2019/08/05 - 2019/08/05
4位(同エリア843件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/08/05
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バスでの移動
マドリッド14時頃→トレド15時頃
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トレド展望台にて撮影等15時→15時20分頃
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バスでの移動
展望台15時20分頃→エスカレーター前広場15時30分頃
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徒歩での移動
エスカレーター15時30分頃→カテドラル15時50分頃
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カテドラル16時頃→工芸品店 Ajorica16時30分頃(見学と買物)
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徒歩での移動
工芸品店16時30分頃→サント・トメ教会16時45分頃
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徒歩での移動
サント・トメ教会17時頃→駐車場17時30分頃
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バスでの移動
トレド17時30分頃→マドリッド18時30分頃
-
Museo del Jamon(ムゼオ・デル・ハモン)ハモン博物館
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この旅行記スケジュールを元に
現在はマドリッドが首都ですが、それ以前はこのトレドが首都でした。しかも2度も。
まさに「古都トレド」です。
そもそも古代ローマ以前の先史時代から人が住んでいました。
トレドはイベリア半島の中でも、ほぼ中央に位置しています。(マドリッドもそうですが・・・。)
そして西ゴート族が支配を始め、6世紀半ばに西ゴート帝国の首都をトレドに定めました。
ただその後8世紀の初めにはイスラム教徒にその支配権を奪われてしまいます。
しかしながら、その後レコンキスタにより、更に16世紀にトレドは統一されたスペイン帝国の都となりました。
その後、フェリペ2世が首都をマドリッドに移す前までのことです。
そして現在は政治・経済の中心ではなくなりましたが、スペインカトリックの地として、古都としてあり続けています。
とりわけ日本で言えば京都でしょうか・・・。(川端康成の小説でも京都が舞台です。)
ちなみに奈良も古都と言えるかもしれません。
そしてこのトレドでは、約400年はイスラム教徒の支配下におかれていたのですが、その間このトレドの経済を握っていたユダヤ人、イスラム教徒はレコンキスタ後も、1492年に追放されるまで居残っていたようです。
つまりは古都トレドは、ユダヤ、イスラム、キリストの3大宗教が融合した文化を持っている街でもあります。
【旅程】
8月2日(金)
羽田14時05分発→フランクフルト18時45分着
ルフトハンザ航空LH717便(11時間40分)
↓
フランクフルト21時00分発→バルセロナ23時00分着
ルフトハンザ航空LH1138便(2時間)
8月3日(土)
バルセロナ市内観光
カサ・バトリョ→カサ・ミラ→サンパウ病院→サグラダ・ファミリア→カタルーニャ広場→カテドラル
↓
タラゴナ
ラス・ファレラス水道橋
↓
バレンシア
8月4日(日)
バレンシア観光
ラ・ロンハ
↓
ラ ・マンチャ地方
クエンカ市内観光
↓
ラ・マンチャ地方
カンポ・デ・クリプターナ
↓
マドリッド
8月5日(月)
マドリッド市内観光
プラド美術館
↓
トレド観光●
カテドラル→サント・トメ教会
マドリッド
8月6日(火)
コルドバ観光
花の小径→メスキータ
↓
グラナダ
アルハンブラ宮殿
8月7日(水)
グラナダ市内観光
カテドラル
↓
ミハス
↓
セビージャ
フラメンコショー鑑賞
8月8日(木)
セビージャ市内観光
スペイン広場→カテドラル→ムリーリョ公園→アルカサル→カテドラル→ヒラルダの塔→黄金の塔
↓
エヴォラ歴史地区観光
ディアナ神殿→ロイオス教会→カテドラル→サン・フランシスコ教会
↓
リスボン
8月9日(金)
ロカ岬
↓
ジェロニモス修道院→ベレンの塔→発見のモニュメント
↓
シントラ観光
シントラ王宮
↓
リスボン
8月10日(土)
リスボン発7時15分→フランクフルト11時15分着
ルフトハンザ航空LH1173便(3時間)
