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大和朝廷誕生の地、奈良。今でも歴史を語る多くの古道を歩くことができます。<br />今回、古道の一つ葛城古道を歩きました。葛城古道は「西の山の辺の道」ともいわれ、大和盆地をはさみ東側にあるいわゆる山の辺の道と同じく山の中腹に古の神社や古跡が道に沿って点々と存在します。東の山の辺の道は、最近有名になり、多くの人が訪れますが、葛城道は比較的人も少なく、静かでより一層古代ロマンをかきたてられる道でした。

葛城古道を歩く

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2019/10/21 - 2019/10/21

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akitaine

akitaineさん

大和朝廷誕生の地、奈良。今でも歴史を語る多くの古道を歩くことができます。
今回、古道の一つ葛城古道を歩きました。葛城古道は「西の山の辺の道」ともいわれ、大和盆地をはさみ東側にあるいわゆる山の辺の道と同じく山の中腹に古の神社や古跡が道に沿って点々と存在します。東の山の辺の道は、最近有名になり、多くの人が訪れますが、葛城道は比較的人も少なく、静かでより一層古代ロマンをかきたてられる道でした。

交通手段
私鉄

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  • 奈良は古代の歴史を物語る地です。<br />今回、大和朝廷が確立する前よりこの地を治めていたという葛城氏の名を取る葛城の道を歩きます。<br />まずは、近鉄御所駅に到着し、駅舎の隣にある観光案内所で観光資料をいただきました。いくつもの古道マップや参考になる資料があります。

    奈良は古代の歴史を物語る地です。
    今回、大和朝廷が確立する前よりこの地を治めていたという葛城氏の名を取る葛城の道を歩きます。
    まずは、近鉄御所駅に到着し、駅舎の隣にある観光案内所で観光資料をいただきました。いくつもの古道マップや参考になる資料があります。

  • 御所駅前にある地図です。<br />後ろに大きく2つある山は、右が葛城山、左が金剛山です。<br />現在は別名になっていますが、かつては両方とも葛城山だったそうです。<br />金剛山頂上近くにある神社の名前は葛木神社ですね。<br /><br />今日は、御所駅から葛城山に向かい、2つの山の麓を巻くように作られた葛城古道を右から左に歩きます。

    御所駅前にある地図です。
    後ろに大きく2つある山は、右が葛城山、左が金剛山です。
    現在は別名になっていますが、かつては両方とも葛城山だったそうです。
    金剛山頂上近くにある神社の名前は葛木神社ですね。

    今日は、御所駅から葛城山に向かい、2つの山の麓を巻くように作られた葛城古道を右から左に歩きます。

  • しばらくは、自動車道を上がります。

    しばらくは、自動車道を上がります。

  • 20分ほど歩き、鴨山口神社に到着。<br />この一帯には「鴨」とつく神社が多いのです。<br />かつて葛城の地には鴨族という技能集団が豪族として存在し、神武天皇東征のときも手助けをしたとされています。<br /><br />その後、鴨族は全国に散らばり、現在の京都の上加茂神社。下加茂神社のルーツもここ葛城であったと言われています。<br />また、大和朝廷が誕生した当時、他に複数の豪族が大和に存在し、その一つが葛城氏であり、鴨氏の一部であったという説があります。<br />しかし、その後歴史が物語るように大和朝廷との権力争いに敗れ、神格の世界に残ったというのです。<br />出雲にある出雲大社も同じですね。

    20分ほど歩き、鴨山口神社に到着。
    この一帯には「鴨」とつく神社が多いのです。
    かつて葛城の地には鴨族という技能集団が豪族として存在し、神武天皇東征のときも手助けをしたとされています。

    その後、鴨族は全国に散らばり、現在の京都の上加茂神社。下加茂神社のルーツもここ葛城であったと言われています。
    また、大和朝廷が誕生した当時、他に複数の豪族が大和に存在し、その一つが葛城氏であり、鴨氏の一部であったという説があります。
    しかし、その後歴史が物語るように大和朝廷との権力争いに敗れ、神格の世界に残ったというのです。
    出雲にある出雲大社も同じですね。

  • 鴨山口神社

    鴨山口神社

  • 鴨山口神社の説明板

    鴨山口神社の説明板

  • 鴨山口神社を後にして、すぐ上にある六地蔵石仏に来ました。<br />室町時代に作られたとのこと。<br />当時、山からの土石流による災害に人々は苦しめられており、この石も山から流れてきました。石に六道の仏を彫り、極楽浄土を祈ったそうです。<br />道路の真ん中に立ち、いやでも一目を引きます。<br />仏様は多くの人の手に触れられ、形もよくわからないほどになっています。

