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イタリア本土(シチリア島を除く)の全世界遺産を4回に分けてレンタカーで周遊しました。<br />今回の旅行記は、その2回目となります。今回の旅行期間は、往復の国際線を合わせて、10日間です。<br /><br />訪れた世界遺産は、バチカン市国が1カ所、イタリアが12カ所の合計13世界遺産です。<br />1つの世界遺産で複数の登録リストがある場合があるため、実際に訪問した世界遺産リストの数は、20か所を越えています。<br /><br />旅のスケジュールは、以下の通りです。<br />今回の旅行記の部分は★印で示しています。<br />ローマの主要観光スポットを2日間(2日目と8日目になっていますが、2日間連続だともう少し、廻れます)で巡る効率の良いルートだと思いますので、参考にしていただければ幸いです。<br /><br />01日目 成田→パり→ローマ<br />02日目 バチカン美術館(システィーナ礼拝堂「最後の審判」)→サン・ピエトロ広場→サン・ピエトロ大聖堂(ミケランジェロのクーポラからの眺望)→サンタンジェロ城→ナヴォーナ広場(「ムーア人の噴水」/ベルニーニ作「4大河の噴水」/「ネプチューンの噴水」→パンテオン→トレヴィの泉→スペイン広場(「バルカッチャの噴水」)<br />03日目 カゼルタの18世紀の王宮と公園(ディアナとアクタイオンの噴水(パオロ・ペルシコ、ブルネッリ、ピエトロ・ソローリの彫刻)/アフロディテとアドニスの噴水/イルカの噴水/アイオロスの噴水/セレスの噴水/ヴァンヴィテッリの水道橋→ナポリ国立考古博物館<br />04日目 Castel dell&#39;Ovo(ナポリ)→ヌオーヴォ城(ナポリ)→王宮(ナポリ)→ポンペイ<br />05日目 アマルフィー海岸→パエストゥム<br />06日目 マテーラの洞窟住居→アルベロベッロのトゥルッリ→デル・モンテ城<br />07日目 ★ヴィッラ・アドリアーナ→ティヴォリのエステ家別荘<br />08日目 タルクィニア(モンテロッツィのネクロポリ)→チェルヴェーテリ(バンディタッチャのネクロポリ)→ローマ(コロッセオ→コンスタンティヌスの凱旋門→フォロ・ロマーノとパラティーノの丘→真実の口)<br />09日目 ローマ→フランクフルト→<br />10日目 成田

チョイ不良オヤジの欧州世界遺産攻略日誌♪PART14-45

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2014/08/30 - 2014/09/08

9位(同エリア20件中)

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69

マンボウのお城

マンボウのお城さん

イタリア本土(シチリア島を除く)の全世界遺産を4回に分けてレンタカーで周遊しました。
今回の旅行記は、その2回目となります。今回の旅行期間は、往復の国際線を合わせて、10日間です。

訪れた世界遺産は、バチカン市国が1カ所、イタリアが12カ所の合計13世界遺産です。
1つの世界遺産で複数の登録リストがある場合があるため、実際に訪問した世界遺産リストの数は、20か所を越えています。

旅のスケジュールは、以下の通りです。
今回の旅行記の部分は★印で示しています。
ローマの主要観光スポットを2日間(2日目と8日目になっていますが、2日間連続だともう少し、廻れます)で巡る効率の良いルートだと思いますので、参考にしていただければ幸いです。

01日目 成田→パり→ローマ
02日目 バチカン美術館(システィーナ礼拝堂「最後の審判」)→サン・ピエトロ広場→サン・ピエトロ大聖堂(ミケランジェロのクーポラからの眺望)→サンタンジェロ城→ナヴォーナ広場(「ムーア人の噴水」/ベルニーニ作「4大河の噴水」/「ネプチューンの噴水」→パンテオン→トレヴィの泉→スペイン広場(「バルカッチャの噴水」)
03日目 カゼルタの18世紀の王宮と公園(ディアナとアクタイオンの噴水(パオロ・ペルシコ、ブルネッリ、ピエトロ・ソローリの彫刻)/アフロディテとアドニスの噴水/イルカの噴水/アイオロスの噴水/セレスの噴水/ヴァンヴィテッリの水道橋→ナポリ国立考古博物館
04日目 Castel dell'Ovo(ナポリ)→ヌオーヴォ城(ナポリ)→王宮(ナポリ)→ポンペイ
05日目 アマルフィー海岸→パエストゥム
06日目 マテーラの洞窟住居→アルベロベッロのトゥルッリ→デル・モンテ城
07日目 ★ヴィッラ・アドリアーナ→ティヴォリのエステ家別荘
08日目 タルクィニア(モンテロッツィのネクロポリ)→チェルヴェーテリ(バンディタッチャのネクロポリ)→ローマ(コロッセオ→コンスタンティヌスの凱旋門→フォロ・ロマーノとパラティーノの丘→真実の口)
09日目 ローマ→フランクフルト→
10日目 成田

