2020/03/15 - 2020/03/15
15位(同エリア388件中)
かっちんさん
大井宿は中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十六番目の宿場町。現在の恵那市にあります。
中山道と名古屋・伊勢に向かう下街道の分岐点である槙ヶ根追分に近く、中山道の旅人のほか、伊勢参り・善光寺参りや尾張商人、尾張に向かう木曽の牛馬の荷などが通り、美濃16宿中随一の繁栄を誇っていました。
宿内には、本陣や脇本陣・問屋のほか旅籠屋・茶屋・商売屋など110戸が軒を並べていました。
江戸時代のはじめに制定された宿場は、一種の城塞の役割を持たされて整備され、宿場の出入口には必ず枡形(ますがた)が設けられていました。
宿場の枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしたものです。
大井宿には六つの枡形のある特徴があり、すべてが美しい直角を描いています。
六つの枡形を設置した理由は、幕府は大井に城を築き城下町にしようとしたものではないか?
という説や、狭い土地に少しでも多くの家屋を建てるために道を直角にしたのでは?など諸説あります。
江戸時代の雰囲気を色濃く残す町家「ひし屋資料館」では、当時の建物や幾何学模様の欄間、家財道具等が見学でき、大井宿の歴史も学べます。
大井宿の町並みは時代と共に建て替えられた家屋が多く、妻籠宿・馬籠宿のような旅籠の並ぶ古い町並みの景観とは異なります。
今日は恵那駅並びの恵那市観光案内所(恵那市観光物産館えなてらす内)に立ち寄り、大井宿の手書き案内マップをもらい、町歩きをはじめます。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・大井宿の現地案内板
・観光案内所配布「六つの枡形と和宮泉」
・恵那市公式観光サイト「中山道 大井宿」「笠置山」
・あきひこゆめてつどう「大井宿」:ひし屋
・おへマガ「日本の近代的町家建築を知ろう!大井宿にある「中山道ひし屋資料館」」
・実際に歩いて走って集めた人力旧街道紹介サイト「枡形」
・滋賀の名品「鍾馗さま(大)【美濃邉鬼瓦工房】」
・お役立ち!季節の耳より情報局「渡辺の家紋の由来・意味を画像で説明!丸に違い鷹の羽」
・YAHOO!知恵袋「毛利家と渡辺家の家紋が似ているのですが・・・」:家紋
・日本の家紋「松皮菱」
・kamita53さんのブログ「板張りの外壁 下見板張りの魅力」
・京都の文化遺産「京町家とその暮らしの文化」
・網代商会「矢羽根網代の材料」
・マンホールの蓋をたずねて「恵那市」
・中山道広重美術館「木曽海道六拾九次之内」
・ウィキペディア「恵那駅」「恵那山」「妻籠宿」「歌川広重」「渓斎英泉」「木曽海道六十九次」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
イチオシ
昔の客車の中にいるみたい・・・(恵那駅)
実は恵那駅構内の2つのホームを結ぶ跨線橋です。
天井のゆるやかなカーブ、板張りの壁に四角い窓など、鉄ちゃんから見れば客車にそっくり。 -
昔の客車とは
2016年8月北海道の夕張を訪ねた時、南大夕張駅に保存されていたスハニ形式客車。
車内の雰囲気が似ていますよね。 -
中央線恵那駅の駅舎
明治35年(1902)官設鉄道大井駅として開業。昭和38年(1963)に恵那駅に改称しました。
駅舎は改築し新しくなっています。 -
恵那駅周辺の案内図
中山道の大井宿は、恵那駅の南側(写真では上側)に位置しています。
ジグザグ道のところが大井宿。
観光案内所で大井宿の案内マップをもらいます。
では、大井宿の町歩きをはじめます。 -
恵那市のデザインマンホール(駅付近)
中央に恵那市の市章で、太陽と飛翔する鳥を表現しています。翼の6枚の羽は、合併した六つの市町村を表しています。
周囲に合併前の恵那市の花「ベニドウダン」がデザインされています。 -
東の方向に見える「恵那山」(駅付近)
木曽山脈(中央アルプス)の最南端にある標高2,191mの山です。 -
中山道の案内図
大井宿は恵那駅近くの「大井橋」から六つの枡形を通り、東の「上横橋」まで、710mの宿場です。
途中には「ひし屋資料館」があるので見学します。 -
「魚料理が食べたくなる」看板(大井橋付近)
割烹料理の「わかたけ」です。
「自慢の魚で酒をのむ、うまいもの天国、海の漁師の活を味わう・・・」などのキャッチコピーと上手な魚の絵につられて、お店に入りたくなります。 -
大井橋と浮世絵
大井橋は、江戸時代のころ阿木川(あぎがわ)に架かるただひとつの橋で、参勤交代の大名や多くの旅人が渡りました。
