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  2004年の冬、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド、チェコと20日間弱、東欧を巡りました。昔の手書き旅行日記を整理し、自分の備忘用兼ねて作成しました。東欧と言っても、ルーマニアとそれ以外では旅の様相が全く別ものの感じが強かったです。ルーマニア以外は、今訪れても当時とそれほど変わらないと思いますが、ルーマニアは経済発展前で、今(2019年)とは別世界だったと思いますので、“昔の旅行記”としてまとめてみました。<br /><br />  ルーマニアは2004年当時、ヨーロッパの最貧国と言われ、一人あたりGDPも2019年現在のまだ4分の1程度、当時の日本の20分の1くらいの時代。なので今はそれなりに発展しているのでしょうが、当時はまだ共産主義時代の負の遺産が色濃く残る時代でした。<br /><br />  一方で、タクシーなどの料金がきちんと決まっていたり(アジア的な、吹っ掛けられて値段交渉というのはない)、電車の時刻が一応正確だったことなど、やっぱりなんだかんだ言っても欧州の一員だなと思う面も多かったです。また、観光資源も豊富で、約1週間強の滞在ではまだまだ不十分と思うほど、見所が多かったです。さらに、地形が日本と似ているからでしょうか、特に地方ではどこか日本の田舎のような“しんとした落ち着き”みたいなものがあり、例えば日本の東北地方を旅行しているような感覚があったのが印象に残っています。<br /><br /> そして何より、この旅で一番印象に残ったことは、特に地方では、外国人に素朴に興味を持って話しかけてくる現地の人が多いということでした。外国人が珍しいからだと思います。中には、学校の英語のノートを開いて必死で英語で話しかけてこようとする学生などもいました。また、素朴な親切心に接することが多く、感動することもしばしば。<br /><br /> 最後に、当時まだ若く、気ままな旅をするという感覚で、写真をパシャパシャ撮るということをあまりしてなかったのが悔やまれます。<br /><br /><br /> 以下がスケジュールです。<br /><br />2004年<br />2/24 成田空港→プラハ→国際夜行列車車内<br />2/25 ハンガリーを通り、ルーマニア入国、ティミショアラへ<br />2/26 ティミショアラからブカレストへ<br />2/27 ブカレスト~国民の館、街散策など<br />2/28 ブカレストからブラショフへ<br />2/29 ブラショフからシギショアラへ<br />3/1 シギショアラからコプシャ・ミカに立ち寄り、クルージ・ナポカへ<br />3/2 クルージ・ナポカからビストリーツァへ日帰り旅行<br />3/3 クルージ・ナポカから国際列車でハンガリーへ<br />  →この後、ハンガリー、ポーランド、チェコと周りました。

2004年ルーマニア旅行【東欧1/2:ブカレスト、ブラショフ、シギショアラ等の定番と他の小さな町も】

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2004/02/24 - 2004/03/03

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shushu tany

shushu tany さん

  2004年の冬、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド、チェコと20日間弱、東欧を巡りました。昔の手書き旅行日記を整理し、自分の備忘用兼ねて作成しました。東欧と言っても、ルーマニアとそれ以外では旅の様相が全く別ものの感じが強かったです。ルーマニア以外は、今訪れても当時とそれほど変わらないと思いますが、ルーマニアは経済発展前で、今(2019年)とは別世界だったと思いますので、“昔の旅行記”としてまとめてみました。

 ルーマニアは2004年当時、ヨーロッパの最貧国と言われ、一人あたりGDPも2019年現在のまだ4分の1程度、当時の日本の20分の1くらいの時代。なので今はそれなりに発展しているのでしょうが、当時はまだ共産主義時代の負の遺産が色濃く残る時代でした。

 一方で、タクシーなどの料金がきちんと決まっていたり(アジア的な、吹っ掛けられて値段交渉というのはない)、電車の時刻が一応正確だったことなど、やっぱりなんだかんだ言っても欧州の一員だなと思う面も多かったです。また、観光資源も豊富で、約1週間強の滞在ではまだまだ不十分と思うほど、見所が多かったです。さらに、地形が日本と似ているからでしょうか、特に地方ではどこか日本の田舎のような“しんとした落ち着き”みたいなものがあり、例えば日本の東北地方を旅行しているような感覚があったのが印象に残っています。

 そして何より、この旅で一番印象に残ったことは、特に地方では、外国人に素朴に興味を持って話しかけてくる現地の人が多いということでした。外国人が珍しいからだと思います。中には、学校の英語のノートを開いて必死で英語で話しかけてこようとする学生などもいました。また、素朴な親切心に接することが多く、感動することもしばしば。

 最後に、当時まだ若く、気ままな旅をするという感覚で、写真をパシャパシャ撮るということをあまりしてなかったのが悔やまれます。


以下がスケジュールです。

2004年
2/24 成田空港→プラハ→国際夜行列車車内
2/25 ハンガリーを通り、ルーマニア入国、ティミショアラへ
2/26 ティミショアラからブカレストへ
2/27 ブカレスト~国民の館、街散策など
2/28 ブカレストからブラショフへ
2/29 ブラショフからシギショアラへ
3/1 シギショアラからコプシャ・ミカに立ち寄り、クルージ・ナポカへ
3/2 クルージ・ナポカからビストリーツァへ日帰り旅行
3/3 クルージ・ナポカから国際列車でハンガリーへ
  →この後、ハンガリー、ポーランド、チェコと周りました。

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  • 【2/24(火)成田からプラハへ、そのままルーマニアに向けて夜行国際列車に乗車】<br /><br /><br /> まず、成田空港からオーストリア航空でウィーン経由、プラハに向かいます。プラハに着き、とりあえず、冬の東欧ですが、なんとか耐えられそうな寒さで一安心。<br /><br /> 空港からは、バスで地下鉄駅まで行きます。バス乗り場で現地のおばちゃんに荷物を持ってくれと頼まれます。すると、お返しにといった雰囲気でバス内での改札の仕方など、親切に身振り手振りで教えてくれます。旅行の初日にこういうことがあるとテンションが上がりますね。そのおばちゃん、旅行ガイドブックにも興味津々で、なにやらニヤニヤしながらプラハのページを見ています。すると、他のおっちゃんにも声をかけられ、英語で「その辺の道端で両替はするな!偽札をつかまされるから」などと忠告してくれます。

    【2/24(火)成田からプラハへ、そのままルーマニアに向けて夜行国際列車に乗車】


     まず、成田空港からオーストリア航空でウィーン経由、プラハに向かいます。プラハに着き、とりあえず、冬の東欧ですが、なんとか耐えられそうな寒さで一安心。

     空港からは、バスで地下鉄駅まで行きます。バス乗り場で現地のおばちゃんに荷物を持ってくれと頼まれます。すると、お返しにといった雰囲気でバス内での改札の仕方など、親切に身振り手振りで教えてくれます。旅行の初日にこういうことがあるとテンションが上がりますね。そのおばちゃん、旅行ガイドブックにも興味津々で、なにやらニヤニヤしながらプラハのページを見ています。すると、他のおっちゃんにも声をかけられ、英語で「その辺の道端で両替はするな!偽札をつかまされるから」などと忠告してくれます。

