2012/03/28 - 2012/03/31
14位(同エリア305件中)
palさん
2012年、フラフラ人上司に、突然、
おみゃーさん、瀋陽工場へ出張に行ってこいや。
と、出張命令が下りました。
(+_+)///有り難き幸せ
満洲ですぅぅぅーーーーーマンチュリアですぅぅぅ。
やったーーーーー、おじいちゃん、おばあちゃん(T_T)/奉天出張やでーーーーー !!!
と、極楽浄土のおじいちゃん、おばあちゃん、母に捧げるエピソードです。
ーーーーーーーーーーーーーー
昔、1990年代、
旧満洲に渡って在住だった、我がおばあちゃんに、1991年版の地球の歩き方の中国バージョンを見せたことがありました。
おばあちゃんは、
私、ここ、行きましたわ。
と、つぶやきました。
おばあちゃんの記憶がよみがえって、過去に飛びました。。。
えっ?ほんと?
それは、瀋陽で、旧奉天駅舎(現 瀋陽駅舎)の写真でした。
東京駅のような駅舎でした。
(+_+)/ホー
ってな思い出がありました。
以下のエピソードは、
数回の瀋陽出張の思い出です。
ーーーーーーーーーー
奉天へ、いや、瀋陽へ、って大騒ぎ
奉天、ホウテンは街の名前が変わって、
瀋陽、シンヨウ、
プーさん語では、šen yang 、センヤンでした。
我が母は、自称満洲生まれでした。
でも本当は、
おばあちゃんがお産のために、日本に帰国して産まれたらしい。
その下の2人の、女の子(いや、我がおばちゃん)は、満洲生まれ。
でも娘のみんな満洲への思いは強く、
私が瀋陽出張が決まった時、
いっぱい、家族がどこに住んでいたのかと調べてくれました。
当時、幼児だった彼女たちは、どう調べたんですかねぇ。
おばあちゃんに聞き出したんですかねぇ???
大連、奉天、長春、哈爾浜、、、
でもねぇ、旅行じぁあなくって、ただの出張どす(=_=)/
満洲に住んでいた家族のルーツを探す観光旅じゃないんですけれど、、、
母方のおばあちゃん方の親族は、
けっこうな騒ぎだったようです。
誰も、戦後、プーさん帝国に行ったことがなくて、
様々な思いがあったんです。
palが満洲の奉天に行くってーーーーーー
えーーーーー
あのー、瀋陽です。
それに、ただの出張です(=_=)。。。
ーーーーーーーーーー
初めての奉天(瀋陽)
おばあちゃんは、満洲は、ムッチャさぶかった(寒かった)っと言っていました。
そのさぶかった時期が、私の最初の瀋陽出張でした。。。
瀋陽の空港の出口には、
分厚いビニールの、のれんの仕切りがありました。
そこを抜けると、
極寒(+_+)/さぶーーーーー
あーれー
の世界でした。。。
タクシーに乗り込んだのですが、白タクでした(=7=)初めての瀋陽のおもてなしでした。
兎に角、ホテルまで行けぇーーーーーーー
領収証をくれませんでした。
英語でレシートくれーーーー
と言っても通じません。
プーさん語をもっと勉強して行くべきでした。
最初の奉天の洗礼でした。
タクシーの領収証ありません、
と、元瀋陽勤務のフラフラ人上司は、
キャハハハ
と、笑い倒しました。
(=_=*)ブチ、バックパッカー的に無念でござる。。。
ーーーーーー
票、ぴょう
その後学びました。
レシートは、
票、ぴょう、デスぅぅぅ(+_+)///
同僚のフィリピン人と一緒にタクシーに乗って、教わりました。
かわいいフィリピーナさんたちは、語学堪能ですが、
フィリピーノ君たちも、語学の達人なのです。
プーさん帝国への出張には、票、は、必須の言葉です。。。
ーーーーーーー
https://youtu.be/xhn6m5GDCpA
もやっとPM2.5
初めての瀋陽は、最初は気が付かなかったのですが、、、、
