2019/09/21 - 2019/09/21
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ワンダラーさん
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秋の一日、慶応義塾大学の旧図書館の内部特別公開を観て、まだ歩いたことがなかった伊皿子、高輪大木戸を経て、芝浦ウオーターフロントを歩く。
「その1」は、主に三田界隈。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日のスタートは港区の真ん中、都営地下鉄大江戸線の赤羽橋駅から国道1号線を南下し三田エリアへ。
前の東京オリンピックの前までは、札ノ辻方面への都電が頻繁に走っていた道路だが、昔の面影は少ない。 -
赤羽橋の下を流れる古川(写真は上流)は、江戸時代に拡幅整備され、舟運にも利用されていたというが、東京湾への河口に近いこともあり、淀んで余りきれいとはいえない。
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振り向くと、赤羽橋の上空には、前の東京オリンピックで造られた首都高速道路がかかる。その先には昭和30年代からのシンボル「東京タワー」が聳える。
今日は反対方向へ。 -
南に進むと、三田国際ビルがある。
昭和40年代まで広大な済生会中央病院の敷地の一部だったが、近くの浜松町の世界貿易センタービルに次いで、再開発されて高層ビルになった。 -
地上26階建112mという高さの三田国際ビルは、現在の水準ではとりたて超高層というほどではないが、竣工当時は近隣にNECビルなどなくて、群を抜いて高かった記憶がある。
敷地の南東端に建てられ、日陰になる北側は低層ショッピングのアネックス棟や庭になっている。 -
三田国際ビルの南側から台地に登る坂が、「綱の手引坂」と呼ばれている。
平安時代の勇士、源頼光の四天王の一人「渡辺綱」の生地にまつわる名称とされている。
江戸時代には、台地上は各藩の大名屋敷が多く、その跡地が華族の屋敷を経て学校や病院、各国の大使館などになっている。右(北)側は、名門の都立三田高校。 -
台地上の大名屋敷の一つは、在日イタリア大使館になり、日本庭園も残されている。
一般客には公開されていないが、テレビで立派に保存されているのが紹介された。 -
在日イタリア大使館の敷地は広く、南は慶応義塾大学との境まで続き、館員の宿舎などもある。
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在日イタリア大使館西側の三田倶楽部(写真右側)との間の坂が綱坂と呼ばれ、やはり「渡辺綱」の生地にまつわる名称とされている。
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綱坂を降り切ると慶応義塾大学の西門があり、石で舗装した坂の上に三田キャンパスが広がる。
今日の目的は、丘の東側の(旧)図書館の建物。 -
この図書館の建物は、明治45年に慶応義塾の創立50周年で造られた、慶応義塾大学の象徴ともいうべき建物。
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この建物は、新図書館が造られたので図書館としては利用されていない重要文化財。
慶応義塾は創立150周年を越えたので、築100年にもなり、数年前から耐震補強工事が行われている。
基礎や外部の工事中は立入禁止になっていたが、外部工事が完成して内部工事に入る前に、一部が特定日に一般公開された。 -
こちらが正面玄関内部。
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階段の踊り場に美しいステンドグラスがある。
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このステンドグラスは、戦災で失われたが、原型を元に昭和49年に復元されたという。
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ステンドグラス下部には、ラテン語で有名な「ペンは剣よりも強し」という言葉が書かれている。
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慶應義塾三田キャンパスの赤レンガの旧図書館八角塔の東脇の小高い部分(通称・文学の丘)に、小山内薫の胸像とともに三つの文学碑がひっそりと建っている。
旧図書館改修工事で長く仮囲いされていたが、入れるようになった。
いずれも三田に縁が深い佐藤春夫の詩碑、吉野秀雄の歌碑、久保田万太郎の句碑である。
これは久保田万太郎の句碑で、 裏面にある池田弥三郎の撰文では、「久保田万太郎は東京浅草の生れ。三田に学んで永井荷風小山内薫らを師とした。・・」とある。
小山内薫を偲んだ句、 「しぐるゝや大講堂の赤れんが」が刻まれている。 -
3つの碑の中で、吉野秀雄の歌碑が年代的に最も古い。1972年に秀雄の7回忌に卒業同期の友人たちの寄付で建てられたという。
碑面には、秀雄が学生時代に詠んだという
「図書館の前に沈丁咲くころは恋も試験も苦しかりにき」が刻まれ、
青春時代を過ごした図書館の前にふさわしいと思う。 -
三田の詩人として親しまれた佐藤春夫の詩碑は、1974年に歿後10年を記念して、その門下の人々の集いである春の日の会の尽力により、秀雄、万太郎と並んで建てられたという。
建築家谷口吉郎の設計という高さ95センチ、幅190センチの白御影石の碑には、青春の唄ともいうべき四行詩が
さまよひ来れば 秋草の
ひとつ残りて咲きにけり
おもかげ見えてなつかしく
手折ればくるし花散りぬ
と書かれている。 -
こちらは一番奥、劇作家、演出家として名高い小山内薫の胸像。
彫刻家朝倉文夫の作品という。
東京帝國大学の出身であるが、慶応義塾大学文学部の講師を長く務めた。 -
図書館前にある「平和来」のブロンズ像は、彫刻家朝倉文夫の作品で、昭和32年に、昭和7年卒業生より卒業25年記念として寄贈されたという。
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戦没した塾員に捧げる像とされ、台座には「丘の上の平和なる日々に 征きて還らぬ人々を思ふ」という、戦時中の塾長小泉信三の碑文が刻まれている。
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同じ並びに「還らざる学友の碑」があり、「アジア太平洋戦争における慶應義塾関係戦没者名簿」が納められているという。
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こちらが、塾監局と呼ばれる本部建物前から見た旧図書館の全景。
右側が当初からの建物で、左側はそのゴチック様式に合わせて増築された部分。
右側の庭園に、上記の「平和来像」や「「還らざる学友の碑」がある。
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