2020/01/01 - 2020/01/02
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しぶちんさん
地元にありながら初詣には縁がなかったお寺や神社にも行ってみようと思い立ち、お参りしてきました。昨秋の台風被害の爪痕もあり、安房地域の復興と皆様の御多幸を祈りつつ、謹んでご報告申し上げます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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2020年の元旦を迎えました。雲が多めながら風はなく、まずまずの天気です。午後早めの時間に家を出て、まずは定番のコースでお参りします。
目的地は「安房神社」(館山市)なのですが、交通アクセスの都合上その手前の「小塚大師」(正式名称は「曼荼羅山 金胎寺 遍智院」)に立ち寄ります。 -
反射して見づらいですが、縁起を簡単に説明すると、
東京の「西新井大師」、神奈川の「川崎大師」とともに、関東の厄除三大師として知られている。
弘法大師が815年に修行道場としてこの地に草庵を構えた際、安房神社の祭神 天太玉命(あめのふとだまのみこと)の言に従い、大師自身と人々の厄災よけのために裏山の霊木で自信の像2体を造り、一つは当山に、もう一つは布良先海岸から流したところ、武州橘樹郡に流れ着き、現在の川崎大師に祀られた。
この大師像は霊験あらたかで、代表例として、源頼朝が石橋山の合戦で敗れて安房に逃れたとき、当山に参詣し武運長久を祈願したことで征夷大将軍に就くことができた。
開山から千百有余年経つが、現在も弘法大師の修行場として、また、災難厄除け大師として、檀信徒の信仰を集めている。
というようなことが書かれています。
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ところで、関東の厄除三大師は諸説ありますが、弘法大師が来ていることやここから流した大師像が川崎大師(弘法大師が開いたのではない)に祀られていることを考えれば、こちらの縁起に記載の三大師が正しいと私は信じます。
そもそも初詣が盛んになったのは、鉄道会社の営業戦略ですよね。明治時代の新聞広告を見た記憶がありますが、京成や京急が初詣は自社の鉄道でというPRしてましたっけ。テレビCMの三大師というのも、その口かもしれませんね。
まぁどのみち、うちは天台宗ですから大きな声ではいいませんが・・・ -
当国百八カ所の内とありますが、安房国百八カ所の地蔵菩薩巡りの札所にもなっているようです。
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ここで、護摩札を購入します。1月21日が初大師に当たり大護摩修行が行われるので、祈祷後にお札を送ってもらいます。若い頃は初大師に通いましたが、駐車場に入るのも一苦労なほどの賑わいです。
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続いて、安房国一宮である「安房神社」を目指します。小塚大師とは山一つ越えたぐらいの距離ですが、国道410号線に出ると渋滞により40分程度かかります。館山の市街地から来るよりも時間効率はいいと思います。
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一の鳥居が見えてきました。まもなく到着です。
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延喜式の式内社にして安房国一宮、明治以降は官幣大社という格式ある神社です。
祭神は「天太玉命」で孫である「天富命」(あめのとみのみこと)が建立したと言われています。
天太玉命は忌部氏の祖神であり、伝承では、阿波の忌部氏が新天地を求めてこの地に到達したとされ、付近の神社にも忌部氏にちなんだ開拓伝承が多く残されています。安房神社 寺・神社・教会
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この白い鳥居を見るだけで清廉な気持ちになります。
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人口減少のせいか年々露店の数が減り、寂しい限りです。
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二の鳥居をくぐり、右奥の手水社で身を清めます。
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さらに右手を一段上がると拝殿があります。写真では見えませんが、拝殿の奥が本殿となります。
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お参りを済ませ・・・
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交通安全のお守りと露天の焼きそばを購入して安房神社を後にします。
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帰りは白浜・千倉の海岸線をドライブします。雲が多くてあいにくですが、西の方向には伊豆大島のシルエットが浮かんでいます。
根本海岸 自然・景勝地
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翌日は、家から車で5分ほどの所にある「石堂寺」(南房総市)を久々に訪れました。