↓
フランクフルト18時10分発→
8月11日(日)
羽田12時15分着
ルフトハンザ航空LH716便(11時間05分)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
-
2019年8月5日(月)
この日は午前中にマドリッド観光をして、午後はトレドに向かいました。
これは車窓からの景色です。
ちなみにPuente de Alcantara(アルカンタラ橋)を撮るつもりだったのですが、1つ先の橋になってしまいました。
ファネロ通りからの眺めです。 -
この地図の東に橋があります。
Puente de Alcantara(アルカンタラ橋)です。こちらは重要な出来事が起きる発端になった場所のようです。
この橋はキリスト教徒が作った橋です。
伝説によると西ゴートの最後の王であるロドリーゴ王は、ここでセウタ伯ドン・フリアンの美しい娘を誘惑したと言われています。
でも、それを知った父の伯爵は怒りに駆られて復讐をすることに・・。
実はかつてロドリーゴ王に暗殺されてしまった先王のウィティサの息子たちと組んでアフリカからイスラム同盟軍を率いて遠征を企てました。
そしてその結果、イスラム勢力の拡大により、西ゴート王国は滅亡してしまいました。
その問題の場所が、「ここ」と書いた橋です。
残念ながら、この橋までは行くことができませんでした。 -
中央に見えるのは、アルカサル(王宮)です。
13世紀の古い要塞を、16世紀前半にカルロス1世が王宮に改装しました。
現在は軍事博物館となっています。 -
「もし、1日しかスペインに居られないのなら、迷わずトレドへ行け」
と言う格言があるように、やはりトレドは外せません。
ところでこの格言を考えたのはいったい誰でしょうね?
何はともあれ、スペイン・カトリックの総本山として見過ごせません。 -
中央に見える川はタホ川です。
el Tajo(タホ川)スペイン語
o Tejo(テージョ川)ポルトガル語です。
イベリア半島の中央部のイベリコ山系ウニベルサーレス山地が水源のようです。
そこから西へ向かってポルトガルのリスボン先の大西洋まであります。
イベリア半島では最も長い川です。 -
展望台からの眺め
花崗岩の岩山に築かれたこの街は、周囲をタホ川に囲まれて(3方向)、まさに天然の要塞です。 -
イチオシ
古代ローマ軍がこの地を要塞としたのは。BC192年でした。
そしてその後に占領した西ゴート王国の時代には、第2回トレド公会議が開かれました。
そして569年に、この地を首都として定めました。 -
左に見える尖塔がカテドラルです。
そして右はアルカサルです。
街並みの色合いも落ち着いていて、いかにも古都といった感じがします。 -
アルカサルをズームしてみました。
この建物はカテドラルの鐘楼と同様に遠くからでも目立ちます。
標高548mのトレドの中でも小高い丘にあります。
元々は3世紀にローマ帝国の宮殿がありました。
そして11世紀にレコンキスタでイスラムの支配からトレドを奪還した後に、要塞としてこの宮殿を改築したものです。アルフォンソ6世治世の際に。
そして皇帝カルロス5世が現在のような形に改築させました。
残念ながら内戦中に破壊されてしまい、今は軍事博物館になっています。 -
西ゴート王国の次に、この地にやってきたのはイスラム教徒でした。
西ゴートについて・・・・
ゲルマン人の東ゲルマン系ゴート人が4世紀ごろまでに東西に分裂しました。
西ゴートはドナウ河北岸にいましたが、376年にドナウ川を越えてローマ領内に入り、バルカン半島に移動しました。そして5世紀にはイタリアからさらにイベリア半島に移動し王国を建設したのです。 -
イチオシ
その後レコンキスタが起き、再びキリスト教世界になり、この地はカスティーリャ王国の首都として返り咲きました。
-
それにしても今私がこうして眺めている景色は、昔とほとんど変わっていないのかと思うと、感慨深いものがあります。
-
このトレドの美しい景色をエル・グレコも眺めていたのでしょうか・・・。
エル・グレコは「トレド全景」を描いています。
タラベラ病院からの依頼を受けて描いた絵です。
その絵の中で地図を広げています。それは16世紀当時のトレドの地図のようですが、かなり精巧な地図です。
しかもエル・グレコもそれを事細かに描いてます。 -
El Greco(エル・グレコ)について
El Greco・・・この名前は「そのギリシャ人」
という意味です。
本当の名前は、Domenikos Theotokopoulos (ドメニコス・テオトコプーロス)です。
これを言えば、Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)も、ヴィンチ村のレオナルドなわけで、たいした事がないようにも思えますが、まだレオナルドという名前が残っているだけましな気がします。
