2019/10/28 - 2019/10/29
423位(同エリア2859件中)
玄白さん
連れ合いが、かつての茶道の師匠K女史と軽井沢一泊旅行に出掛けたのだが、現地での移動の利便性と台風19号の被害の影響で北陸新幹線が変則ダイヤになっているので、急遽、アッシー君として駆り出されることになった。行先プランは、すべて連れ合いが作り、言われるがままに、もっぱらお抱え運転手の役割を務めたのであった。
2人は「軽井沢 鹿島の森ホテル」で優雅なホテルステイ、玄白の宿は自家用車の中である。
2日目は、碓氷峠で星空撮影と車中泊のあと、また二人をホテルに迎えに行かねばならないが、その前に、早朝の雲場池で、紅葉撮影。チェックアウトした二人をもう一度雲場池に案内し、そのあと旧軽井沢銀座でショッピングやカフェでおしゃべりしたいというので銀座通り入り口まで送り届ける。二人のショッピングに付き合うつもりはないので、時間の余裕はないが、隣町の小諸の懐古園に行ってみた。ここも紅葉の名所でもみじ祭りの真っ最中なのであるが、結果的には、今年の紅葉はイマイチで、ちょっと残念な遠出だった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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早朝6:40に雲場池駐車場へ。紅葉シーズンは有料なのだが、駐車場係員がまだ不在で、タダで停めさせてもらった。
朝もやに煙る雲場池。 -
6年ぶりの雲場池。その時の紅葉に比べると鮮やかに欠ける印象、特に黄葉はまずまずだが、紅葉がくすんだ感じである。
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6年前と同様、池の周囲をぐるりと一周してみよう。
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まだ人出が少ないので、三脚を使って撮影。
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相変わらず、マガモが住みついている。
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雲場池の源流は二人が宿泊した鹿島の森ホテルの敷地内の湧き水なので、池の水の透明度はすこぶる良い。
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モミジはくすんだ色だが、ツツジの紅葉がひときわ鮮やかだ。
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水面への映り込み
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水面への映り込み
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イチオシ
朝もやで奥の木立が霞み、手前のツツジの紅葉はくっきり。こういうのを、空気感で出ているというのだろうか
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イチオシ
池の中州にあるモミジの紅葉の色づきが、池の周囲では一番だ。
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イチオシ
緑の水草と、もやに霞む紅葉が良い味を出している。(自己満足(^ ^); )
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ちょうど紅葉のピークの時期なので、昼頃になれば、この遊歩道は大勢の人でごった返すことだろう。
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池の反対側まで行ったところで反対側の岸を歩いて入り口に戻ろうと考えていたのだが、なんと通行止めになっている。どうやら、先の台風19号で遊歩道が不通になったようだ。台風19号は、ニュースにはならないようなところでもあちこちで災害をもたらしている。
やむなく、もと来た道を戻り、同じようなところをまた撮影だ。 -
反対方向から歩くと、同じところでも違って見えるから、面白い。
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透き通った水なので、池の底まで見える。
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入り口付近まで戻ってきた。ここでもまた映り込みを狙って。
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マガモだけでなく、キンクロハジロもいる。
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イチオシ
赤と黄色のコントラストがきれいだ。朝やかな赤はツツジの紅葉。
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黄葉しかかった柳の枝を手前に入れて。
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入り口の駐輪場付近にて。
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池の入り口に戻って来たころには、何人かのカメラマンが撮影中。いずれも中国人だ。
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そろそろ、2人がホテルをチェックアウトする時間が迫って来たので、ホテルに移動。鹿島の森ホテルの周囲も紅葉真っ盛り。
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ホテルの敷地の一部が小さな渓谷になっていて、御膳水という泉が湧き出ている。説明板によると、明治天皇宿泊の際、この湧き水で炊飯したり、お茶を入れて供したという。
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湧き出た泉の水は、小さな川となって雲場池に流れ込んでいる。雲場川と名付けられている。
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ホテルの向かいには旧軽井沢ゴルフクラブという高級会員制ゴルフ場がある。自分には縁がなさそうなゴルフクラブだが、やじうま根性でどんなゴルフクラブが調べてみた。
開場は大正8年で12ホールという変わったコース設計。会員のみプレーが出来、会員権取得には会員2名以上の推薦が必要。現時点で会員は648名。名義書換料110万円、年会費14万円だそうだ。ハハッ、やっぱり、縁はない!