  •  プラハ本駅に地下鉄で到着。早速、今日ルーマニアに向けて乗る列車(23:34分発)の切符を買おうとします。メモ帳に必要事項を書いて見せると、「分かった分かった」といった表情で淡々と発券してくれます。2度目の海外旅行でしたが、メモ帳は強い味方だと再確認。パスポートを見せると、「How old are you?」と聞かれます。アジア人は欧米人に比べて年齢が下に見られることが多いようですが、未成年に見えたのでしょうか?<br /><br /> しかしプラハ本駅、薄暗くて閑散としていて、さびしい感じです。売店でサンドイッチを購入して夕食にします。

     プラハ本駅に地下鉄で到着。早速、今日ルーマニアに向けて乗る列車(23:34分発)の切符を買おうとします。メモ帳に必要事項を書いて見せると、「分かった分かった」といった表情で淡々と発券してくれます。2度目の海外旅行でしたが、メモ帳は強い味方だと再確認。パスポートを見せると、「How old are you?」と聞かれます。アジア人は欧米人に比べて年齢が下に見られることが多いようですが、未成年に見えたのでしょうか?

     しかしプラハ本駅、薄暗くて閑散としていて、さびしい感じです。売店でサンドイッチを購入して夕食にします。

    プラハ本駅 (プラハ中央駅)

  •  列車に乗ると、CFRという表示があるので、ルーマニアの車両らしいです。一人部屋、鍵付き、洗面台あり、鏡ありの至れり尽くせり。

     列車に乗ると、CFRという表示があるので、ルーマニアの車両らしいです。一人部屋、鍵付き、洗面台あり、鏡ありの至れり尽くせり。

  •  1等車にされたような気がします。2等車を頼んだのに。。。ただ、こういうことは外国ではありがちな気もしますが。。。それでもプラハからルーマニアのアラドまで1泊で15時間乗車し、2000円くらいは安い!

     1等車にされたような気がします。2等車を頼んだのに。。。ただ、こういうことは外国ではありがちな気もしますが。。。それでもプラハからルーマニアのアラドまで1泊で15時間乗車し、2000円くらいは安い!

  • 【2/25(水)スロバキア、ハンガリーを通り、ルーマニア入国、ティミショアラへ】<br /><br /><br /> 疲れていたのですぐに寝ますが、チェコからスロバキアへの入国審査(am1:00頃)、スロバキアからハンガリーへの入国審査(am3:00頃)で起こされます。当時は、まだそれぞれパスポートにスタンプが押されました。まだこのうちどの国もEUに加盟していなかったのですね。

    【2/25(水)スロバキア、ハンガリーを通り、ルーマニア入国、ティミショアラへ】


     疲れていたのですぐに寝ますが、チェコからスロバキアへの入国審査(am1:00頃)、スロバキアからハンガリーへの入国審査(am3:00頃)で起こされます。当時は、まだそれぞれパスポートにスタンプが押されました。まだこのうちどの国もEUに加盟していなかったのですね。

  •  翌朝、起きるとハンガリーの、一面雪の大平原を走っていました。ハンガリーに入ると、明らかに鉄道のレールのつなぎ目がなくなって「ガタンゴトン」という音がなくなりました。快適です。気のせいかな、チェコよりも町の家の造りなどもしっかりしていて、豊かな印象を受けます。<br /><br /> ただ、ブダペストに近づくと、旧共産主義圏特有かもしれませんが、東京郊外の団地が何十個も入りそうな“灰色無機質巨大マンション群”の壮観な光景も見られます。<br /><br /> そうこうしているうちに、ブダペスト東駅に到着、なぜか、出発が1時間遅れ、ルーマニア入国後の乗り継ぎができるか不安になります。

     翌朝、起きるとハンガリーの、一面雪の大平原を走っていました。ハンガリーに入ると、明らかに鉄道のレールのつなぎ目がなくなって「ガタンゴトン」という音がなくなりました。快適です。気のせいかな、チェコよりも町の家の造りなどもしっかりしていて、豊かな印象を受けます。

     ただ、ブダペストに近づくと、旧共産主義圏特有かもしれませんが、東京郊外の団地が何十個も入りそうな“灰色無機質巨大マンション群”の壮観な光景も見られます。

     そうこうしているうちに、ブダペスト東駅に到着、なぜか、出発が1時間遅れ、ルーマニア入国後の乗り継ぎができるか不安になります。

  • とにかく、ブダペストからハンガリーを南東に向けてひた走ります。途中、SnolkとかBekselaskaといった町々を通過します。 

    とにかく、ブダペストからハンガリーを南東に向けてひた走ります。途中、SnolkとかBekselaskaといった町々を通過します。 

  •  ハンガリーの農村はこんな感じです。<br /><br /> いよいよルーマニアに入国します。

     ハンガリーの農村はこんな感じです。

     いよいよルーマニアに入国します。

  •  ルーマニアに入ると、途端にこうなります。<br /><br /> 国境の町、Cruticiというところ。ルーマニアに入った瞬間、別世界に来たといった感じ!建物がボロボロになり、駅には物乞いのような人が屯しています。あまりの変化に愕然とします。線路もガタンゴトンと言うようになります。工場も変なところから煙がでているようなものもあります。。。<br /><br /> そうこうしているうちに、乗り換え駅、アラドに到着。駅の建物から出た瞬間、3人ほどの物乞いに囲まれます。そのうちの1人は子供!その他、周囲に汚い身なりの男たちが平日の日中から屯しています。<br /><br /> 雰囲気が良くないので、早く両替し、切符を買って駅の中に入りたいのですが、両替所のスタッフがなかなか窓口を開けてくれず、30分ほど待ちます。さらに、切符売り場にも行列が。。。並んでいると、先ほどの子供の物乞いがこちらを見てニヤニヤしています。周囲を少し冷静に見ていると、その物乞いの人たちにお金をあげていく人たちもけっこういます。それが当たり前の対応なのでしょうか。

     ルーマニアに入ると、途端にこうなります。

     国境の町、Cruticiというところ。ルーマニアに入った瞬間、別世界に来たといった感じ!建物がボロボロになり、駅には物乞いのような人が屯しています。あまりの変化に愕然とします。線路もガタンゴトンと言うようになります。工場も変なところから煙がでているようなものもあります。。。

     そうこうしているうちに、乗り換え駅、アラドに到着。駅の建物から出た瞬間、3人ほどの物乞いに囲まれます。そのうちの1人は子供!その他、周囲に汚い身なりの男たちが平日の日中から屯しています。

     雰囲気が良くないので、早く両替し、切符を買って駅の中に入りたいのですが、両替所のスタッフがなかなか窓口を開けてくれず、30分ほど待ちます。さらに、切符売り場にも行列が。。。並んでいると、先ほどの子供の物乞いがこちらを見てニヤニヤしています。周囲を少し冷静に見ていると、その物乞いの人たちにお金をあげていく人たちもけっこういます。それが当たり前の対応なのでしょうか。

  •  アラドからティミショアラへの“近郊列車”にギリギリで乗車。この列車がまたすごい列車。扉がボロボロで重く、大男3人がかりでやっと開閉できる。当然女性一人では乗り降りできない。その男たちが途中で降りると、けっこう混雑したまま、扉が開いた状態で時速80km/hくらいで走ります。怖い!!“欧州”でこういう状況に遭遇すること自体が驚きです!<br /><br /> 約1時間20分で、本日の目的地ティミショアラに到着。駅周辺の雰囲気はアラドとは違い、物乞いも少なく、アラドよりも大分きれいでしっかりした町という印象。トラム内もおしゃれな人も多いです。<br /><br /> まずは、TAROM(ルーマニア航空)のオフィスへ行き、明日利用予定のティミショアラからブカレストへの航空券を買います(8000円くらい。日程節約のため、ここだけ飛行機移動)。

     アラドからティミショアラへの“近郊列車”にギリギリで乗車。この列車がまたすごい列車。扉がボロボロで重く、大男3人がかりでやっと開閉できる。当然女性一人では乗り降りできない。その男たちが途中で降りると、けっこう混雑したまま、扉が開いた状態で時速80km/hくらいで走ります。怖い!!“欧州”でこういう状況に遭遇すること自体が驚きです!