まずエル・グレコの出生地はギリシャのクレタ島のカンディア(現在のイラクリオン)です。1541年に生まれました。
この頃のクレタ島はヴェネツィア共和国の支配下におかれている状況下でした。
1453年オスマン・トルコの征服によってビザンティン帝国は終わりを告げていました。
彼は1567-8年頃にはヴェネツィアに渡り、ティッツァーノ、バッサーノ、ティントレットなどに師事しました。
そして理由は定かではありませんが、次に向かったのはスペインでした。1575-1576年頃の事です。フェリペ2世の宮廷画家になる野望を抱いてきたのですが、残念ながら王の好みではなかったようです。
失望した彼はトレドに移り、大聖堂や教会のために宗教画や肖像画を描きました。
彼は生前は名声を得ていたのですが、その後亡くなると人々に忘れ去られてしまいました。そして近年になってから再び評価されるようになりました。
「エル・グレコ」・・彼は故郷を離れ、ずっと異邦人であったのでしょうか・・。
どんな気持ちでこのトレドに骨を埋めたのでしょう。
ちょっと切なくなります。 -
そういえばこのタホ川の源流は、イベリコ山系ウニベルサーレス山地からその後クエンカ県を通って流れてきます。
クエンカには、この前に既に行ってきたばかりです。
そして川に沿ってはいませんが、これからそのタホ川の河口へと旅を続けます。 -
展望台です。
ここから見えるものの位置がわかります。 -
パノラマ撮影しました。
-
Puente de San Martin(サンマルティン橋)
13世紀にゴシック様式で建設されました。
ただ1368年、カスティーリャの王位をめぐる戦いで、この橋の中央のアーチが破壊されてしまいました。
その修復工事が行われたのですが・・・・、ある有名な棟梁が工事を任されたのですが、なぜか計算違いをしてしまったそうです。ただ工事はだいぶ進んでいました。このままだと、枠組みを外せば崩れてしまう・・・。
その悩みを妻に打ち明けました。
その結果・・・・ある晩工事現場で火事になり、完成間近にして橋は崩れてしまいました。
さあて、この火事の原因は・・・・・・。ある女性の放火が原因でした。
誰かは、もうおわかりでしょう。
結果的に棟梁は今度は計算違いをすることもなく、きちんと完成させました。
めでたしめでたし。 -
Rio「Tajo」
タホ川です。 -
今度はサンマルティン橋の先からの景色です。
左の高台に見えるのは、Monasterio de San Juan de los Reyes(サン・ファン・デ・ロス・レイエス教会)です。 -
城壁です。
この北側にだけは壁があります。
おそらく他の3方向はタホ川に面しているので、それが要塞となっているからでしょうか・・・。
こちら側には川がありませんので、おそらく壁を築いたのかと思います。 -
見上げた所にあるのが、Diputacion Provincial(州議会)のようです。
そしてこちらから左方向にはPuerta de Alfonso Ⅵ (アルフォンソ6世門)
更に左方向にはPuerta de Bisagra (ビサグラ門)があります。
ところでバスでタホ川の橋を渡りましたが、その際に渡ったのが、たぶんPuente de la Cava(カバ橋)かと思うのですが、この橋を渡った右の方にBano de la Cava(カバの水浴場)があります。
先ほどの話にもあったように、フリアン伯爵の娘のフロリンダは、ある日この水浴場で侍女たちと一緒に水浴びをしていました。それをロドリゴ王が目にし、恋の虜になってしまいました。
そしてロドリゴ王の邪淫が、西ゴート王国の滅亡の発端になったようです。
・・・・・が、実はそうではなく、西ゴートの王位争いが本当の理由のようです。
元々は先王のビティーサが亡くなった際に、アキーラという王子がいたのにもかかわらず、ロドリゴ王は実力で強引に王位につきました。
当然反対派の王族たちは怒りでいっぱいです。
またフリアン伯爵の妻は亡くなった王の親戚であったため、王子に肩入れをし、ロドリゴ王打倒のために働きました。
ただフリアン伯爵の読みは浅はかでした。
2つに仲間割れして分裂してしまった西ゴート勢は立ち直ることができませんでした。イスラム勢力の戦闘力、機動力は凄かったのです。
たった2年で国土の大半を奪われてしまったのです。
まさか、こんなことになるとは、思ってもみなかったことでしょう。
その後711年ロドリゴ王はベルベル人との戦いで、グアダレーテ河畔の戦いで戦死したと言われています。
ただ河の近くで矢のあたった王の馬が発見されていますが、戦死かどうかは本当はわかりません・・・・。
それからもう一方の気の毒なフリアン伯爵の娘フロリンダですが、キリスト教徒の間で憎まれました。またイスラム教徒の間でも卑しいことを意味する「カーヴァ」で蔑まれてしまい、郷里のセウタで塔から身を投げて亡くなってしまいました。