2度目の出張あたりから気づきました。
このもやっとって、PM2.5です。
空気が悪いのです。。。
空港に降り立つ前、
もやっと、、、、、
もやっと空港に降りていくんです。。。。
アーギャーマー(=_=)/上海しかり、プーさん帝国は、もやっとの国土でした。。。
ーーーーーーー
https://youtu.be/rYOFYlIGq2w
鬼城
空港からタクシーで街までぶっ飛ばすんですけど、
だあれも住んでなさそうな高層マンションがたくさんありました。
見るからに生活感 0 でした。
出張初期には満洲時代かもしれない、古い農家っぽい家が、高速道路からちらっと見えました。
その後、それらは、ほぼ完全に駆逐されて消えました。
みんな立退けぇ、って追い出されて、
鬼城にとって変わられたのかなぁ。。。
プーさん帝国の風景です。
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https://youtu.be/4i5HKVRpJ-U
https://youtu.be/KOEO8u3BhpA
奉天駅
泊まったホテルのすぐそばに、瀋陽駅(旧奉天駅)がありました。
散歩しました。
おじいちゃん、おばあちゃん、
孫が来たぁーーーーーーー
と、感慨深かったです。
もちろん、東京駅舎風のレトロな駅舎の中を見学しました(+_+)ホー
まだ自動切符券売機もなく、レトロな窓口だったと思います。
その他にも、街を散歩すると、満洲時代の面影の日本の西洋風の建築物かもー、
って想う建物がいっぱいありました。
おばあちゃん、満洲やでーーーーー(^_^)///
https://youtu.be/mKmI6Iu-Uzs
若かりし、田舎者のやまとなでしこのおばあちゃんは、ハイカラな奉天の建物に、
都会やーーーーーーー、
って、キャーって、ニコニコと叫んで、若かりしおじいちゃんと仲睦まじく、奉天の街を散歩したでしょうねぇ。
ーーーーーーー
https://youtu.be/Zb68WW3P2T8
故宮
プーさん語では、故宮は、カタカナでグーゴンです。
この発音はムッチャ難しいです。
プーさん人民には、通じません。。。
初めての瀋陽出張のその時、瀋陽出張数回の達人が、一緒のホテルでした。
たまたま、週末で、
じゃあ、グーゴンに行きましょう、って案内してくれました。
清朝の故宮でした。
奉天の街中にありました。
(+_+)ホー
グーゴンは、奉天1番の観光名所です。
ベトベト国のフエの王廟、ミンマン帝廟と同じような様式で広大でした。
清朝のプーさんの王廟はいろいろパラパラと郊外にあるのですが、観光は、故宮しか行けなかったです。
出張です(=_=)/仕事っちゃ
散歩で、ただ一人だけ、おじいちゃんプーさんの人民服姿を見かけました。
(*_*)wow/レトロ
故宮より、人民服が、これぞプーさんだと思ってしまいました。
何度目かの出張で、帰国便の前に時間ができました。
どこ行こう?って、やっぱり故宮でした。
タクシー運ちゃんに、
グーゴン グーゴン
って言ったのですが、全く通じません。
しょうがないので、地球の歩き方の写真を見せました。。。
運ちゃんは、なんだ、グーゴンか、キャハハハ
と大爆笑でした。
わしの発音のどこが悪いんやねん(=_=*)ブチ
ーーーーーーー
https://youtu.be/DQVcYsM-U_4
うみゃー餃子
1番うみゃーて老舗に、連れて行かれました。
日本人は、焼き餃子、
プーさん人は、水餃子だと思っていました。
でも、奉天では、蒸籠(セイロ)の蒸し餃子なのでした。
(^_^)好吃、ハオチー、おいひー
あのー、餃子の形ですが、シュウマイ???
