようです。 -
パドヴァの市街地。
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パドヴァの市街地。
左側はポルティオ(柱廊)です。 -
パドヴァの市街地の中心部にパドヴァ大学があります。
パドヴァ大学は1222年に創立され、
ボローニャ大学に次いでイタリアで2番目に歴史ある大学です。
通りを挟んだりしていくつかの校舎、施設があります。 -
パドヴァ大学はガリレオ・ガリレイ、ダンテ、ペトラルカなどが
教授を務めた名門校です。
中世の時代にはベネチア(べネト州)の唯一の大学で、
多くのベネチアの富裕商人、名門家系の子弟が学んでいます。 -
パドヴァ大学です。
大学はそれなりに新しい建物から歴史あるものが
いくつかが散在してあります。 -
かつてのベネチア共和国の総督官邸の建物です。
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建物の壁面には
ベネチアの紋章である「翼のあるライオン像」
(聖マルコ)が見られます。
ベネチア支配下の歴史があります。 -
1階は19世紀から続くカフェ・ペドロッキ。
1階はカフェ、レストランで、
2階がイタリア統一の記念室になっています。
カフェのまわりはカブール広場という、
イタリア統一の有名人の名前が付いています。 -
フルッタ広場。
広場には食品などの店が出ています。
昼過ぎなので店は少なくなっています。 -
ラジョーネ宮殿です。
コムーネ(自由都市)には裁判所が置かれ、
街の繁栄のシンボルであった建物です。
1階が食料品市場になっています。
肉、チーズ、乳製品、ワインなどが売られている店があります。 -
シニョーリ広場です。
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パドヴァ市街地。
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フルッタ広場。
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パドヴァ市街地。
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カブール美術館。
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パドヴァ市街地。
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パドヴァ市街地。
スクロヴェニー礼拝堂へと歩いて行きます。
中心部からは歩いて2、3分です。 -
古代ローマ時代の遺跡跡の広場です。
この広場の場所にスクロヴェニー礼拝堂や市立博物館
そしてエレミタニ―教会があります。 -
エレミタニ―教会です。
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エレミタニー教会
戦災で破壊されたものを地元の人の手で
修復した教会ということです。 -
市立博物館
かつてのアウグスティーノ会の修道院です。 -
市立博物館。かつての修道院の回廊です。
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市立博物館。
回廊には石像、列柱、柱頭などがあります。 -
スクロヴェニー礼拝堂です。
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ローマ時代の遺跡跡。
敷地には何気なく、遺跡の列柱の柱頭などが置かれています。 -
スクロヴェ二―礼拝堂。入口はモダンになっています。
予約制で、1回の入場者数が限定されています。
まず見学前にビデオ解説があり、
見学時間は15分ほどで終わりです。 -
スクロヴェニー礼拝堂は1305年に
エンリコ・スクロヴェニーにより建立されたものです。
天井、壁面と見渡す限りのフレスコ画のジョットの世界です。
ジョットはアッシジの聖フランシスコ教会にも
フレスコ画を描いていますが、
アッシジの作品はジョットの初期の作品で、
こちらは最盛期の作品で完成度は明らかに高いです。 -
スクロヴェニー礼拝堂のいわれは、
13世紀にレジナルド・スクロヴェニーという金貸し
(銀行家、別名は高利貸し)がいましたが、
悪徳商人として評判は悪かったようです。
キリスト教社会では商人は評判は悪いですが。 -
レジナルド・スクロヴェニーはダンテの「神曲」の
「地獄篇」のなかで地獄に堕ちるものとして
名前が挙げられたというくらい、悪徳商人であったようです。
レジナルドの没後、息子のエンリコが父親の贖罪の意味合いで
建てられたのがスクロヴェニー礼拝堂です。
本来の入口面の壁にある最後の審判の絵です。 -
天井、壁面には聖母マリアの生涯とキリストの生涯をテーマにした
38枚のフレスコ画があります。
すべてジョットが描いています。
マギ(東方三博士)の礼拝の絵です。 -
ジョットは1267年の生まれ、1337年に没した
ゴシック絵画の巨匠で、
ルネサンス絵画へと続く絵画の歴史を作った人物です。
ヴイアドロローサ(苦難の道)、
イエスが十字架を背負いエルサレムの街を歩く絵です。 -
中世の絵画のプリミティブさからは進歩が見られ、
人の表情、動き、遠近感(立体感)などの変化がみられています。
最後にスクロヴェニー礼拝堂が教会でないのは、
やはり金貸しのスクロヴェニーが建てたものだからでしょうか。 -
市立博物館
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スクロヴェニー礼拝堂、市立美術館などの見学を終えると
夕方で少し暗くなってきました。 -
スクロヴェニー礼拝堂のすぐ北にはブレンタ運河があります。
この運河からは「イタリア紀行」を書いたゲーテが
パドヴァからベネチアへと船で移動しています。 -
夕食を食べて、ホテルに戻ります。
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