2020/01/20 - 2020/01/20
353位(同エリア2328件中)
naoさん
兵庫県姫路市飾磨は、姫路城のある市中心部の南に位置する地区で、古くから瀬戸内海交通の要衝だったことから、播磨灘に面して飾磨津と呼ばれる港町が開かれました。
江戸時代に、播磨国52万石を与えられて入封した池田輝政を初代藩主として姫路藩が成立すると、慶長6年(1601年)から同14年(1609年)にかけて、姫路城築城と併せて姫路城下から飾磨津に通じる運河(三左衛門堀)の開削を進め、この運河沿いに「飾磨津町二十町」と称される町場が形成されました。
また、当時入江だった飾磨津東部の野田川河口部を、この開削工事で出た土砂で埋め立てて向島を造成し、船の数およそ60隻を擁する御船手組という藩の水軍が常駐する姫路藩御舩役所を置いて、姫路城下町の外港としての役割を持たせました。
明治時代になり、現在の朝来市にあった「生野銀山」から産出する鉱物の積出港として飾磨港が位置づけられると、生野銀山と飾磨港を結ぶ馬車専用道路である「生野鉱山寮馬車道(通称:銀の馬車道)」の拡幅工事が明治9年(1876年)に完成し、明治28年(1895年)には、播但鉄道が生野~飾磨港間(現在のJR播胆線とほぼ符合する)が全線開通しました。
現在の飾磨には、伝統的な厨子2階建てに、虫籠窓、格子、袖卯建や袖壁をしつらえた町家が点在しており、港町の面影を今に伝える町並みが残されています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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山陽電鉄本線の飾磨駅に到着しました。
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ここから飾磨の町歩きを始めます。
先ずは、東の高砂と、西の網干・室津を結ぶ浜街道(網干街道)へ向かいます。 -
浜街道(網干街道)へ来ました。
こちらの町家の晒葺の庇が付いた格子窓は、途中で出幅を変えておられます。 -
2階建て部分には、出格子がめぐらされています。
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浜街道(網干街道)の町並みです。
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背の低い出格子をめぐらせた町家は・・・
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白漆喰塗籠めの虫籠窓をしつらえた部分へとつながる、大きな建物です。
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そのお屋敷の全景です。
とても広大な敷地かとお見受けしました。 -
野田川に架かる向島橋から見た下流の景観です。
野田川の左手(東側)が埋め立て造成された向島になります。
では、向島へ渡ります。 -
この辺りが向島にあった姫路藩御舩役所の跡地で、石標が立てられています。
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姫路藩御舩役所には、およそ60隻の船を擁する御船手組という藩の水軍を常駐させ、水軍基地のある外港としての役割を持たせました。
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姫路市の汚水桝の蓋。
亀甲模様の中央に「姫」の字を図案化した市章を配しています。 -
浜街道(網干街道)の町並みに戻ってきました。
この辺りは、湛保(現在の飾磨港)が築かれる以前の古い港町で、兵庫や大阪方面への船着場がありました。
回船問屋が軒を並べたこの界隈は大いに賑わい、東堀町会所が置かれていました。 -
白漆喰塗籠めの虫籠窓や防火のための袖壁のある町家です。
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こちらの町家は、台風の被害に遭われたんでしょうか・・・。
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向島の対岸から姫路藩御舩役所の跡地の方角を見た景観です。
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この町家の前の道路は、明治9年(1876年)に完成した、生野銀山と飾磨港を結ぶ馬車専用道路の「生野鉱山寮馬車道(通称:銀の馬車道)」になります。
なお、JR姫路駅以南の「生野鉱山寮馬車道(通称:銀の馬車道)」は、江戸時代に姫路城飾磨門から飾磨津間に通された「飾磨街道(飾万道)」を転用しています。 -
黒漆喰塗の外壁に、防火用の袖壁のある町家です。
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レンガ造りの建物のある辺りが、生野銀山と飾磨港を結んでいた「生野鉱山寮馬車道(通称:銀の馬車道)」の発着点で、「播磨津物揚場」が設けられていました。
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「播磨津物揚場」では、「生野鉱山寮馬車道(通称:銀の馬車道)」で運ばれてきた鉱物や、船で運ばれてきた物資の積み降ろし作業が行われていました。
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これは飾磨祭の屋台を納める屋台蔵でしょうね。
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浜街道(網干街道)沿いの、白漆喰塗籠めの町家の前には・・・
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「あほし むろつ」、「そね たかさこ」などの文字が読める道標が立っています。
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お茶目な人形たち。
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浜街道(網干街道)はこの交差点で左(南)に曲がります。
なお、この交差点の周辺に良い町家があるので行ってみます。 -
隣り合っている町家のどちらも、軒先まで左官材を塗り籠めた、重厚な外観を見せておられます。
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土蔵造りの建物のあるお屋敷は・・・
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見事な二重卯建を上げた、重厚な町家を構えておられます。
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では、交差点の先の町並みを歩きます。
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晒葺の下屋を架けた町家です。
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名栗加工の外格子をめぐらせた町家です。
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所々にベンガラが塗られた町家です。
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朱色の欄干が色鮮やかな、鉄製の太鼓橋です。
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飾磨の町並みです。
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杉板張りの町家です。