なんたる悲劇でしょう。 -
エスカレーターで登ります。(グランハ・エスカレーター)
これで楽して行けます。 -
Mirador del La Granja(グランハ展望台)
案内です。 -
このような迷路のような路地がたくさんです。
イスラム文化の名残りです。
夏はかなり暑いのですが、日陰ができて、暑さを少しは凌げます。 -
この車止めは、リモコン操作によって、下に降ります。
この先に家のある方は、これを下げることによって、この先に行くことができます。 -
革製品のお店
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マグネット小物がたくさん。
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土産物色々です。
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撮影はしたものの、どこの扉だったか不明です。(^_^;)
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路地の先は道が開けていそうです。
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大聖堂ですが、塔はは工事中でした。
そしてツアーの残念なところが、この中には入場しませんでした。
ここまで来ていながら、この総本山の中を見ずに帰るのは残念です。
仕方がないので、せいぜい外観だけでも拝ませていただきます。 -
19世紀末から20世紀初頭のカテドラルの様子です。
上記の写真の右側の方から焦点をあてると、こんな感じになります。
(トレドで購入したガイドブックより) -
まずはファサードには3つの扉があります。
中央の扉は「大司教の門」「王たちの門」「免罪の門」
左側は「獅子の門」もしくは「地獄の門」
右側は「裁きの門」「公証人の門」です。
そして左側の高い塔は約90mあります。1377-1440年の間に建てられました。
この内側には約18tもある大きな釣鐘が納められています。
また右の塔は下部は4世紀初頭、中間部は16世紀に、最上部の円蓋は1631年に作られました。
ちなみに建築家ホルヘ・マヌエルによって作られました。
彼はエル・グレコの息子です。 -
ちなみにこちらのカテドラルには、あのエル・グレコの「掠奪」があります。
エル・グレコだけでなく、ラファエロ、ティツィアーノ、ゴヤ・・・などの作品を所蔵してます。 -
ファサードの中央の司教の門」「王たちの門」「免罪の門」です。
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中央の上部には「最後の晩餐」があります。12人の使徒たちが見えます。
18世紀の作品です。 -
ファサードから見て右横の路地に入ります。
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その路地の様子です。
そしてこの先に入場口があります。 -
こちらから入場します。
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入場者は左からです。
チケットは右の方へどうぞ。
大聖堂、博物館、オーディオビジュアルは10ユーロです。
上記に塔をプラスすると12.5ユーロです。 -
正面に見えるのはトレド市庁舎です。
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こちらは19世紀末から世紀初頭のトレド市庁舎の様子です。
あまり変わっていません。
(トレドで購入したガイドブックより) -
トレス・アグアス、クリスティーナ・イグレシアス
池のように見えますが、銅板の彫刻です。 -
これはタホ川をイメージしたアートだそうです。
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Casa del Greco(グレコの家)
Santo Tome(サント・トメ)は←左方向です。 -
路地は太陽を遮ってくれるので、夏の暑い日にはありがたいです。
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路地からカテドラルが、ちらりと見えます。
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このトレドはイスラム教、キリスト教(カトリック)、ユダヤ教の文化が混じりあっています。
ムデハルがキリスト教徒の支配下に生きたイスラム教徒なのに対して、モサラベはその逆で、イスラム支配下に共存したキリスト教徒をさします。
カテドラルにはモサラベ礼拝堂もあります。
