2019/06/15 - 2019/06/15
689位(同エリア4770件中)
放浪老人さん
トロイを目指した南西海岸沿いの遺跡放浪を、日差しと熱射に負けて、エフェソスで切り上げて、パムッカレ経由で、イスタンブールに来ました;休養を兼ねて5泊します。
ゆっくり起きて、ギリシャ・ローマ遺跡めぐりの仕上げに、国立考古学博物館を見ます;見てから、4世紀から重層化しながら、東地中海の中心都市として継続している、イスタンブール歴史地区を回ります;日程に余裕があるので、特に計画を持っていません。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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09:25 朝食:多種のチーズ類と、日替わりのスープにトルコらしさが出ています。
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10:51 よくあるIbisとNovotelのセットです;一人旅には、Ibisのダブルベットルームがジャストフィットです。
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11:00 ホテルの東隣りは大規模な再開発工事中で、駅への最短ルートは、工事現場の中を通ります;照明がつき監視員が配置されているので、夜でも見た目よりは遥かに安全です。
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11:04 前方は、マルマライ(国鉄の近郊列車)のZeytinburnu駅。
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11:05 都心方向行きのホーム:前日、オトガルに到着時に購入したイスタンブールカードが使えます。
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11:06 Zeytinburnu始発でした。
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11:24 Sirkeci駅:1888年から、昔のオリエント急行(=ヨーロッパ側の鉄道)の終点駅であった歴史的な駅です;当時は、人々は連絡船に乗り換えてアジア側に渡り、Haydarpasha駅からバクダット等を目指しました;今は、近郊列車は地下駅を通りアジア側まで通じています;地上ホームは板で囲まれて使われていません。
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11:31 Sirkeci駅の国際線切符売り場:国際線は、ソフィア行きの列車が一便あるだけなので、開いている窓口は1つで、担当職員も1人だけです;運悪く休憩時間に当たると無人になります;左側には、国内線の切符売り場が並んでいます。
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11:37 路面電車が走るHüdavendigar通りを進み、突き当たりのオスマン時代の城壁内のカフェの中を横切って;
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11:40 Gülhane公園を通り;
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11:43 泉水の手前で左折して;
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歴史地区の丘を登って、考古学博物館に向かいます。
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11:45 国立考古学博物館入り口:イスタンブールの博物館等に有効な、イスタンブール博物館カードを購入しました。
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国立考古学博物館の配置図:この日の目的だったギリシャ・ローマ遺物が展示された本館は、残念なことに、リノベーション中で閉館しています;入り口すぐ左の古代オリエント博物館には、現在のトルコ領内だけでなく、オスマン帝国が支配していた、現在のシリア・イラク・エジプトにまたがる、オリエントの出土品が展示されています;アレキサンダー以前は勉強不足で、帰国後、写真を見て復習するのが大変でした。
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聖なる水盆、BC22世紀:メソポタミア文明の始まりのシュメール都市群の一つ、ラガシュの王グデアが奉納しました。
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シュメール都市の一つ、マリの支配者プズル・イシュタルの像、古バビロニア時代(BC16~19世紀):新バビロニア時代(BC7~6世紀)に、戦利品としてバビロンに運ばれたようです。
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ー地味にすごいー楔形文字でカデシュ条約が彫られた粘土板、1269BC:ヒッタイトの首都ハットゥシャシュで出土しました;ヒッタイトのムワタリ2世とエジプト新王朝のラムセス2世が戦ったカデシュ(シリア)の戦いの結果、両者の間で結ばれた世界最古の平和条約で、世界記憶遺産に指定されています;3つのピースが残されており、最後の1つはベルリンにあります;ニューヨークの国連本部にはコピーがあります。
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戦車で弓を引く戦士、BC9世紀:サマル(シリア)にあった、シロ・ヒッタイト(=シリア・ヒッタイト)国家の城址から出土;ヒッタイトは鉄と戦車でメソポタミアを席巻し、エジプトとも戦いましたが、それは、カデシュ条約結ばれた、BC13世紀以前のことなので、この浮き彫りとの関係はわかりません。
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新アッシリア王国のシャルマネセル3世の彫像、BC9世紀:新バビロニア王国のアッシュールから出土しました。