     約1時間20分で、本日の目的地ティミショアラに到着。駅周辺の雰囲気はアラドとは違い、物乞いも少なく、アラドよりも大分きれいでしっかりした町という印象。トラム内もおしゃれな人も多いです。

     まずは、TAROM(ルーマニア航空)のオフィスへ行き、明日利用予定のティミショアラからブカレストへの航空券を買います(8000円くらい。日程節約のため、ここだけ飛行機移動)。

  •  目当てのホテル・バナトゥール(Hotel Banatul)へ。一泊3000円くらい。新しくてきれいです。

     目当てのホテル・バナトゥール(Hotel Banatul)へ。一泊3000円くらい。新しくてきれいです。

  •  しかし、トイレの水が少しずつ流れっぱなしだったり、二重窓の取っ手どうしがぶつかって結局一つの窓しか閉まらない(!)など、設備が貧弱すぎます。<br /><br /> 夕食は、ホテルに併設された、レストラン(Cina Banatul Restaurant)へ。ルーマニア伝統料理をいただきます。チョルバ(スープ)、ママリガ(ともろこし粉を蒸したもの、主食)、サラート(サラダ)。チョルバはうまみが効いてうまい!ママリガはちょっと間延びする味でなじめませんでした。全部で600円くらい。<br /><br /><br /><br />【2/26(木)ティミショアラからブカレストへ移動】<br /><br /> ティミショアラの町を少し散策。1989年の革命のときに子供を含む数百人という人たちが犠牲になり、血の海になったという、ルーマニア正教会、勝利広場付近。ここでの抵抗が、独裁者チャウシェスクを倒す運動の最初のきっかけになったとのこと。

     しかし、トイレの水が少しずつ流れっぱなしだったり、二重窓の取っ手どうしがぶつかって結局一つの窓しか閉まらない(!)など、設備が貧弱すぎます。

     夕食は、ホテルに併設された、レストラン(Cina Banatul Restaurant)へ。ルーマニア伝統料理をいただきます。チョルバ(スープ)、ママリガ(ともろこし粉を蒸したもの、主食)、サラート(サラダ)。チョルバはうまみが効いてうまい!ママリガはちょっと間延びする味でなじめませんでした。全部で600円くらい。



    【2/26(木)ティミショアラからブカレストへ移動】

     ティミショアラの町を少し散策。1989年の革命のときに子供を含む数百人という人たちが犠牲になり、血の海になったという、ルーマニア正教会、勝利広場付近。ここでの抵抗が、独裁者チャウシェスクを倒す運動の最初のきっかけになったとのこと。

  •  落ち着いた街並みです。<br /><br /> その後、ブカレストに空路向かうため、空港まで送迎のバスがあるというTAROM(ルーマニア航空)のオフィスへ。係員のおばちゃんは英語をほとんど解しません。10:00にバスが来るとのことだったのに10:10になっても来ず。おばちゃんに言うと、「Here! 10:15!」と怒ったように言います。すると10:20にバスが来てホッとします。乗ったのは私1人でした。やはり、郊外に出ると家が崩れかけ、ボロボロになります。。。

     落ち着いた街並みです。

     その後、ブカレストに空路向かうため、空港まで送迎のバスがあるというTAROM(ルーマニア航空)のオフィスへ。係員のおばちゃんは英語をほとんど解しません。10:00にバスが来るとのことだったのに10:10になっても来ず。おばちゃんに言うと、「Here! 10:15!」と怒ったように言います。すると10:20にバスが来てホッとします。乗ったのは私1人でした。やはり、郊外に出ると家が崩れかけ、ボロボロになります。。。

    トライアン ヴイア国際空港 (TSR) 空港

  •  ブカレストに着き、空港から市内中心部へバスで移動します。人口でいうと200万人くらいで東欧最大の町。<br /><br /> 統一広場へ。事実、マクドナルド、KFC、サムスン、ソニーの看板などが目立ち、人通りも多くにぎわっています。

     ブカレストに着き、空港から市内中心部へバスで移動します。人口でいうと200万人くらいで東欧最大の町。

     統一広場へ。事実、マクドナルド、KFC、サムスン、ソニーの看板などが目立ち、人通りも多くにぎわっています。

    統一広場 (ブカレスト) 広場・公園

  •  まずは、目当てのホテル・ハヌル・ルイ・マヌク(Hanul lui Manuc)へ。1808年に建てられた木造建築のホテルとのこと。古いですが、シャワーなどの設備は意外としっかりしています。

     まずは、目当てのホテル・ハヌル・ルイ・マヌク(Hanul lui Manuc)へ。1808年に建てられた木造建築のホテルとのこと。古いですが、シャワーなどの設備は意外としっかりしています。

    ハーヌル マヌク ホテル

  •  ホテルの部屋からの眺め。共産主義的無機質なビル群に、資本主義的カラフルな広告が乗っています。<br /><br /> まずはチャウシェスク時代の独裁政治の象徴、「国民の館」と見学しようと、前まで行きます。でかい!ちょっと言葉にできないデカさです!これほど何かを「デカい!」と思ったことがありません。中国の天山山脈を見た時にもデカさに圧倒されましたが、それ以上の衝撃があります(ジャンルは違いますが)。あまりのデカさに、見学に相当時間がかかるだろうと思い、本日はあきらめます。。。<br /><br /> 昼食は手軽にKFCで。セットで250円くらい。日本と変わらない味です。その後、郵便局で日本へ絵ハガキを送ったり、翌々日のブラショフまでの鉄道チケットを買ったり、地下鉄に乗ったりして過ごします。英語が通じる人も多く(特に若い人)、ルーマニアはきれいな女性が多いという印象。ラテン系?の血が入っているからか、チェコなどとは顔立ちが違うような気がします。ただ、道がデコボコですぐに水たまりができたり、事前情報通り野良犬が多かったり、窓口の対応が悪かったり。。。。<br /><br /> 夕食はホテル内のレストラン。昨日同様、伝統的なルーマニア料理を堪能。やはり600円程度。<br /><br /><br /><br /><br />【2/27(金)ブカレスト~国民の館、街散策など】<br /><br /> <br /> 本日は、昨日あきらめた国民の館を見に行くことにします。