またSinagoga de el Transita(被昇天のシナゴーグ)、Santa Maria la Blanca(白い聖母のシナゴーグ)などシナゴーグもあります。 -
ツアーで立ち寄ったお店です。
Majorica (Joyas y Perlas) -
象嵌細工の工房です。
金を使った象嵌細工「ダマスキナード」です。
職人さんがお仕事中です。
金の含有率や職人さんのレベルでお値段が変わってくるそうです。
本当に細かい作業です。
こちらは工芸品店になっています。 -
こちらはドン・キホーテのようです。
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ドン・キホーテのお供の、サンチョです。
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こちらはアルハンブラ宮殿のライオンのパティオのようです。
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剣もあります。
ほしいような気もしましたが、持って帰るのが大変そうなのでやめました。 -
宝石箱のようです。キーもついています。
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受胎告知の場面のようです。
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ベルトやアクセサリーやペーパーナイフのような物も。
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騎士に囲まれて・・・。
ちなみにこの鎧兜の小さなタイプを購入しました。 -
お店の前の通りです。
比較的広いように思います。 -
Iglesia de Santo Tome(サント・トメ教会)
いよいよです。
入口はこの左側です。 -
残念ながら中は撮影できません。
ところで中央の少し下に案内があるのですが、「オルガス伯の埋葬」の絵の中の子どもを反転させたものが、指さしていて面白いです。 -
「オルガス伯の埋葬」
エル・グレコの最高傑作です。1586年頃の作品です。
Gonzalo Ruiz de Toledo(ゴンサロ・ルイズ・デ・トレド)について描かれています。
天上界と地上階のをドラマティックに描かれています。
ところで、彼は実際には伯爵ではありませんでした。オルガスという土地を治めていた領主でした。とても信仰心のあつい情け深い人でした。
自身の財でこの教会ばかりでなく、幾つかの教会を修復し、人々のためになるべきことをしました。
そして1323年に亡くなりました。
天国への道には煉獄で身を清めなければなりません。
でもこの埋葬で即、天国へと向かい生まれ変わることになりました。
そのため2人の聖人が描かれています。
右にSan Agustin(聖アグスティン)
左にSan Esteban(聖エスティバン)
手前にいる子どもはエル・グレコの息子のようです。
そしてこの中には本人も描かれています。
聖人の上に手がありますが、その後ろでじっと前を見ているのが、エル・グレコのようです。
(トレドで購入したガイドブックより) -
すぐ横にカフェもあります。
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空中回廊のようです。
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こちらはそのままトンネルのようになっています。
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今度は石畳の足元を見ました。
「Aguas de Toledo」とあります。
上を見たり下を見たり、忙しいです。 -
Plaza del Cardenal Siliceoとあります。
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Barrio de la Juderia(ユダヤ人街)です。
ダビデの六芒星のアスレホがあります。 -
この先は車は入れないような細い路地です。
路地が多くて、本当に迷子になってしまいそうです。 -
坂道ではなく、石段になってます。
ちょっと絵になる景色。
ガイドさんのお勧めで皆さんここで写真撮影してました。 -
通常はトレドはタホ川の外側からの美しい写真が多いのですが、反対に内側から外側を撮ってみました。
ところで少し離れていたので、Museo de Santa Cruz(サンタ・クルス博物館)には行きませんでしたが、こちらにも「無原罪のお宿り」「受胎告知」「聖家族」・・・・そして「ラ。ベロニカ」もあります。聖骸布のキリストとベロニカがとても印象的なので、見たかったのですが・・・。 -
旧市街から新市街を眺めて。