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祈りを捧げる新アッシリア王センナケリブの浮き彫りと楔形文字がきざまれた石碑、BC8世紀:アッシリアの首都ニネヴェで出土しました。
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スフィンクス、BC8世紀、シロ・ヒッタイト時代:サマルから出土しました。
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植物と気象の神タルンザに祈るティーナの王ワルパラスの岩の浮き彫り、BC8世紀、シロ・ヒッタイト時代:トルコ南部のエレグリの岩に刻まれているのを型取りしました。
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新バビロニアのイシュタル門の再現図:門とそれに続く道が彩釉レンガで装飾されていますした;彩釉レンガで装飾されたイシュタル門は、ベルリンんのペルガモン博物館にあります;手前の道の両側を飾っていたのが;
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彩釉レンガを使ったライオンの浮き彫り、BC6世紀頃:新バビロニアのイシュタル門に続く道から出土;彩釉ですので、他の展示物に比べて劣化が少なく2600年前の作とは思えません。
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同じく彩釉レンガの牡牛や龍(?)。
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日時計、BC1世紀:シュメールに起源を持つ、メソポタミア型の日時計で、日の出から日没を12に分割しています;1日=24時間の起源です。
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12:23 タイル・キオスク:1472年に建てられた、トプカプ宮殿付属のパビリオンで、前面に装飾タイルが貼られています;オスマン帝国時代のタイルや陶器の展示室になっています。
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18世紀後半から19世紀にキュタフヤで焼かれた陶器;白土の化粧土で覆った上に植物模様や花の模様を描き釉薬を塗って焼いたイズニック産のタイルや陶器が、18世紀には産地がキュタフヤに移ります;最終期には、写真のように人や花を描いた、イスラム的でない、作品が現れます。
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12:34 右側が博物館本館で、奥の左側が博物館旧館です;旧館は開いています。
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シリア北部から小アジアで発掘された、主にヘレニズムからローマ時代の石棺が集められています。
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リキアの石棺、BC2世紀:クサントス等で見た家形石棺です。
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ラギナのヘカテ神殿のフリーズ。
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保存状態が良い精緻な石棺が展示されています。
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Sidaramaの石棺、3世紀。
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旧館の入口からタイル・キオスク。
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改装工事中の本館。
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博物館の南側を通って、トプカプ宮殿の第一庭園へ入ります。
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13:20 トプカプ宮殿の第一庭園:トプカプ宮殿の入り口付近の列が長いので、後日にします。
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トプカプ宮殿と反対に進むと、第一庭園の入口側に旧アヤイリニ教会。
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13:23 旧アヤイリニ教会の入口、イスタンブール博物館カード可:6世紀に建設された、アヤソフィアと同じ、ビザンテイン式のドーム教会でした;オスマン時代は、壁画などを隠して、兵器庫として利用されていました;今は博物館又はコンサートホールに使われています。
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教会時代のアプスに舞台が設置されています;上部は鳥よけの網が掛けられています。
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装飾類が剥ぎ取られているので、アーチとペンデンディブを用いて、4隅の柱にドームを載せた円筒を支えている構造、円蓋型バジリカが、表に出ています;この建築方式だと、縦だけでなく横にも広がった教会堂やモスクが作れます。
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正面奥には、元のアプスの上部に、教会であった証の十字が残っています;十字は偶像でありませんが、敵対するヨハネ騎士団等の十字軍のシンボルを残していた事は不思議です。
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13:35 トプカプ宮殿の南外壁と皇帝門:後ろは、アヤソフィアのミナレットです。
