テオティワカン遺跡周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
19年10月17日(木)、ツリブス社(Turibus)のテオティワカン(Teotihuacan)1日バスツアー、11時15分頃にやっとグアダルーペ寺院(Basilica de Guadalupe)を出発、約40㎞北東のメキシコ中央高原(Anahuac)にあるテオティワカン遺跡(Ruinas De Teotihuacan)を目指す。グアダルーペ寺院を出るとすぐにメキシコシティ(Ciudad de Mexico)と約90㎞北東の、サッカーの本田圭佑選手が所属していたチームがあるパチューカ(Pachuca)とを結ぶメキシコパチューカハイウェイ(Autopista Pachuca-Ciudad de Mexico)に入り、丘の間を北東に抜けていくが、山肌に立ち並ぶ家々がカラフルで綺麗(下の写真1)。<br /><br />さらに5分ほどでセロゴルド(Cerro Gordo)と云う低い丘が右手に見えて来るが、その手前でロープウェイが頭上を横切っている(下の写真2)。16年の10月に開通したメヒカブレ(MEXICABLE)で、メキシコ初の公共交通機関としてのロープウェイ。左手に連なるグアダルーペ山脈(Sierra de Guadalupe)に奥深く入り込んだサンアンドレス・デ・ラ・カニャーダ(San Andres de la canada)と云う地域と、やがてはメキシコ地下鉄(Metro de la Ciudad de Mexico)が延伸される予定のサンタクララ(Santa Clara)の間4.8㎞を7駅、17分で結んでおり、慢性渋滞で90分掛かる場合もある移動時間が大幅に短縮され、また、間の路上強盗が頻発する地区を空中移動できるため、現在の地下鉄の終点であるインディオスベルデス(Indios Verdes)までの直通バスを利用してメキシコシティへの通勤も可能となった。ボリビア(Bolivia)、ラパス(La Paz)のミテレフェリコ(Mi Teleferico)を思い出した。<br /><br />ここを過ぎた頃から、眠りに落ちてしまって気が付くともうテオティワカンに着くところだった。テオティワカンとは、ナワトル語(Nahuatl)で「神々の都市」という意味で、12世紀頃にこの地にやってきて、すでに廃墟となっていた都市を発見したアステカ人が命名した。元々の名前は分かっていない。彼らは、荘厳なピラミッド群をこれこそ神々が建てた都市と信じ、彼らの宇宙観ともいえる「太陽と月の神殿」の舞台とした。現在残されている建物の名称にもアステカの神話が投影されている。アステカ人はテオティワカンを後々まで崇拝の対象とした。<br /><br />紀元前2世紀頃建造されたメキシコ最大の宗教都市国家。テオティワカン文明の遺跡だが、彼らはどこから来たのか、そして8世紀頃の謎の滅亡と共にどこに消えてしまったのかは、今も解明されていない。衰退の主要な原因としては、火事の発生、漆喰の生産のために木材を大量に燃やしたことによる森林破壊、かんばつによる農業衰退、およびそれらに伴う内乱の発生と近辺からの狩猟採集民の侵入などが考えられている。極めて計画的に設計された都市で、南北に延びる大通りを中心に、太陽の軌道と密接な関係にある多くの遺跡、彫刻、壁画が残る。雛壇のようなピラミッドをはじめとする大型建築は4世紀頃までに完成し、4世紀から7世紀にかけて黄金時代を迎えたものとみられる。都市の面積は約20平方kmで、当時の新大陸では最大規模を誇っており、最盛期には20万人以上が生活を営んでいた。1987年世界遺産の文化遺産に登録。<br /><br />テオティワカンにおいては、平和的な神制政治が行われ、すべての政事を司る神官を頂点に軍人、商人と階級分けされ、最下層の職人たちにも職種別に各々のパリオ(Pario=地区)に整然と暮らしていた。神官グループは一分の隙もないピラミッドの建造を指導し、宗教祭事を正確に取り決めるための高いレベルの数学、天文学の知識を操っていた。