2020/01/06 - 2020/01/06
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naoさん
京都から東へ、逢坂山峠を越えて旧東海道の緩やかな坂道を琵琶湖に向かって下って行くと、滋賀県の県庁所在地である大津市の、かつて「大津百町(おおつひゃくちょう)」と呼ばれた市街地が拡がっています。
「大津百町」は、安土桃山時代の天正14年(1586年)頃に、天下統一を果たした豊臣秀吉が大津城の築城に合わせて整備した城下町の町割りを礎として始まったと言われています。
関ケ原の合戦の直前に戦われた大津籠城戦で、大津の町はことごとく焼かれてしまいますが、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康によって、幕府直轄の商業都市として復興されました。
これにより、日本一大きい琵琶湖水運の港町として、また、最盛期には200軒を越える旅籠屋が建ち並ぶ、東海道や中山道の宿場町の中で最大規模の大津宿として、さらには、三井寺(正式名称は長等山園城寺)の門前町として、賑わいと活気に満ちた町場が形成され、百ケ町以上の町数を誇る「大津百町」へと発展しました。
「大津百町」一帯は太平洋戦争の戦火や災害による被害が少なかったため、江戸時代から昭和初期にかけて建てられた、隣接する京都の洗練された町家建築の影響を受ける大津町家など、歴史的な文化資源が今も随所に残っており、人々の視線を引き付ける魅力的なエリアとなっています。
現在、大津市では『大津百町とびわ湖を舞台とした暮らしと交流の創造都市へ』を基本理念に掲げ、「大津百町」に残る町家などを複合的に活用することで都市機能を充実させ、歴史や文化を生かした暮らしと賑わいを創出する、中心市街地活性化事業を進めておられます。
さらに、「大津百町」の町家が徐々に減っていくことに危機感を覚えた地元の皆さんや市町村職員の有志の方々を中心に、「滋賀まちづくり研究所」、「大津の町家を考える会」、「大津百町の町家再生研究会」など、市民レベルでの活動が平成5年以降順次立ち上げられ、「大津百町」に残る町家の保全と活用のあり方について、いろんな角度から積極的に取り組んでおられます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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北国海道(西近江路)界隈の「大津百町」にやって来ました。
先ずは、京阪電気鉄道石山坂本線の電車道の方へ行ってみます。 -
三井寺の案内書きを貼った町家は空き家のようです。
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「大津百町」の町並みです。
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正面から見ればごく普通の町家ですが・・・
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妻側に廻ると、大屋根の架かった、こんなにも奥行きの深い町家だったことを教えてくれました。
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前の写真の大屋根の架かった町家は、京阪電気鉄道石山坂本線の電車道に面しています。
見えているのは、京阪電気鉄道の京津線と石山坂本線が乗り入れているびわ湖浜大津駅です。 -
京阪電気鉄道の石山坂本線は、終点の坂本比叡山口駅目指して延びています。
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さて、町並みへ戻って来ました。
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外壁に杉皮を張った町家です。
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虫籠窓のある町家です。
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同じような建物を向かい合わせて、中庭スペースを確保しているような町家です。
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道路に面する部分にはショウウィンドウを備えておられます。
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こちらの洋館は医院のようです。
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幅の広い玄関のある町家と、大きな虫籠窓のある町家が隣り合っています。
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「大津百町」の町並みです。
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漆喰塗籠めの虫籠窓ではなく、下地窓に似せた桝格子のある町家です。
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大屋根の右手に見えているのは煙り出しの越屋根かと思ったら、高く立ち上げた排気口でした。
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アルミ製の柵を駒留のようにめぐらせた町家です。
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下見板張りの腰壁のある町家です。
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こちらの建物は町家を再生したお宿で、「商店街ホテル 講 大津百町」が開業する以前の平成29年に誕生しました。
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軒裏にまでベンガラが塗られた町家です。
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「大津百町」の町並みです。
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こちらの町家は、老舗の懐石料理屋さんです。
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十二支の人形はお正月飾りにピッタリですね。
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こちらのエステのお店は・・・
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外壁の腰壁に舟板塀が使われています。
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こちらの町家は、ガス灯に書かれているように鰻屋さんです。
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前面道路に対して、斜めに傾けて建てた町家です。
前庭に変化を持たせるだけの余裕のある敷地だったら、これも一つの手法です。 -
こちらの町家の、緻密な細工の欄間には目を見張るばかりです。
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白と黒でまとめられたシックな町家です。
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琵琶湖第一疏水に架かる鹿関橋が見えてきました。
5年の歳月をかけて明治23年(1890年)に完成した琵琶湖第一疏水は、明治維新で東京に首都が移されて活気を無くした京都を再び繁栄させる目的で作られたもので、大津と京都を結ぶ運河の機能に加え、上水道、灌漑、日本初の事業用水力発電など、多方面で活用され、京都の近代化に大きく貢献しました。 -
こちらは、北国橋から見た東側(琵琶湖側)の大津閘門です。
閘門とは、高さの異なる水面間を船が往来できるようにする装置で、二つの水門を閉じた状態で中の水位を調整して高低差を解消します。 -
琵琶湖第一疏水に架けられた鉄橋を渡る京阪電気鉄道石山坂本線の電車。
琵琶湖第一疏水は、この先で琵琶湖に通じています。 -
こちらは、鹿関橋から見た西側(京都側)の大津閘門です。
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遠くに見えるのが、鹿関橋から見た第1トンネルの東側入口です。
三角屋根を構えた入口には、初代内閣総理大臣伊藤博文の筆になる「氣象萬千(きしょうばんせん)」の扁額が掲げられています。
では、ここから少し先にある三井寺へ向かいます。 -
白漆喰塗籠めの虫籠窓のある町家です。