頼むと1蒸籠(セイロ)で10個で、お腹いっぱいとなります。。。
いろいろと種類があるのですが、お一人様だと、
せいぜい2種類で、
お腹いっぱいで参った(=_=)降参でございりまする。。。
と、なりまする。
なんで日本に蒸し餃子が、ないんだろう。
極寒の街で、
セイロの熱っいホカホカ餃子は、どえりゃーうみゃーです(^_^)///
(とっても美味しい)
奉天の☆☆☆三つ星///グルメです。
ーーーーーーー
タクシーで工場へ
何度か瀋陽出張に行きましたが、
工場へはタクシーで、
必ず瀋陽駅を通り抜けました。
私としては、旧奉天駅は、通り過ぎたびに感慨深かったです。
出張によっては、
タクシーには同僚の日本人、フィリピン人、イラン人などと、
相乗りしました。
みんな私より瀋陽出張の経験が豊富でした。
瀋陽のタクシーっていつも暴走タクシーでした(=_=*)。。。
日本人の大先輩
(慶應ボーイ)
まあ、いつもこんなもんだよ。
キャハハハ
(=_=)そうですか。。。
フィリピン人同僚
F1です。
マニラと同じです。
(=_=)そうですか。。。
イラン人同僚
運転、簡単だよ。
僕だったら、もっと速くキーンと走れるよ!
(=_=)ああ、そうですか。。。
タクシーは、
街中では、尾張小牧ナンバー顔負け、
渋滞を抜け出すと、郊外の工場団地まで、
クレージーな爆走ジェットコースターでした。。。
(=_=*)たわけタクシー
ーーーーーーー
奉天の気候
冬の最低温度は、マイナス30℃って聞いて、どんな装備が必要なのか、わかりませんでした。。。
って、完全防備?を買い込みましたよ。
普段薄着なのですが、初めて股引的なものを買いました。。。
マイナス30℃にはなりませんでしたが、私は、マイナス15℃で、同僚のイラン人と一緒に凍死寸前でした。。。
でも、5月か、7月だったか、
プラス30℃ぐらいで、ムッチャ暑かったです(+#+)暑かぁ///奉天
プーさん大陸の気候って、
ムッチャ激しいと実感しました。。。
おばあちゃん、大変やったろなぁ。。。
ーーーーーーー
https://youtu.be/B4GM2LlmUYM
迷路の地下街
さぶーーーーーい街の奉天には、
迷路の地下街がありました。
空港と同じく、
出入り口は、分厚いビニールののれんがありました。
地下街に入れば、ほっこり温かいのです。
これが、迷路で、
八重洲よりも名古屋の地下街よりも、もっと迷路でした。
細いトンネル道が血管のように張り巡らされていました。
満人のプーさんたちは、掘りまくりましたねぇ。。。
ーーーーーーー
満人G氏との再会
彼が日本に長期研修出張のとき、
我がアパートで一緒に飲みました。
彼は、中国料理をしゃーしゃーしゃーと作ってくれました。
同じ化学系で、もう、盛り上がりましたねぇ。
彼によれば、大学の化学の漢字が1番難しかったそうです。
新しい物質には、新しい漢字が作られて、なんじゃー、見たこともない漢字が羅列だったらしいです。
プーさん帝国(^_^)爆
H He Li Be ... スイ ヘー リー ベ、、、僕の船、、、
って、みんな漢字があるんでしょうねぇ。。。
(*_*)恐ろしい
ビールでガンべーして、
中国映画の話で盛り上がりました。
https://youtu.be/5VL5WPZGVH0
芙蓉鎮(^_^)/
(初めて映画館に観に行った中国映画です。文化大革命を生き抜いた、たくましい女性の話でした。)
あー、劉暁慶、リュウシャオチンは、もうおばちゃんです。。。
と、バッサリ切り捨てられました。。。
中国映画の日本語タイトルは通じなくて、
ストーリーだけで、鞏 俐 コン リーのあの映画だよーーーー
なんて、大盛り上がりでした。
https://youtu.be/i6Uzpt83TlA
鞏 俐の映画でも、
鞏 俐がふんする、ど田舎村の新婚奥さんの旦那さんが、なんかトラブルで、役人におチンコを蹴られるのです。