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白漆喰塗と焼杉を使った外壁が、白と黒のコントラストを見せる町家です。
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こちらの町家は、下屋の中間部分に荷重を支える柱が取り付けられています。
間口が広いので、柱を取り付けるのはやむを得ないんでしょうね・・・。 -
こちらも杉板張りの町家です。
では、この先で浜街道(網干街道)へ戻ります。 -
浜街道(網干街道)沿いに、入母屋屋根が架かった大きな地蔵堂があります。
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堂内には、いろんな石仏や・・・
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お地蔵さまが鎮座していました。
では、ここから浜街道(網干街道)を逆戻りします。 -
浜街道(網干街道)の町並みです。
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2階に出格子のある町家は・・・
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外壁に緑青の吹いた銅板を張っておられます。
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こちらは倉庫として使われているようです。
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元の虫籠窓をアルミサッシに改修された町家です。
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こちらの町家も、厨子2階部分の外壁に緑青の吹いた銅板を張っておられます。
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こちらは、姫路で栽培された『姫路生姜』を使ったメニューにこだわっておられるカフェです。
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浜街道(網干街道)の町並みを見返した光景です。
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瓜型の虫籠窓と・・・
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ベンガラ塗の格子が見どころの町家です。
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虫籠窓ではなく、雨戸の付いた木製窓をはめた町家です。
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欄間付きの格子を併用して、外観に変化をつけた町家です。
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黒漆喰で縁取った瓜型の虫籠窓がある町家は・・・
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本瓦葺きの屋根を架けた、とても間口の広い建物です。
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町並みに彩を添えるのは、真っ赤な実をたわわにつけたナンテンです。
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土塀をめぐらせた大きなお屋敷が見えてきました。
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郵便ポストも、お屋敷をじっと見つめています。
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そのお屋敷の主屋は、整然とした外観を持っています。
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石灯籠の火袋を花器に見立てて、ナンテンの真っ赤な実が活けられています。
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では、このお屋敷の少し先で浜街道(網干街道)を外れて、飾磨港の方へ向かいます。
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屋根をトタン板で覆った町家です。
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2階の外壁に横板を張った町家です。
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良い風情を醸している荒壁の町家に心が惹かれます。
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磨き込まれた格子が気持ち良い町家です。
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駒留をめぐらせた町家です。
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飾磨の町並みです。
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この路地の奥には何があるんでしょうか・・・。
気にはなるんですが、今回はパスします。 -
こちらの町家の土塀の奥は庭園になっているようです。
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こちらは魚屋さんです。
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カレイの一夜干しが、いい塩梅に仕上がっています。
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仲の良い親子のような町家です。
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こちらの、2階の外壁に緑青の吹いた銅板を張った町家は、駒留もめぐらせておられます。
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隣り合う白と黒。
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白い方は本瓦葺きの土蔵です。
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黒い方は、吹き込まれた格子がきれいな主屋のようです。
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飾磨港から播磨灘の方角を見た光景です。
見えているのは飾磨臨海大橋になります。 -
では、港の寄り道を終えて、ここから町並みへ引き返します。
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カレイの一夜干しのお魚屋さんまで戻って来ました。
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真っ白に化粧直しした町家です。
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本瓦葺きの下屋をおろした町家です。
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外格子をめぐらせた町家です。
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角地に建っているので、下屋に車が当たらないよう石を置いて防いでおられます。