建物はタルータブレロ(Talud-tablero)と云う、タルー(斜面部分)とタブレロ(平坦部分)の組み合わせの建築様式で造られている。傾斜する基盤の上に垂直な板面をはめ込んだ基段の積み重ねによって、巨大なピラミッドを形成しており、これはテオティワカンのほとんどすべての建築物に共通している。<br /><br />また、テオティワカンは対外的にも大きな勢力を持っており、千㎞離れたマヤ(Maya)地域にも影響は及んだ。378年にはエル・ペルー(El Peru)とティカル(Tikal)に侵入し、ティカルの古い石碑を破壊して新しい王朝を建てた。426年にコパン(Copan)とその衛星都市のキリグア(Quirigua)を建設したのもテオティワカン系の人間だったらしい。テオティワカン様式の芸術は古典期マヤ文明に大きな影響を及ぼした。<br /><br />12時頃、遺跡の北西部にあるゲート3(Puerta 3)に到着(下の写真3)。グアダルーペ寺院の時と同様に英語ガイドとスペイン語ガイドに分かれて見学開始。入口から続く土産物屋(下の写真4)を抜けるとまず左手にあるのがジャガーの宮殿(Palacio de los Jaguares)。この宮殿は半地下にあり、日の当たらない場所から発掘されたためか、まだ彩色が残っており、遺跡内で壁画がほぼオリジナルに近い原色かつ完璧な形で残っている数少ないもの。西暦450年から650年の間に建てられたもの。<br /><br />まずは半地下の中庭へ。壁や柱の色合いもきれい。中庭の北側の一番右手の部屋には、あったあった「ほら貝を吹く羽毛のあるジャガー(Jaguar emplumado en los murales)」の壁画。いや、きれいに残ってるもんだ。ジャガーは古代の中南米では神聖な動物でほら貝を吹くと雨を呼ぶと信じられていたようだ。これから雨が強くなっていくのだが、どっかでジャガーがほら貝を吹いたのだろうか? まあ、説明されないとジャガーもほら貝だとも分からないが。<br /><br />そこから建物の中に入ると羽のある貝の神殿(Templo De Los Caracoles Emplumados)がある。神殿の柱に彫られているのが、多分羽のある貝。4つの花びらのリリーフも並ぶ。台座の部分にはオウムかインコのように見えるが、実際は長い飾り羽が美しいケツァール(Quetzal)ではないかと云われている鳥が黄色い花に水をこぼしている壁画が並んで描かれている。西暦200年から300年の間に建設されたもの。浮彫りはともかく、壁画がよく残ってるもんだ。<br /><br />羽のある貝の神殿を出て、当時の排水システムの説明を受けた後は、この宮殿の上の部分に残るケツァルパパロトルの宮殿(Palacio de Quetzalpapalotl)へ。西暦450年から500年の間に建てられたもので、テオティワカンで最も完全に近い形で修復を試みた建物の1つ。月のピラミッドで祭儀に携わる神官の住居だったとも、公共の建物だったとも云われる。中庭を囲む柱には宮殿の名前のとなった神話上の生き物、ケツァルパパロトル(Quetzalpapalotl)と云う羽毛の生えた蝶の浮彫が鮮明に残る。ただし、初期古典期のメソアメリカ人を表わす「投げ槍を持つフクロウ(Spearthrower Owl)」と云う説もある。左右の柱には横向きに、正面の柱には前向きに彫られているのには感心した。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3338628989540435&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />これらの遺跡のガイドの後は、宮殿の前に降りて、ガイドさんが昔の人が植物などを使って色鮮やかな絵をどうやって描いたかを、実際にサボテンなどを使って実演(下の写真5)。なるほど、大したものだと感心した。ここまででガイドは終了、自由行動となる。2時間後の2時40分に、入ったゲート3ではなく、東側のゲート4(Puerta 4)に集合と云うことで解散!<br /><br /><br />月のピラミッドに続く。