奥さんは、ブチ切れて、先ずは地元の役場に乗り込んで、相手にされず、、、
次は、県の裁判所に乗り込んで、
更に省の裁判所に乗り込んで、
ついに、北京に乗り込むという、
もう爆笑の映画でした。
タイトルは覚えていないんですよねぇ。。。
もう一度観てみたいデスぅぅぅ。
(調べたら、秋菊の物語 でした。)
キャハハハ、でもあの映画の中の鞏 俐は、ブサイクでした。
鞏 俐の微笑みは、プーさん男子の憧れなのです。
鞏 俐は、プーさん男子には、
フラフラ男子にとってのソフィーマルソーちゃん的存在でした。
鞏 俐は、奉天出身で、満人の憧れのプーさん美女でした。
そんなG氏と、瀋陽出張で、再会しました(^!^)///
もう、大歓迎されて、ガンべーしまくりました。
ーーーーーー
おまけ 鞏 俐 主演
紅いコーリャン
https://youtu.be/M3sZ-KFc12g
紅夢
https://youtu.be/4fwVs9_tkCY
ーーーーーーー
瀋陽で、フラフラ人D氏との再会
フラフラっとフラフラ国から出張でやってきました。
私がフラフラ国の出張でお世話になった、ホスト上司のD氏でした。
キャハハハ(^_^)///
寒い時期でしたが、初めての東アジアの出張で、ご機嫌でした。
工場には、立派な食堂があったのですが、
ホステスのプーさん女子部長が、
ランチは、外のレストランに食べに行くっちゃ、と
連れ出してくれました。
極寒の外に出るって、もう着込んで着込んで、
ぬいぐるみ状態で、
工場を抜け出して、toco toco行軍でした。。。
ホステスのプーさん部長は、
フラフラ国滞在歴も長く、フラフラ語も堪能でした。
ランチもフラフラっと、フラフラ式に長かったです。
美味しい中国料理をみんなで堪能しました。
でも、さすがに、ビールは、NGでした。。。
ーーーーーーー
饗宴1
たまたま出張で一緒になった日本人、中国人、イラン人、フィリピン人などと、
夜は饗宴でした。
日本採用の中国人(東大卒)が一緒に出張でいると、最強でした。
みんな、彼におまかせオーダーでした。
上海と比べると、瀋陽は物価がとっても安かったです。
北京ダックなんて、格安でした。
でらうみゃー(+_+)///
漢字の読めないフィリピン人、イラン人の同僚には、
必ず写真付きのメニューのあるレストランに連れて行かれました。
漢字が読めない彼らは、
指差して、1个 イーゴ
と、サバイバルのプーさん語でした。
キャハハハ(^_^)爆
みんな日英語を含めて、3、4カ国語を話せる猛者です。
が、
でも、プーさん語は、漢字が読めず、必須の数語、フレーズだけでした。。。
私は、漢字が読めるし、フラフラ語が話せると、一目置かれていました+_+)v。
各国のバックパッカーの集まり状態でした(^_^)///
イーゴ、1個は、
我が猛者の外国人同僚に教わった最強の言葉でした。
写真付きのメニューのあるレストランで、指差してイーゴは、簡単の最強の言葉でした。
回教のイラン人同僚がいるときは気を使いましたねぇ。
メニューの中の猪の文字は、いかんのです。
イラン人の同僚は、ビールはぐぴーっと、うみゃー、と飲んでいましたが、猪(豚)肉は、絶対的にあかんのでした。。。
火鍋も蒸し餃子餃子も、羊さん肉オンリーでした。。。
羊さんは、でらうまかったです(^_^)///
ーーーーーーー
饗宴2
会社の打ち上げイベントで、50人ぐらいで飲みに行きました。
フラフラ人、プーさん人、その他は私も含めていろいろ。
プーさん人は、みんなブリブリ語を話せるクラスの人でした。
2000人一緒に飲めるという、超弩級のでかいレストランでした。
プーさん帝国には、イオンなんてちっちゃいと思える超弩級のモールがあるのです。
プーさん帝国には、そんなモールの上の階でした(*_*)///アイヤー
料理は、10うん品で、くるくるテーブルに乗り切らないほどで、