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皇帝門から外へ出ると、アヤソフア:手前はアフメット3世の泉です。
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ボスボラス海峡へ向かって続くトプカプ宮の南城壁。
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アヤソフア:教会時代のアプスの外壁です;出入り口は反対側にあります。
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アヤソフアの東面。
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歴代スルタンの廟の入口:アヤソフィアと同じ敷地内の南隣に入口がありますが、アヤソフィアからは独立しています。
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16~17世紀の4つの皇帝廟があります;⑤は、北隣のアヤソフィアより古い洗礼堂を、ムスタファ皇帝が亡くなったときに、彼の廟にしたものです;それで、廟は、キリスト教の流儀でアヤソフィアと同じで東西に向いています;それ以外の4廟は、東西ではない同一方向を向いていますが、アヤソフィア内に示されたメッカの方向よりはすこし北向きにずれているように見えます。
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セリムII世の廟②:アヤソフィア墓域内で最初に作られた廟で、1577年にミマール・スィナンが建築しました;彼は、オスマン帝国では最も有名な建築家で、ーミマールは建築家を意味しますー、何箇所も彼の建築物を見ることになります。
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ムスタファI世とイブラヒムの廟⑤の内部:皇帝とその一族の墓がならんでいます;墓の上についているのはターバンで、男性の墓を示します。
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皇帝メフメドIII世の廟④の天井:他の廟と同じで、四角形の角を落とした八角形に、円形ドームが載っています。
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アヤソフィアの前から、スルタン・アフメド広場の向こうに同名のモスクが見えます。
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14:08 アヤソフィアの入り口:博物館カードを持っている人の列も長かったので、後に回します。
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スルタン・アフメド・モスクに向かいます;右手前のドームが、モスクの建造を命じたスルタン・アフメドⅠの墓です。
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14:35 スルタン・アフメド・モスク。
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14:37 中庭:ムスリム以外の観光客は中庭に入り、観光客用の列に並びます。
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中庭からドーム:アフメト1世が1616年に建立しました。
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14:41 観光客の入り口。
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モスク内は土足厳禁です。
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モスクの上部は、多彩な模様のイズミルの彩色タイルで覆われています;イズミルのタイルはトルコ・ブルーが特徴的で、ステンドグラスも青が多く、ブルーモスクと呼ばれています。
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14:50 モスクの中央は、アーチとペンデンティヴを組み合わせて4点の柱が支えるドームです;アヤソフィアやアヤイリニと同じ、ビザンティンの建築形式が継承されています;初めからモスクでしたので、東西からずれた、メッカの方向に合わせて建てられています。
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ドームを支える巨大な柱:直径27.5mの巨大なドームをこの柱4本で支えています。
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礼拝スペース:ミフラープの周りは仕切られて、ムスリム以外は立入禁止です。
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14:57 スルタン・アフメド・モスクからアヤソフィア。
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スルタン・アフメド広場:この広大な石畳の下には、ローマ・ビザンティン時代の戦車競技場(ヒッポドローム)が埋まっています;西ローマ帝国内の競技場は、5世紀ごろには、ゲルマン諸族の略奪で荒廃しましたが、コンスタンティノープルはビザンティン帝国の首都として存続し、戦車競走は続きました;最後は、1204年に第4回十字軍がコンスタンティノープルを略奪して役割を終えました;オスマンがコンスタンティノープルを陥落させたときには、すでに荒廃していたようです。
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トトメス3世のオベリクス:戦車競技場の中央障壁に立っていた記念碑の一つです;東ローマ帝国の皇帝たちは、コンスタンティノープルを飾るために全土から芸術作品等を集め、戦車競技場等の公共施設に飾りました;このオベリクスは390年、テオドシウス帝が、エジプトのカルナック神殿から取り寄せ(強奪?)たものです。
