2019/12/28 - 2019/12/28
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東京おやじっちさん
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東京都大田区、JR京浜東北線の大森駅で途中下車しました。
モースが発見した『大森貝塚』はここにあるということで。
大森駅西口を出たところに『馬込文士村 散策のみち』なる
案内図がありました。明治から昭和初期にかけて、名だたる
文豪や芸術家たちがこのエリアに住みついたとのことです。
天気もよく、興味深く思い、少し散歩することにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
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大森駅の西口。特に商店街もなく乗換え路線もないコンパクトな駅です。
大森駅 (東京都) 駅
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出口からすぐ大通りに面した西口。すると大きな案内地図がありました。
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よく見ると「馬込文士村 散策のみち」とあります。なんでしょうか?
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向かいの階段を、ぞろぞろと人が昇り降りしています。街はその上?
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横断歩道の先に別の石段が。上部には天祖神社という神社があります。
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近くの壁には芸術作品でしょうか、人の顔がたくさん彫刻されています。
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『馬込文士村の住人』と刻まれています。数えたら顔が43人ありました。
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その先の階段の壁にも、一定の間隔で何やらレリーフが貼られています。
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気になったので、それらを見ながら階段を上って行きました。
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すると、先ほど駅で見た「馬込文士村 散策のみち」のレリーフも。
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もう一度、階段の下から上に向かって順番にじっくりと見てみることに。
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『「大森丘の会」は芸術家を中心とした集まり。山王周辺の芸術家や文士の社交場であった。』と刻まれています。
明治の終わりころ、作家・詩人・芸術家・書道家・日本画家などがこの地に住みはじめました。大正なって尾崎士郎が馬込に引っ越してきて馬込文士村なるものが形成されたとのことです。
左から日夏耿之介、川端龍子、小林古径。(日本画家) -
『二人が夫婦であった頃、彼らの人柄を慕う仲間で家の中はいつも賑わい、文士の話題が飛び交うので「馬込放送局」と呼ばれていた。』と刻まれています。
このレリーフは、作家の尾崎士郎と宇野千代です。一時期は夫婦でした。この二人が馬込文士村の中心人物だったようです。おしゃべり男子と肉食系女子ですね。尾崎士郎が晩年住んでいた住居もこの近くにあるとのことで、後ほど訪問する予定です。 -
男女入り混じって、楽しそうに麻雀に興じています。ルールは不明です。
アリアリかナシナシか。麻雀が分からない方は気にしないでください。 -
『文士村の女性たちが相次いで断髪。モダンガールは馬込村の人々を驚かせた。』と刻まれています。大正末期から昭和初期にこのようなファッションが流行ったのです。
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昭和の初期、将来に不安を抱えた若手の作家たちが集まり麻雀やダンスに興じた、という内容です。萩原朔太郎、室生犀星、宇野千代、川端康成夫人の名があります。
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馬込文士村では、頻繁にダンスパーティーが行われていたようです。
文士たちは互いの家を行き交い、酒を酌み交わしては文学講義に花を
咲かせ、麻雀やダンスに興じてハメを外していた、とのことでした。 -
『朔太郎・犀星の周辺』と刻まれています。朔太郎とは萩原朔太郎、犀星とは室生犀星のことです。
一番上の帽子をかぶったのは北原白秋。あとは衣巻省三、竹村俊郎、平木二六、佐藤惣之助、三好達治。 -
『馬込文士村時代、それは女性活躍の時代でもあった』と刻まれてます。
左から片山広子、宇野千代、村岡花子、吉屋信子、佐多稲子 -
昭和6年、作家の間では相撲の話が持ち上がり、退廃的ムードが漂っていた文士村は落ち着きを取り戻しつつあった、という内容です。
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仲間同士の相撲でしょうね。体格ガリガリでお相撲さんに程遠いので。
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天祖神社の境内では、みなさんで年末のお正月準備をされていました。
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いちょうの落ち葉をかき分けて大森駅に戻り、北の方角に散歩します。
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大通り沿いにありました。かわいい大森貝塚の石碑。
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隣にあった、もうひとつのかわいい石碑
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大森駅北口から徒歩3分、この先に、本物の貝塚史跡があるようです。
NTTデータ大森山王ビルの手前を入って行き階段を下ったところです。 -
発券したモース博士。
右下にある「日本電信電話公社」というのが懐かしい。確か電電公社と。 -
史跡大森貝塚。JR線の線路に面しています。2019年9月で142周年。
1877年(明治10年)6月、モース博士が横浜から新橋に向かう途中、
列車の車窓から貝塚を見つけたことで有名です。大田区の石碑です。大森貝塚の碑 (大田区) 名所・史跡
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もう少し歩いていると、品川区立大森貝塚遺跡庭園がありました。
わずか3分の間に品川区に入っていました。区の境い目なんですね。大森貝塚遺跡庭園 公園・植物園
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アメリカ人 エドワート・S・モース博士像がありました。
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子供向けの説明でしょうか
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貝塚
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庭園内にも寄贈された碑がありました。(昭和4年5月26日記工)
これは品川区の石碑です。大田区と品川区にまたがった貝塚群です。 -
大森駅に戻る間に、成田山大森不動尊 圓能寺 がありました。
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こちらでも年末のお正月準備中。寒い中、ご苦労さまです。
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そのお隣は日枝神社。ここらへんは神社仏閣が多いですね。
それにしても、先程の『馬込文士村』というのが気になり、もう少し知りたいと思いまして、駅西口にあったデカい案内地図で位置関係をザックリ把握したうえで散策してみることにしました。
【この先は「大森駅界隈ぷらぷら その2」に続きます】
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