くるくるジュルジュルでした。
中華じゃなくって、ほんまもんの中国料理でした。
みんな美味しいーーーーーー
えーっと
雪花ビールでカンパイ合戦でしたねぇ。。。
プーさん帝国の北は、青島じゃなくて、雪花ビールです。
満人のプーさん帝国人は一言なにか言って、その度に、グラスをテーブルにコンコンと叩きつけ、
そして、みんなでガンべー(乾杯)、でした。
私とのガンべーの合戦に生き抜いたプーさん帝国人は、5人ほどでした。他はみんな玉砕か転進でした。。。
生き抜いたのは、あっぱれ(+_+)/な満人じゃ///
雪花ビール(通称 スノー)は、水なのです。
私は、トイレに十数回駆け込みました(-_-)全然酔わへん
白酒、ばいちゅう、もってこいやーーー(=_=*)
おばあちゃんは、満洲で暮らしていた。
満人はとっても優しかったと言っていた。
満人の助けもあって、おばあちゃんは日本に帰ってこれた。ありがとう。謝謝。
え、あ、そんな話は、別の席で話ましょう、と、涙ぎみの優しい満人がいました。
それぞれの家族で、いろんなヒストリーがあるのです。
終始、満洲のガンべー無敵のプーさんたちとガンべーで飲み明かしましたねぇ。。。
ーーーーーーー
こうのがっさくしゃ
おじいちゃんは、軍人ではなくて、こうのがっさくしゃって所で働いていました。
農協的なのかなぁ?
でも戦況が悪くなって、おじいちゃんは赤紙をもらって、軍に招聘されました。。。
ーーーーーーー
https://youtu.be/c94IH6noCI0
ロ助軍が攻め込んでキタァァァ!!!
ロシアの美女軍団じゃないです。
おばあちゃんの言葉を借りれば、ロ助です。。。。。。。
って、おばあちゃんは、3人の幼子の女の子を連れて逃げ出した。
南に、南にって、逃げるんや
長女だった母は、5~6歳、でも、死体の山を超えてtoko tokoと歩いたのを強烈に覚えているとのことでした。。。
ーーーーーーー
八路軍もキタァァァ!!!!!
おばあちゃんが、とっても怖かったのは、
ロ助軍と、毛沢東の八路軍でした。
カオスです。
八路軍、はちろうぐん、パーローチュンです。。。
大日本帝国陸軍から、
やまとなでしこは、決して辱めを受けてはならぬ、と、若かりしおばあちゃんは
、いつでも自決せよ、と、青酸カリを持たされていたそうです。。。。
若かりし、おじいちゃんは、兵隊に取られて、
若きおばあちゃんは、3人の幼子の女の子連れバックパッカーで、ロ助軍と八路軍から逃れる南への旅でした。。。
(T_T)おばちゃん、加油、頑張れーーーーーーー///
ーーーーーーー
https://youtu.be/NcsXzI3b1Bg
葫芦島、コロ島
おばあちゃんと3人の幼女は、日本への帰還に1年以上待ったそうです。。。
おばあちゃんの一言の手記によると、
コロ島で、着物を売っておりました。
だ、そうです。
コロ島から日本に帰国船が出たそうです。
コロ島は、島ではないらしいですけど。。。
ああ、でも、九州なのかー、日本が目の前だったのに、伝染病隔離でしばらく日本に上陸できなかったそうです。
(T_T)
検疫って、英語でquarantineですけど、英語っぽくないです。
フランス語ではquaranteは、40です。
イタリア語では、40は、quarantaです。
昔のヴェネツィアでは、伝染病人がいる船は、隔離処置で、40日留め置かれたそうでず。。。
検疫って、それが語源だそうです。
イタリア語っぽい言葉です。
おばちゃんは、幼児の3人の娘と命からがら帰ってきた日本が、目の前のそこなのに上陸できないって、、、
おばあちゃん(T_T)頑張ッタばい。
そして、よくぞ故郷まで3人の幼子と、汽車でたどり着いたにゃぁ。
おばあちゃんは、
我が一族のヒロイン、英雄でした。
パチパチ。
ーーーーーーー
https://youtu.be/ifou5l3NwiU
シベリア送り?