子供時代に通った小学校の裏手にあり、当時、年2回の縁日は臨時バスが出るほどの賑わいでしたが、看板が象徴するように寂れた感じでした。
加えて、昨秋の台風や大雨で仁王門や参道が壊れていたほか、境内の建物にも被災の後が見られるなど、もの悲しい状況でした。石堂寺 寺・神社・教会
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このお寺は、708年に奈良の僧 恵命と東照が創建した(自分が子供の頃は行基の創建と聞かされていた)と伝えられています。
これは、室町時代に建てられた本堂。国の重要文化財となっています。 -
多宝塔。これも室町時代末期の建立で、国の重要文化財に指定されています。
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続いて、「那古観音」(館山市)にやってきました。正式名称は「補陀洛山 千手院 那古寺」といい、板東三十三カ所観音霊場の結願寺となっています。
717年の創建で、行基が時の元正天皇の病気平癒を願い、この地に千手観音菩薩を設置したことに由来すると伝えられています。那古寺(那古観音) 寺・神社・教会
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参道をだらだらと上っていきます。
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仁王門に到着。補陀洛山とは、西方にある観音菩薩の降臨する山のことのようです。
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観音堂の手前右側にある多宝塔。
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観音堂でお参りを済ませ・・・
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後ろを振り返ると那古の町並みと鏡ヶ浦が望めます。町中には、まだブルーシートが散見されます。
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那古観音から車で5分ほど西に向かい、「崖観音」に到着。いつも下から見上げるだけだったので、人生の初参りとなりました。
正式名称は、「普門院 船形山 大福寺」で、那古観音と同様、717年に行基が地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌に観音菩薩を彫ったことに由来しているようです。
大福寺(崖観音) 寺・神社・教会
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観音堂までは結構な登りになるみたいですが、距離的にはさほどありません。
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本堂脇から見上げた観音堂。
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崖の下にから撮った観音堂。崖の地層を見ると、脆そうでぞっとしますよね。
これまで、火災や豪雨、地震などで何度も再建され、また塩害により数年前にも補修されています。
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観音堂から見た鏡ヶ浦の眺め。正面の濃い陸影は洲崎当たりで、その向こう側にうっすらと大島が見えます。
明治24年の春に、房総半島縦断の旅をした正岡子規もこの地を訪れましたが、何らかの理由で観音堂には立ち入れなかったようです。
でもここからのこのような眺めの句を、いくつも詠んでいるんですよね。 -
最後にやってきたのは、安房国の総社「鶴谷八幡宮」(つるがやはちまんぐう)。
元々は、国府のある南房総市府中に創建されたものを、源頼朝の鎌倉幕府開府以降武士の時代になると、祭神の中では源氏の氏神である八幡大神が特に崇敬されるようになり、総社から八幡宮に改変され、現在地に移されたと伝えられています。鶴谷八幡宮 寺・神社・教会
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一の鳥居。館山湾(鏡ヶ浦)に向かって建てられています。安房地域が源頼朝の再起の地であることを考えれば、神社が鶴谷という地に移設されたことや地理的条件が鎌倉の鶴岡八幡宮と似ているのは偶然ではないと思います。
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二の鳥居。鶴谷八幡宮でで毎年9月に行われる例大祭「安房国司祭(あわこくしさい)」は「やわたんまち」として地元民に親しまれています。祭り当日は館山市と南房総市の14の神社から、神輿や山車・お船が出てここに集結します。
残念ながら、昨年は台風の影響で中止になってしまいました。 -
拝殿でお参りを済ませます。
写真を撮りませんでしたが、参拝時に天井に目をやれば、百態(実際は54態)の竜の彫刻を見ることができます。見事ですよ! -
同じ境内に安房神社の遙拝殿があり、ここで参拝することもできますよ。
全国の皆さんのご来訪をお待ちしています。
以上、令和二年の初詣はしご旅でした。
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旅行記グループ 安房の初詣
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