2019/01/02 - 2019/01/02
47位(同エリア795件中)
とーりさん
ヨーロッパ未踏破国も遂に残りひと桁の9カ国となりました。昨年、落穂拾いの旅ということでモナコやサンマリノなど小国を巡りましたが、今回はその第2弾として、残りの小国、アンドラ、マルタと中欧にぽっかり残ったスロベニアを中心に、アンドラの入口バルセロナとイタリア5大都市のうち未訪問であったナポリをも回る欲張りな予定を立てました。山間の小国アンドラでは、現代的な街並みが広がっているのに驚き、久々のバルセロナはガウディ建築群の特異さと施設入館料の高さに目を瞠り、それほど期待していなかったブレッド湖やリュブリャーナなどスロベニアの美しい風景に触れ、地中海の交差点マルタの歴史建築物に圧倒され、ポンペイ遺跡や雑然たるナポリの街並みに南イタリアの風土を感じました。相変わらずの詰込み雁字搦め旅程なので無理があった部分もありましたが、なんとか巧く熟して行って来ることができました。
日程は以下の通りです。
1日目(12/28)羽田 ⇒ 北京
2日目(12/29)⇒ バルセロナ、アンドラ観光、バルセロナ移動
3日目(12/30)バルセロナ市内観光、
4日目(12/31)スロベニア移動、ブレッド湖観光
5日目(1/1)リュブリャーナ観光、マルタ移動
6日目(1/2)マルタ島内観光
7日目(1/3)マルタ島内観光、ナポリ移動
8日目(1/4)ポンペイ観光、ナポリ市内観光
9日目(1/5)ナポリ市内観光、ローマ移動 ⇒ 北京
10日目(1/6)北京 ⇒ 羽田
今回は6日目④です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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騎士団長の館を出て、バレッタの先端部分へジグザグに進みます。
(騎士団長の館12:40 ⇒ 12:46マノエル劇場) -
この風景も大分慣れてきました。それにしてもマルタ国民の駐車技術はなかなかのものです。
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マノエル劇場に着きました。ここは市民や騎士団員のための娯楽施設として設けられたとのことで、マルタ騎士団華やかなりし頃の建物で、豪華な内装という評判だったので見てみたかったのですが、時間もないので外観だけの観光にとどめました。
(マノエル劇場12:46 ⇒ 13:08聖エルモ砦) -
隣のカーマライト教会ではこんな銅像が飾られ、建物自体も凝った装飾が施されています。
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さらにバレッタの先端部へ歩いて行きます。
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途中にあったカーサロッカピッコラ、貴族の邸宅だそうです。ガイドツアーで見ることができるそうですが私は外観のみ観光です。内装は結構豪華とのことなので見てみる価値はあるかと思います。
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進んでいくと出窓の家が目立ち始めました。地域的にはヨーロッパに分類されますが、コーカサス同様、中東・イスラムの文化が溶け込んでいるようです。
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ようやく先端部に着きました。聖エルモ砦です。
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ここは重要なポイントですので、入場料を支払い入ります。
(聖エルモ砦13:08~13:30) -
バレッタ自体が要塞ではありますが、ここはその先端の最前線なので、重厚に砦が築かれています。
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ここから見る向かい側の砦はリカソールの砦です。左側は外海、地中海が広がっています。
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侵入してくる敵を両側の砦から挟み撃ちで砲撃する造りのようです。白亜の要塞と街並みが紺碧の海とマッチして美しいです。
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内部には簡素ですが礼拝堂のようなところがあります。祈りは戦いの中でも欠かせないものなのでしょう。
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一応全体の案内図がありますが、中は適当に歩こうと思っています。
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マルタは、古代イスラムやスペインの支配の後、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)領として栄えていましたが、ナポレオンの時代いったんフランスに占領された後、地中海に進出してきたイギリスの支配下になりました。
マルタ騎士団(ロードス及びマルタ、エルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会)自体はフランスに追い出されて流浪の民となりましたが、ベローナ会議で国家としての地位を認められ、現在も国連のオブザーバー加盟国扱い(領土なき国家扱い)で、ローマ市内を拠点に医療団体のような形で活動しています。 -
ということで、マルタは元イギリス植民地、現在も英連邦の一員としてイギリスとは深い繋がりがあります。
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再び外へ出て先ほどと反対側の海を臨みます。こちらは泊っているホテルのあるスリーマの方角です。古い砦ではなく、新しい高層ホテルが密集しています。私の泊っているホテルも見えました。
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少し半島の付け根の方を見るとこちらはいかにも旧市街ということで、古い建物が密集しています。
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カーマライト教会の大きなドームがひときわ目立ちます。
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地中海方面は雲も少なく、海と空に色合いの異なる鮮やかな青が広がっています。
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広場もありました。騎士団が集まり訓練をしていたのでしょうか。
(聖エルモ砦13:30 ⇒ 13:39ロウアーバラッカガーデン) -
さて聖エルモ砦を出て半島を再び南下します。すぐ近くにあったのがマルタエクスペリエンス。映像等を駆使してマルタを学べるところで、騎士団の病院であった騎士団施療院と共通で拝観できますが、入場料も高く、時間もないので通過します。
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海沿いを歩きます。快晴の天候と海に浮かぶ砦の風景はキューバ・ハバナを想起させますが、季節が冬ということもありますが、あちらとは違い日差しはとても柔らかいです。
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次に来たのがシージメモリアルベル、第二次大戦追悼の鐘といった訳になるでしょうか。
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海側出張ったところに円形の記念碑があります。
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柱の間を覗くと大きな鐘が釣り下がっていました。第二次大戦中、イギリス領であったここマルタは海軍の拠点として重要な役割を果たしており、地理的にも枢軸国イタリアの目と鼻の先に位置しているため、マルタ包囲戦により激しい爆撃にさらされましたが、陥落することなく持ちこたえました。碑はその時犠牲になった方々を祈念するために作られたようです。
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碑の突端には大砲が一門、海を睨んでいました。
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続いてすぐ隣にあるロウアーバラッカガーデンに来ました。
(ロウアーバラッカガーデン13:39~13:51) -
アッパーバラッカガーデンと同様、柱に囲まれた眺めは壮観です。
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先ほどのシージメモリアルベルも見えます。より山側なのでアッパーバラッカガーデンより見晴らしは良くないです。
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さて先を急ぎます。
(ロウアーバラッカガーデン13:51 ⇒ 13:57ビクトリアゲート) -
狭い土地に目一杯建物を建てているのは香港と似ていますが、現代建築は無く、生活住居が立ち並んでいる感じです。
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さらに付け根の方に歩いて行きます。
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バレッタの入口付近にあるビクトリアゲートです。「勝利の門」という訳ではなく、ビクトリア女王にちなんで名づけられたそうです。ちなみに現在当時の形を残しているバレッタの門はここだけだそうです。
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