その頃は木橋だったため大水でたびたび流されました。
現在の新しい橋は、欄干に中山道の浮世絵風景画「木曽街道六十九次」のパネルが展示され、当時の中山道を偲ぶことができます。 -
歌川広重の「木曽海道六拾九次之内 大井」(大井橋)
広重が描いたタイトルは「木曽街道」ではなく「木曽海道」と表記されています。
この絵は中山道広重美術館の解説によれば
雪降りしきる中、旅人は黙々と歩み続けます。
背景は鼠色の潰しに墨色のぼかしを施し、静寂の銀世界を描き出します。
右の松越しに見えているのは恵那山、左は木曽山系の山々です。 -
渓斎英泉の「木曾街道続ノ壱 日本橋雪之曙」(大井橋)
中山道スタート地点「日本橋」の風景です。 -
冬の阿木川の風景(大井橋から)
踏切のカンカンカンという音が聞こえたので、まもなく電車がやって来ます。
阿木川の流れは木曽川と合流し、その先にあるのが遠くに見えている笠置山(かさぎやま)。
京都の笠置山に似ているので、その名前がついたと言われています。 -
「中山道大井宿」の石標
大井橋を渡ると、そこは大井宿の西の入口。
案内図には六つの枡形が表示されています。 -
大井宿西側にある1番目の枡形
横道が枡形になっている旧中山道。
右方向に続く道は、生活に便利なようにつくられたショートカットです。今はそちらがメインの道路になっています。 -
あまから本店工場(大井宿)
旧中山道に入ると、五平餅で有名な「あまから本店」の工場があります。
五平餅は駅前の「あまから本店」で食べられます。 -
鍾馗様(大井宿)
個人宅の玄関の上に鎮座する、家を守る魔除けの「鍾馗様(しょうきさま)」。 -
4番目の枡形(大井宿)
2番目枡形で東へ・3番目枡形で南へ進み、4番目枡形で大井橋から続くショートカットの道に合流します。
ここは左へ曲がります。
少し手前に虫籠窓や卯建がある「古屋家」があるのですが、改修工事中でした。 -
旅館「いち川」(大井宿)
かつては「角屋」と呼ばれた街道沿いの旅籠で、若山牧水、北原白秋など文人墨客に愛された400年の歴史を持つ老舗旅館です。
美濃16宿の中で最も旅籠の多かったのがここ大井宿。そして40軒以上あった旅籠の中で現存するのはこの一軒だけです。 -
明治天皇行在所(大井宿)
明治天皇が明治13年(1880)、この場所に宿泊。
部屋、風呂場、畳敷きのトイレなど、当時のまま残されている珍しい建物です。
現在、改装のため閉館中です。 -
下問屋場跡(大井宿)
大井宿には2ヶ所の問屋場があり、ここは下問屋の跡。
問屋場は人や荷物の継立事務を行うところでした。
宿役人は、大井宿が幕府の命により毎日用意している人足50名と馬50頭を使い、隣宿の中津川宿や大湫宿(おおくてじゅく)まで、主として公用荷客の輸送にあたっていました。 -
旧中山道の街道(大井宿)
山の中の宿場とは違い、町の中の宿場の雰囲気。 -
街道に佇む蔵(大井宿)
蔵の紋章は「三つ星に一文字」。渡辺姓の家紋の代表的なものです。
三つ星はオリオン座の中央に並ぶ三ツ星(中国では「将軍星」)、下の一文字は「一番になる」とか「勝つ」という意味があり、戦いに勝とうという願いが込められています。 -
イチオシ
板壁で囲む美しい蔵(大井宿)
蔵に隣接している町家の犬矢来もお洒落です。
個人宅なので外観を眺めます。 -
ひし屋資料館(大井宿)
屋号「ひし屋」の古山家は江戸時代に酒造と商売を営業し、大井村の庄屋を勤めた旧家です。
間口10間半(約19m)、奥行35間(約63m)の敷地に、8室の部屋をもつ広大な屋敷と土蔵がありました。
今の建物は明治初年に上宿(東の入口付近)より移築・改築したもので、江戸時代の雰囲気を色濃く残しています。 -
イチオシ
玄関まわりの美しい格子(ひし屋)
屋号「ひし屋」の家紋が暖簾に飾られ、これは「松皮菱(まつかわびし)」。
菱の上下にさらに小さな菱を付けたデザインで、その形状が松の外皮に似ていることに由来します。
資料館の入館料は200円、休館日は月曜日。 -
大きな神棚(ひし屋)
館内に入ると、資料館の係員が説明しながら案内してくれます。 -
もう一つの神棚(ひし屋)
明治の廃仏毀釈により、仏壇が置いてあったところが神棚になりました。 -
イチオシ
宿場町の番傘(ひし屋)
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商家の帳場(ひし屋)
玄関を入ったところにあります。 -
店座敷に飾られたお雛様(ひし屋)
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イチオシ