     ホテルの部屋からの眺め。共産主義的無機質なビル群に、資本主義的カラフルな広告が乗っています。

     まずはチャウシェスク時代の独裁政治の象徴、「国民の館」と見学しようと、前まで行きます。でかい!ちょっと言葉にできないデカさです!これほど何かを「デカい!」と思ったことがありません。中国の天山山脈を見た時にもデカさに圧倒されましたが、それ以上の衝撃があります(ジャンルは違いますが)。あまりのデカさに、見学に相当時間がかかるだろうと思い、本日はあきらめます。。。

     昼食は手軽にKFCで。セットで250円くらい。日本と変わらない味です。その後、郵便局で日本へ絵ハガキを送ったり、翌々日のブラショフまでの鉄道チケットを買ったり、地下鉄に乗ったりして過ごします。英語が通じる人も多く(特に若い人)、ルーマニアはきれいな女性が多いという印象。ラテン系?の血が入っているからか、チェコなどとは顔立ちが違うような気がします。ただ、道がデコボコですぐに水たまりができたり、事前情報通り野良犬が多かったり、窓口の対応が悪かったり。。。。

     夕食はホテル内のレストラン。昨日同様、伝統的なルーマニア料理を堪能。やはり600円程度。




    【2/27(金)ブカレスト~国民の館、街散策など】

     
     本日は、昨日あきらめた国民の館を見に行くことにします。

  •  やはりでかい!でかい!!周辺も共産主義時代の空虚な建物が多く、だだっ広い空間、広い道路なのに、人があまりいません。

     やはりでかい!でかい!!周辺も共産主義時代の空虚な建物が多く、だだっ広い空間、広い道路なのに、人があまりいません。

    自由大通り 散歩・街歩き

  •  本日は少し霧がかかっており、国民の館の上部が少し霞んで見えるのも、ものすごさに拍車をかけています。やっとのことで入り口に着き、10:40からの英語ガイドツアーに参加。他の参加客は、中東系の方数名と、欧米人数名で日本人含めた東洋人はいません。

     本日は少し霧がかかっており、国民の館の上部が少し霞んで見えるのも、ものすごさに拍車をかけています。やっとのことで入り口に着き、10:40からの英語ガイドツアーに参加。他の参加客は、中東系の方数名と、欧米人数名で日本人含めた東洋人はいません。

    国民の館 史跡・遺跡

  •  中を見学すると、とにかく大きい!豪華!部屋ごとにタイルやシャンデリアが違ったり、かなりのこだわりよう。

     中を見学すると、とにかく大きい!豪華!部屋ごとにタイルやシャンデリアが違ったり、かなりのこだわりよう。

  •  スケールがすごい!

     スケールがすごい!

  •  最上階から統一大通りを見ると、これまたすごい光景!4km続く空虚なマンション群!

     最上階から統一大通りを見ると、これまたすごい光景!4km続く空虚なマンション群!

  •  事実この統一大通り沿いのマンションは、人があまり住んでいません。壮大すぎるゴーストタウン!

     事実この統一大通り沿いのマンションは、人があまり住んでいません。壮大すぎるゴーストタウン!

  •  また、国民の館の建物も細かく見ると、けっこう傷んできているようです。

     また、国民の館の建物も細かく見ると、けっこう傷んできているようです。

  •  地下鉄でホテル近くの、昨日と同じKFCで昼食。その後、地下鉄でPiata Romana駅まで行きます。地下鉄は、駅が薄暗いくらいで(なので写真がわかりづらいです)、車両なども思ったよりも清潔です。

     地下鉄でホテル近くの、昨日と同じKFCで昼食。その後、地下鉄でPiata Romana駅まで行きます。地下鉄は、駅が薄暗いくらいで(なので写真がわかりづらいです)、車両なども思ったよりも清潔です。

  •  散策を開始します。共和国宮殿、大学図書館、旧共産党本部に囲まれた革命広場あたりまで来ると、落ち着いた雰囲気になり、日本人観光客にも遭遇。その周辺にある、ブカレストで一番大きいといわれる本屋さんHumanitasというお店に入ります。日本語学習の教材なんかもあります。辞書(English-Roman)とルーマニアの地図を購入。2つで1000円くらい。周辺には大学などもあるのかな?“文化人”っぽい人も多いです。<br /> <br /> 隣接する、これまたブカレストで一番大きいというCD店に入ります。東欧はヘビーメタルが盛んだときいていたのですが、そういったものはMetallica以外発見できず。<br /><br /> その後、街を歩いていると、少し貧しそうな青年に「Japonais!」などと言われ、いきなり横から抱き着かれて、びっくりします!スリじゃないか、と警戒します。「Money?」と言ってきます。日本から持参していたボールペンを渡すと、仕方ねえなといった表情で去っていきました。<br /><br /><br /><br /><br />【2/28(土)ブカレストからブラショフへ移動】<br /><br /><br /> ブカレスト・ノルド駅9:19のインターシティに乗ります。ブカレスト・ノルド駅周辺は治安が良くないという情報がありましたが、そういう雰囲気はあまり感じません。ただ、やはり野良犬は多いですね。駅構内はだだっ広くて薄暗く、ボロボロの車両が止まていたりします。<br /><br /> しかし、ブカレスト発のインターシティーは新しい車両で、自動ドア、電光掲示板完備。乗り心地が良いです。土曜だからか、観光客風の中年夫婦、学生仲間が多いです。<br /><br /> 車窓は、郊外では廃墟の工場、灰色マンション群など、おなじみの旧共産主義国的風景も多いです。しかし、田舎に行くと、意外にも景色は大味なものではなく、田園から山、渓谷と、こまめに変化します。それがなんとなく日本の風景の起伏に近いものがあり、落ち着きます。<br /><br /> 11:55にブラショフに到着。2時間半くらい2等車に乗って700円くらいでした。列車を降りた瞬間、プライベートルームの客引き、ガブリエルという男につかまります。迷いましたが、1泊10ドルとのことで安いので決めます。さらに、ドラキュラ城ことブラン城まで15ドルで連れて行ってくれるとのこと。実際には、ドラキュラのモデルとなったウラド・ツェペシュの父親の城とのこと。

     散策を開始します。共和国宮殿、大学図書館、旧共産党本部に囲まれた革命広場あたりまで来ると、落ち着いた雰囲気になり、日本人観光客にも遭遇。その周辺にある、ブカレストで一番大きいといわれる本屋さんHumanitasというお店に入ります。日本語学習の教材なんかもあります。辞書(English-Roman)とルーマニアの地図を購入。2つで1000円くらい。周辺には大学などもあるのかな?“文化人”っぽい人も多いです。
     
     隣接する、これまたブカレストで一番大きいというCD店に入ります。東欧はヘビーメタルが盛んだときいていたのですが、そういったものはMetallica以外発見できず。

     その後、街を歩いていると、少し貧しそうな青年に「Japonais!」などと言われ、いきなり横から抱き着かれて、びっくりします!スリじゃないか、と警戒します。「Money?」と言ってきます。日本から持参していたボールペンを渡すと、仕方ねえなといった表情で去っていきました。