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この地蔵堂には意表を突かれました。
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天台寺門宗の総本山、三井寺(正式名称は長等山園城寺)に着きました。
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三井寺の大門(仁王門)です。
この門は徳川家康から寄進されたもので、室町時代の仁王像が鎮座しています。 -
大門(仁王門)を額縁に見立てた、門内の様子です。
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三井寺入口の交差点の角にある土塀。
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補強のために積み重ねた瓦が、思いがけずも面白い表情を見せています。
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丸太の外格子をめぐらせた町家です。
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千本格子の手すりが付けられた町家です。
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同じような手すりの付けられた町家がもう一軒ありました。
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入母屋造りの大きな妻面を見せる町家です。
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目隠しのための簾を吊った町家です。
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こちらの町家の鍾馗様は、厨子に納まってご満悦の様子です。
だって、雨露がしのげるんですもの・・・。 -
檜皮葺の庇の架かった町家です。
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「大津百町」の町並みです。
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京阪電気鉄道京津線が走る電車道をはさんで、丸屋町商店街の西側に隣接する菱屋町商店街に来ました。
伝統的な町家を使ったこちらのお店は、お漬物や佃煮を扱っておられます。 -
この辺りは、菱屋町商店街のさらに西側に続く長等商店街です。
こちらは、町家を使ったデイサービス施設です。 -
右側の町家は、「商店街ホテル 講 大津百町」のひとつ、「萬屋」です。
「商店街ホテル 講 大津百町」は、「大津百町」のまちなかに点在する築100年前後の町家7棟を再生し、ひとつのホテルとして運営する、複合体としての名称で、一棟単位では「萬屋」のように個別の名前が付けられています。
ちなみに、「講」とはかつて日本各地にあった地域の相互扶助組織のことで、代表的なものとして「伊勢講」、「熊野講」などの参詣組織が知られています。 -
琵琶湖のシルエットを扉に書いているのは昆布店さんです。
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精悍な黒漆喰塗の虫籠窓のある町家です。
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こちらは、大津にただ一軒のみ残る大津絵のお店です。
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寛永年間(1624年~1644年)に仏画として描かれ始めた大津絵は、大津宿でお土産物や旅の安全の護符として売られていたもので、旅人には大変人気があったそうです。
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鳥居の奥に、長等神社の楼門が見えてきました。
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その鳥居の脇にある町家には、瓜型の虫籠窓と竹の外格子がしつらえられています。
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こちらは、長等神社の門前にある町家です。
虫籠窓の部分が黒漆喰で塗り籠められています。 -
虫籠窓の内側に灯がともる町家です。
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こちらは小関越の道標で、「右小関越 三条五条いまくま 京道」や「右三井寺」などの文字が読み取れます。
ちなみに、小関越は長等地区の小関町から藤尾地区の横木まで続く道で、京都から大津の町中を通らずに北陸へ向かうための近道として利用されました。 -
外格子をめぐらせた町家です。
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数体がまとまって祀られているお地蔵さま。
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こちらの町家は、正面はもちろんですが、妻壁にも見るべきものがあります。
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町角で揺れるススキの穂。
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微妙に異なる手すりの付けられた町家が連続しています。
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こちらは、主に関西各地に店舗を構える和菓子屋さんの総本店で・・・
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ここが発祥の地になります。
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かつてはこの井戸の水を使ってお菓子を作っておられたのかもしれませんね。
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背中合わせで繋がった町家は、反転させれば左右同形になります。
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こちらの町家は、2階の手すりに透かし彫りが施されています。
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こちらは、明治2年(1869年)に開業した鮒ずしの製造・販売のお店です。
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鮒ずしは、琵琶湖で採れるニゴロブナをご飯に漬けて自然発酵させたもので、こちらのお店では、江戸時代に膳所藩お抱えの御用料亭だった本家伝来の製法を守っておられます。
発酵食品独特の臭みのある鮒ずしは、好き嫌いがはっきり分かれますが、一度試してみる価値はあります。 -
煙り出しの越屋根のある町家を店舗にされている酒屋さん。
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「大津百町」の町並みです。
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腰壁に下見板を張った町家です。
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複雑に入り組んだ屋根の架かった町家です。
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京阪電気鉄道京津線の電車道まで戻って来ました。
JR東海道線大津駅まであと少しです。 -
JR東海道線大津駅へ向かう途中の、大津駅前商店街にあった町家です。
アーケードに隠れて全体が見えませんが、なかなか風情のある建物です。 -
さて、JR東海道線大津駅が見えてきました。
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太平洋戦争の戦火や災害による被害が少なかった「大津百町」は、京都の洗練された町家建築の影響を受けた大津町家とともに、歴史的な文化資源が随所に残る魅力的な町でした。
また、それら資源の保全と活用に、いろんな角度から積極的に取り組んでおられることを知ることもでき、その姿勢にも好感を持ちました。
では、ビルの谷間に見える琵琶湖に別れを告げて、家路につくことにします。
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