この先に「姫路藩浦手番所跡」があるようなので、ちょっと行ってみます。 -
この辺りは「姫路藩浦手番所跡」になります。
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いわば姫路藩御舩役所の出先機関のような機能を果たしていたようで、出入する船舶の検問や取り締まりなどにあたっていました。
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この道標は実際に使われていたものなのか、「左 ひめぢ」と彫られた文字に墨入れしています。
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幅の広い木戸の付いた町家です。
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こちらの町家の瓦は、元々赤かったのか、それとも何かの拍子に鉄錆が付着して赤くなったのか、興味をそそられます。
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白漆喰塗籠めの町家です。
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本瓦葺きの下屋をおろした町家です。
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二重卯建を上げた、精悍な外観の町家です。
左側の腰壁の膨らみは何なんでしょうね・・・? -
飾磨の町並みを見返したところです。
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こちらの町家も白漆喰を塗籠めておられます。
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木製の格子と鉄製の格子を使い分けておられる町家です。
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浜街道(網干街道)に戻って来ました。
こちらは、先ほど見た「あほし むろつ」、「そね たかさこ」などの文字が読める道標が立っていた町家です。
では、浜街道(網干街道)に沿って左手(北側)に曲がります。 -
こちらの町家は、防火用の袖壁に鏝絵が施されています。
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こちらの町家は、出格子の足元に下見板を張って塞いでおられます。
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太さの異なる格子を使い分けておられる町家です。
では、この先の国道250号線を跨ぐ歩道橋を渡って、浜街道(網干街道)を進みます。 -
玄関の両脇に卯建を上げた町家です。
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素晴らしい水辺景観を見せる水路ですね~。
これは、姫路城築城と併せて掘られた運河(三左衛門堀)の名残なんでしょうか・・・。 -
御幸屋台蔵です。
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こちらの町家の角にも、車の衝突を防止する大きな石が置かれています。
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瓜型の虫籠窓のある町家は、竹の外格子をめぐらせておられます。
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防火のための袖壁を出した町家です。
では、この先で飾磨街道に入ります。 -
飾磨街道沿いの町家は、防火のための袖壁に鏝絵細工が施されています。
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こちらは、立派な門を構えたお屋敷です。
では、山陽電鉄本線飾磨駅から電車に乗って、次の目的地へ移動します。
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この旅行記へのコメント (6)
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- ジェームズ・ボンドさん 2020/04/08 23:38:53
- 網干散歩
- こんにちは、網干方面は歩かれましたか?
網干に四国丸亀藩の領地が有った事は、あまり知られていない様です。
「明暦四年、京極家が龍野藩から讃岐国丸亀藩に移されたとき、網干壱万石が飛地領になり、興濱村にあった豊太閤お茶屋跡に網干陣屋を置いて網干を治めるようになった」と丸亀藩興濱陣屋門資料館のリーフレットにありました。
毎年、網干では街歩きのイベントが行われています(今年は不明ですが)。
- naoさん からの返信 2020/04/09 10:00:00
- 歩きました。
- ジェームズ・ボンドさん、こんにちは。
網干はすでに歩いていて、以下のような旅行記をアップしています。
2016 網干散歩
https://4travel.jp/travelogue/11106735
伝統的な町家が数多く残る町並みの中でも、網干銀行頭取や網干町長を歴任した山本家の「望楼」や讃岐丸亀藩の網干陣屋跡の門などが記憶に残っています。
今年は新型コロナの影響で町歩きイベントは無理でしょうね・・・。
nao
- ジェームズ・ボンドさん からの返信 2020/04/10 13:46:27
- 旅行記、拝見しました。
- 博物館学芸員実習で網干のまちあるきイベントに参加した時に歩きました。
この時に大覚寺・龍門寺・水井家・山本家・陣屋門跡を回ったのですが、背の高い建築物が増えたのも関わらず、山本家望楼から僅かながらも姫路城を見る事が出来たのは意外でした。
なお、近くの趣のある魚屋の二階部分は何処かの御屋敷から移築された物ですが詳細は忘れてしまいました。
昨今の情勢では観光地には行けませんが、街角の歴史を再認識するのも面白い楽しみ方だと思います。
- naoさん からの返信 2020/04/10 16:58:20
- 私なりの目線で・・・
- ジェームズ・ボンドさん、こんにちは。
網干の旅行記をご覧いただいたようで、ありがとうございます。
私は、そこに住んでいる人々の生活臭や日々の暮らしぶりが感じられる、そんな日常生活の場としての魅力に溢れた町並みが大好きで、いわゆる観光地や観光名所とは無縁の、『ちょっと変わったところ』を見つけては、あちこち歩いています。
それぞれの町が持っている固有の風土や、その土地ならではの習慣や風習などを発見するのは楽しいですよ。
nao
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- buenavistaさん 2020/04/02 21:47:55
- ようこそ
- 町歩き記拝見しました
この地はまさに自分が生まれ育った情操深い歴史の町で
マイホーム新築を機に飾磨をあとにしたとはいえ、
心は未だ離れようとはしていません
(とは言っても移転先はすぐ近くですが)
掲載された写真に幼少期の懐かしい思い出が重なって、
思わずコメントを寄せた次第です
やはり生まれた故郷が一番と改めて思わせていただいた投稿に
幾重の感謝を申し上げます
- naoさん からの返信 2020/04/02 22:44:22
- 私も同じです。
- buenavistaさん、こんばんは。
旅行記への投票ありがとうございます。
私も生まれ育った町を離れて生活している身ですが、その町に対する気持ちはbuenavistaさんと全く同じです。
時々車で通過することがあるのですが、懐かしさのあまり、ついつい徐行して眺めてしまいます。
nao
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