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
レンタカー
航空会社
エールフランス
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
エクスペディア

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  • デルモンテ城からティヴォリのホテルまで約400Kmのドライブでした。休憩を取らずに走り続けて、約4時間かかりました。ローマを出発して、南イタリアを一周し、ローマ近郊まで無事戻ってきたというわけです。<br />ティヴォリ(ラツィオ州)は、ローマの東約30kmに位置し、ローマから日帰りで行くことができます。ティヴォリには、「ヴィッラ・アドリアーナ」と「ティヴォリのエステ家別荘」という異なる2つの世界遺産があります。<br />小さな街にしては、2つの異なる世界遺産を楽しめるわけです。ただ、小さな街と言っても、それぞれ約5Km離れているため、徒歩での移動は難しいと思います。

    デルモンテ城からティヴォリのホテルまで約400Kmのドライブでした。休憩を取らずに走り続けて、約4時間かかりました。ローマを出発して、南イタリアを一周し、ローマ近郊まで無事戻ってきたというわけです。
    ティヴォリ(ラツィオ州)は、ローマの東約30kmに位置し、ローマから日帰りで行くことができます。ティヴォリには、「ヴィッラ・アドリアーナ」と「ティヴォリのエステ家別荘」という異なる2つの世界遺産があります。
    小さな街にしては、2つの異なる世界遺産を楽しめるわけです。ただ、小さな街と言っても、それぞれ約5Km離れているため、徒歩での移動は難しいと思います。

  • ティヴォリで、最初に訪れたのが、「ヴィッラ・アドリアーナ」です。<br />ここは、入口のティケットオフィスです。<br /><br />ローマからティヴォリへの行き方の参考URL<br />https://nitari-movies.com/villa-deste<br />メトロ2号線 「Ponte Mammolo」からバスが出ているそうです。「Piazza Garibaldi」 という停留所で降りると、もう1つの世界遺産「ヴィッラ・デステ」へ5分ほどだそうです。そこから約5Km離れた、ここ「ヴィッラ・アドリアーナ」への行き方は、書かれていませんでした。<br />また、ティヴォリまで。鉄道でも行けますが、バスの方が便利だということでした。

    ティヴォリで、最初に訪れたのが、「ヴィッラ・アドリアーナ」です。
    ここは、入口のティケットオフィスです。

    ローマからティヴォリへの行き方の参考URL
    https://nitari-movies.com/villa-deste
    メトロ2号線 「Ponte Mammolo」からバスが出ているそうです。「Piazza Garibaldi」 という停留所で降りると、もう1つの世界遺産「ヴィッラ・デステ」へ5分ほどだそうです。そこから約5Km離れた、ここ「ヴィッラ・アドリアーナ」への行き方は、書かれていませんでした。
    また、ティヴォリまで。鉄道でも行けますが、バスの方が便利だということでした。

  • これは、「ヴィッラ・アドリアーナ」の中の地図です。<br />事前に中の地図がなかったため、この地図さえあれば、もっと効率的に回れたと思います。事前に行きたいところのチェックができればと思うほど広く、少々疲れました。

    これは、「ヴィッラ・アドリアーナ」の中の地図です。
    事前に中の地図がなかったため、この地図さえあれば、もっと効率的に回れたと思います。事前に行きたいところのチェックができればと思うほど広く、少々疲れました。

  • 全景の模型で全体像を簡単に把握することができます。

    全景の模型で全体像を簡単に把握することができます。

  • ここ「ヴィッラ・アドリアーナ」は、ローマ帝国のハドリアヌス帝が118~138年にかけて建てた広大な別荘跡です。皇帝が訪れた帝国領土内の各所を偲ばせる建物や神殿、大浴場など、エジプト、ギリシャ、ローマ的諸要素をもった建物群が見事に調和しています。ヨーロッパの各所を旅していると、ローマ帝国の遺跡を抜きに語れないほど多くの遺跡が残されていますが、数十の遺跡を見るとローマ帝国の全体像が少しずつ浮かび上がってきます。