メキシコ テオティワカン (Teotihuacan, Mexico)

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2019/10/17 - 2019/10/17

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旅行記グループ テオティワカン

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ちふゆ

ちふゆさん

19年10月17日(木)、ツリブス社(Turibus)のテオティワカン(Teotihuacan)1日バスツアー、11時15分頃にやっとグアダルーペ寺院(Basilica de Guadalupe)を出発、約40㎞北東のメキシコ中央高原(Anahuac)にあるテオティワカン遺跡(Ruinas De Teotihuacan)を目指す。グアダルーペ寺院を出るとすぐにメキシコシティ(Ciudad de Mexico)と約90㎞北東の、サッカーの本田圭佑選手が所属していたチームがあるパチューカ(Pachuca)とを結ぶメキシコパチューカハイウェイ(Autopista Pachuca-Ciudad de Mexico)に入り、丘の間を北東に抜けていくが、山肌に立ち並ぶ家々がカラフルで綺麗(下の写真1)。

さらに5分ほどでセロゴルド(Cerro Gordo)と云う低い丘が右手に見えて来るが、その手前でロープウェイが頭上を横切っている(下の写真2)。16年の10月に開通したメヒカブレ(MEXICABLE)で、メキシコ初の公共交通機関としてのロープウェイ。左手に連なるグアダルーペ山脈(Sierra de Guadalupe)に奥深く入り込んだサンアンドレス・デ・ラ・カニャーダ(San Andres de la canada)と云う地域と、やがてはメキシコ地下鉄(Metro de la Ciudad de Mexico)が延伸される予定のサンタクララ(Santa Clara)の間4.8㎞を7駅、17分で結んでおり、慢性渋滞で90分掛かる場合もある移動時間が大幅に短縮され、また、間の路上強盗が頻発する地区を空中移動できるため、現在の地下鉄の終点であるインディオスベルデス(Indios Verdes)までの直通バスを利用してメキシコシティへの通勤も可能となった。ボリビア(Bolivia)、ラパス(La Paz)のミテレフェリコ(Mi Teleferico)を思い出した。

ここを過ぎた頃から、眠りに落ちてしまって気が付くともうテオティワカンに着くところだった。テオティワカンとは、ナワトル語(Nahuatl)で「神々の都市」という意味で、12世紀頃にこの地にやってきて、すでに廃墟となっていた都市を発見したアステカ人が命名した。元々の名前は分かっていない。彼らは、荘厳なピラミッド群をこれこそ神々が建てた都市と信じ、彼らの宇宙観ともいえる「太陽と月の神殿」の舞台とした。現在残されている建物の名称にもアステカの神話が投影されている。アステカ人はテオティワカンを後々まで崇拝の対象とした。

紀元前2世紀頃建造されたメキシコ最大の宗教都市国家。テオティワカン文明の遺跡だが、彼らはどこから来たのか、そして8世紀頃の謎の滅亡と共にどこに消えてしまったのかは、今も解明されていない。衰退の主要な原因としては、火事の発生、漆喰の生産のために木材を大量に燃やしたことによる森林破壊、かんばつによる農業衰退、およびそれらに伴う内乱の発生と近辺からの狩猟採集民の侵入などが考えられている。極めて計画的に設計された都市で、南北に延びる大通りを中心に、太陽の軌道と密接な関係にある多くの遺跡、彫刻、壁画が残る。雛壇のようなピラミッドをはじめとする大型建築は4世紀頃までに完成し、4世紀から7世紀にかけて黄金時代を迎えたものとみられる。都市の面積は約20平方kmで、当時の新大陸では最大規模を誇っており、最盛期には20万人以上が生活を営んでいた。1987年世界遺産の文化遺産に登録。

テオティワカンにおいては、平和的な神制政治が行われ、すべての政事を司る神官を頂点に軍人、商人と階級分けされ、最下層の職人たちにも職種別に各々のパリオ(Pario=地区)に整然と暮らしていた。神官グループは一分の隙もないピラミッドの建造を指導し、宗教祭事を正確に取り決めるための高いレベルの数学、天文学の知識を操っていた。建物はタルータブレロ(Talud-tablero)と云う、タルー(斜面部分)とタブレロ(平坦部分)の組み合わせの建築様式で造られている。傾斜する基盤の上に垂直な板面をはめ込んだ基段の積み重ねによって、巨大なピラミッドを形成しており、これはテオティワカンのほとんどすべての建築物に共通している。