    鴨山口神社を後にして、すぐ上にある六地蔵石仏に来ました。
    室町時代に作られたとのこと。
    当時、山からの土石流による災害に人々は苦しめられており、この石も山から流れてきました。石に六道の仏を彫り、極楽浄土を祈ったそうです。
    道路の真ん中に立ち、いやでも一目を引きます。
    仏様は多くの人の手に触れられ、形もよくわからないほどになっています。

  • 六地蔵から道を直角に左に取り、いよいよ葛城道の山すそ巡りです。<br />次の見学スポット、九品寺へ。

    六地蔵から道を直角に左に取り、いよいよ葛城道の山すそ巡りです。
    次の見学スポット、九品寺へ。

  • 東側に奈良盆地がよく見える高さになってきました。<br />左のこんもりとした森は先ほど訪れた鴨山口神社。

    東側に奈良盆地がよく見える高さになってきました。
    左のこんもりとした森は先ほど訪れた鴨山口神社。

  • 里山の道をどんどん行きます。

    里山の道をどんどん行きます。

  • お天気は曇りですが、大和盆地と大和三山が見えます。

    お天気は曇りですが、大和盆地と大和三山が見えます。

  • 40分ほど歩いて九品寺に到着。<br />創建は奈良時代の行基。<br />南北朝時代~桃山時代までの兵の慰霊のための千体仏があります。

    40分ほど歩いて九品寺に到着。
    創建は奈良時代の行基。
    南北朝時代~桃山時代までの兵の慰霊のための千体仏があります。

  • お堂の後ろの道を登っていくと、このような仏さまが並んでいます。

    お堂の後ろの道を登っていくと、このような仏さまが並んでいます。

  • 飛び出ている石は、この上に灯明を置くためだそうです。

    飛び出ている石は、この上に灯明を置くためだそうです。

  • ドーンとある石仏郡。斜面を利用してあちこちにたくさんの石仏があります。<br />一部はかつては埋もれていたのが、後世発見されたそうです。

    ドーンとある石仏郡。斜面を利用してあちこちにたくさんの石仏があります。
    一部はかつては埋もれていたのが、後世発見されたそうです。

  • 道に戻り、次の見学スポット「一言主神社」へ着きました。

    道に戻り、次の見学スポット「一言主神社」へ着きました。

  • 入口にある説明板。<br />名前のように願い事を一つだけ聞いてくれる神様。<br />雄略天皇と争った神様でもあります。

    入口にある説明板。
    名前のように願い事を一つだけ聞いてくれる神様。
    雄略天皇と争った神様でもあります。

  • 境内

    境内

  • 境内の大イチョウ。

    境内の大イチョウ。

  • 蜘蛛塚もあります。<br />かつて大和朝廷に抵抗した土蜘蛛族が封じ込めらたそうです。<br />なぜ、蜘蛛というかというと、身長が短く、手足が長い人種で、明らかに大陸渡来の大和系やその他の豪族とは違う人種であったようです。また土の中に居た、つまり穴の中に住んでいたということでしょう。<br />つまり、先史よりこの地に住む先住民族であったということです。<br /><br />

    蜘蛛塚もあります。
    かつて大和朝廷に抵抗した土蜘蛛族が封じ込めらたそうです。
    なぜ、蜘蛛というかというと、身長が短く、手足が長い人種で、明らかに大陸渡来の大和系やその他の豪族とは違う人種であったようです。また土の中に居た、つまり穴の中に住んでいたということでしょう。
    つまり、先史よりこの地に住む先住民族であったということです。

  • 蜘蛛塚の周辺

    蜘蛛塚の周辺

  • 一言主神社を後にして、名柄(長柄)の集落にやってまいりました。<br />古い家並みが続きます。<br />長柄は、かつて葛城氏始祖の葛城襲津彦(そつひこ)居住地であったという記録があります。古墳時代から人が住み栄えていたということでしょう。

    一言主神社を後にして、名柄(長柄)の集落にやってまいりました。
    古い家並みが続きます。
    長柄は、かつて葛城氏始祖の葛城襲津彦(そつひこ)居住地であったという記録があります。古墳時代から人が住み栄えていたということでしょう。

  • 立派なお屋敷の壁です。

    立派なお屋敷の壁です。

  • 次は、極楽寺をパスし、橋本院へ行きます。ここから少し登ります。

    次は、極楽寺をパスし、橋本院へ行きます。ここから少し登ります。

  • 橋本院に行く山道。車の道も別にありますが、山の中の道を歩くことにいたします。

    橋本院に行く山道。車の道も別にありますが、山の中の道を歩くことにいたします。

  • しばらく山道を登ると開けた平坦な場所にでます。<br />この先が橋本院。かつては高天千坊と言われた大寺院だったそうです。<br /><br />背後にある山が、これから行く高天彦神社のご神体・白雲岳。