    【2/28(土)ブカレストからブラショフへ移動】


     ブカレスト・ノルド駅9:19のインターシティに乗ります。ブカレスト・ノルド駅周辺は治安が良くないという情報がありましたが、そういう雰囲気はあまり感じません。ただ、やはり野良犬は多いですね。駅構内はだだっ広くて薄暗く、ボロボロの車両が止まていたりします。

     しかし、ブカレスト発のインターシティーは新しい車両で、自動ドア、電光掲示板完備。乗り心地が良いです。土曜だからか、観光客風の中年夫婦、学生仲間が多いです。

     車窓は、郊外では廃墟の工場、灰色マンション群など、おなじみの旧共産主義国的風景も多いです。しかし、田舎に行くと、意外にも景色は大味なものではなく、田園から山、渓谷と、こまめに変化します。それがなんとなく日本の風景の起伏に近いものがあり、落ち着きます。

     11:55にブラショフに到着。2時間半くらい2等車に乗って700円くらいでした。列車を降りた瞬間、プライベートルームの客引き、ガブリエルという男につかまります。迷いましたが、1泊10ドルとのことで安いので決めます。さらに、ドラキュラ城ことブラン城まで15ドルで連れて行ってくれるとのこと。実際には、ドラキュラのモデルとなったウラド・ツェペシュの父親の城とのこと。

  •  ブラン城までは、ブラショフの市街地からガブリエルの車で30分で到着。やはり郊外の村では、ボロボロで崩れかけた家が多いです。車中、ガブリエルとは英語で会話。トヨタ、ホンダは素晴らしい、日本人は“ハートウォーミング”で“心が温かい”と言っていました。また、日本で家を買うといくらくらいか質問もされました。<br /><br /> ブラン城は、思ったよりも観光地化されていて、あまり面白くなかったです。<br /><br /> ブラショフの町に戻ります。ドイツ地方のザクセン人が12世紀に入植して作った町で、“ドイツ以上に中世ドイツが残っている町”とのこと。なるほど、中世にタイムスリップしたかのような街並みで、歩いているだけで飽きません。<br />

     ブラン城までは、ブラショフの市街地からガブリエルの車で30分で到着。やはり郊外の村では、ボロボロで崩れかけた家が多いです。車中、ガブリエルとは英語で会話。トヨタ、ホンダは素晴らしい、日本人は“ハートウォーミング”で“心が温かい”と言っていました。また、日本で家を買うといくらくらいか質問もされました。

     ブラン城は、思ったよりも観光地化されていて、あまり面白くなかったです。

     ブラショフの町に戻ります。ドイツ地方のザクセン人が12世紀に入植して作った町で、“ドイツ以上に中世ドイツが残っている町”とのこと。なるほど、中世にタイムスリップしたかのような街並みで、歩いているだけで飽きません。

    ブラン城 城・宮殿

  •  夕食は、ガイドブックにもあった、広場にあるシレナ・グスターリというレストランで。チョルバ、ママリガ、サルマーレ、パパナシュと、何度目かのルーマニア伝統料理を。やはりチョルバはうまいけど、ママリガはなじめません。

     夕食は、ガイドブックにもあった、広場にあるシレナ・グスターリというレストランで。チョルバ、ママリガ、サルマーレ、パパナシュと、何度目かのルーマニア伝統料理を。やはりチョルバはうまいけど、ママリガはなじめません。

    スファトゥルイ広場 広場・公園

  •  宿に着きます。宿と言っても、普通のアパート3LDKくらいの1世帯に、宿の主も住んでいて、そのうちの2部屋にそれぞれ3つずつベッドを置いて旅行者に貸しているという状況。他には、フランス人の3人組がいました。

     宿に着きます。宿と言っても、普通のアパート3LDKくらいの1世帯に、宿の主も住んでいて、そのうちの2部屋にそれぞれ3つずつベッドを置いて旅行者に貸しているという状況。他には、フランス人の3人組がいました。

  •  宿のおばちゃんは、英語が分からない様子。ただ、ルーマニア語はフランス語やイタリア語などと同じラテン系の言葉なので、第二外国語がフランス語だった私は、“キーラ”は“中国”、“オングレ”は“英語”、 “スクリ”は“書く”の意味だなと、文脈も踏まえると分かってきます。つまり、言葉が分からないながら、「あなたは中国人?」「いや、日本人です」「私は英語が分からないのよ」「分かりました」「だから、絵を描くなり、筆談で会話しましょう」といったやり取りが行われたのでした。。。<br /><br /><br /><br /><br />【2/29(日)ブラショフからシギショアラへ移動】<br /><br /><br /> 8:00に起床し、時間がないので、タクシーで駅まで移動。ルーマニアで初めてタクシーに乗りましたが、値段交渉はなく、相場通りの値段で安心感があります。ぼったくろうという気はないらしいです。

     宿のおばちゃんは、英語が分からない様子。ただ、ルーマニア語はフランス語やイタリア語などと同じラテン系の言葉なので、第二外国語がフランス語だった私は、“キーラ”は“中国”、“オングレ”は“英語”、 “スクリ”は“書く”の意味だなと、文脈も踏まえると分かってきます。つまり、言葉が分からないながら、「あなたは中国人?」「いや、日本人です」「私は英語が分からないのよ」「分かりました」「だから、絵を描くなり、筆談で会話しましょう」といったやり取りが行われたのでした。。。




    【2/29(日)ブラショフからシギショアラへ移動】


     8:00に起床し、時間がないので、タクシーで駅まで移動。ルーマニアで初めてタクシーに乗りましたが、値段交渉はなく、相場通りの値段で安心感があります。ぼったくろうという気はないらしいです。

  •  駅周辺は、他のルーマニアの町の駅同様、物乞いが多いです。3人くらいの子供の物乞いに囲まれます。ルーマニアの物乞いの特徴は子供や若い人が多いことでしょうか。チャウシェスク時代に「子供は5人以上生むべし」という法律ができたとのこと。養えなくなった親が子供を手放すケースが多かったという。しかも、避妊具が禁止されたことで、HIV感染率が高まり、結果として子供のHIV感染率も高いという悲劇につながっているとのこと。

     駅周辺は、他のルーマニアの町の駅同様、物乞いが多いです。3人くらいの子供の物乞いに囲まれます。ルーマニアの物乞いの特徴は子供や若い人が多いことでしょうか。チャウシェスク時代に「子供は5人以上生むべし」という法律ができたとのこと。養えなくなった親が子供を手放すケースが多かったという。しかも、避妊具が禁止されたことで、HIV感染率が高まり、結果として子供のHIV感染率も高いという悲劇につながっているとのこと。

    ブラショフ駅

  •  シギショアラまで特急列車で。特急と言ってもかなり老朽化しています。シギショアラ駅に着くと、ブラショフと同様、早速プライベートルームの客引きにつかまります。今度は女性の客引き。あまりのしつこさに折れ、やはり1泊10ユーロは安いので応諾することにします。

     シギショアラまで特急列車で。特急と言ってもかなり老朽化しています。シギショアラ駅に着くと、ブラショフと同様、早速プライベートルームの客引きにつかまります。今度は女性の客引き。あまりのしつこさに折れ、やはり1泊10ユーロは安いので応諾することにします。