また、テオティワカンは対外的にも大きな勢力を持っており、千㎞離れたマヤ(Maya)地域にも影響は及んだ。378年にはエル・ペルー(El Peru)とティカル(Tikal)に侵入し、ティカルの古い石碑を破壊して新しい王朝を建てた。426年にコパン(Copan)とその衛星都市のキリグア(Quirigua)を建設したのもテオティワカン系の人間だったらしい。テオティワカン様式の芸術は古典期マヤ文明に大きな影響を及ぼした。

12時頃、遺跡の北西部にあるゲート3(Puerta 3)に到着(下の写真3)。グアダルーペ寺院の時と同様に英語ガイドとスペイン語ガイドに分かれて見学開始。入口から続く土産物屋(下の写真4)を抜けるとまず左手にあるのがジャガーの宮殿(Palacio de los Jaguares)。この宮殿は半地下にあり、日の当たらない場所から発掘されたためか、まだ彩色が残っており、遺跡内で壁画がほぼオリジナルに近い原色かつ完璧な形で残っている数少ないもの。西暦450年から650年の間に建てられたもの。

まずは半地下の中庭へ。壁や柱の色合いもきれい。中庭の北側の一番右手の部屋には、あったあった「ほら貝を吹く羽毛のあるジャガー(Jaguar emplumado en los murales)」の壁画。いや、きれいに残ってるもんだ。ジャガーは古代の中南米では神聖な動物でほら貝を吹くと雨を呼ぶと信じられていたようだ。これから雨が強くなっていくのだが、どっかでジャガーがほら貝を吹いたのだろうか? まあ、説明されないとジャガーもほら貝だとも分からないが。

そこから建物の中に入ると羽のある貝の神殿(Templo De Los Caracoles Emplumados)がある。神殿の柱に彫られているのが、多分羽のある貝。4つの花びらのリリーフも並ぶ。台座の部分にはオウムかインコのように見えるが、実際は長い飾り羽が美しいケツァール(Quetzal)ではないかと云われている鳥が黄色い花に水をこぼしている壁画が並んで描かれている。西暦200年から300年の間に建設されたもの。浮彫りはともかく、壁画がよく残ってるもんだ。

羽のある貝の神殿を出て、当時の排水システムの説明を受けた後は、この宮殿の上の部分に残るケツァルパパロトルの宮殿(Palacio de Quetzalpapalotl)へ。西暦450年から500年の間に建てられたもので、テオティワカンで最も完全に近い形で修復を試みた建物の1つ。月のピラミッドで祭儀に携わる神官の住居だったとも、公共の建物だったとも云われる。中庭を囲む柱には宮殿の名前のとなった神話上の生き物、ケツァルパパロトル(Quetzalpapalotl)と云う羽毛の生えた蝶の浮彫が鮮明に残る。ただし、初期古典期のメソアメリカ人を表わす「投げ槍を持つフクロウ(Spearthrower Owl)」と云う説もある。左右の柱には横向きに、正面の柱には前向きに彫られているのには感心した。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3338628989540435&type=1&l=8a89379cb0

これらの遺跡のガイドの後は、宮殿の前に降りて、ガイドさんが昔の人が植物などを使って色鮮やかな絵をどうやって描いたかを、実際にサボテンなどを使って実演(下の写真5)。なるほど、大したものだと感心した。ここまででガイドは終了、自由行動となる。2時間後の2時40分に、入ったゲート3ではなく、東側のゲート4(Puerta 4)に集合と云うことで解散!


月のピラミッドに続く。

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  • 写真1 エル・テペヤック国立公園(Parque Nacional El Tepeyac)辺りの山肌に立ち並ぶカラフルな家々

    写真1 エル・テペヤック国立公園(Parque Nacional El Tepeyac)辺りの山肌に立ち並ぶカラフルな家々

  • 写真2 メヒカブレ

    写真2 メヒカブレ

  • 写真3 ゲート3

    写真3 ゲート3

  • 写真4 ゲート3の土産物屋

    写真4 ゲート3の土産物屋

  • 写真5 お絵描きの実演

    写真5 お絵描きの実演

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