    しばらく山道を登ると開けた平坦な場所にでます。
    この先が橋本院。かつては高天千坊と言われた大寺院だったそうです。

    背後にある山が、これから行く高天彦神社のご神体・白雲岳。

  • 橋本院の瞑想の庭で昼食タイム。<br />静かな時間です。

    橋本院の瞑想の庭で昼食タイム。
    静かな時間です。

  • 橋本院の上部まで上がりました。ここからは、さらに見晴らしが良くなります。この辺り一帯は「高天」と呼ばれ、高天原はここではないか、と言われています。

    橋本院の上部まで上がりました。ここからは、さらに見晴らしが良くなります。この辺り一帯は「高天」と呼ばれ、高天原はここではないか、と言われています。

  • 道も終盤になってきました。<br />橋本院を過ぎさらに登り、高天彦神社に到着。<br />豪族葛城氏を祀っています。

    道も終盤になってきました。
    橋本院を過ぎさらに登り、高天彦神社に到着。
    豪族葛城氏を祀っています。

  • なにか氣を感じる神社です。<br />ご神体は後ろにある白雲岳。<br />また、ここから金剛山に登る道もあります。

    なにか氣を感じる神社です。
    ご神体は後ろにある白雲岳。
    また、ここから金剛山に登る道もあります。

  • 高天彦神社の説明板

    高天彦神社の説明板

  • 本殿から参道を見ます。<br />両側の杉木立が歴史を感じさせてくれます。

    本殿から参道を見ます。
    両側の杉木立が歴史を感じさせてくれます。

  • 高天彦神社から杉木立の参道を下った平地にある「蜘窟梅鶯」説明板。<br />ここには、先住民の蜘蛛族がいて、彼らを殺戮してこの地を渡来系の人々(皇軍)が治めたのです。

    高天彦神社から杉木立の参道を下った平地にある「蜘窟梅鶯」説明板。
    ここには、先住民の蜘蛛族がいて、彼らを殺戮してこの地を渡来系の人々(皇軍)が治めたのです。

  • そして…高天彦神社の近くに、蜘蛛族が住んでいたか、葬られた地「蜘蛛窟」がひっそりとありました。<br /><br />本当に隠れるようにありました。<br />今は無き民族です。

    そして…高天彦神社の近くに、蜘蛛族が住んでいたか、葬られた地「蜘蛛窟」がひっそりとありました。

    本当に隠れるようにありました。
    今は無き民族です。

  • 蜘蛛窟のあるうっそうとした森を下り、下の道まで下りてきました。

    蜘蛛窟のあるうっそうとした森を下り、下の道まで下りてきました。

  • ちょっとお天気があやしくなってきました。<br />これから、高鴨神社に行きます。

    ちょっとお天気があやしくなってきました。
    これから、高鴨神社に行きます。

  • 高鴨神社。高天彦神社は無人で古びた感じでしたが、こちらは立派なきれいな神社です。<br />豪族・鴨氏の氏神です。<br />京都の上加茂神社、下加茂神社の本家です。

    高鴨神社。高天彦神社は無人で古びた感じでしたが、こちらは立派なきれいな神社です。
    豪族・鴨氏の氏神です。
    京都の上加茂神社、下加茂神社の本家です。

  • 本殿の裏手部分。立派な朱塗りです。

    本殿の裏手部分。立派な朱塗りです。

  • 最後に船宿寺まで行きたかったのですが、雨も降ってきたので、今日はここで終わります。<br />この辺りは、風の森という地名です。平原に稲や畑が広がり、風が吹き抜けていきます。どなたがつけたか知りませんが、時間を超えた実存を感じさせます。人の争いやさまざまな営みをすべて含んだ何かを、、、。

    最後に船宿寺まで行きたかったのですが、雨も降ってきたので、今日はここで終わります。
    この辺りは、風の森という地名です。平原に稲や畑が広がり、風が吹き抜けていきます。どなたがつけたか知りませんが、時間を超えた実存を感じさせます。人の争いやさまざまな営みをすべて含んだ何かを、、、。

  • 「風の森」という名前のバス停留所でバスに乗り、御所駅まで戻りました。<br />バス停留所前の交差点名は、「鴨神」。<br /><br />日本人は決して単一民族ではないことを感じました。<br />また、過去に排除されても、全国各地で神様になっている一族があり、今なお連綿と生きておられる。<br />地名や建物、人々の心の底に。

    「風の森」という名前のバス停留所でバスに乗り、御所駅まで戻りました。
    バス停留所前の交差点名は、「鴨神」。

    日本人は決して単一民族ではないことを感じました。
    また、過去に排除されても、全国各地で神様になっている一族があり、今なお連綿と生きておられる。
    地名や建物、人々の心の底に。

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