2020/01/06 - 2020/01/06
373位(同エリア1465件中)
naoさん
京都から東へ、逢坂山峠を越えて旧東海道の緩やかな坂道を琵琶湖に向かって下って行くと、滋賀県の県庁所在地である大津市の、かつて「大津百町(おおつひゃくちょう)」と呼ばれた市街地が拡がっています。
「大津百町」は、安土桃山時代の天正14年(1586年)頃に、天下統一を果たした豊臣秀吉が大津城の築城に合わせて整備した城下町の町割りを礎として始まったと言われています。
関ケ原の合戦の直前に戦われた大津籠城戦で、大津の町はことごとく焼かれてしまいますが、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康によって、幕府直轄の商業都市として復興されました。
これにより、日本一大きい琵琶湖水運の港町として、また、最盛期には200軒を越える旅籠屋が建ち並ぶ、東海道や中山道の宿場町の中で最大規模の大津宿として、さらには、三井寺(正式名称は長等山園城寺)の門前町として、賑わいと活気に満ちた町場が形成され、百ケ町以上の町数を誇る「大津百町」へと発展しました。
「大津百町」一帯は太平洋戦争の戦火や災害による被害が少なかったため、江戸時代から昭和初期にかけて建てられた、隣接する京都の洗練された町家建築の影響を受ける大津町家など、歴史的な文化資源が今も随所に残っており、人々の視線を引き付ける魅力的なエリアとなっています。
現在、大津市では『大津百町とびわ湖を舞台とした暮らしと交流の創造都市へ』を基本理念に掲げ、「大津百町」に残る町家などを複合的に活用することで都市機能を充実させ、歴史や文化を生かした暮らしと賑わいを創出する、中心市街地活性化事業を進めておられます。
さらに、「大津百町」の町家が徐々に減っていくことに危機感を覚えた地元の皆さんや市町村職員の有志の方々を中心に、「滋賀まちづくり研究所」、「大津の町家を考える会」、「大津百町の町家再生研究会」など、市民レベルでの活動が平成5年以降順次立ち上げられ、「大津百町」に残る町家の保全と活用のあり方について、いろんな角度から積極的に取り組んでおられます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
大津宿の東端の分岐点で折り返して、東海道の一本北側にある通りにやって来ました。
ここからは、この通りを西に向かって歩きます。 -
黄土色の土壁を塗籠めた虫籠窓のある町家です。
-
こちらは、黒漆喰塗の壁に虫籠窓を開けた町家です。
-
腰板張りの土塀をしつらえた町家です。
-
玄関に切妻屋根の破風を架けた町家です。
-
2階に防火のための袖壁のある町家です。
-
こちらの町家は、僅かに虫籠窓が残っているので、かつてはアルミサッシの付いているところも虫籠窓だったんでしょうね・・・。
-
2階の窓には網戸が付いているんですが、その内側にも粗めの網が取り付けられています。
どういう目的があるんでしょうか・・・。 -
こちらの町家は、道路より一段高く敷地を盛り上げておられます。
-
この電柱、何かこのお宅に意地悪していませんか!
