2019/12/15 - 2019/12/15
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xiaomaiさん
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九份へは何度も行ったことがあるものの、金瓜石へは一度たりとも行ったことがなく、いつか行きたいとずっと思っていた。天候にも恵まれた12 月、それが実現した。
日本時代が偲ばれる金瓜石は、九份を訪れた際、ぜひとも足を伸ばしたいところだ。行った日は日曜日で、外国人は韓国人が多かったけれど、もっと多くの日本人に訪れてほしいと思った。
金瓜石について...
台湾が日本に割譲される以前、既に基隆河での砂金採集がブームになっていた。日本の植民地となって以降、日本人に採掘権が与えられ、金だけでなく銅も産出することがわかり、金瓜石の発展は始まった。田中事務所、金瓜石勧済堂鉱山会社、日本鉱業株式会社と経営母体が変わりつつも、大きな発展を続けた。終戦後は中華民国政府に接収され、台湾金属鉱業公司として経営されたが、世界駅な銅価格の下落により、1987年に閉山。2004年に黄金博物館としての公開が始まった。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
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台北からは直行バスでも行けるけれど、今回は電車で瑞芳駅まで行き、そこからバスに乗り換えて、金瓜石向かうことにした。
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南港から区間快速に乗車し、30分ほどで到着。
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瑞芳駅。駅前には老街が広がる。
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駅前のバス停で九份経由金瓜石行きのバスを待つ。
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バス到着後、すぐに乗車したから座れたけれど、立っている人もいた。
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九份で多くの人が降車する。
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まず向かったのは、新北市立黄金博物館。博物館というより、博物「園」という名称の方がふさわしい広さ。真夏に来ると、暑さがきついかもしれない。
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バスを降りてこの通路を進む。
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通路の左側に以前使われていた台湾汽車客運株式会社のバスが停められている。
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80元の入場料を払い、まず向かったのは顧客サービスセンター。この建物はそもそもは台湾汽車客運株式会社のバス待合室だった。園内の資料などが入手できるから、ぜひ立ち寄りたい。
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入り口にある鉱夫の像が目印。
この施設では無料のガイドサービスが実施されている。平日は10時、14時、15時の3回。休日は10時、11時、14時、15時の4回。中国語がわかる場合は参加することを強く勧める。中国語を解さない場合は、音声ガイドを借りることもできる。 -
11時のガイドツアーに申し込み、それまでの間、近くを散策。画像は「四連棟」と呼ばれる建物で、1930年代に日本鉱業株式会社が日本人社員とその家族のために建てた社宅。戦後も台湾金属鉱業公司の社宅と利用されていた。2007年に全面改修を経て、常設展示館の一つとなった。内部については後ほど。
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11時になり、ガイドさん登場。日曜日だったから、他にも参加者が多くいるかと思ったら、自分と同行者の2名だけだった。はじめに自己紹介を受け、1時間ほどのツアーの概略の説明を聞いた。お話しぶりから、ご本人が非常にこの土地を愛していることがわかった。
画像は石垣の説明を受けている場面。 -
ガイドさん自身、この石垣にとても惚れ込んでいるようだった。
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埋め込まれている石が四角錐になっているのがこの穴でよくわかる。
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妊婦が横たわっているように見える基隆山
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右手には、日本時代に台湾人が住んでいた金瓜石エリアが広がる。中央に見えるのは......
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関帝(関羽)の像。詳しくは後ほど。
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急須のように見える山。雲が急須の出口に重なると、いい画像が撮れそうだった。
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こちらは獅子に見える。
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左に錬金楼。戦後、錬金工場がここに置かれていたけれど、日本時代、このエリアは金瓜石旅館があった。
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もとは九份まで続いていた線路
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黄金館の手前にあるこの階段を上ると、金瓜石神社(黄金神社)の跡地がある。20分ほど歩くことを嫌った同行者が行きたくないと言い、行かなかった。ちょっと後悔。
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鉱夫の像。鉱夫たちは互いに助け合う精神を強く持っていたらしい。この像はそれを表しているとのことだった。
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台湾金属鉱業公司の採掘事務所であった建物を利用した黄金館。
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黄金館の入り口のあるモグラ?の像。
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ガイドツアーはこの黄金館の内部説明を受けて終了する。1時間と聞いていたけれど、時計を見たら2時間のコースになっていた。自分も同行者も熱心に説明を聞いていたから、結果的にこうなったのかもしれない。ツアー参加者が目を輝かせて聞いていれば、ガイドさんも俄然やる気が出るに違いない。
ツアー後、館内を再度ゆっくり見学した。画像は台湾公学校(台湾人が学んだ小学校)の卒業証書。 -
鉱業で華やいでいた頃の金瓜石には劇場があり、歌仔戲などが演じられていた。
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金瓜石神社でも毎年例祭が行われていた。現在は模型のように、鳥居と柱しか残っていない。
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採掘の様子を示したジオラマ
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見ていて飽きないすばらしい展示物
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採掘した金などの鉱物を下ろし......