  •  まずは、市内散策。なるほど、ブラショフ同様、中世にタイムスリップしたような町。この町をそのまま“中世ヨーロッパ村”としてテーマパークにできそうな雰囲気です。ガイドブックにある教会、史跡を回ります。ドラキュラのモデル、ウラド・ツェペシュ公の生家もあります。ただ、意外と観光地化されています。ガイドブックには「観光地化されていない素朴な魅力」とありましたが。。。<br /><br /> 町を歩いていると、男女2人組に話しかけられます。男のほうから、英語で「She(その女性のこと) want to talk to you and go with you. To restaurant or café?」と英語で話しかけられます。その様子から、単純に好奇心で話しかけているわけではなく、なにか怪しげなサービスの勧誘だろうなと思い断ります。すると、今度は物乞いにも声をかけられます。町が小さいので、私がどこに歩いていくか丸見えで、彼らにも居場所が分かってしまうのでちょっと気まずいです。

     まずは、市内散策。なるほど、ブラショフ同様、中世にタイムスリップしたような町。この町をそのまま“中世ヨーロッパ村”としてテーマパークにできそうな雰囲気です。ガイドブックにある教会、史跡を回ります。ドラキュラのモデル、ウラド・ツェペシュ公の生家もあります。ただ、意外と観光地化されています。ガイドブックには「観光地化されていない素朴な魅力」とありましたが。。。

     町を歩いていると、男女2人組に話しかけられます。男のほうから、英語で「She(その女性のこと) want to talk to you and go with you. To restaurant or café?」と英語で話しかけられます。その様子から、単純に好奇心で話しかけているわけではなく、なにか怪しげなサービスの勧誘だろうなと思い断ります。すると、今度は物乞いにも声をかけられます。町が小さいので、私がどこに歩いていくか丸見えで、彼らにも居場所が分かってしまうのでちょっと気まずいです。

    中央広場 (シギショアラ) 観光名所

  •  町が小さく、施設も早く閉まってしまうため、16時ころには、宿(と言ってもさっきの客引きの女性と、その両親の自宅)に着きます。ルーマニアではこういった、自宅に観光客を泊めるということをしているところが多いようです。副業でしょうか。くわしくは分かりません。<br /><br /> 家は、町の中心部にあります。今度はアパートではなく一軒家で、そのうちの1室を使用します。宿の主人が持ってきてくれた日本語の本や、何年か前の『地球の歩き方』などを見ながら時間をつぶします。

     町が小さく、施設も早く閉まってしまうため、16時ころには、宿(と言ってもさっきの客引きの女性と、その両親の自宅)に着きます。ルーマニアではこういった、自宅に観光客を泊めるということをしているところが多いようです。副業でしょうか。くわしくは分かりません。

     家は、町の中心部にあります。今度はアパートではなく一軒家で、そのうちの1室を使用します。宿の主人が持ってきてくれた日本語の本や、何年か前の『地球の歩き方』などを見ながら時間をつぶします。

  •  夕食はこの家のお母さんの家庭料理。こういうのは楽しみですね。おなじみのスープ、チョルバ(やっぱりうまい)、ミティティという肉料理、ママリガなどルーマニアの伝統料理。あと、ご主人自家製のワインをいただく。クセがなくおいしい!

     夕食はこの家のお母さんの家庭料理。こういうのは楽しみですね。おなじみのスープ、チョルバ(やっぱりうまい)、ミティティという肉料理、ママリガなどルーマニアの伝統料理。あと、ご主人自家製のワインをいただく。クセがなくおいしい!

  •  食事中は、この家で唯一英語が話せる客引きの娘さん(一番右)と英語で会話。「シギショアラはどう?美しいでしょ?」「そうですね!明日はクルージ・ナポカに行きます。あちらはどうでしょう?」「クルージは美しくないよ」…。あと、食事中のTV番組がコメディーだったので、「チャウシェスク時代はこのような番組はあった?」と聞くと、「ないない!あの時代はvery badな時代だった」とのこと。<br /><br /><br /><br /><br /><br />【3/1(月)シギショアラからコプシャ・ミカに立ち寄り、クルージ・ナポカへ】<br /><br /><br /> 本日は、ルーマニア西部の中心都市、クルージ・ナポカに向かいますが、その前に、共産主義時代にひどい公害を出す工場のあった、コプシャ・ミカという町に寄ることにします。<br /><br /> シギショアラ駅に行くと、一部のルーマニア国鉄の職員がストライキを起こしているらしく、ダイヤが乱れています!シギショアラからコプシャ・ミカまで各駅停車で向かいます。

     食事中は、この家で唯一英語が話せる客引きの娘さん(一番右)と英語で会話。「シギショアラはどう?美しいでしょ?」「そうですね!明日はクルージ・ナポカに行きます。あちらはどうでしょう?」「クルージは美しくないよ」…。あと、食事中のTV番組がコメディーだったので、「チャウシェスク時代はこのような番組はあった?」と聞くと、「ないない!あの時代はvery badな時代だった」とのこと。





    【3/1(月)シギショアラからコプシャ・ミカに立ち寄り、クルージ・ナポカへ】


     本日は、ルーマニア西部の中心都市、クルージ・ナポカに向かいますが、その前に、共産主義時代にひどい公害を出す工場のあった、コプシャ・ミカという町に寄ることにします。

     シギショアラ駅に行くと、一部のルーマニア国鉄の職員がストライキを起こしているらしく、ダイヤが乱れています!シギショアラからコプシャ・ミカまで各駅停車で向かいます。

  •  電車の切符が、日本でいうと何十年か前のような、分厚い紙パチンと改札する超レトロ感満載なものです。<br /><br /> 電車の車中、一人の女の子に声をかけられます。18歳だとのこと。メガネをかけ、服装も整っています。英語を話すことができ、少し会話します。その子は、シギショアラに住んでいて、近くのブラージという町まで、先生になるための学校に通っているとのこと。その子曰く、最近の若者は高賃金を求めて、言葉が似ているイタリアなどに出て行ってしまうのが残念。私はそういうことは考えないけど…とのこと。スペインやハンガリーに行ったことがあるというから裕福な家庭の出でしょうか。話し方、内容等、知的でクレバーな様子に感心してしまいました。<br /><br /> コプシャ・ミカは、1993年までゴム工場が稼働していて、常に黒い灰が降り注ぎ、雨や雪も黒くなって、道路や川も黒く染まっていたという、信じがたい汚染があった地域、とのこと。

     電車の切符が、日本でいうと何十年か前のような、分厚い紙パチンと改札する超レトロ感満載なものです。

     電車の車中、一人の女の子に声をかけられます。18歳だとのこと。メガネをかけ、服装も整っています。英語を話すことができ、少し会話します。その子は、シギショアラに住んでいて、近くのブラージという町まで、先生になるための学校に通っているとのこと。その子曰く、最近の若者は高賃金を求めて、言葉が似ているイタリアなどに出て行ってしまうのが残念。私はそういうことは考えないけど…とのこと。スペインやハンガリーに行ったことがあるというから裕福な家庭の出でしょうか。話し方、内容等、知的でクレバーな様子に感心してしまいました。

     コプシャ・ミカは、1993年までゴム工場が稼働していて、常に黒い灰が降り注ぎ、雨や雪も黒くなって、道路や川も黒く染まっていたという、信じがたい汚染があった地域、とのこと。