戦争終戦前の、どさくさで兵隊に取られた我がおじいちゃんは、
シベリア送りにはならず、おばあちゃんから遅れること1年、
日本にひょっこり?と帰ってきたそうです。
でも若死にしちゃって、私は、写真しか見たことがないです。。。
私の昔の名大の才女の彼女は、
私のおじいちゃんは、
シベリア送りで、でも、生きて帰ってきたのよ、って、
シベリアからやっと帰ってきたのに、村八分的に扱われた、
と、元彼女は、涙(T_T)ウルウルで語っていました。
なんで村八分なのか、わかりません。。。
高校生時代は、街を歩けば、傷痍軍人?ほんまでっか?がいっぱいいましたねぇ。。。
彼女とは、
ラストエンペラーを映画館に観に行きました。
淡い思い出です。
https://youtu.be/mTTeE1Lhbkg
ーーーーーーー
https://youtu.be/_2refp-TD2g
空襲
海軍燃料廠のあった我が街も、B29に焼夷弾でボコボコにヒューヒューと爆撃されて焼け野原となったそうです。。。
(=_=*)ブチ
おばあちゃんの母方は、産まれた造り酒屋が灰になったそうです。
私は、その呑兵衛の血統を受け継いでいます(+_+)///ういー
もったいなーい(T_T)/////////////
幼き父は、街をボコボコに焼夷弾の空襲で焼かれて終戦。
焼かれても、生き残る為に進駐のコメコメ軍に、
ギブ ミー チョコレート
と、叫んでいたそうです。。。。
進駐のコメコメ兵隊は、とってもかっこいい。と思っていたらしい。
そんな時代だったらしいです。。。
ギブミーチョコレート(=_=)/プリーズ
コメコメ兵士からもらったチョコレートは、ムッチャ美味かった
そうです。。。
https://youtu.be/SE0Kjmietrc
ーーーーーーー
それぞれの家族、一族の話は、全く違うでしょうねぇ。。。
いろんな地方から、満洲、台湾、朝鮮、南方の島々。。。
夢を抱いてバックパック、背嚢1つで渡った日本人家族が移り住んで、
新天地で生活していたんですよねぇ。
私は、縁あって、
若かりし頃のおじいちゃん/おばあちゃんが通り抜けた奉天に、たまたま出張で何度か訪れました。
旧奉天駅に、
孫が来たぞーーーーーー
と、ちょっと目頭が熱くなりました。
我がおじいちゃんとおばちゃんは、背嚢パッカーの大先輩なのです(^_^)/
https://tangonotimei.com/hikiagesen1.html
(^_^)フフフ
PR
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この旅行記へのコメント (4)
-
- アルカロイド ダリルさん 2020/03/29 16:51:06
- 186センチ
新婚旅行でシンガポールに行った時、脚を160°に開いても前の座席にブツかり、ギャーギャー文句言ってました! しかも、本人も知らなかった閉所恐怖症で、高所恐怖症、聴覚過敏が初めてわかり、、
以来、会社の命令なら乗るけど、プライベートでは絶対乗らんぞ~!と、宣言され、結婚したことを激しく後悔しました!
アレから30年のダリル
- palさん からの返信 2020/03/29 21:57:07
- Re: 186センチ
- 爆笑ですねぇ。
きっと、巨人にあるあるストーリーです。
ベトベト国のフエからのDMZ(非武装地帯)1日ツアーで、
カメラ小僧の200cm級の巨人がいました。
その彼に、ランチで、堪能な日本語で話しかけられて、
もう、大びっくりでした。
ブリブリ人でした。
柔道家だそうで、あの2m級の、でっかい奴も知り合いってことでした。
彼には何もかもが、小人サイズで、
飛行機もバスも列車も、移動が一番辛いと、のたまっていました。
ベッドはねぇ、小さすぎって、(^_^)爆
瀋陽出張ストーリーには、
エピソードをいくつか追加しました。
よかったら、お読みくだされ(^_^)///
pal
-
- アルカロイド ダリルさん 2020/03/29 03:52:48
- おばあちゃんは英雄
よかったですね、無事に帰国できて! しかもシベリア送りにならなくて!
