2019/11/13 - 2019/11/13
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minaMicazeさん
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「五稜郭」と言えば函館のもだと思っていましたが、実は、日本にはもう一つの「五稜郭」がありました。前日の強い風も収まって、朝から快晴に恵まれたので、長野県佐久市の「もう一つの五稜郭」へ行ってきました。遅れていると言われている今年(2019)の紅葉ですが、さすがに11月中旬では見頃を過ぎており、そもそも紅葉の名所という訳ではないので、「もみじ狩り」にはなりませんでした。
旅行記作成に際しては、佐久市および佐久市観光協会のホームページ、佐久市田口・史跡めぐりウオーキングマップ、および現地の説明板を参考にしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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群馬県下仁田町から、国道254号線で内山峠を越えると、上州から信州に入ります。佐久市中込までの間は、コスモス街道だったと思いますが、この時季、コスモスは終わっています。
峠を下りきって、中込の街に入る手前から、案内板に従って「龍岡城五稜郭」へ向かいます。 -
案内板に従って、のどかなローカルロードを2kmくらい走ると「龍岡城五稜郭」に着きます。
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「龍岡城五稜郭」の北側に隣接して「五稜郭であいの館」があります。ここは休憩所、トイレ、駐車場があり、観光パンフレットが置かれています。
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「であいの館」で戴いた「佐久市田口 史跡めぐり ウォーキングマップ」です。
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「であいの館」の正門の北側に、色づいた山が見えます。
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「であいの館」の南側が「龍岡城五稜郭」です。
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中央に見える橋の向こうが大手門(の跡)です。
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橋の手前に、説明板と石碑があります。
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大手門の前から、お堀に沿って西へ歩き、右回りに「龍岡城五稜郭」を巡ります。
説明板に依れば、
この「五稜郭」は慶応3年(1867)に竣工し、地字名をとって「龍岡城」と称しました。この年って江戸時代最後の年(翌年が明治維新)ですよね。
函館の五稜郭の竣工は、元治元年(1864)ですから、3年後に、こちらが出来たんですね。 -
イチオシ
そして、廃藩後の明治5年(1872)に城は取り壊され、濠と石塁、建物の一部(お台所)が残されました。
ということは、建ててから5年で取り壊されたんですね。 -
この城を建てたのは、三河奥殿藩の松平氏です。三河に四千石、信州に一万二千石の封地を持ち、宝永以来160年間、三河には本拠、佐久には陣屋を置いていました。
写真は、”星形”の北東の角です。奥方向が東、左方向が南です。 -
松平家11代乗謨(のりかた)は、幕末激動の状勢に対応するため、ここに居館を建てました。
写真は、上と同じ場所から見た南方向です。 -
イチオシ
居館建築に際しては、フランスのリール市の城郭(星形の濠を持つ)をモデルとした稜堡式築城法を採用し、五つの稜が星形に突き出た擬洋式城郭が作られました。
”星形”の凹部には、それぞれに出入り口があり、濠は内側に折れ曲がっています。(前掲のマップの図をご参照ください)写真は東側の通用門部分です。 -
東側の通用門です。
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東の通用門の橋の上から見た北方向です。内側(左)に折れ曲がっている濠が分かります。
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イチオシ
東側通用門の、南側の折れ曲がり部分です。奥が西方向です。
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イチオシ
出入り口部分は”星形”の凹部分ですが、さらに内側にへこませているのは、防御城の理由なのでしょうか。函館の五稜郭は、で出入り口部分の濠を内側に広くしているので、同じように防衛上の理由だとしても、設計の思想は違うようですね。
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東側の濠の、南側部分です。奥が南方向です。
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”星形”の南東の角です。北方向を見ています。
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”星形”の南東の角から見た、西方向です。
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南側に道はありませんが、濠の縁を西方向に歩いて行きます。
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南側の中程で、濠はなくなります。城を取り壊したときに、濠も壊されたのかと思いましたが、初めから、濠はここまでしか作られなかったそうです。
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振り返ると、柿の実が沢山なっていました。今年は当たり年なのでしょうか。
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南側の西半分には、濠がありません。
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南側の、濠がない部分です。
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”星形”の南西の隅から見た、東方向です。南西の隅は”角”4ではなくて、石垣が丸くなっています。
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同じ場所から見た、北方向です。ここだけ隅が丸いのは、こちら側に濠が作られなかったことと関係があるのでしょうか。
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西側の石垣です。畑があるので近づけません。
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畑越しに見た、西側の石垣です。
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畑の外側を大回りして、”星形”の西の角に来ました。
写真は、西の角から見た南方向です。 -
西の角から見た、北東方向です。北西側には、石垣に沿って道路があります。
前掲のマップに依ると、この上に砲台跡があるそうです。 -
北西側の凹部(中央付近)が高くなっていて、橋が架かっています。
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橋の向こうには、色づいた山と木々が見えます。
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橋の上から見た、南西方向です。
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反対側(北東方向)には、濠があります。
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橋を渡ると城への出入り口、黒門(の跡)です。
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黒門(の跡)には大きなイチョウが色づき始めています。「五稜郭」の中は、佐久市立田口小学校です。現役です。
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明治維新により江戸時代が終わると、龍岡城五稜郭の中のお台所に、近くのお寺(蕃松院)から子どもたちの学校「尚友学校」が移転してきました。これが元で、現在も佐久市立田口小学校の校地として使われています。
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このイチョウ、かなり立派なイチョウです。
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黒門(の跡)から出て、”星形”の北の角まで来ました。
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左奥が大手門(の跡)です。
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大手門のところも、濠が内側に折れ曲がっています。
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イチオシ
北の角の方向をふりかえって見ます。
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大手門(の跡)の近くに、「大給 恒(おぎゅう ゆずる)」の胸像があります。「龍岡城五稜郭」を建てた松平家11代乗謨(のりかた)は、明治維新後「大給 恒(おぎゅう ゆずる)」に改名しました。明治期には、佐野常民と共に博愛社(赤十字社の前身)を創設し、副社長、賞勲局総裁などを歴任しました。
でも、この胸像、首塚みたいですね。 -
大手門側から見た、濠です。
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大手門(の跡)では、紅葉が進んでいます。
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大手門から入ると、すぐ右に「田口招魂社」があります。
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由来が書かれた説明板がありましたが、文字がかすれています。
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境内でも、紅葉が進んでいます。
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立派な狛犬です。
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イチオシ
内側から見た、境内の紅葉です。
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西方向を見ると、黒門近くの大きなイチョウと、その左に「お台所」が見えます。「お台所」は、予約すれば見学できるようです。
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大手門(の跡)から出ます。「龍岡城五稜郭」を、時計回りに一周しました。でも、「五稜郭」の”星形”を見たいですよね。
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前掲のマップの裏面を見ると、北の山には「田口城主郭跡」があって、石垣や遺構ががあるようです。そして、その近くには「五稜郭展望台」が記載されています。ここには(函館のような)タワーはありませんが、北の山の展望台に上ると、俯瞰できそうです。では、行ってみましょう。
( つづく )
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