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帰りのエスカレーターです。
横に階段もあります。帰りはちょっとだけ階段を歩きました。 -
マドリッドに戻りました。
アトーチャ駅です。こちらはマドリッドの中心部からちょっと南にあります。
ドーム部分が見えます。
中は植物園のようになっています。 -
メトロ「ゴヤ駅」です。
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Museo del Jamon
こちらでいただきます。 -
ハモンハムの博物館という名の生ハムの専門店です。
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メニューリスト
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入口を入るとずらーりと並んでいます。
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こちらはカット前。
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私たちは奥の席でいただきました。
まずはビール。
お疲れ様でした~! -
野菜サラダ
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豚肉のソテーでポテト添え
結構量がありました。
せっかくなのでハモンハムが食べたかった・・・。
勿論別注できます。 -
プディング
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ご飯を食べて外に出ましたが、まだまだ明るいです。
さて、明日はいよいよアンダルシア地方へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- sanaboさん 2020/01/11 16:17:05
- noelさんの後に行きたかったトレド
- noelさん、こんにちは~
トレド編も史実などを織り交ぜた読み応えのある力作で
大いに楽しませていただきました。
というか、noelさんのこの旅行記を拝見してから
トレドに行きたかった、と本気で思いました。
私がトレド(スペイン)を訪れた時は4トラ登録前で
旅行記を作るつもりなど全くなくて、トレドの歴史を全然勉強して
行かなかったので、観るべき点(宗教的な融合など)も
全くわかっていませんでした。
アルカンタラ橋やサンマルティン橋に纏わるお話も
とても興味深く面白かったです。
完成間近のサンマルティン橋に放火したのは棟梁の奥様だったのですね~!
当時そのことはバレずに、奥様は咎められることはなかったのでしょうか?
大聖堂に入れなかったのは、noelさんとしては心残りだったことと思います。
エル・グレコの息子さんが建築家として大聖堂の最上部の円蓋の建設に
携わっていたことを初めて知りました。
息子さんは「そのギリシャ人」ではなく、堂々のスペイン人と
なったわけですね。
象嵌細工の工芸品店では剣は諦め(笑)、小さな鎧兜を
買われたそうですね。どのくらいの大きさなのですか?
もしかしてnoelさんのお宅には遺跡からの発掘品のレプリカなども
たくさん並んでいるのではないかしらと、ふと思いました^^
トレドの街を取り巻くあのタホ川がやがてポルトガルを流れ
海のような大河となりテージョ川として大西洋に注いでいることを
リスボン訪問時(正確には旅行記作成時^^;)に知った時には
ちょっと感動しました。
そして何百年も変わらぬトレドの街並みが見てきた歴史の変遷に
思いを馳せると悠久のロマンを感じますね。
Museo del Jamon、懐かしかったです!
生ハムやスペインのタパスが恋しくなりました^^
続編も楽しみにお待ちしていますね♪
sanabo
- noelさん からの返信 2020/01/12 00:00:16
- RE: noelさんの後に行きたかったトレド
- sanaboさん、こんばんは!
いつもありがとうございます。
> トレド編も史実などを織り交ぜた読み応えのある力作で
> 大いに楽しませていただきました。
> というか、noelさんのこの旅行記を拝見してから
> トレドに行きたかった、と本気で思いました。
そんなそんな、ありがとうございます。
でも私としてはsanaboさんが先に行ってくれて良かったと思っています。(笑)
特にこれが個人旅行だったら、絶対に同じお店に行ってみたりしてますよ。
> 私がトレド(スペイン)を訪れた時は4トラ登録前で
> 旅行記を作るつもりなど全くなくて、トレドの歴史を全然勉強して
> 行かなかったので、観るべき点(宗教的な融合など)も
> 全くわかっていませんでした。
確かに!