幾何学模様の欄間(ひし屋)
中座敷にある障子の欄間です。
縦桟(たてざん)の本数が7本、5本、3本になっていて、「七五三の吹き寄せおさ欄間」と呼ばれています。 -
かぼちゃみたいな欄間(ひし屋)
デザインは桐の葉でしょうか? -
襖の引手(ひし屋)
織物を織るときに、たて糸の間によこ糸を通すのに使われる「杼(ひ)」の形に似ています。
パンダの目にも似ているし・・・ -
明治・大正時代の土人形(ひし屋)
ここ東濃地方の土人形は、一大生産地として全国にその名が知られていました。 -
花頭窓風の欄間(ひし屋)
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書院付き奥座敷(ひし屋)
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矢羽根網代の扉(ひし屋)
奥座敷と居間を遮る扉です。
奥座敷側は豪華な矢羽根網代で飾られていますが、居間側は何もない板扉です。 -
居間(ひし屋)
何か行事があるときは、壁に掛軸を掛ければ、立派な床の間に早変わり。
生活の知恵だそうです。 -
真空管ラジオ(ひし屋)
左はサンヨー、右はナショナル。
昭和の家財道具が展示されています。 -
懐かしいダイヤル式電話機(ひし屋)
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タイガーの手回し計算機(ひし屋)
掛け算、割り算ができます。 -
徳利(ひし屋)
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陣手(ひし屋)
戦いに出る時、餅などの食料を入れるワラで作られた容器「陣手(じんで)」。 -
囲炉裏と台所用品(ひし屋)
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足踏みミシン(ひし屋)
シンガー(左)とメイホウシャ(右)のミシン。
メイホウシャという会社があったのですね。 -
氷冷蔵庫(ひし屋)
電気冷蔵庫が普及する前に使われていました。 -
庭かまど(ひし屋)
土間につくりつけたかまどのことです。
町家では、玄関から奥へ続く細い土間を「通り庭」といい、炊事場を「走り庭」といいます。 -
通り庭と高い天井(ひし屋)
庭のある奥から玄関を眺めています。 -
奥庭に佇む なまこ壁の蔵(ひし屋)
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大井米の米俵(ひし屋)
大井の郷蔵(ごうぐら)に納められた年貢米のうち三百石が救済米として妻籠・馬籠など木曽谷の宿々に送られました。これを大井米といいます。
この米の取り扱いは庄屋である「ひし屋」の重要な村仕事の一つで、文書には木曽廻米と記されています。 -
竿ばかり(ひし屋)
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大八車(ひし屋)
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店蔵(ひし屋)
蔵の中は大井宿の歴史を語る展示室になっています。 -
中山道 美濃の十六宿(ひし屋)
では、ひし屋資料館をあとにし、大井宿をさらに東へ進みます。 -
5番目の枡形(大井宿)
枡形を曲がり振り返ったところで、ここに本陣がありました。 -
大井宿本陣跡の薬医門(大井宿)
書院のついた豪壮な本陣でしたが、昭和22年(1947)に焼失してしまいました。
現在は安土桃山様式を伝える「薬医門(やくいもん)」が残されています。 -
6番目の枡形(大井宿)
ここが最後の枡形。
大井宿高札所があったところです。
では、大井宿を大井橋に向かって戻ります。 -
立派な長屋門(大井宿)
大井宿の西側に近いところで旧中山道の内側にあります。
本陣の表門の北にあった門が移築されたとか、岩村城廃城の折、城の門が移築されたとか、謎の多き門です。 -
昔の旅館「信濃屋」(恵那市駅近く)
中山道の1本北側の通りに、昔の旅館があります。
大正元年の建築ですが、明治の建築様式を伝える木造3階建ての「信濃屋」です。 -
イチオシ
明治の趣のある木造2階3階(信濃屋)
かつて福沢桃介と貞奴、北原白秋も訪れた由緒ある旅館です。
大井宿では六つの枡形を実際に歩き、ひし屋資料館では昔の家財道具を懐かしく思いました。
これから明知鉄道に乗り、今日の宿「保古の湖」へ向かいます。
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