父は召集され満州へ、ロ助に追われて黒竜江省から朝鮮半島に逃げて、アメリカ軍に捕虜として使役されて、終戦から数年経って帰国しました! 捕虜時代に朝鮮戦争が起きてしまい、38度線を撃ちまくりながら国境を超え帰国、のちにダリルが生まれました!
満州時代の凍傷の跡が、手の甲に残っていました! 戦争中の話をしてくれなかったので、リアルな戦争はわかりません!今なら聴けるけれど、子ども時代のダリルには聞き出すのは無理でした!父は50代で早死にしてしまいました!
それから 40年後、主人が毎月出張で、半分は瀋陽に住んでました!零下20°でのビジネス用の服が想像もつかず、20°を超えるとタクシーが運転を止めるらしく、レストランの帰りに歩いて、数人で遭難しかけたらしいです!その頃はユニクロの、ヒートテックがまだない時代で、寒さがとても辛かったと こぼしていました!
そのせいかゴマ油をウエストにシコタマ着けて、断熱材として備蓄するようになり、危うく0.1トンを超えそうになりました! ただでさえ規格外れの身長のせいで(186センチ)つるしのスーツがないのに、腹までデカくなり、ビンボーなわが家ではオーダーなんかデキないので、深~く霜降り肉を恨みました!
出張がなくなったら、霜降り断熱材はきれいになくなり、25キロ痩せました! 蒸し餃子のような小籠包が、うまいらしく激しくおかわりするのですが、白米をたくさんおかわりするようなものらしく、ホントに注文するのか?と、何度も聞かれたそうです? ホントに注文して、全部が断熱材に変わりました!
このごろ霜降りウエストのダリル
- palさん からの返信 2020/03/29 16:17:44
- Re: おばあちゃんは英雄
- ダリルさん、こんにちは。
お父様の話、ありがとうございます。
波乱万丈でしたねぇ。
捕虜も朝鮮戦争に駆り出されたんですか(*_*)⁉ホー
生きて日本に帰ってこれて、良かったデスぅぅぅ。
おばあちゃんも戦争の話は全くしませんでした。
おばあちゃんの娘たちが、おばあちゃんが軍に青酸カリを持たされていたと聞いたのは、
おばあちゃんが大往生する直前だったらしいです。
おばあちゃんは、なんまいだーなんまいだー、
と、いつも仏壇の前で唱えていました。
きっと、満洲で命を落としていった人々に、南無~~~
と、祈っていたんでしょうねぇ。。。
ご主人が、瀋陽出張だったんですか(^_^)爆///
瀋陽は、兎に角、夏が短くて、
ムッチャさぶいですーーーーーー
セイロの蒸し餃子は、
どえりゃーうみゃーーーーー
ですーーーーーー
2月のマイナス15℃の夜、
熱くてホクホクの蒸し餃子をたらふく喰った夕食後、同僚のイラン人と滞在中のホテルに向かってtocotocoと歩いていたんですが、
ほんまに、
凍死しそうになりましたよ(*_*)///背中がパキパキっと凍っていくのがわかりました。。。
186cmって、巨漢ですねぇ(*7*)///
出張でたまたま一緒だった日本人同僚の1人が、180cm級のノッポさんでした。
私の初めての瀋陽出張で、故宮に案内してくれた先輩です。
瀋陽から成田へのエコノミーの機内では、
可愛そうなほど窮屈そうでした。。。
脚、長すぎですーーーーーー。
子柄の私は、エコノミーでも短い脚を伸ばせて、楽々でしたけどねぇ(^_^)///爆
pal
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