    ここ「ヴィッラ・アドリアーナ」は、ローマ帝国のハドリアヌス帝が118~138年にかけて建てた広大な別荘跡です。皇帝が訪れた帝国領土内の各所を偲ばせる建物や神殿、大浴場など、エジプト、ギリシャ、ローマ的諸要素をもった建物群が見事に調和しています。ヨーロッパの各所を旅していると、ローマ帝国の遺跡を抜きに語れないほど多くの遺跡が残されていますが、数十の遺跡を見るとローマ帝国の全体像が少しずつ浮かび上がってきます。

  • ハドリアヌス帝は、このような厳重な防御壁を通して、戦いの合間に別荘で寛いでいたのでしょうね。

    ハドリアヌス帝は、このような厳重な防御壁を通して、戦いの合間に別荘で寛いでいたのでしょうね。

  • ハドリアヌス帝は、第14代のローマ皇帝で、在位が117年~138年の21年間でした。ローマ皇帝、五賢帝の一人と呼ばれています。<br /><br />※【photo】池を中心としたここはCANOPO と呼ばれ、元は回廊に囲まれた庭園だったそうです。

    ハドリアヌス帝は、第14代のローマ皇帝で、在位が117年~138年の21年間でした。ローマ皇帝、五賢帝の一人と呼ばれています。

    ※【photo】池を中心としたここはCANOPO と呼ばれ、元は回廊に囲まれた庭園だったそうです。

  • ローマ帝国の国境線には、イギリスのハドリアヌスの長城/アントニヌスの長城やドイツのリメス(Limes)・ザールブルク城砦があります。それぞれ行ってきましたが、ドイツのリメス・ザールブルク城砦は、フランクフルトから近く、保存状態が良いので、行く価値があると思います。ただ、交通手段がないため、レンタカーで行くことをおススメします。

    ローマ帝国の国境線には、イギリスのハドリアヌスの長城/アントニヌスの長城やドイツのリメス(Limes)・ザールブルク城砦があります。それぞれ行ってきましたが、ドイツのリメス・ザールブルク城砦は、フランクフルトから近く、保存状態が良いので、行く価値があると思います。ただ、交通手段がないため、レンタカーで行くことをおススメします。

  • ハドリアヌスの業績は、属州メソポタミアとアルメニアの放棄による東部国境の安定化で、主に防壁建造などの帝国周辺地域における防衛策の整備と言われています。これにより、ローマ帝国全体の統合強化と平準化が進みました。<br />さらに、官僚制度の確立と行政制度の整備、法制度の改革も行いました。<br /><br />※【Photo】池(CANOPO=カノプス)を過ぎると、GRANDI TERME という遺跡が現れます。

    ハドリアヌスの業績は、属州メソポタミアとアルメニアの放棄による東部国境の安定化で、主に防壁建造などの帝国周辺地域における防衛策の整備と言われています。これにより、ローマ帝国全体の統合強化と平準化が進みました。
    さらに、官僚制度の確立と行政制度の整備、法制度の改革も行いました。

    ※【Photo】池(CANOPO=カノプス)を過ぎると、GRANDI TERME という遺跡が現れます。

  • ハドリアヌス帝は、在位中に多くのローマ属州を視察に出かけていたので、後に旅する皇帝とも呼ばれています。<br />また、幼い頃からギリシャ文化に熱中し、ギリシャに留学もしていたことから、美術や建築にも精通したそうです。

    ハドリアヌス帝は、在位中に多くのローマ属州を視察に出かけていたので、後に旅する皇帝とも呼ばれています。
    また、幼い頃からギリシャ文化に熱中し、ギリシャに留学もしていたことから、美術や建築にも精通したそうです。

  • 視察で出かけたエジプトや、ギリシャのアテネの美しい建物や景観を再現するために、ここ「ヴィッラアドリアーナ」を自ら設計したそうです。<br />収集したギリシャ彫刻やモザイクを大量に使用し、まさにギリシャ建築、ギリシャ芸術の集大成のような建物になりました。

    視察で出かけたエジプトや、ギリシャのアテネの美しい建物や景観を再現するために、ここ「ヴィッラアドリアーナ」を自ら設計したそうです。
    収集したギリシャ彫刻やモザイクを大量に使用し、まさにギリシャ建築、ギリシャ芸術の集大成のような建物になりました。

