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「五稜郭」と言っても、長野県佐久市の「龍岡城五稜郭」です。日本にたった二つの(うちの一つ)「五稜郭」を見た後、展望台から俯瞰して、その”星形”を見ようと思ったのですが、登山道が台風19号に被災して閉鎖されていました。そこで、昔風の雰囲気が漂う佐久市田口地区を(少しだけ)歩いてきました。<br /><br />旅行記作成に際しては、佐久市および佐久市観光協会のホームページ、佐久市田口・史跡めぐりウオーキングマップ、および現地の説明板を参考にしました。

秋の「五稜郭」の後は_2019_佐久市田口地区を散策しました。(長野県・佐久市)

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2019/11/13 - 2019/11/13

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minaMicaze

minaMicazeさん

「五稜郭」と言っても、長野県佐久市の「龍岡城五稜郭」です。日本にたった二つの(うちの一つ)「五稜郭」を見た後、展望台から俯瞰して、その”星形”を見ようと思ったのですが、登山道が台風19号に被災して閉鎖されていました。そこで、昔風の雰囲気が漂う佐久市田口地区を(少しだけ)歩いてきました。

旅行記作成に際しては、佐久市および佐久市観光協会のホームページ、佐久市田口・史跡めぐりウオーキングマップ、および現地の説明板を参考にしました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩

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  • せっかくの(星形の)「五稜郭」なので、俯瞰したいと思いました。いただいた案内図を見ると、北の山には、室町時代末期に作られた「田口城」の城趾があり、そこに展望台があります。20~30分で登れると聞いたので、行ってみます。

    せっかくの(星形の)「五稜郭」なので、俯瞰したいと思いました。いただいた案内図を見ると、北の山には、室町時代末期に作られた「田口城」の城趾があり、そこに展望台があります。20~30分で登れると聞いたので、行ってみます。

  • 「であいの館」の北側の路地を、北へ歩きます。

    「であいの館」の北側の路地を、北へ歩きます。

  • 路地から北側の道路へ出ると、道路の北側に「番松院」というお寺があります。<br /><br />武田信玄・勝頼に仕えていた「依田右衛門佐信蕃(よだうえもんのすけのぶしげ)」は、武田家滅亡後、徳川家康に臣従し、佐久・諏訪両郡を与えられて佐久平定に活躍しました。田口城主となった翌年、岩見城攻撃の際に戦死しましたが、それまでの戦功により、信蕃の子竹福丸は、家康から「松平」姓と「康」の字を与えられて松平康国と名乗ります。そして小諸城を与えられ城主になります。その康国が、父信蕃の菩提を弔うために、父の居館跡に建立したお寺です。

    路地から北側の道路へ出ると、道路の北側に「番松院」というお寺があります。

    武田信玄・勝頼に仕えていた「依田右衛門佐信蕃(よだうえもんのすけのぶしげ)」は、武田家滅亡後、徳川家康に臣従し、佐久・諏訪両郡を与えられて佐久平定に活躍しました。田口城主となった翌年、岩見城攻撃の際に戦死しましたが、それまでの戦功により、信蕃の子竹福丸は、家康から「松平」姓と「康」の字を与えられて松平康国と名乗ります。そして小諸城を与えられ城主になります。その康国が、父信蕃の菩提を弔うために、父の居館跡に建立したお寺です。

