2019/10/28 - 2019/10/28
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belleduneさん
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初めて唐沢山神社へ行きました。ここには、戦国時代、佐野氏が居城した唐沢山城があります。現在、この辺りは県立自然公園になっていて、いくつかのトレッキングコースがあります。
交通の要衝だったため、この城を巡って、数々の戦いがあったそうです。このため、攻撃に備える工夫がなされ、曲げ輪、土塁、高石垣、堀などが残っています。今は、本丸跡に唐澤山神社本殿が建っています。
- 旅行の満足度
- 4.0
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大手道を上って、神社へ
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右手に南城館、現在社務所があります。
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春季大祭・例大祭直前の日曜に、奉納武道(県道・柔道・弓道)大会が開催されます。また浦安の舞が奉納されます。
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二の丸から見上げた本丸跡です。
唐澤山神社の御祭神藤原秀郷公は、天慶3年(940)に東国で反乱を起こした平将門を成敗し、下野守と武蔵守を拝命して、後に鎮守府将軍となった平安時代の英雄です。唐澤山城は、秀郷公が築いたとする伝承が古くから地元にあり、江戸時代初期の文書に記されていました。秀郷公の末裔には。奥州藤原氏なども排出しましたが、下野国では小山氏や藤原足利氏が派生したということです。平安末期になると、藤姓足利氏の有力な一派が佐野圧を統治して、佐野氏を名乗るようになったそうです。 -
二の丸辺り。
佐野氏は、当初唐沢山西方の吉水を拠点として、地域を治め、鎌倉時代になると、源頼朝の御家人となって、活躍します。以来多くの変遷を経て、戦国時代には、越後の上杉謙信や小田原の後北条氏から度々攻められましたが、唐沢山城を堅個に築き、400年以上に渡って、佐野地方の領主であり続けてきました。 -
二の丸に建つ神楽殿。
二の丸跡に建つ奥御殿直板の詰所があったとされ、本丸の大手虎口の守りを固めた曲げ輪がありました。 -
二の丸辺り。
江戸時代に佐野城に移り、傾聴末期には改易の憂き目に遭いましたが、後に徳川家の旗本として取り立てられたそうです。 -
400年を超える高石垣です。本丸南西の石垣は約40m延び、南局の西側に続いていました。高さ8mを超える石垣は、田原合戦以降、佐野氏が豊臣秀吉と深い関係にあったため、西日本を中心とする技術の導入によって、築かれたものと判断されるという。関東では極めて珍しい貴重なものとなっています。
この辺り一帯は、佐野家改易後、彦根藩の御林山となり、江戸時代を通して厳しく管理されていましたが、明治時代に新政府の管理下に置かれました。佐野家は幕末には表高三千五百石の旗本でしたが、明治初期には旧家臣に迎えられて、故郷に戻りました。唐澤山の古城跡に、秀郷公を祀る神社を創建することになりましたが、官有林払い下げまでには苦労が多かったようです。やがて、明治16年10月に大祭を志向して、神社創建が叶いました。 -
苔に木々の影が映り、石垣と相まって良い雰囲気でした。
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唐澤城南城跡からの眺め。
東日本では、数少ない織豊系築城技術を用いた高石垣を築くという関東屈指の山城だったそうです。
もう少し、晴れていると富士山やスカイツリーが見れるということですが...
当時は、蔵屋敷、武者詰などと言われrた南城。 -
唐澤城跡の指定面積は、194haで、山城としては、関東最大規模ということです。
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この南城から見た景色を詠んだ歌です。
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800尺ということで、約240m。
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南城後ろも。かなり傾斜の急な坂です。京路戸峠ハイキングコース、栃本公園・田沼方面へのコース、露垂根神社ハイキングコース、堀米、佐野方面コースなどがあります。
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神橋から見た四つ目堀。
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大炊の井
築城の際、厳島大明神に祈請し、その霊夢通りに、掘ると水がこんこんと湧き出たという。深さ9m、直径8m理、今日まで枯れたことがないそうです。 -
唐澤山城跡山頂周辺縄張図
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