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蛇の柱:戦車競技場の中央障壁に立っていた記念碑;コンスタンティヌス1世の指示で、ギリシャのデルポイのアポローン神殿に奉納されていたプラタイヤの戦いの戦勝記念碑を持ってきたものです。3匹の蛇の頭が黄金の玉を支えていましたが、玉は十字軍が略奪し、頭はオスマン時代になくなり、巻き付いた胴の部分だけが残っています。
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コンスタンティノス7世のオベリクス:10世紀に、建てられました;外装は十字軍に剥ぎ取られ石積みの中核部分だけが残っています。
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スルタン・アフメド広場の西側に、トルコ・イスラム美術館があります;入場する前に通る地上及び地下部分に、戦車競技場の観覧席部分の遺構があります。
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戦車競技場の復元図:映画ベン・ハーのクライマックスのエルサレム競馬場でのレースが思い出されます。
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美術館の中庭:中央のガラスの下が、戦車競技場の遺構です;館内には、ウマイヤ朝からオスマンまでのイスラム王朝毎に、美術品や工芸品が展示されています;偶像崇拝を排した、シンプルなイスラム模様の美術等については、ほとんど予備知識はありません。
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アッバース朝の版図:せめて、各イスラム帝国の期間と版図とを確認します;イランの北、今のトルクメニスタン(トルクメン人の国)が含まれています;結果、イスラム教化した遊牧民テュルク人が、ビザンチン帝国=キリスト教国との最前線、アナトリア半島に傭兵的存在で移住しました;この人々の子孫が、セジュクやオスマン帝国を建国しました;最後には、第一次大戦後、テュルク人はいなかったアナトリア半島に、トルコ共和国が成立しました。
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コーラン色々。
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絨毯色々:オスマン帝国依頼に編まれた多種の価値の高い絨毯が集められているように思います;残念ながら、全く関心がありません。
蛇の柱の前で、仕事で日本に行ったことがあるトルコ人に、結構うまい日本語で話しかけられました;色々お話するうちに、彼は絨毯屋であることがわかり、最後には、店に来ないかと誘われました;有名な(悪名高い?)イスタンブールの絨毯売りです;なんの関心もない絨毯で、断るため労力と時間を費やすることにイラッとして、必要以上に強く断ってしまいました;反省しています。 -
博物館の上層階から中庭;ガラスの窓の下に遺構があります。
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博物館の上層階からスルタン・アフメトモスクの6本のミナレット:手前にトトメス3世のオベリクスが見えています。
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スルタン・アフメド広場の南東側は、土産物屋が並ぶバザールです;この地域には、ビザンティン時代は、大宮殿がありました。
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16:15 大宮殿モザイク博物館:大宮殿の建物は残っていませんが、床面のモザイクが地下に残っていたのを発掘して見学できるようにしてあります。
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モザイクの床が何部屋も連なっています;この場所にあった、宮殿の広大さが想像できます。
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残念ながら、個別のモザイクの保存状況はあまり良くありません;同時代の邸宅の床モザイクとしては、シチリアのヴィッラロマーナ デル カサーレのモザイクを推薦します。
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16:30 キュチュック(=小)・アヤソフィア通りを南西向きに下っていきます。
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16:34 キュチュック・アヤソフィア・モスク:6世紀の教会が、オスマン支配下でモスクに転用されました;八角形の建物にドームを載せた構造です。アヤソフィアやアヤ・イリニの4本でドームを支える構造より前で、西ローマでも建てられていました;集中式と呼ばれ、8本の柱が会堂拡張の障害になります。
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アヤソフィアと同じで、東西を向いた建物とずれたメッカの方向にミフラープが作られています。
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柱頭は、多分アカンサスの葉で、コリント式のオーダーです。
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16:54 海沿いの城壁:城壁の外には、海との間に線路やバイパスや側道が走っています。
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海沿いを走る81番でホテルに戻ります。
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17:31 [Marmara Denizi]:ホテルの正面にあります;道路を横切る歩道はないので、反対向きのバスに乗るのは不可能です。
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