-
こちらの町家は、玄関の他に通り庭もあるようです。
-
間口の広い玄関は、車庫と兼用されているようですね。
薄っすらとナンバープレートが透けて見えます。 -
こちらの町家は鉄製の駒留をめぐらせておられますが、かつては名栗加工か何かの木製だったんでしょうね・・・。
-
東海道の一本北側にある通りを、さらに琵琶湖の方に外れた先に、一基の常夜燈が立っています。
-
これは「矢橋道小舟入港の常夜燈」と呼ばれるもので、石柱部分に「文化五年戊辰年九月建之」と刻まれているところから、西暦1808年に立てられたものであることが判ります。
説明書きによると、京都の伊勢講のひとつだった「恒藤講」が、伊勢参詣のための常夜燈として立てたものだそうです。 -
その常夜燈に面して、立派な町家が建っています。
-
東海道の一本北側にある通りに戻って来ました。
斜めに架かった玄関庇のある町家です。
樋の水勾配を考慮したのかもしれませんね。 -
こちらは歯科医院です。
-
歯科医院の診療部門の先には、伝統的な大津町家の主屋が繋がっています。
-
こちらの町家は一般住宅だと思われますが、飾り窓を備えています。
-
「大津百町」の町並みです。
-
こちらは昆布屋さんです。
-
こちらの町家は、出格子の足元が見えないように、犬矢来で覆っておられます。
-
こちらは洋服屋さんです。
-
玄関先に大きな狸が置かれた町家です。
-
こちらの町家のベンガラは、他にもまして色鮮やかです。
ここでもう一度、東海道の一本北側の通りを琵琶湖の方に外れた先にある町並みを歩きます。 -
2階の出格子が特徴的ですね。
-
外階段のある町家です。
-
千本格子の三枚扉の中は車庫なんでしょうね。
-
こちらの町家は、大きな飾り窓に陶器類を並べておられます。
-
くすんだベンガラ塗りが、こちらの町家の時の流れを教えています。
-
東海道の一本北側の通りに戻って来ました。
-
「大津百町」では珍しい、妻入りの町家です。
-
こちらは和菓子屋さんです。
-
小さな虫籠窓のある町家です。
-
これぞ、格子尽くしといった町家です。
-
駒留をめぐらせた町家です。
-
こちらの町家の犬矢来には、通気口のようなスリット状の細工を施しているので、エアコンの室外機が収められているようです。
-
大きな虫籠窓のある町家です。
-
煙り出しの越屋根のある町家は・・・
-
鍾馗様が厨子のような覆いの中に居られます。
-
黒漆喰塗籠めの虫籠窓がある町家です。
-
白漆喰塗籠めの虫籠窓や卯建など、手の込んだ細工が施された町家です。
-
昔ながらの長持ちを商品棚の代わりに置いているのは陶器屋さんです。
ここでまたまた、東海道の一本北側の通りを琵琶湖の方に外れます。 -
琵琶湖の方にある「大津百町」の町並みです。
-
少し背の高い駒留をめぐらせた町家です。
-
バルコニーの付いた洋風建築の歯科医院さんは・・・
-
妻壁に海賊船を描いたステンドグラス窓がはめられています。
-
では、東海道の一本北側の通りへ戻ります。
-
東海道の一本北側の通りに戻って来ました。
-
こちらは、陶芸を通じて町おこしの手助けになればと活動されている陶芸サークルの拠点です。
このサークルでは、メンバーおのおのが教えあい、学びあって、自由に作陶を楽しんでおられるそうです。 -
では、丸屋町商店街を歩きます。
-
こちらは、「浅茅生(あさぢを)」という銘柄の造り酒屋で、万治元年(1658年)の創業だそうです。
17代目のご当主は、蔵元杜氏として酒造りに励んでおられます。 -
「ここ滋賀SHIGA」は、伝統工芸品をはじめ、食品、雑貨など、滋賀の各地で生まれた名品を取り揃えているアンテナショップです。
-
2階の窓に趣のある建具を入れた町家です。
-
右側の、黒漆喰壁に下地窓の開けられた町家は・・・
-
「商店街ホテル 講 大津百町」のひとつ、「丸屋」です。
「商店街ホテル 講 大津百町」は、「大津百町」のまちなかに点在する築100年前後の町家7棟を再生し、ひとつのホテルとして運営する、複合体としての名称で、一棟単位では「丸屋」のように個別の名前が付けられています。
ちなみに、「講」とはかつて日本各地にあった地域の相互扶助組織のことで、代表的なものとして「伊勢講」、「熊野講」などの参詣組織が知られています。 -
こちらが、伏見奉行所の坂本龍馬襲撃事件で名高い、伏見の船宿「寺田屋」を切り盛りしていたお登勢さんの実家「升屋」の跡地です。
そのことを示す説明板の掲示と石碑が立てられています。 -
昭和レトロ風の書店。
-
丸屋町商店街を抜けて、京阪電気鉄道京津線が走る電車道へ出ました。
-
この電車道でも、風情ある町家を見ることができます。
-
大きな看板を掲げたこちらのお店は、和ろうそくなどを商っておられます。
-
では、京阪電車も走り去ったところで、次へ向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
大津(滋賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
63