  •  なるほど駅から、禿山をバックに、その廃工場が見えます。黒い壮大な廃墟でものすごい光景です。

     なるほど駅から、禿山をバックに、その廃工場が見えます。黒い壮大な廃墟でものすごい光景です。

  • 駅越しにも廃墟工場が見えます。

    駅越しにも廃墟工場が見えます。

  •  少し町を歩きます。町というより村といった規模です。ここでは、歩いていると、ほぼ100%の人の視線を集めます。一般的なガイドブックには全く載っていないので当然かもしれません。ここに来るのは環境問題の研究者か、私みたいなちょっと変わった旅行者だけでしょう。<br /><br /> しばらくして気づいたことは、多くの人が微笑みかけてくることでした。そのうちの一人の青年(16歳くらいかな?)に声をかけられます。英語は全く解さないです。私の歩いてくるほうについてきます。なんだろう?どうやら駅まで案内してくれるようです。クルージ・ナポカに行くと言うと、切符売り場窓口の職員との仲介のようなことまでしてくれます。メモ帳に、列車が30分遅延しているという趣旨と思われることも書いてくれます。これは、後でガイド料を取ろうという魂胆かなと思っていると(そういうことに今まで何度か遭遇したので)、「Bye!」と言って去っていきました。本当に親切心からやってくれたことだと分かり、疑ったのが恥ずかしくなりました。よく考えれば、観光地ではないから、ガイド料を取るという概念もないのでしょう。こういうことが、観光地化されていない地域を旅する醍醐味です。<br />

     少し町を歩きます。町というより村といった規模です。ここでは、歩いていると、ほぼ100%の人の視線を集めます。一般的なガイドブックには全く載っていないので当然かもしれません。ここに来るのは環境問題の研究者か、私みたいなちょっと変わった旅行者だけでしょう。

     しばらくして気づいたことは、多くの人が微笑みかけてくることでした。そのうちの一人の青年(16歳くらいかな?)に声をかけられます。英語は全く解さないです。私の歩いてくるほうについてきます。なんだろう?どうやら駅まで案内してくれるようです。クルージ・ナポカに行くと言うと、切符売り場窓口の職員との仲介のようなことまでしてくれます。メモ帳に、列車が30分遅延しているという趣旨と思われることも書いてくれます。これは、後でガイド料を取ろうという魂胆かなと思っていると(そういうことに今まで何度か遭遇したので)、「Bye!」と言って去っていきました。本当に親切心からやってくれたことだと分かり、疑ったのが恥ずかしくなりました。よく考えれば、観光地ではないから、ガイド料を取るという概念もないのでしょう。こういうことが、観光地化されていない地域を旅する醍醐味です。

  •  駅で列車を待っていると、今度は、男女3人組(男1人、女2人)が、なにやらニコニコしながら私のほうを見ています。中学生~高校生くらいでしょうか。すると、手招きされます。こっちへおいで、と。<br /><br /> すると、彼らは英語を解さないようなので、こちらはガイドブック巻末のルーマニア語の会話集を出し、彼らは学校の英語のノート(!)らしきものを出し、お互い必死で意思疎通を試みます。年齢、国籍、これからどこへ行くのかといった基本的なことしか通じません。そのうちの一人が「Adress?」と、英語のノートを見ながら言います。お互い住所を交換します。

     駅で列車を待っていると、今度は、男女3人組(男1人、女2人)が、なにやらニコニコしながら私のほうを見ています。中学生~高校生くらいでしょうか。すると、手招きされます。こっちへおいで、と。

     すると、彼らは英語を解さないようなので、こちらはガイドブック巻末のルーマニア語の会話集を出し、彼らは学校の英語のノート(!)らしきものを出し、お互い必死で意思疎通を試みます。年齢、国籍、これからどこへ行くのかといった基本的なことしか通じません。そのうちの一人が「Adress?」と、英語のノートを見ながら言います。お互い住所を交換します。

  • 一緒に記念写真を撮ります。

    一緒に記念写真を撮ります。

  •  写真を撮るのも、なにやらものすごく照れくさそうな表情。。。非常に素朴な人たちでした!<br /><br /><br /> クルージ・ナポカに17:00頃列車で到着。ルーマニアで最初に訪れたティミショアラと似た感じの町でした。人口規模が同じくらいだからでしょうか。しかし、ここは周囲の視線を集めます。<br /><br /> ホテルは、ガイドにあったHotel Vladeasaへ。一泊2500円くらいとのこと。夕食は、S.A. Melody Centralというところで。チョルバ(やっぱりうまい!)、ビーフステーキ、ウルススというルーマニアビール(薄い味です)。全部で500円くらい。レストランの中にも、貧しい青年が花を売りに入ってくるのにはびっくりしました。<br /><br /> 本日は現地の人にたくさん声をかけられ、それぞれに良い交流ができました。こういうのは観光客が少ないエリアならではで、充実した一日でした。<br /><br /><br /><br /><br />【3/2(火)クルージ・ナポカからビストリーツァへ日帰り旅行】<br /><br /><br /> 本日は、バスや電車で3時間かかるという、ビストリーツァという町へ日帰り旅行を試みます。ブルム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』の主人公、ジョナサンが、ルーマニアに入って最初にこの町に宿泊した、という設定になっているところです。ガイドブックにはそのことが数行触れられている程度で地図などはありませんが、なるべくいろいろな町を訪問したかったので訪れることにします。

     写真を撮るのも、なにやらものすごく照れくさそうな表情。。。非常に素朴な人たちでした!


     クルージ・ナポカに17:00頃列車で到着。ルーマニアで最初に訪れたティミショアラと似た感じの町でした。人口規模が同じくらいだからでしょうか。しかし、ここは周囲の視線を集めます。

     ホテルは、ガイドにあったHotel Vladeasaへ。一泊2500円くらいとのこと。夕食は、S.A. Melody Centralというところで。チョルバ(やっぱりうまい!)、ビーフステーキ、ウルススというルーマニアビール(薄い味です)。全部で500円くらい。レストランの中にも、貧しい青年が花を売りに入ってくるのにはびっくりしました。

     本日は現地の人にたくさん声をかけられ、それぞれに良い交流ができました。こういうのは観光客が少ないエリアならではで、充実した一日でした。




    【3/2(火)クルージ・ナポカからビストリーツァへ日帰り旅行】


     本日は、バスや電車で3時間かかるという、ビストリーツァという町へ日帰り旅行を試みます。ブルム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』の主人公、ジョナサンが、ルーマニアに入って最初にこの町に宿泊した、という設定になっているところです。ガイドブックにはそのことが数行触れられている程度で地図などはありませんが、なるべくいろいろな町を訪問したかったので訪れることにします。