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トロッコで運ぶ。
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これは牢屋ではなく、爆破用の火薬倉庫。
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危険を伴う作業であっただろうけれど、金鉱採掘でこの街は華やいでいた。
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2階には後席の展示がある。画像は金瓜石で採掘された鉱石。
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その向かいにあるのは世界で採掘された鉱石。
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上は1913年当時のもので、下は採掘された結果、形が変化した1935年のもの。
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現物を見ると、その美しさがよくわかるんだけど、画像ではそれがうまく伝わらない。
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これもその美しさが画像では伝えられない。
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「馬歯石」ただの石に見えるけれど、価値が非常に高いものらしい。
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明礬石
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道に転がっていても、きっと気にも留めないだろう。でも、以前は、ひとかけらで一棟の家が買えるほどの価値があると言われていたらしい。
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「馬歯石」これは多少気になるかもしれない。
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日本時代には、東北大教授であった渡邊萬次郎や北投石を発見した岡本要八郎が、台湾鉱石の研究に尽力していた。
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台北州国防義会勲章
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ギネスブックに登録されたことがある220キロの金塊も展示されていて、触れることができる。数字はその日の金銭的価値。2階部分には非常に価値が高いものが展示されているのに、いるのは係員だけで、警備員がいなかった。
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黄金館脇にあるエアーコンプレッサー。
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軽便駅という表示があるけれど、日本時代、この建物は浴場だった。
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以前、鉱夫たちが真っ暗な坑道で採掘していた様子が体験できる有料施設もある。
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日向ぼっこをしている犬がほのぼの感を高める。
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山の後ろに海。好天気に恵まれ、心も晴れやか。
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この時期は多くのススキが風に吹かれていた。
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日本時代に作られた石階段
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日本からの移民だけでなく、台湾生まれの日本人(台生)もこの階段を上り下りしていたのだろう。
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いにしえに想いを走らせ、なんとなくノスタルジックな気分になった。
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日本式家屋と猫
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木造日本家屋と猫は絵になる。
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石の階段と猫も......。
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この子はまだ小さいのかな?
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四連棟まで戻り、内部を見学した。
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このような木造建築に住んだことはないけれど、心が騒ぐのはやはり日本人である証拠。
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玄関
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古き良き時代を感じさせる。
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コストがかかりすぎ、今ではもうこのような建物は建てられない。
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ザ・日本木造家屋
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浴室
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床の間にあるのは......
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防空壕
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厨房
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四連棟の名の通り、4つの家がつながっていて、こちらは先ほどの木造風呂と異なり、タイルがはめられたもの。おそらく戦後接収された後に作られたものだろう。
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台湾人が使用していたことがあるにしては、原型を十分に留めている。
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ここで使われていたものではないと思うが、このような展示は乙だ。
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実に趣がある。
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ラジオ
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ダイヤル式の黒電話。子供の頃あったなぁ。使ったことがある世代......。
♪ ダイヤル回して手を止めた
♪ I’m just a woman ah falling in love
この曲、その昔流行りました⋯⋯ -
柱時計がいい味を出している。
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四連棟の見学を終えたとき、出入り口にいた係員さんに「日本時代の遺構を丁寧に遺し管理してくださって、ありがとうございます」と感謝の意を伝えた。
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金瓜石鉱山事務所所長宅跡
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所長宅だけあって、広大な土地に立派な建物。
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内部見学ができないのが残念。
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交番
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昼食をとった鉱夫食堂
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ベジタリアン用のプレート。豆を材料にし魚料理に似せて作ってある。ベジタリアンの同行者に合わせて自分もこれを食べた。予想と異なり、とても美味しいものだった(190元)。
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食後はまず金瓜石太子賓館を見学。
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1922年に当時の皇太子(のちの昭和天皇)が金瓜石の鉱山を視察する予定があり、鉱業事業者であった田中長兵衛が迎賓館として建てられたという説があるらしいけれど、実際は鉱業会社が来賓を迎えるために建てたものだという研究結果があるとのことだ。2007年に新北市から古跡指定を受けた。
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なかなか立派な造り。
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赤くなっているのは、戦後になってからではないかと感じる。
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庭にある池には大きな鯉がたくさんいた。
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大使賓館の近くの細い道。ここでドラマ撮影が行われたらしい。
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錬金楼
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1階は映像で華やいでいた頃の金瓜石が紹介され、2階では文字により説明がなされている。最盛期は九份や台北よりも華やかさがあったようだ。
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特に説明する看板が設置されていないけれど、そこここに日本家屋が残されている。
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白いランニングシャツに短パンを穿いたいがぐり頭の男の子が出てきそうな感じがした。
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人が多くないところを歩いていると、心が日本時代の台湾にタイムスリップして、本当にノスタルジックな気分になった。
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そして、青い空に緑の山々。これこそ台湾の美しさ。
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曇りがちな台北の冬。この日は絶好の好天気だったから、山から美しい海を見下ろすため移動。
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途中にあったレストラン。
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景色を眺めながらの食事もよいだろう。ただ、墓地が視界に入るから、その点は考えもの。
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金瓜石勧済堂にある関帝(関羽)像
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まさに真後ろから。
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勧済堂の中に入り、2階へ行くと......
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このようなお姿を撮影できる。
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この階段(報時山登山道)を上っていくと......
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ススキが眼前に広がり.....
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このような広大な景色が目に飛び込んでくる。
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青い空、青い海、ススキ......
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夏だと暑くて大変だから、冬に行くのがよいと思った。
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海と反対側の景色。
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詳しいガイドを聞かせてもらい、日本時代に想い馳せて、おいしいベジタリアン料理を食し、美しい台湾の自然美に酔いしれた金瓜石。その後、バスに乗り、九份へと向かった。
(続)
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