私自身も以前はそうでした。
昔は旅行に行っても、とりあえず写真を残しておく程度でした。
スペインの歴史については、かなり興味があったのでレコンキスタの舞台になった地を訪れたいという気持ちは結構強かったのですが、旅行前よりは後の方が調べるのにも熱が入りました。
> アルカンタラ橋やサンマルティン橋に纏わるお話も
> とても興味深く面白かったです。
ありがとうございます。
でも私はサンマルティン橋を渡ることができませんでしたが、sanaboさんは渡っていましたよね。羨ましかったです。
しかもカテドラルにも入場してますし。
パラドールにも宿泊されてましたよね。宿泊したからこそ夕焼けや夜景もご覧になれて本当に良かったです。
そんなわけで最初はパラドールに宿泊できるツアーを探したりしました。
> 完成間近のサンマルティン橋に放火したのは棟梁の奥様だったのですね?!
はい、そのとおりです。随分と大胆なことをしたものですね。
> 当時そのことはバレずに、奥様は咎められることはなかったのでしょうか?
その後の事は不明なのですが、昔のことなのでうやむやになっているかもしれません。
今の世の中だったら、防犯カメラの映像が動かぬ証拠になってしまいそうですが。(汗)
> 大聖堂に入れなかったのは、noelさんとしては心残りだったことと思います。
はい、本当に残念でした。結構ツアーって時間ないんですよね。
効率よく回るためには、仕方がないのでしょう。
> エル・グレコの息子さんが建築家として大聖堂の最上部の円蓋の建設に
> 携わっていたことを初めて知りました。
> 息子さんは「そのギリシャ人」ではなく、堂々のスペイン人と
> なったわけですね。
そうですね。私も息子さんのことは、旅行後に調べて知りました。
> 象嵌細工の工芸品店では剣は諦め(笑)、小さな鎧兜を
> 買われたそうですね。どのくらいの大きさなのですか?
実はその前にもバルセロナで色々と買物してましたので、スーツケースに入る小さな物にしました。
> もしかしてnoelさんのお宅には遺跡からの発掘品のレプリカなども
> たくさん並んでいるのではないかしらと、ふと思いました^^
確かにいくつかあります。(笑)
なるべく小さめの物にしていますが。豪邸だったらいいのですが、そうでもないのでスペースを考えて買っています。
> トレドの街を取り巻くあのタホ川がやがてポルトガルを流れ
> 海のような大河となりテージョ川として大西洋に注いでいることを
> リスボン訪問時(正確には旅行記作成時^^;)に知った時には
> ちょっと感動しました。
そうですよね。
トレドでは、それほど大きな川ではありませんでしたものね。
しかも日本人にとっては大西洋って、あまり馴染みがないので、別の意味でも感動しました。
> そして何百年も変わらぬトレドの街並みが見てきた歴史の変遷に
> 思いを馳せると悠久のロマンを感じますね。
そうですね〜。特に展望台からの眺めは昔とたいして変わっていないようで感動的でした。
sanaboさんはライトアップされた姿も御覧になっているので、なおさら目に焼き付いているでしょうね。
> Museo del Jamon、懐かしかったです!
> 生ハムやスペインのタパスが恋しくなりました^^
ホントにそうですね。
スペインは美味しい物たくさんですね。
> 続編も楽しみにお待ちしていますね♪
ありがとうございます。私もsanaboさんの続編を楽しみにしています。
noel
-
- 浜ぎんこさん 2019/12/30 18:19:17
- 祝 100冊 そして・・
- Hi...noel ちゃ~ん^^
100冊
おめでとうございます^^
そして
今年も、大変お世話になりました。
来年も
noel ちゃんにとって・・素晴らしい一年でありますように・・。
Have a nice week...
・・・浜ぎんこ・・・
- noelさん からの返信 2019/12/30 20:26:42
- 令和元年、ありがとうございました。
- 浜ぎんこさん!
ありがとうございます。
実は100冊になったこと、気づいてませんでした。
今月3冊投稿しようと思っていただけで、意識してなかったので、教えていただくまで全然知りませんでした。
しかもトラベラーの表紙の表記は、まだ99冊でしたので、改めて数えて気づきました(笑)
今年も残すところあと少しです。
今年一年ありがとうございました。m(__)m
そして、これからもよろしくお願いします。
noel
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