  • 流石に、2000年近くも経っているので、いくつかの柱と土台部分しか残っていませんが、その大きさから想像するに、さぞかし立派な別荘だったことが容易に想像できます。ハドリアヌス帝が亡くなったあと、歴代の皇帝が使用しましたが、3世紀以降は使われなくなったため、廃墟と化しました。そのため、内部にあった芸術作品は、様々な人に持ち去られてしまったそうです。

    流石に、2000年近くも経っているので、いくつかの柱と土台部分しか残っていませんが、その大きさから想像するに、さぞかし立派な別荘だったことが容易に想像できます。ハドリアヌス帝が亡くなったあと、歴代の皇帝が使用しましたが、3世紀以降は使われなくなったため、廃墟と化しました。そのため、内部にあった芸術作品は、様々な人に持ち去られてしまったそうです。

  • 1870年以降にやっとイタリア政府の発掘が始まり、その全容が明らかになりました。<br />発掘された遺物は、ローマのヴァチカン博物館やカピトリー二博物館に展示されているそうです。

    1870年以降にやっとイタリア政府の発掘が始まり、その全容が明らかになりました。
    発掘された遺物は、ローマのヴァチカン博物館やカピトリー二博物館に展示されているそうです。

  • 以下の写真にも、様々な遺跡を掲載させていただきましたが、建物が似通っているため、間違った解説をしてしまいそうなので、個々の開設は割愛させていただきます。<br />主な見どころはカノプス、海の劇場、ヴィーナス劇場や皇帝の宮殿、大小浴場などがあります。

    以下の写真にも、様々な遺跡を掲載させていただきましたが、建物が似通っているため、間違った解説をしてしまいそうなので、個々の開設は割愛させていただきます。
    主な見どころはカノプス、海の劇場、ヴィーナス劇場や皇帝の宮殿、大小浴場などがあります。

  • 各遺跡には小さな案内板がありますが、チケット売り場の前にあるショップで地図を買って見ながら歩くと見逃さないと思います。

    各遺跡には小さな案内板がありますが、チケット売り場の前にあるショップで地図を買って見ながら歩くと見逃さないと思います。

  • 特に、ハドリアヌス帝がお気に入りだった「海の劇場」をこの旅行記を書いていることから、見逃したことがわかり、ショックを受けました。随分、長い間歩き回りましたが、「海の劇場」は特にわかりにくいところに造られているので、見逃したようです。皆さんは、そのようなことがないよう、事前にショップで地図を買われることをおススメします・・・(泣)。

    特に、ハドリアヌス帝がお気に入りだった「海の劇場」をこの旅行記を書いていることから、見逃したことがわかり、ショックを受けました。随分、長い間歩き回りましたが、「海の劇場」は特にわかりにくいところに造られているので、見逃したようです。皆さんは、そのようなことがないよう、事前にショップで地図を買われることをおススメします・・・(泣)。

  • ハドリアヌス帝が度重なる視察旅行で、特に気になったのはエジプトだそうです。そこで見たアレキサンドリアとカノプスを結ぶ運河を模して造ったのが、カノプスという細長い池です。一説によると、エジプト視察の際にお共で連れていった美少年アンティノウスが、ナイル川の事故で亡くなったことを偲んで造らせたものと言われています。

    ハドリアヌス帝が度重なる視察旅行で、特に気になったのはエジプトだそうです。そこで見たアレキサンドリアとカノプスを結ぶ運河を模して造ったのが、カノプスという細長い池です。一説によると、エジプト視察の際にお共で連れていった美少年アンティノウスが、ナイル川の事故で亡くなったことを偲んで造らせたものと言われています。

  • 旅する皇帝ハドリアヌスは、世界のあちこちに世界遺産レベルの建物を残しています。<br />パムッカレのヒエラポリスの円形劇場、アテネのハドリアヌス門、パルミラのローマ門、チュニジアの水道橋などどれも圧巻ですが、その集大成がここ「ヴィッラ・アドリアーナ」ということです。

    旅する皇帝ハドリアヌスは、世界のあちこちに世界遺産レベルの建物を残しています。
    パムッカレのヒエラポリスの円形劇場、アテネのハドリアヌス門、パルミラのローマ門、チュニジアの水道橋などどれも圧巻ですが、その集大成がここ「ヴィッラ・アドリアーナ」ということです。

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