チェックアウトした2人をピックアップして再び、雲場池へ。 -
池の入り口の反対側に、立派な門構えの大きな別荘がある。手入れが良いためか、敷地の紅葉は、雲場池の紅葉より鮮やかだ。
この別荘の主は、政界屈指の資産家で、「史上最低の無能宰相」という評価まである民主党政権初代総理だった鳩山由紀夫氏である。手厳しい評価の元政治家ではあるが、権力欲に凝り固まり、極右思想実現に執念を燃やし、行政をゆがめて自分のお友達を優遇し政治の私物化がはなはだしい現宰相に比べればかわいいものである。
知ってか知らずか、この門の前で記念写真を撮る観光客が絶えない。 -
二人が雲場池を散策している間、入り口付近で、カモの撮影に専念。
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イチオシ
朝一番で見た時より、カモ君たちも活発な動きをしている。
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カモの動きを見ていると面白く飽きることがない。望遠レンズを持参しなかったのが惜しまれる。
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10時前になったので、二人を旧軽井沢銀座に送り届ける。ここでゆっくりショッピングやお茶を楽しむというので、ちょっとせわしないが、隣町の小諸市の懐古園に行ってみる。
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車で50分で、懐古園へ。
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小諸城三の門。これが懐古園への入り口になる。国の重要文化財になっている。門に掲げられている「懐古園」と書かれた扁額は、16代徳川宗家、徳川家達(いえさと)が揮毫したものである。明治の廃藩置県を機に、小諸城は城としての役目を終え、懐古園という公園として整備された。
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イチオシ
小諸城の沿革は古くは平安時代末期に、木曽義仲の家臣、小室太郎光兼という人物によって築城されたのが始まりである。戦国時代になると、小諸は武田信玄の支配下に入り、信玄の軍師、山本勘助によって、戦国時代の城郭として整備された。武田氏滅亡後は、豊臣秀吉の天下統一時に、仙石秀久という武将が5万石で小諸に封ぜられる。彼は、小諸城を大改修し、近代城郭として完成させた。今残る遺構は、その当時のものである。
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見所は、野面石積の強固な石垣である。苔むした風情ある石垣である。
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お堀にかかる黒門橋
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黒門橋の上から見る堀の跡にはモミジが群生。ここが懐古園を紅葉の名所としている所以なのだが、写真の通り、まだ青モミジだ。今年は大幅に紅葉が遅れている。
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随所に野面石積の石垣が見られるが、どこも苔に覆われた古城の雰囲気たっぷり。
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ようやく色付き始めた紅葉
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またまた、石垣
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小諸と言えば 明治の文豪、島崎藤村に触れねばなるまい。明治32年に、小諸義塾の英語と国語の教師として赴任した藤村は、函館の網問屋秦慶治の三女冬子と結婚し、小諸町馬場裏の士族屋敷跡に新家庭をもつ。以降、小諸で過ごした6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破戒」が起稿された。そんな縁で、懐古園には島崎藤村記念館があり、藤村についての資料をみることができる。しかしながら、じっくり見るような時間はないので、素通りするしかなかった。
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軽井沢に戻る時間が迫って来た。散策ルートを急ぎ足で先に進む。
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所々に色づいた木々も散見される。
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水の手展望台という千曲川を見下ろせるところがある。島崎藤村の有名な詩「小諸なる古城のほとり」を思い起こさせる眺めである。しかし、台風19号で大変な氾濫、洪水被害をもたらした千曲川である。災害復旧の護岸工事が行われているのを見ると、そんな藤村の旅情あふれる詩も現実の前にいささか色褪せてしまうという想いであった。
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園内では菊祭りが催されていた。
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菊を愛でるということには無縁な玄白であるが、紅葉がイマイチだったので、愛好家が丹精こめて育てたであろう見事な菊をしばし鑑賞。
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こんな菊人形もあった。
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この建物はなんだったかな?
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小諸城本丸の跡地には懐古神社がある。明治13年に旧小諸藩士だった士族たちが建立し、小諸を支配した牧野氏の歴代藩主を祭ってある。
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園内には懐古射院という弓道場があり、女性や年配の男性が弓の稽古をしていた。大学の教養課程の体育の選択科目で弓道を選んだことを思い出した。一度も授業に出たことはなく、単位を取るために強制的にスキーの講習に行かされ、ひどい目に遭ったことは今でもよく覚えている。それがトラウマとなり、その後スキーには一切興味を持たなかった。
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わずか30,40分の滞在で懐古園を後にして、連れ合いとK女史を迎えに軽井沢に戻った。3人で遅めの昼食を軽井沢の蕎麦屋「信州そば処きりさと」で摂ってから、軽井沢を後にしたのであった。
K女史から、アッシーの御礼として、旧軽井沢銀座で贖ったという佐久の地酒を頂いた。まだ、開栓していない。フルーティな香り豊かな端麗辛口な旨味の酒だというが、どんな味か楽しみである。信州そば処 きりさと グルメ・レストラン
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