  • 「番松院」を左に見ながら山に向かいます。

    「番松院」を左に見ながら山に向かいます。

  • 「番松院」を通り抜けて、山に入ります。

    「番松院」を通り抜けて、山に入ります。

  • 登山道の入口は、お寺の裏手にあります。

    登山道の入口は、お寺の裏手にあります。

  • 新しい土嚢は、台風19号の災害復旧のようです。

    新しい土嚢は、台風19号の災害復旧のようです。

  • そして登山道の入口へ来てみると、「台風19号被害で、土砂崩れの恐れあり!」ということで「登山禁止」でした。

    そして登山道の入口へ来てみると、「台風19号被害で、土砂崩れの恐れあり!」ということで「登山禁止」でした。

  • そこで、ウオーキングマップを参考に、歩くことにしました。

    そこで、ウオーキングマップを参考に、歩くことにしました。

  • 「番松院」の前から、に向かって歩きます。

    「番松院」の前から、に向かって歩きます。

  • 消防団の機材小屋、らしい建物です。

    消防団の機材小屋、らしい建物です。

  • 東へ向かって歩く道は、「であいの館」の前の道の一本北の道です。

    東へ向かって歩く道は、「であいの館」の前の道の一本北の道です。

  • 立派な松、板塀、そして土蔵です。

    イチオシ

    立派な松、板塀、そして土蔵です。

  • 山の麓には大きな柿の木があって、今年(2019)は当たり年のようです。

    山の麓には大きな柿の木があって、今年(2019)は当たり年のようです。

  • 東へ歩きます。無理に真っ直ぐにしていない道が、とても良い雰囲気です。

    東へ歩きます。無理に真っ直ぐにしていない道が、とても良い雰囲気です。

  • 木下の建物は、使われていないようです。一般の住宅ではなさそうです。

    木下の建物は、使われていないようです。一般の住宅ではなさそうです。

  • 昔の街道のような雰囲気です。

    昔の街道のような雰囲気です。

  • ○○御殿と呼べそうな、立派なお宅です。

    ○○御殿と呼べそうな、立派なお宅です。

  • 電柱と電線(とカーブミラー)がなければ、気分はタイムスリップです。

    電柱と電線(とカーブミラー)がなければ、気分はタイムスリップです。

  • 道が真っ直ぐでないのは、意図的にそうしているのでしょうか。

    道が真っ直ぐでないのは、意図的にそうしているのでしょうか。

  • 景観条例があるのでは、と思わせられます。

    景観条例があるのでは、と思わせられます。

  • 出入り口は、道路から入ったところの右側です。

    出入り口は、道路から入ったところの右側です。

  • これは「龍岡藩の高札場」です。法度、掟書、重罪人の罪状などを掲げたそうです。

    これは「龍岡藩の高札場」です。法度、掟書、重罪人の罪状などを掲げたそうです。

  • その東側、左の板塀の中は「田野口藩の陣屋跡」です。

    その東側、左の板塀の中は「田野口藩の陣屋跡」です。

  • さらに立派な街並みが続きます。

    さらに立派な街並みが続きます。

  • まだまだ続きます。

    まだまだ続きます。

  • ウオーキングマップによると、この先に「龍岡城から移築した薬医門」があるようです。

    イチオシ

    ウオーキングマップによると、この先に「龍岡城から移築した薬医門」があるようです。

  • おそらく、これが「龍岡城から移築した薬医門」です。

    おそらく、これが「龍岡城から移築した薬医門」です。

  • 「高橋酒店」の角を北へ曲がると、「新海三社神社」方面です。

    「高橋酒店」の角を北へ曲がると、「新海三社神社」方面です。

  • 曲がると、左側に「新海三社神社西幸殿」があります。”マップ”によると、左となりは枝垂れ桜です。

    曲がると、左側に「新海三社神社西幸殿」があります。”マップ”によると、左となりは枝垂れ桜です。

  • 更に東へ歩くと、丁字路です。

    更に東へ歩くと、丁字路です。

  • 「新海三社神社」の参道です。写真の左から歩いてきました。奥が神社方向です。

    「新海三社神社」の参道です。写真の左から歩いてきました。奥が神社方向です。

  • 丁字路を右、即ち参道を南ヘ下ると大きな鳥居があります。写真の奥から手前に歩いてきました。

    イチオシ

    丁字路を右、即ち参道を南ヘ下ると大きな鳥居があります。写真の奥から手前に歩いてきました。

  • 参道を下ってくると、鳥居のところが丁字路になっています。鳥居の南(写真右)に火の見櫓があります。

    参道を下ってくると、鳥居のところが丁字路になっています。鳥居の南(写真右)に火の見櫓があります。

  • この道を西へ歩いて、「であいの館」へ戻ります。

    この道を西へ歩いて、「であいの館」へ戻ります。

  • 土壁の土蔵です。

    土壁の土蔵です。

  • これは一般住宅でしょうか。

    これは一般住宅でしょうか。

  • 並んだ土蔵の向こうに、紅葉の山、でも手前は太陽光発電所。

    並んだ土蔵の向こうに、紅葉の山、でも手前は太陽光発電所。

  • こちらの道にも、立派な塀と立派な土蔵があります。

    こちらの道にも、立派な塀と立派な土蔵があります。

  • そして「であいの館」に戻ってきました。

    そして「であいの館」に戻ってきました。

  • そして帰り道、途中で寄り道したのが「龍岡城趾」です。

    イチオシ

    そして帰り道、途中で寄り道したのが「龍岡城趾」です。

  • 道路の片隅の一角に、石垣と鳥居があるだけです。

    道路の片隅の一角に、石垣と鳥居があるだけです。

  • でも、ここに「龍岡城趾」の石柱と説明板がありました。説明板によると「龍岡城五稜郭」が城郭で、ここは「龍岡城の北の入口」だそうです。ここには「鉤の手状の枡形」が良好な状態で保存されています。

    でも、ここに「龍岡城趾」の石柱と説明板がありました。説明板によると「龍岡城五稜郭」が城郭で、ここは「龍岡城の北の入口」だそうです。ここには「鉤の手状の枡形」が良好な状態で保存されています。

  • おそらく、石垣は当時のままなのだと思います。

    イチオシ

    おそらく、石垣は当時のままなのだと思います。

  • このあと、天気が良いので、小諸へ行ってみます。<br /><br />( 五稜郭は、おしまい )

    このあと、天気が良いので、小諸へ行ってみます。

    ( 五稜郭は、おしまい )

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