  •  行きはバスで向かうことにします。11:00のバスに乗ろうとしますが、物乞い何人かに付きまとわれます。写真はクルージ・ナポカのバスターミナルより街中を。<br /><br /> 車中、農村をひたすら走りますが、いまだに馬車を使って作業をしています。<br /> 3時間でビストリーツァの町に着くと、この町でも昨日のコプシャ・ミカ同様、視線を集めます。<br /><br /> 駅前でカフェを見つけて入ります。すると、昼間からビールを飲んでいる若いカップルにこっちへ来い、と言われます。英語は全く解さず、ガイドブックの巻末会話集で会話。どうやら、「お前の家に電話を掛けてみろ!おれの携帯で!」と、自分の携帯を差し出してきます。「公衆電話じゃないと無理だ」と言おうとしますが通じません。泥酔しているようではなかったのですが、やっぱり酔っぱらっていたのでしょうか。。。ビールを飲まされ、おまけにもう一杯彼らが飲む分はおごらされます。女性のほうは、歯がボロボロ。シンナーでもやっているのでしょうか。電車の時間だと言って出ます。

     行きはバスで向かうことにします。11:00のバスに乗ろうとしますが、物乞い何人かに付きまとわれます。写真はクルージ・ナポカのバスターミナルより街中を。

     車中、農村をひたすら走りますが、いまだに馬車を使って作業をしています。
     3時間でビストリーツァの町に着くと、この町でも昨日のコプシャ・ミカ同様、視線を集めます。

     駅前でカフェを見つけて入ります。すると、昼間からビールを飲んでいる若いカップルにこっちへ来い、と言われます。英語は全く解さず、ガイドブックの巻末会話集で会話。どうやら、「お前の家に電話を掛けてみろ!おれの携帯で!」と、自分の携帯を差し出してきます。「公衆電話じゃないと無理だ」と言おうとしますが通じません。泥酔しているようではなかったのですが、やっぱり酔っぱらっていたのでしょうか。。。ビールを飲まされ、おまけにもう一杯彼らが飲む分はおごらされます。女性のほうは、歯がボロボロ。シンナーでもやっているのでしょうか。電車の時間だと言って出ます。

  •  特に“観光”するところもないので、早速帰ります。帰りは電車で帰ります。電車に乗り込んで出発を待ちます。

     特に“観光”するところもないので、早速帰ります。帰りは電車で帰ります。電車に乗り込んで出発を待ちます。

  •  すると、学生か高校生らしき一団が同じコンパートメントに乗ってきます。私に話しかけようとしているらしいです。と思ったら、仲間を呼んできて、いつの間にか15人くらいの青年・少年が周りに寄ってきました!1人か2人が中学2年生レベルくらいの英語を話したので、少し会話します。「日本人は初めて見た」と言っているようです。

     すると、学生か高校生らしき一団が同じコンパートメントに乗ってきます。私に話しかけようとしているらしいです。と思ったら、仲間を呼んできて、いつの間にか15人くらいの青年・少年が周りに寄ってきました!1人か2人が中学2年生レベルくらいの英語を話したので、少し会話します。「日本人は初めて見た」と言っているようです。

  •  その集団のうち、明らかに“ボス”といった風格のある24歳という男性が隣に座ります。いろいろと話そうとしますが、通じません。その後、握手をし、写真を撮り、住所を交換し、彼らは途中の村で電車を降りていきました。<br /> <br /> 車内はガラガラだったのですが、その後、今度は40代くらいの男性にも声をかけられます。英語を話します。アメリカのシカゴで1年間トラックドライバーをしていた、とのこと。出稼ぎでしょうか。その男性によると、「ルーマニアは嫌いだ。賃金も安い。イタリアやドイツに行きたい。この国はジプシーが『金をくれ』とうるさい。ルーマニア人はジプシーが嫌い(hate)だ」と言います。

     その集団のうち、明らかに“ボス”といった風格のある24歳という男性が隣に座ります。いろいろと話そうとしますが、通じません。その後、握手をし、写真を撮り、住所を交換し、彼らは途中の村で電車を降りていきました。
     
     車内はガラガラだったのですが、その後、今度は40代くらいの男性にも声をかけられます。英語を話します。アメリカのシカゴで1年間トラックドライバーをしていた、とのこと。出稼ぎでしょうか。その男性によると、「ルーマニアは嫌いだ。賃金も安い。イタリアやドイツに行きたい。この国はジプシーが『金をくれ』とうるさい。ルーマニア人はジプシーが嫌い(hate)だ」と言います。

  •  車窓からは、陰気な雰囲気の工場、鉄道の設備などが見えます

     車窓からは、陰気な雰囲気の工場、鉄道の設備などが見えます

  •  こういう陰気さは嫌いじゃないです。<br /><br /> 本日も、夕食は昨日と同じレストランへ。<br /><br /><br /><br />【3/3(水)クルージ・ナポカから国際列車でハンガリーへ】<br /><br /><br /> 予定通り、7:54ブダペスト行きの列車に乗ります。やっぱり国境を越えてハンガリーに入ると、まったく別世界に入ったという感じで、景色が変わります。しっかりした造りの家、デコボコではない道路etc.

     こういう陰気さは嫌いじゃないです。

     本日も、夕食は昨日と同じレストランへ。



    【3/3(水)クルージ・ナポカから国際列車でハンガリーへ】


     予定通り、7:54ブダペスト行きの列車に乗ります。やっぱり国境を越えてハンガリーに入ると、まったく別世界に入ったという感じで、景色が変わります。しっかりした造りの家、デコボコではない道路etc.

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 小心者さん 2022/01/10 00:20:05
    美しい冬の東欧
    shushutanyさん、こんばんは。

    わたしはこの4年後に、似たルートを旅行しました。
    (超初心者ゆえ、定番の観光地しか訪れませんでしたが)
    「クルージ・ナポカ」や「ティミショアラ」などの地名を目にし、当時のことを懐かしく思い出しました。
    わたしが尻尾を巻いて逃走してしまったブカレストの様子に強く惹かれ、今更ながら悔しくてなりません。
    旅立つ前にshushutanyさんの旅行記を拝見できなかったことが心底残念です。

    なんとも風情ある写真満載の丁寧な旅行記、とても楽しませていただきました。
    いつか冬の東欧を訪れてみたくなりました。

    小心者

    shushu tany

    shushu tany さん からの返信 2022/01/10 19:54:29
    Re: 美しい冬の東欧
    小心者さん

    読んでいただいてありがとうございます!
    この時は、あまり写真を撮ることが好きではなく、写真の枚数が少なすぎるのが後悔しています。
    私も、冬の東欧は惹かれます。寒さや雪の景色が、東欧の少しさびれて無機質な感じを引き立てるように感じます。

    それはそうと、小心者さんのジョージア(グルジア)の旅行記を楽しく読ませていただきました。

    ジョージアは私も2004年の秋に訪問しましたが、2泊3日でトビリシ、ムツヘタ、ゴリを駆け足で回るという無謀な旅行になってしまい、不完全燃焼感が強かったです。

    アブハジアに行かれたとは驚きです!さらに、私が今一番行きたい町のひとつ、チアトゥラに行かれたのもうらやましいー!!と思いました。チアトゥラは確か昔の工業都市で、労働者を運んだ古いロープウエイがいくつかある(?)というのを、何かのジョージア映画か何かで知り、行きたい!と思っていました。旅行記を拝見していますと、その様子がよく分かりました。ただ、コロナ禍でもあり、うちは子どもがまだ小さいので近い将来は難しいかもしれませんが。。。

    他にも楽しそうな旅行記が本当にたくさんで、徐々に読ませていただければと思っています。よろしくお願い致します。

    shushutany

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